憲法についての鼎談から

2018-04-02 lundi

2月に西宮で行った憲法をめぐる鼎談がブックレットになって刊行されることになった。
「予告編」として、その中のなかほどのところの内田の発言をあげておく。


内田 今、石川さんが政治が急速に劣化してきて、前近代的で破壊的で、軍事力信仰をするというタイプの政権ができてしまったと話されました。その通りだと思います。本当に政治が劣化している。なぜ劣化したのか。小選挙区制のマジックも理由の一つでしょうし、官邸がメディアを抑えているということも理由の一つでしょう。でも、それらは言わば戦術です。なぜそのような戦術が採択されたのか、「何を実現するために?」という問いが立てられなければならないと僕は思います。
僕の暴論的仮説を申し上げます。敗戦後の日本の基本的国家戦略は、「対米従属を通じて対米自立を果たす」ということでした。これは敗戦国としてはそれ以外の選択肢がない必至の国家戦略でした。だから、後知恵で良い悪いを言ってもしかたがない。とにかく徹底的な対米従属を貫くことによって同盟国として米国に信任され、結果的に国家主権を回復し、国土を回復するというのが敗戦時の日本人の総意だったわけです。
そして、実際にこの「対米従属を通じての対米自立」というトリッキーな国家戦略は成功しました。1951年にサンフランシスコ条約で国家主権を回復し、68年に小笠原諸島が返ってきて、72年には沖縄の施政権が返還されました。だから、45年から72年までについて言えば「対米従属を通じての対米自立」というシナリオはそれなりの成果を上げたのです。
日本は50年代には朝鮮戦争を支持し、60年代、70年代は世界的な反戦機運の中で、「大義なき」ベトナム戦争でもアメリカを支持し、アメリカの世界戦略に従うことで、結果的には大きな果実を得たのです。
このことは「成功体験」として記憶されたわけですから、その後も対米従属路線に変更の出るはずがなかったのです。でも、対米従属路線に伏流していた日本人の心性には変化があった。
60年、70年の安保条約反対闘争は本質的には反米愛国闘争でしたけれど、これとまったく無縁なところにいたはずの一般のサラリーマンたちも実は別のかたちで愛国的な情念に駆られて対米経済戦争を闘っていた。あの時代の戦中派のラリーマンたちを衝き動かしていたのは「次の戦争は勝つ」というものでした。今度はアメリカに勝つ。経済で勝つ。
江藤淳は63年にプリンストン大学に留学している時に、ニューヨークで酌み交わした中学時代の同級生からこう言われたと書いています。
「うちの連中がみんな必死になって東奔西走しているのはな、戦争をしているからだ。日米戦争が二十何年か前に終わったなんていうのは、お前らみたいな文士や学者の寝言だよ。これは経済競争なんていうものじゃない。戦争だ。おれたちはそれを戦っているのだ。今度は敗けられない。」
当時はこういうマインドを持っていたビジネスマンは決して少数派ではなかったはずです。60年代以降の日本の高度経済成長を駆動してきた動機のうちには言葉にはされなかったけれど、反米的なセンチメントが含まれていた。
そして、そのような思いに駆動されて、70年代以後も日本の経済発展は止まるところを知らず、80年代にはもうアメリカの背中が見えてくるところまで来ました。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と持ち上げられ、「日本式経営」が世界標準になり、そしてバブル時代を迎えます。
もう遠い昔のことでみんな忘れてしまっていて、何であんなに浮かれていたのか馬鹿みたいだったと冷笑的に回顧する人が多いですが、僕はあの時の日本人があれほど興奮したのは、もしかするとこのままの勢いで経済力が増大すると、いずれアメリカから国家主権をお金で買い戻せるんじゃないかという途方もない夢を見たからじゃないかという気がするんです。
1989年は昭和が終わり、平成が始まった年であり、ベルリンの壁が崩壊したエポックメイキングな年でしたが、バブルの絶頂であったその年に、三菱地所がマンハッタンのワールドトレードセンターを購入し、ソニーがコロンビア映画を購入しました。日本の企業が摩天楼とハリウッド映画を買ったのです。あの頃よく言われた言葉に「日本の地価を合計するとアメリカが2つ買える」というのがありました。日本の地価の高騰に困惑する文脈で口にされたはずの言葉ですが、それを人々がどれほど自慢げに口にしていたのか、僕はまだ覚えています。それは単に金があってすごいだろうという成金自慢に止まらず、ここまで来たらアメリカも日本に対していつまでも宗主国面ができなくなるんじゃないか、うまくしたら札ビラでアメリカの頬をはたいて国家主権を金で買い戻せるんじゃないかという妄想を日本人が抱いたからではないかと思います。
80年代半ばから90年代はじめにかけてのバブル期の日本人があれほど高揚していたのは、単にお金の万能性を国民全体が狂ったように信じただけではなく、その「万能の金」で自分たちが最も欲しいもの、すなわち「アメリカの手にある国家主権」を買い戻すことができるんじゃないかと思ったからではないか。僕にはなんとなくそう思えるのです。
外交的には対米従属に徹しながら、金儲けに勤しむことで、国家主権をアメリカから取り戻す。日本人にとって、これは実にクレバーな国家戦略でした。アメリカで当時日本車を壊すような烈しいジャパン・バッシングがありましたけれど、アメリカの市民は市民で直感的に分かっていたんだと思います。「日本人は良からぬことを企んでいる」ということを。だから、さまざまなかたちでアメリカが日本経済に干渉したこともあってバブル崩壊に至った。
バブル崩壊後の日本人の脱力感を僕は覚えています。多くの日本人はバブル期の数年間に生涯で最も贅沢な日々を送ったはずですから、その分だけ脱力感も深かった。「失われた20年」と言われますけれど、これは別にお金がなくなって気落ちしたというだけではないと思います。お金がなくなったので、もう「国家主権をお金で買い戻す」という夢のような解決策の可能性がなくなった。その無力感が国民全体に無言のうちに共有されていた。
小泉純一郎の登場もその文脈で考えるべきだと思います。彼の最大の政治的賭けは郵政民営化ではなく、2005年に国連の常任理事国に立候補したことだと僕は思います。経済大国だった時代に世界各国からもてはやされた記憶がまだ生々しく、日本は国際社会で高く評価されていると勘違いした。政治大国としての声望を支えに、安保理の常任理事国となって、アメリカと「タメ」になるという夢を見た。そうではないかと思います。経済大国として宗主国と五分になる夢がついえたので、今度は政治大国として五分となる夢を見た。
でも、安保理の常任理事国に手を挙げたものの、日本はアジア諸国の支持をほとんど得ることができませんでした。アジアで日本の提案を支持してくれたのはアフガニスタンとモルジブとブータンだけでした。隣国はどこも支持してくれなかった。その時に、日本は自分たちが国際社会ではただの「アメリカの属国」としか見られていないという痛切な事実を思い知らされた。
対米自立のための対米従属を徹底してきたせいで、固有の政治的見識やヴィジョンを有した主権国家「ではない」という声望を国際社会のうちに定着させてしまったのです。アメリカの属国を常任理事国に据えても、アメリカの票が一つ増えるだけで、国際社会のありようについて「日本からしか出てこない独自のアイディア」が提示されるということはありえない、と。国際社会はそう判断したのです。その時点までの戦後60年間の「対米従属」がこの決定的瞬間において「対米自立」という夢そのものを不可能なものにしてしまった。
そして、2011年の福島原発事故で政府の危機管理能力の欠如が全世界に知られて、以後、今に至るまで、日本は「国際社会からまともに相手にされるためにはどうしたらいいのかがわからない」という呆然自失状態のうちにあります。
今も惰性的に対米従属を続けてはいますが、沖縄返還以降、日本はもう何一つアメリカから獲得していません。沖縄の米軍基地は縮小されず、横田空域も返還されず、日米地位協定も改定されるず、日米合同委員会を通じてのアメリカの日本の政官支配は続いている。このまま半永久的に米軍が日本国内に「領土」を持ち、駐留し続けることはほぼ確実です。だから、もう「対米従属を通じての対米自立」ということは自民党の政治家でさえ信じていない。もう未来について語るべきヴィジョンがなくなってしまったのです。
でも、アメリカがそれまで日本に主権を「小出しに」返してきたのを止めて、もう日本には何もやらないと(口に出さぬまま)腹を決めたのは、日本には未来についての何のヴィジョンもないということが明らかになったからです。日本はもうアメリカから主権を回復する気概を失ってしまったということが明らかになったからです。
だったら、もう遠慮は要らない。むしれるだけむしればいい。
とりあえずトランプ大統領はそう考えています。彼が訪日した時にまっすぐ横田基地に来たのは、そこが「アメリカ領土」だということを日本政府と日本国民にアピールするためです。キューバのグァンタナモ基地と同じです。他国の領土内に治外法権の「飛び地」を領土的に保有しており、それを返還する気がまったくないことをそうやって誇示してみせたのです。
もう対米従属は日本の国益を増すためには何の役にも立たない。
対米従属が有効だったのは、日本が「面従腹背」していたからです。腹の中では「いつかアメリカから主権を奪還する」つもりでいた。バブルの頃はアメリカの「寝首を掻く」くらいの気概があった。だから、アメリカも日本を侮ることができなかった。
今の日本はもうそんな意欲も気概もありません。腰抜けの属国です。日本はまだ世界第三位の経済大国ですし、世界第七位の軍事大国ですけれど、もうどの国からも敬意を持たれていない。世界のこれからのありようについて日本政府がどういうヴィジョンを持っているか、それを注視している国など世界のどこにもありません。日本が何をするかはアメリカが決める。日本が何を考えればいいのかもアメリカが決める。そう思われている。
今の日本の政治が劣化した最大の原因は「語るべきビジョンがないこと」だと僕は思います。安倍政権やその周辺が語る「戦前回帰」や軍事力信仰や「日本スゴイ」キャンペーンは、未来に何も見るべき希望がなくなった人たちが過去の栄光のようなものを妄想的に作り出して、それを崇拝するという苦し紛れの、深く病んだソリューションです。未来に何も期待できないので、妄想的に「美しい過去」を脳内で構成して、そこに回帰しようとしている。20年後、30年後の日本はどういう国になるべきなのか、どういう国にならなれるのか、それを語る冷静で具体的な言葉を政治家も、官僚も、学者も、誰も持っていない。
今でも日本人が国民を統合できる唯一の国家目標があるとすれば、それは「国家主権の回復」です。それしかない。アメリカの属国であることを止めて、国家主権を回復し、国防も外交もエネルギーも食糧も教育も医療も、自分たちの国家戦略は誰にも諮らず、自分たちで決める。そのことはどんな対米従属主義者も内心では願っているはずです。でも、その主権回復のためのロードマップが存在しない。
今も日本は豊かな自然資源に恵まれ、安定的な社会的インフラを備え、教育でも医療でも文化資本の厚みでも、決して世界のどの国にも引けを取りません。でも、この20年間、そのすべてがすさまじい勢いで劣化している。異常事態です。それは制度設計の問題ではありません。制度の中にいる人たちがこれから何を目指していいか分からなくなっているのです。未来が見えなくなっている。
未来の見えない日本の中の未来なき政治家の典型が安倍晋三です。安倍晋三のありようは今の日本人の絶望と同期しています。未来に希望があったら、一歩ずつでも煉瓦を積み上げるように国のかたちを整えてゆこうとします。そういう前向きの気分の国民なら安倍晋三を総理大臣に戴くはずがない。自信のなさが反転した彼の攻撃性と異常な自己愛は「滅びかけている国」の国民たちの琴線に触れるのです。彼をトップに押し上げ、その地位に止めているのは、日本の有権者の絶望です。