政治の季節

2020-01-29 mercredi

 三島由紀夫の没後50年ということで、いろいろな企画がなされている。これは三島由紀夫のドキュメンタリー映画のパンフレットに書いた文章。
 昨日の寺子屋ゼミで「政治的とはどういうことか」について話したのだけれど、その話をしている。

 ある時代が政治的であるということは、人々がかまびすしくおのれの政治的意見を語り、政治的組織に属し、運動をするという外形的な兆候を指すのではない。例えば、今の日本でもメディアには政治を語る言説があふれているし、党派的にふるまう人はそこらに数えきれないほど存在するけれども、私は現代日本人を政治的とは見なさない。現代日本は「非政治的な季節」のうちにあると思っている。
 それは「政治的」であるというのは、自分個人の生き方が国の運命とリンクしているような「気がする」ということだからである
 個人的な定義なので、別に一般性を要求しているわけではないけれども、私はそう思っている。
 現代日本人は政治をうるさく語るけれども、自分の個人の生き方が国の運命とリンクしているとは感じていない。
 アンドレ・ブルトンがどこかで「世界を変えようと思ったら、まず自分の生活を変えたまえ」というようなことを書いていた。世界と自分の日々の生活の間に相関があるという直感を持てなければ、人間は「革命」など目指しはしない、と。
 そう書いてから、ほんとうにブルトンがそんなことを言ったのかどうか気になって『引用辞典』というものを引いて調べてみた(そういう便利なものがこの世にはある)。実際はこうだった。
『世界を変える』とマルクスは言った。『生活を変える』とランボーは言った。この二つのスローガンはわれわれにとっては一つのものだ。
 名言だと思う。こういうふうに考える人間のことを「政治的」と呼ぶべきだと私は思う。
 もちろん個人の生活と世界の運命の間に相関があることは誰だって知っている。世界が大恐慌になれば、おのれの生計は立ち行かない。世界がパンデミックになれば、自分の健康も保ちがたい。でも、それはあくまで世界の運命が自己の運命に影響を与えるという一方通行の関係である。
「政治の季節」ではこれが逆転する。
 自分のただ一言、ただ一つの行為によって世界が変わることがあり得るという「気分」が支配的になるのである。
 自分の魂を清めることが世界を浄化するための最初の一歩であるとか、自分がここで勇気をふるって立ち上がることを止めたら世界はその倫理的価値を減じるだろうとか、「ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる もたれあうことをきらった反抗がたふれる」(吉本隆明)とか、そういうふうに人々が個人の歴史に及ぼす影響力を過剰に意識するようになることが「政治の季節」の特徴である。
 だから、「政治の季節」の人々は次のように推論することになる。
1・自分のような人間はこの世に二人といない。 
2・この世に自分が果たすべき仕事、自分以外の誰によっても代替し得ないようなミッションがあるはずである。
3・自分がそのミッションを果たさなければ、世界はそれが「あるべき姿」とは違うものになる。
 こういう考え方をすることは決して悪いことではない。それは若者たちに自分の存在根拠についての確信を与えるし、成熟への強い動機づけを提供する。
 その逆を考えればわかる。
1・この世には私のような人間は掃いて捨てるほどいる。
2・私が果たさなければならないミッションなど存在しないし、私の到来を待望している人たちもいない。
3・だから、私が何をしようとしまいと、世界は少しも変わらない。
 このように推論する人のことを「非政治的な人」と私は呼ぶ。
 自分が何をしようとしまいと、世界は少しも変わらない。だから、私はやりたいことをやる。人を突き飛ばそうと、おしのけようと、傷つけようと、汚そうと、奪おうと、それによってシステム全体にはさしたる変化は起きない。そういうふうに考えることが「合理的」で「クール」で「知的だ」と思っている人のことを「非政治的」と私は呼ぶ。現代日本にはこういう人たちがマジョリティを占めている。だから、現代日本は「非政治的な季節」のうちにいると書いたのである。
 政治的な季節の若者たちは時々ずいぶんひどい勘違いをしたけれども、「自分には果たすべき使命がある」と思い込んでいたせいで、総じて自分の存在理由については楽観的であった。その点では非政治的な時代の若者たちよりもずいぶん幸福だったのではないかと思う。
 
 三島由紀夫の生き方と死に方が左翼右翼双方の政治少年たちに強い衝撃をもたらしたのは、それが実に「政治的」だったからである。
 三島は単独者であった。彼のように思考し、彼のように行動する人間は彼の他にはいなかった。けれども、彼は自分が単独者であることを少しも気にかけなかった。それは彼が「三島由紀夫以外の誰によっても代替し得ないミッション」をすでに見出しており、それをどのようなかたちであれ実践する決意を持っていたからである。自分の個人的実践が日本の国のかたちを変え、歴史の歯車を動かすことができると信じていたからである。そして、実際に(三島が期待していた通りかどうかはわからないけれど)、彼の生き方と死に方によって、日本と日本人は不可逆的な変化をこうむったのである。
 いまは三島のような考え方をする人はきわめて少ない。けれども、時代は変わる。遠からず私たちはまた「自分には余人によっては代替し得ない使命が負託されている」と感じる若者たちの群れの登場に立ち会うことになるだろう。その気配を私は感じる。