ちょうど2年前に『人口減社会の未来学』という編著書を出した(文藝春秋、2018年)。寄稿者は常連の平川克美、小田嶋隆のほかに、池田清彦、平田オリザ、ブレイディみかこ、姜尚中、藻谷浩介ら錚々たる論客。私が序論を書いた。
この文中の「人口減」を「コロナウィルス禍」と書き換えても、ほとんどそのまま使えるということに気がついた。そのつもりで読んで頂きたい。
人口減社会の未来を予測する書物は、本書を含めて、これからいくつも出版されると思います。このような国民的な問題については、できるだけ多くの書き手によって、できるだけ多くの知見が示されるべきだと思います。未来はつねに霧の中です。霧の先にどういう風景が広がっているかについては、確定的なことを言える人は一人もいません。ですから、論者の数だけ未来像が語られることになる。この場合、予測される未来像が違えば違うほど、僕たちが書き出さねばならない「心の準備」のリストは長大なものになります。
ところが、僕たち日本人はこの起こるかも知れないことについて「心の準備をする」ということがどうも大変に苦手らしいのです。上の依頼文の中で、人口減社会の未来予測は「世界各地で同時多発的に、いくつもの領域で始まりつつある」と僕は書きました。たしかに海外では数年前から「脱成長論」や「定常経済論」が重要な論件になってきています。でも、日本社会にはそれが喫緊の論件だという切迫感がまだありません。それが不思議です。なぜなら、日本は世界で最初に超少子化・超高齢化のフェーズに突入する国だからです。かつて世界のどんな国も経験したことのない、歴史上前例のない局面に踏み込む。にもかかわらず、「その時何が起きるのか?」についての予測がなされていない。僕のような経済学とも人口学とも制度論ともまったく無縁の人間が「こんな本」の企画の編者に呼ばれるのは、率直に言えば、専門家がこの議論を忌避しているからです。「人口減社会の予測や対策は専門家にお任せください。素人さんが出しゃばることないです」と専門家が言ってくれるなら、僕だって心配しません。そもそも僕のような素人のところにこんな企画が回ってくるはずがない。でも、現に僕は「こんな文」を書いている。この事実そのものが、日本人が人口減社会に対する備えができていないことを証拠立てています。
もう一度言いますけれど、僕たち日本人は最悪の場合に備えて準備しておくということが嫌いなのです。「嫌い」のなのか、「できない」のか知りませんが、これはある種の国民的な「病」だと思います。
戦争や恐慌や自然災害はどんな国にも起こります。その意味では「よくあること」です。でも、「危機が高い確率で予測されても何の手立ても講じない国民性格」というのは「よくあること」ではありません。それは一つ次数の高い危機です。「リスク」はこちらの意思にかかわりなく外部から到来しますが、「リスクの到来が予測されているのに何も手立てを講じない」という集合的な無能は日本人が自分で選んだものだからです。「選んだもの」が言い過ぎなら、「自分に許しているもの」です。
人口減そのものは天変地異ではありません。自然過程です。キャリング・キャパシティを超えた人口膨張に対して、人類が生き延びるために無意識的に選択しつつある集団的な行動です。
70億という人類の総人口はどう考えても地球環境への負荷としては過大です。それでも、22世紀までは人口はさらに増え続けます。2050年には97億人、2100年には112億に達すると予測されています。それだけの人口に対して、エネルギーや食糧や水や医療や教育資源を安定的に供給できると思っている人はたぶんいないでしょう。現在でさえ、世界では8億人が栄養不良状態にあります。9人に1人が飢えている。それにもかかわらず、世界人口はこれから30年でさらに30億人、1年一億のペースで増え続けます。人口が際立って増えるのは、インド(4億人)、ナイジェリア(2.1億人)、パキスタン(1.2億人)、コンゴ(1.2億人)、エチオピア(9千万人)、タンザニア(8千万人)、アメリカ(7千万人)、インドネシア(6千万人)、ウガンダ(6千万人)などです。これらの国々において、30年後は今より政情が安定し、経済が好調で、民心が穏やかになっていると予測するためにはよほどの楽観が必要でしょう。これ以上の人口増を受け入れるだけの体力は(アメリカを除いて)これらの国々のどこにもありません。ですから、地球環境が持続可能な状態にまで人口が減少するのは自然なことですし、合理的なことです。人口減それ自体があたかも「忌まわしいもの」でもあるかのように語るのはまったく当を失しています。先進国はどこでも(アメリカを除いて)これから人口減局面に入ります。22世紀にはアジア、アフリカを含む全世界が少子・高齢化、そして人口減局面を迎えます。これは「誰の身にも起きること」なのです。まずそのことを認めるところから始めないと話になりません。
誰の身にも起きることであるわけですから、早晩どこの国もそれに対する備えを始めなければならない。でも、最も早くその危機に遭遇する日本では、なぜかそれに対する備えが始められていない。人々はそのことについては考えないようにしている。駝鳥が砂に頭を突っ込むように、危機の接近に気づかないふりをしている。人口減社会の実相についての具体的な考察に入る前に、僕は序文においてこの日本人の集団的無能についての予備的な考察をしたいと思います。少し長い話になりますけれど、ご容赦ください。
先日、毎日新聞が「縮む日本の先に」という座談会を企画しました。「人口減がなぜ深刻な問題なのか、どのような課題に、どのように向き合っていけばいいのでしょうか」という記者の問いに、ある人は「楽観する問題ではないが、かといって悲観的になるのではなく、人口減は既定の事実と受け止めて、対処法をどうするか考えたらいい」と回答しました。ある人は「人口が減っていくと『衰退宿命論』が社会に広がっていく。すると、なすべき対応を忘れ、社会は転落する」と回答しました。別の人は「人口減に対応する社会システムを作る必要があるだろう」と回答しました。その後、個別的な議論になって、東京一極集中から地方分権へ、定年制の延長と高齢者の就労促進、年金支給年齢の引き上げというような当たり障りのない意見がぱらぱらと出た後、最後に政治家が(福田康夫元首相でしたが)「国家の行く末を総合的に考える中心がいない」と冷たく突き放して座談会は終わりました。
ここから知れるのは、人口減社会に対して、行政のどの部署が対応策を起案するのか、その提案の適否は誰がどういう基準に基づいて判断するのかについて、今の日本にはまだ何の合意も何のルールも存在しないということです。「人口減に対応する社会システムを作る必要があるだろう」というようなことを行政の専門家が今頃(自分にその起案責任があるのではないかという自覚をまったく欠いたまま)言っているという事実に僕たちはもう少し慄然としてよいと僕は思います。
「最悪の事態」に備えてさまざまなプランを用意するということを日本人は嫌いますけれど、それはかなりの程度まで日本人の民族誌的奇習だと思います。とりあえずアメリカは違います。
前にも書いた話ですけれど、手ごろな傍証なのでまた引かせてもらいます。『エアポート77/バミューダからの脱出』(1977年)というパニック映画がありました。ジャンボ機がハイジャックされ、バミューダ海域で故障して水没する。アメリカ海軍が救難信号をキャッチして現地に急行し、ジャンボ機を乗客ごと引き上げるための大規模な救助作戦が始まる・・・という「あらすじ」を書いただけで「よくあるパニック映画」だとわかると思います。さしてサスペンスも盛り上がらず、爽快感もない凡作なのですけれど、それを休日の昼間に寝転んで見ていて強い違和感を覚えた場面がありました。それはジャンボ機の引き上げ作業(それは海底に沈んだ機体に風船をくくり付けて浮かび上がらせるというものなんですけれど)を始めるに当たって、艦長が「それだと作戦第何号だな」と言って、艦橋のロッカーを開けて、そこにびっしり詰まっている作戦実施要領ファイルの中から一冊を抜き出し、艦内放送で「これから作戦第何号を実行する。なお、これは演習ではない」と告げた場面でした。僕は思わずテレビ画面に向いて「おい」とつぶやいてしまいました。「海底30メートルのところに乗客ごと沈んでいて、浸水し、酸素がなくなってきたジャンボ機を風船で浮かせる」オペレーションに特化したマニュアルがあって、乗組員たちはその演習をこれまで何度か繰り返して来ているという設定があまりに非現実的なものに思えたからです。でも、このシナリオがユニヴァーサル映画の企画会議を通って、1000万ドルの製作費が出たということは「こんなご都合主義の設定はいくら何でも客が怒り出すだろう」と言った人がユニヴァーサルにはいなかったということを意味しています。
僕はこの時に「危機」というものについての考え方が日米ではずいぶん違うのだと思いました。「ふつうは起きないこと」を網羅的に列挙し、それぞれについて逐一対応策を用意しておくことをアメリカ人は「無駄」だとは考えない。むしろ、「誰も思いつかなかったような最悪の事態」を思いつき、それに対処するプランを立案できる能力にアメリカ社会は高い評価を与えるらしい。
「カタストロフが過去に一度も起きなかったということは、それが将来において決して起きないということの根拠にならない」という命題は(デイヴィッド・ヒューム以来)英米の知性にはおそらく深く内面化されている。「これまで起きなかったこと」はこれからも起きない蓋然性が高いけれど、それはあくまで蓋然性に過ぎない。蓋然性の見積もりに主観的願望を関与させてはならない。これがおそらくはアングロ=サクソン的知性にとっての「常識」なのです。でも、これは日本では常識ではありません。日本では話がみごとに逆転します。起こる確率の低い破局的事態については「考えないことにする」。それが本邦の伝統です。
その傾向が最も極端なかたちで発現したのが、さきの大戦のときの大日本帝国戦争指導部でした。「これがうまく行って、これもうまく行けば、皇軍大勝利」という「最良の事態」ばかりを次々とプレゼンできる参謀たちがそこでは重用されました。もちろん現実はそんなに都合よくはゆきません。敗色が濃厚になってから後はほとんどすべての作戦は失敗しました。けれども、作戦が失敗した場合も、その責任はしばしば作戦起案者ではなく、現場の指揮官や兵士たちが指示通りに行動しなかったことに帰されました。作戦が成功すれば立案者の功績、失敗すれば実行部隊の責任。ノモンハン以来、インパールでもフィリピンでもずっとそうでした。
ですから、作戦起案時点で、「最悪の事態」を想定する人間が出て来るはずがない。「もしプランAが失敗したらどうするんですか?」という問いは「そういう敗北主義が皇軍の士気を低下させて、作戦の失敗を引き寄せるのだ」というロジックでただちに却下された。
先の座談会でも、四人の論者たちは全員が「悲観的になってはならない」という点では一致していました。確かに、その通りかも知れません。けれども、この場合に気をつけなければいけないのは、日本社会では「最悪の事態を想定して、その対処法を考える」という態度そのものが「悲観的なふるまい」に類別されるということです。だから、「そういうこと」をしてはならないと厳命される。悲観的になると人は「衰退宿命論」に取り憑かれ、「なすべき対策を忘れ」、そのせいで「社会は転落する」からです。
危機的な事態に備えている人間は別に悲観的になっているわけではないと僕は思います(とりあえず『エアポート77』を見る限りではそうです)。でも、そういうふうに考える人間は日本社会では例外的少数であるらしい。というのも、たしかに彼らの言う通り、日本人は「最悪の事態」を想定すると、それにどう対処するかをクールに思量し始める前に、絶望のあまり思考停止に陥ってしまうからです。
人口減は対処を誤ると亡国的な危機を招来しない問題ですけれど、それについては政府も自治体もまだ何も手立てを講じていません。どの部局が手立てを講じるべきかについての合意さえない。それは「悲観的になると、何も対策を思いつかない」という信憑がひろく世間に行き渡っているからです。現に、経験知もそう教えている。悲観的になると日本人は愚鈍化する。
そして、その反対の「根拠のない楽観」にすがりついて、あれこれと多幸症的な妄想を語ることは積極的に推奨されています。原発の再稼働も、兵器輸出も、リニア新幹線も、五輪や万博やカジノのような「パンとサーカス」的イベントも、日銀の「異次元緩和」も官製相場も、どれも失敗したら悲惨なことになりそうな無謀な作戦ですけれど、どれについても関係者たちは一人として「考え得る最悪の事態についてどう対処するか」については一秒も頭を使いません。すべてがうまくゆけば日本経済は再び活性化し、世界中から資本が集まり、株価は高騰し、人口もV字回復・・・というような話を(たぶんそんなことは絶対に起きないと知っていながら)している。思い通りにならなかった場合には、どのタイミングで、どの指標に基づいてプランBやプランCに切り替えて、被害を最小化するかという話は誰もしない。それは「うまくゆかなかった場合に備える」という態度は敗北主義であり、敗北主義こそが敗北を呼び込むという循環的なロジックに取り憑かれているからです。そして、この論法にしがみついている限り、将来的にどのようなリスクが予測されても何もしないでいることが許される。
その点では現代日本のエリートたちも先の戦争指導部とマインドにおいてはほとんど変わりません。いずれの場合も高い確率で破局的事態が到来することは予測されている。けれども、破局が到来した場合には社会全体が大混乱に陥るので、そんな時に「責任者は誰だ」というような他責的な言葉づかいで糾明する人間はもういない。そんなことしている暇もないし、耳を貸す人もいない。だったら、いっそ破局まで行った方が個人の責任が免ぜられる分だけ「得」だ。それが「敗北主義が敗北を呼び込む」というロジックの裏側にある打算です。
東京裁判の時、25名の被告の全員が「自分は戦争を惹起することを欲しなかった」と主張しました。満州事変についても、中国との戦争についても、太平洋戦争についても、被告たちは「他に択ぶべきはかれていなかった」と述べて責任を忌避しました。例えば、小磯國昭は満州事変にも、中国における軍事行動にも、三国同盟にも、米国への戦争にも、そのすべてに個人的には反対であったと証言しました。これに驚いた検察官は、なぜあなたは自分が反対する政策を執行する政府機関で次々と重職を累進しえたのかと問い詰めました。それに小磯はこう答えました。
「われわれ日本人の行き方として、自分の意見は意見、議論は議論といたしまして、国策がいやしくも決定せられました以上、われわれはその国策に従って努力するのがわれわれに課せられた従来の慣習であり、また尊重せらるる行き方であります。」(丸山眞男、『現代政治の思想と行動』、未來社、1964年、109頁)
丸山眞男はこの証言を引用した後にこう記しています。「右のような事例を通じて結論されることは、ここで『現実』というものは常につくりだされつつあるもの或は作り出され行くものと考えられないで、作り出されてしまったこと、いな、さらにはっきりいえばどこかから起って来たものと考えられていることである。」(同書、109頁、強調は丸山)
被告たちは戦争指導の要路にありながら、自分たちが戦争という現実を作り出したということをかたくなに拒みました。戦争は人間の能力を超えた天変地異のように「どこから起って来たもの」として彼らには受け止められていたのです。それゆえ、その圧倒的な現実に適応する以外に「択ぶべき途は拓かれていなかった」と彼らは弁疏したのです。
戦争がコントロール可能な政治的行為だとするならば、どのような理念と計画に基づいて戦争を始めたのかについての政治責任が発生します。けれども、「どこかから起って来た」天変地異的な破局であるならば、誰の身にもいかなる政治責任も発生しない。ですから、いささか意地の悪い見方をすると、戦争指導部の人々は敗色濃厚になってから後は「戦争が制御不能になること」をこそむしろ無意識的には願っていただろうと僕は思います。
1942年のミッドウェー海戦で海軍はその主力を失い、もう戦争遂行能力はなくなっていました。ですから、その時点で講和の交渉を開始することは選択肢としては合理的でした(現に、木戸幸一や吉田茂らは和平工作を始めていました)。でも、例えば講和の条件として、大日本帝国の継続を認める代わりに、満州や朝鮮半島や台湾の植民地を手離すことを求められが場合、何が起きたでしょう。「誰が、何をめざしてこのような無謀な戦争を始めたのか? 国益を損なったのは誰だ?」というきびしい責任追求が行われたはずです。統治機構がまともに機能していて、国民生活が平常に送られていて、ジャーナリズムがまだ生きていたら、戦争指導部の責任が問われたはずです。その場合には、後に東京裁判で被告席に立たされることになった人たちの多くは日本人自身の手によって裁かれたはずです。でも、戦争が制御不能になり、統治機構が瓦解し、人々が戦火の下を逃げまどい、政治的意見を語る場も対話の場もなくなれば、事態があまりに破局的であるがゆえに日本人自身による戦争責任追及の機会はなくなる。人々はとりあえずその破局的現実に適応して、生き延びることに全力を尽くすしかない。そして、国運が決した以上、「自分の意見は意見、議論は議論」として脇に措いて、生き延びたものたち同士で手を取り合い、国を再建する事業に取り組む、それが「課せられた従来の慣習であり、また尊重せらるる行き方」であるということになる。「一億総懺悔」というのはそういうことです。この破局は天変地異なのだから、そんな修羅場で「誰の責任だ」というような野暮は言うな、と。
自分の手で敗戦処理ができるだけの余力がある間は(責任を問われるから)何もしない。ひたすら天変地異的な破局が天から降って来るまで(あるいは「神風」が吹いて指導部の無為無策にもかかわらず皇軍勝利が天から降って来るまで)手をつかねて待つ。
この病的な心理機制はさきの敗戦の時に固有なものではありません。今もそのままです。手つかずのまま日本社会に残っている。現に、今もわが国の指導層の人々は人口減がどういう「最悪の事態」をもたらすのか、その被害を最小化するためには今ここで何を始めればよいのかについては何も考えていません。悲観的な未来について考えると思考が停止するからです。自分がそうだということはわかっているのです。それよりは無根拠に多幸症的な妄想に耽っている方が「まだまし」だと判断している。楽観的でいられる限りは、統計データを都合よく解釈したり、リスクを低く見積もったり、嘘をついたり、他人に罪をなすりつけたりする「知恵」だけはよく働くからです。そうやって適当な嘘や言い逃れを思いつく限りは、しばらくはおのれ一人については地位を保全できるし、自己利益を確保できる。でも、悲観的な未来を予測し、それを口にしたとたんに、これまでの失敗や無作為について責任を問われ、採るべき対策の起案を求められる。そんな責任を取りたくないし、そんなタスクを課せられたくない。だから、悲観的なことは考えないことにする。早めに失敗を認めて、被害がシステム全体には及ばないように気づかった人間がむしろ責任を問われる。非難の十字砲火を浴び、謝罪や釈明を求められ、「けじめ」をつけろと脅される。それが日本社会のルールです。システム全体にとっては「よいこと」をしたのに、個人的には何一つ「よいこと」がない。だったら、失敗なんか認めず、「すべて絶好調です」と嘘を言い続けて、責任を先送りした方が「まだまし」だということになる。
これはバブル期の銀行経営において見られたことです。銀行経営者たちは不良債権のリスクを知りながら、自分の在任中にそれが事件化して責任を問われることを嫌って、問題を先送りし、満額の退職金をもらって逃げ出し、銀行が破綻するまで問題を放置した。彼らは早めに失敗を認めて、被害を最小化することよりも、失敗を認めず、被害が破局的になる方が「自己利益を確保する上では有利」だと判断したのです。
どんな世の中にもそういう利己的な人間は一定数存在します。これをゼロにすることはできません。けれども「そういう人間」ばかりが統治機構の要路を占めるというシステムはあきらかに病んでいます。その意味で現代日本社会は深く病んでいます。(...)
以上、個人的な愚痴をまじえて長々と書いてきましたが、僕が言いたいのは、要するに日本社会には最悪の事態に備えて「リスクヘッジ」をしておくという習慣がないということです。ただ、誤解して欲しくないのですが、僕はそれが「悪い」と言っているわけではありません(そんなこと今さら言っても仕方がありません)。そうではなくて、どんな場合でも、日本人は「最悪の事態」に備えてリスクヘッジする習慣がなく、そういう予測をすること自体を「敗北主義」として忌避するという事実を勘定に入れてものごとを考えた方が実用的ではないかと言っているだけです。日本人というリスクファクターを勘定に入れておかないと適切なリスク管理はできない。そういう話です。車を運転する時に、ブレーキがよく効かないとか、空気圧が足りないとか、ライトが点かないとかいうことを勘定に入れて運転しないとえらいことになるのと同じです。「ちゃんと整備されていない車を運転させるな」と怒ってもしょうがない。それしか乗るものがないんですから。不具合を「込み」で運転するしかない。
僕たちがこれから行うのは「後退戦」です。後退戦の目標は勝つことではなく、被害を最小化することです。「どうやって勝つか」と「どうやって負け幅を小さくするか」とでは頭の使い方が違います。
勝つ時にはそれほど頭を使う必要はありません。潮目を見はからって、勢いに乗じればよい。でも、負けが込んできた時に被害を最小化にするためにはそのようなタイプの頭の使い方では間に合わない。もっと非情緒的で計量的な知性が必要です。
「勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし」というのは松浦静山の『甲子夜話』の言葉です(野村克也監督がしばしば引用したことで知られておりますが、もとは剣術の極意について述べたものです)。なぜ勝ったのか分からない勝ちがある。けれども、どうして負けたのか理由がわからない負けというものはない。勝ちはしばしば「不思議」であるけれど、負けは「思議」の範囲にある。だから、後退戦で必要なのはクールで計量的な知性です。まずはそれです。イデオロギーも、政治的正しさも、悲憤慷慨も、愛国心も、楽観も悲観も、後退戦では用無しです。ステイ・クール。頭を冷やせ。大切なのはそれです。
これからの急激な人口減はもう止めることができません。それによって社会構造は劇的な変化を強いられます。いくつもの社会制度は機能不全に陥り、ある種の産業分野はまるごと消滅するでしょう。それは避けられない。でも、それがもたらす被害を最小化し、破局的事態を回避し、ソフトランディングするための手立てを考えることはできます。それがまさに「思議」の仕事です。(後略)
(2020-03-18 10:03)