『街場の憂国論』文庫版のためのあとがき

2018-04-03 mardi

文庫版のためのあとがき

みなさん、こんにちは。内田樹です。
文庫版お買い上げ、ありがとうございます。お買い上げ前でこの頁を立ち読みしているかたにも「袖すり合ったご縁」ですので、ひとことご挨拶を申し上げます。できたら、この「あとがき」だけ読んでいってください。
この文章を書いているのは2018年の3月です。
少し前の頁にある「号外のためのまえがき」が時間的には収録されたものの中で一番新しいテクストですが、その日付は2013年12月10日です。ということは、それを書いてから今日まで4年半が経ったということです。
その間に何があったか。
巻末に僕が不安げに予測した通り、「現在の自民党政権は、彼らの支配体制を恒久化するシステムが合法的に、けっこう簡単に作り出せるということ」を特定秘密保護法案の採決を通じて学習しました。その結果、2014年夏には集団的自衛権行使容認の閣議決定があり、2015年夏には国会を取り巻く市民の抗議の声の中で、安全保障関連法案が採決され、2017年には共謀罪が制定されました。
そうやって着々とジョージ・オーウェルが『1984』で描いたディストピアに近い社会が現実化してきました。
その間ずっと安倍晋三がわが国の総理大臣でした。ほんの一週間ほど前までは、彼が自民党総裁に三選され、年内にも改憲のための国民投票が行われるということが高い確度で予測されていました。でも、3月に入って森友学園問題についての公文書改竄が暴露されて、今は再び政局が流動化しております。ですから、この本が出る頃に日本の政治状況がどうなっているか今の時点では予測がつきません。そういう政局を横目にしつつ、文庫版あとがきとしてはもう少し一般的な話として「国の力とは何か」ということについて一言私見を述べておきたいと思います。

率直に言って日本は急激に国力が衰えています。国力というのは、経済力とか軍事力とかいう外形的なものではありません。国の力をほんとうにかたちづくるのは「ヴィジョン」です
「ヴィジョン」とは、自分たちの国はこれからどういうものであるべきかについての国民的な「夢」のことです。かたちあるもののではありません。「まだ存在しないもの」です。でも、それを実現させるために国民たちが力を合わせる。そして、そのような夢を共有することを通じて人々は「国民」になる。そういうものなんです。まず国民が「いる」のではありません。「あるべき国のかたちについて同じ夢を見る人たち」が国民に「なる」のです。その順逆を間違えてはいけません。
日常の動作と同じです。ある動作を達成しようとする(ドアノブを回すとか、包丁でネギを刻むとか)。そのごく限定的な「はたらき」のためにさえ全身が一つ残らず動員されます。ドアノブを回すだけのような単純な動作でさえ、ノブを視認し、手触りを確かめ、回転させ、解錠する「かちり」という音に聞き耳を立て・・・という動作を成り立たせるためには五感のみならず、重心の移動も、腰の回転も、呼吸の制御も、すべてが参加します。すべてが「ドアノブを回す」という目的があるおかげで整然と、みごとに調和した連携プレーを果たす。
目的がなければ身体は動きません。動かないから、そこに身体があるということさえ実感されない。それは「身体がない」というのと同じことです。
それと同じように、国には国で「果たすべき動作」がなければならない。それがなければ、国は動かない。国民の「はたらき」が始まらなければ、人口統計上は存在していても、国民として実感されることがない。
日本の国力が衰えているというのは、そのような国民を遂行的に形成してゆく「夢」がなくなったということです。

戦後日本にはそのつどの「夢」があり、それゆえすべての国民をひとまとまりに作動させるような「はたらき」がありました。
敗戦直後の日本人には瓦礫から祖国を復興するという喫緊の事業がありました。まず国民の衣食住を調えなければならない。その作業に国民全員が携わった。「共和的な貧しさ」というのはこの時代を指した関川夏央さんの名言ですが、たしかに僕が記憶している1950代の東京の町内は共和的な共同体でした。防犯、防災、公衆衛生の維持といった切羽詰まった課題を共同体全員で担いました。アウトソースすることができなかったからです。行政がまだ十分に機能していない段階では、住民たちが自分たちで自分たちの生活を守る他なかった。
焼け跡から立ち直った1960年代以降の日本人には次は「豊かになる」という目標がありました。さしあたりは「戦前の生活水準を超える」ことが目標でした。「もはや『戦後』ではない」というフレーズを当時の為政者はしばしば口にしましたが、それは国民にとっては「生活レベルが戦前に戻る」ことを意味していました。そして、たしかに60年代の中ごろにその悲願は達成されました。
その次に日本人が抱いたのは新しいかたちの「夢」でした。それは「アメリカの属国身分から脱して、国家主権を回復する」という「夢」です。ただし、それを公然と言挙げすることはできませんでした。というのは、日本は形式的にはサンフランシスコ講和条約で国家主権を回復したことになっていたからです。ただし、それにもかかわらず、米軍は日本国内のどこでも好きな場所に、好きな期間だけ駐留することができ、そのエリアは日本の統治が及ばない治外法権でした。日本は事実上はアメリカの軍事的属国だったのですが、アメリカからの国家主権の回復プログラムは(いわば一種の独立運動ですから)無言のうちに遂行されなければなりませんでした。
世界中から「エコノミック・アニマル」という蔑称を投げつけられながらも、日本は全国民が一丸となって達成した驚異的な経済成長によって、ついに世界第二位の経済大国となりました。経済力でアメリカに肉迫し、マンハッタンの摩天楼を買い、ハリウッド映画を買うところまでゆきました。バブル期には、アメリカから「国家主権を金で買い戻す」という奇想天外なプランがほとんど実現可能かと思われました。でも、バブル崩壊によって、その夢は潰えます。
それから後の時代が「失われた20年」というふうに呼ばれます。いずれ「失われた30年」になり、「失われた40年」になり・・・年数がひたすら加算されてゆくことになるでしょう。
この喪失感は単なる経済力の喪失がもたらしたわけではありません。日本が42年にわたって維持してきた「世界第二位の経済大国」というポジションを中国に譲ったのは2010年のことです。91年のバブル崩壊以後も20年の間、日本は世界でも例外的に豊かな国であり続けたのです。でも、それにもかかわらず「夢」を失った日本人はどこに向かって進んでよいかわからないまま失速し迷走を続けた。
2005年、小泉政権の時、日本は国連の安保理常任理事国になろうとしてみじめな失敗を喫しました。その時に、国際社会から日本は「主権国家」だとみなされていないという痛苦な事実を日本人は思い知らされました。日本を支持することを拒んだ国々の論拠は「日本が常任理事国になっても、アメリカの票が一つ増えるだけだから」というものだったからです。そして、その指摘に日本政府はひとことも反論することができませんでした。
2009年には「夢」を取り戻すために、起死回生の民主党への政権交代がありました。でも、その鳩山政権は、米軍基地の縮小という「軍事的属国が口にしてはならないこと」を言挙げしたとみなされて、日本国内の「対米従属勢力」から猛攻を受け、四面楚歌のうちに瓦解してしまいました。
それから後はずっと仄暗い絶望感が日本を覆い続けています。「日本を取り戻す」という安倍政権の回顧的なスローガンは「日本にはもう未来がない」ということの言い換えに他なりません。それはアメリカのトランプ大統領の掲げたMake America great again というスローガンの「未来のなさ」とよく似ています。アメリカ人も「このままでは未来がない。過去に還ろう」と思い始めている。それが国力衰退の徴候だということに気づきながらも、風通しのよい、向日的な未来社会を描く想像力がもう作動しなくなった。ロシアのプーチンや中国の習近平の「終身独裁者」システムの採用は、それらの国々の政策決定者たちが「変化を恐れている」ことの徴候です。未来に希望がないから変化を恐れるのです。

今の日本には国民的な目標がありません。何もない。「経済をなんとかしてほしい」と選挙前の街頭インタビューでは有権者は言いますけれど、「なんとかしてもらった後」に何をしたいのかについては言葉が続かない。生活に困窮している人が「まともな生活ができる程度の金が欲しい」というのはわかります。でも、すでにずいぶんリッチに見える人たちまでが「金が欲しい」というのが僕にはよくわからない。「その金で何をする気なんですか?」と訊いてみたい。きっと株を買ったり、不動産を買ったり、仮想通貨を買ったりしたいんでしょう。でも、それはどれも「金を増やすため」の活動です。それは「金が欲しい」ことの理由にはなりません。でも、今の日本ではほとんどのビジネスマンが「金が欲しいのは金が欲しいからだ」という循環論法に陥っている。
「金が欲しいのは金が欲しいからだ」というループにはまり込んだのは実は経済活動をする目的が見えなくなったからです。かつては復興と主権回復という明確な国民的目標がありました。自分たちの日々の経済活動がそのまま国運の興隆とリンクしているという実感があった。自分が額に汗して働けば、国が豊かになり、国民が幸福になり、やがて国家主権が回復されて、晴れて独立国になれるという夢があった。それがなくなった。
リーディング・カンパニーで次々と信じられないような不祥事が続くのも偶然ではありません。経営者たち自身、自分たちが何のためにビジネスをしているのか、それがわからなくなっている。どれほど東奔西走しても、汗を流しても、それによって国力が増大し、国運が上昇するという「リンケージ」が見えない。顔を見たこともない海外の株主が租税回避地に持つ個人口座の残高が増えるだけで、彼らから別に「ありがとう」というねぎらいの言葉が届くわけでもない。経営者が実感できるのは、周りからの阿諛追従の言葉と、高い給料で可能になった贅沢のもたらす「つかの間の気持ちよさ」だけです。リアルなものはそれくらいしか見つからない。それなら、いっそ肚を括って、おのれひとりが出世すること、自己利益を最大化することだけに努めよう。さまざまな組織で、人々がそういうふうに考え始めた。
その結果が今の日本の「ていたらく」です。別に日本人そのものが倫理的に劣化したわけではありません。「夢」を持てなくなってしまったことの、これは帰結です。「自分ひとりがよければ他の人のことはどうでもいい。今さえよければ先のことはどうでもいい」という考え方について国民的な黙契が成立したのです。「日本にはヴィジョンがない」というのはそういうことです。

これから日本はどうなるのでしょう。先ほど「潮目の変化」が来ていると書きました。僕はそう感じます。それでもまだ日本人は「次の夢」を見つけることができずにいます。
「日本スゴイ」とか「嫌韓嫌中」とか「クール・ジャパン」とかいう復古的なイデオロギーが人々を惹きつけるのは、「落ち目の日本」からそれでも必死になって搔き集めて来た「夢の残骸」がそこに展示されているからです。「夢の残骸」でもないよりましだという考え方を僕は理解できないわけではありません。でも、それは「夢」ではない。
国運が衰微しているのは「異物」が外部から侵入してきたせいだから、それを排除して、国を純化すれば国運は再びV字回復するというタイプの社会理論は危機に遭遇した社会がしばしば採用してきたものです。それを信じた政治指導者たちは「異物」の排除による国家の浄化を企てました。でも、それがもたらしたのは粛清と強制収容所と国民の分断だけでした。ですから、そういう「国民を浄化すれば国運が回復する」というタイプの社会理論に僕は反対です。それがもたらす暴力と道徳的退廃の底知れなさは歴史が教えています。

日本人はこれからどんな「夢」を見るべきなのでしょう。そもそも果たして「次の夢」を見ることができるのでしょう。この問いに軽々に答えることは自制しなければなりませんけれど、それでも一言だけ言わせてください。そのような国民を統合できる「夢」がもし存在し得るしたら、それは「これまで誰も思いついたことのないようなまったく新しいもの」であると同時に「あ、それね。その手があったか」と聞いた全員がたちまち笑顔で得心できるような「懐かしいもの」でなければならないということです。新しくて、そして懐かしいもの。そういうものを見つけ出すのはたいてい若い人たちです(老人にはいささか荷が重い仕事です)。
この本の読者の若い人たちにぜひそのたいせつな仕事を託したいと思います。僕もできる限りご協力致しますから一緒にがんばりましょう。みなさんのご健闘を祈ります。