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言葉の生成について

もう2年前になるけれど、大阪府の国語科教員たちの研修会に呼ばれて、国語教育について講演をしたことがあった。
そのことを伝え聞いた国語科の先生から「どこで読めますか」と訊かれたので、「お読みになりたいのでしたら、ブログに上げておきます」とお答えした。いずれ晶文社から出る講演録に採録されると思うけれども、お急ぎの方はこちらをどうぞ。

「言葉の生成について」

学期末のお忙しいところ、かくもご多数お集まりいただき、ありがとうございます。ご紹介いただいたように、僕の書いた文章は、入試問題や教科書に出たりしていますが、人間、一回見ると「こういうこと言いそうなやつだ」というのがだいたい分かります(笑)。
僕はエマニュエル・レヴィナスの本を何冊か訳していたのですが、1987年にご本人にはじめてお会いしました。レヴィナスの本、それまでに一生懸命訳してはきたんですけれども、どうも自分の訳文に確信が持てない。こんなことを言っているように思うのだけれども、「そんなことふつう言うかな?」という疑問がありまして、これは本人に会ってみないと分からないと思いました。それで実際にパリまで行って、お会いした。
その時、お会いした瞬間に、それまでの疑問が一瞬にして氷解しました。玄関の前で満面の笑顔で、「ようこそ」と両手を広げているその様子から、その人の体温、息づかい、思考のリズム感までがよくわかった。
ですから、会う前と後では、翻訳のペースが全く違いました。レヴィナス先生とお会いしたすぐ後に『タルムード講話』というのを訳しているのですが、これなんか、今読むと、ほとんど「憑依されている」。達意の訳文なんです(笑)。難解な本なんですけれど、すらすらと訳している。「どうも、これを訳した時、オレ、わかってたらしい」という感じがする。本人に会った直後というのは、そういうことがある。
だから、皆さんは今日、生の内田樹を見たわけですから、これからは教科書で教える時も自信を持って「これはこうだ」と断言できると思います。「だって、ウチダってこんなことを言いそうなやつだったから」と(笑)。胸を張って言えると思います。

今日はこうした場で、文学、言語の話ができるということで、大変嬉しく思っています。
先日、西本願寺の日曜講演に呼ばれて「『徒然草』の現代語訳を終えて」というタイトルで、文学についての講演をすることができました。
これは池澤夏樹さん個人編集している日本文学全集の中の一巻です。池澤さんとそれまでお会いしたことはなかったのですが、ご指名で「『徒然草』はウチダが」と言っていただきました。
この『徒然草』の現代語訳をしている時に、一つ発見がありました。今日はその経験を踏まえて、言葉はどうやって生まれるのか、言葉はどうやって受肉するのかという、言葉の生まれる生成的なプロセスについて、思うところをお話ししたいと思います。

つい最近、PISAの読解力テストの点数が劇的に下がったという報道がありました。記事によると、近頃の子どもたちはスマホなど簡便なコミュニケーションツールを愛用しているので、難解な文章を読む訓練がされていない、それが読解力低下の原因であろうと書かれていました。たしかに、それはその通りだろうと思います。しかし、だからと言って「どうやって読解力を育成するか?」というような実利的な問題の立て方をするのは、あまりよろしくないのではないかという気がします。
というのは、読解力というのは目の前にある文章に一意的な解釈を下すことを自制する、解釈を手控えて、一時的に「宙吊りにできる」能力のことではないかと僕には思えるからです。
難解な文章を前にしている時、それが「難解である」と感じるのは、要するに、それがこちらの知的スケールを越えているからです。それなら、それを理解するためには自分を閉じ込めている知的な枠組みを壊さないといけない。これまでの枠組みをいったん捨てて、もっと汎用性の高い、包容力のある枠組みを採用しなければならない。
読解力が高まるとはそういうことです。大人の叡智に満ちた言葉は、子どもには理解できません。経験も知恵も足りないから、理解できるはずがないんです。ということは、子どもが読解力を高めるには「成熟する」ということ以外にない。ショートカットはない。
僕はニュースを見ていて、読解力が下がっているというのは、要するに日本人が幼児化したのだと感じました。「読解力を上げるためにはこれがいい!」というようなこと言い出した瞬間に、他ならぬそのような発想そのものが日本人の知的成熟を深く損うことになる。なぜ、そのことに気がつかないのか。
以前、ある精神科医の先生から「治療家として一番必要なことは、軽々しく診断を下さないことだ」という話を伺ったことがあります。それを、その先生は「中腰を保つ」と表現していました。この「中腰」です。立たず、座らず、「中腰」のままでいる。急いでシンプルな解を求めない。これはもちろんきついです。でも、それにある程度の時間耐えないと、適切な診断は下せない。適切な診断力を持った医療人になれない。
今の日本社会は、自分自身の知的な枠組みをどうやって乗り越えていくのか、という実践的課題の重要性に対する意識があまりに低い。低いどころか、そういう言葉づかいで教育を論ずる人そのものがほとんどいない。むしろ、どうやって子どもたちを閉じ込めている知的な枠組みを強化するか、どうやって子どもたちを入れている「檻」を強化するかということばかり論じている。
しかし、考えればわかるはずですが、子どもたちを閉じ込めている枠組みを強化して行けば、子どもたちは幼児段階から脱却することができない。成長できなくなる。でも、現代日本人はまさにそのようなものになりつつある。けっこうな年になっても、幼児的な段階に居着いたままで、子どもの頃と知的なフレームワークが変わらない。もちろん、知識は増えます。でも、それは水平方向に広がるように、量的に増大しているだけで、深く掘り下げていくという垂直方向のベクトルがない。
読解力というのは量的なものではありません。僕が考える読解力というのは、自分の知的な枠組みを、自分自身で壊して乗り越えていくという、ごくごく個人的で孤独な営みであって、他人と比較したり、物差しをあてがって数値的に査定するようなものではない。読解力とは、いわば生きる力そのもののことですから。
現実で直面するさまざまな事象について、それがどういうコンテクストの中で生起しているのか、どういうパターンを描いているのか、どういう法則性に則っているのか、それを見出す力は、生きる知恵そのものです。何か悲しくて、生きる知恵を数値的に査定したり、他人と比較しなくてはならないのか。そういう比較できないし、比較すべきではないものを数値的に査定するためには、「読解力とはこういうテストで数値的に考量できる」というシンプルな定義を無理やり押し付けるしかない。けれども、ある種のドリルやテストを課せば読解力が向上するという発想そのものが子どもたちの「世界を読み解く力」を損なっている。

僕がそのように思うに至ったのには、レヴィナスを翻訳した経験が深く与っています。レヴィナスは「邪悪なほど難解」という形容があるほど難解な文章を書く哲学者です。
僕は1970年代の終わり頃、修士論文を書いている時にレヴィナスの名を知り、参考文献として何冊かを取り寄せ、最初に『困難な自由』という、ユダヤ教についてのエッセイ集を読みました。しかし、これが全く理解できない。そして、茫然自失してしまった。にもかかわらず、自分はこれを理解できるような人間にならなければということについては深い確信を覚えました。ただ知識を量的に増大させて太刀打ちできるようなものではない、ということはよくわかりました。人間そのものの枠組みを作り替えないと理解できない。それまでも難しい本はたくさん読んできましたが、その難しさは知識の不足がもたらしたもので、別に自分自身が変わらなくても、勉強さえすれば、いずれ分かるという種類の難解さに思われました。でも、レヴィナスの難解さは、あきらかにそれとは質の違うものでした。今のままの自分では一生かかっても理解できないだろうということがはっきりわかる、そういう難解さでした。その時は「成熟する」という言い回しは浮かびませんでしたが、とにかく自分が変わらなければ始まらないことは実感した。
いきなり道で外国人に両肩を掴まれて、話しかけられたような感じでした。「とにかくオレの話を聞け!」と言ってるらしいけれど、何を言っているかは全然わからない。どうやら僕が緊急に理解しなきゃいけないことを話しているらしい。でも、何を言っているのか分からない。とにかく、先方が僕に用事がある以上、僕がそれを理解できるように変わるしかない。そう実感したんです。
仕方がないので、それから翻訳を始めました。意味が分からないままフランス語を日本語にするわけですから、ほとんど「写経」です(笑)。
一応文法的に正しい日本語にはしますが、直訳した日本語の訳文を読んでも、やはり意味がわからない。出版社に翻訳を約束したので、一応二年ほどかけて訳し終えたんですが、訳者に理解できないものが読者に分かるはずがないと思って、ちょっとこれはお出しできないなと思って、そっと押し入れにしまった(笑)。
そのまましばらくはレヴィナスのことを忘れて、他のことに集中しました。その間にいろいろなことがあり、病気になったり、家族と諍いがあったり、就職したり、育児をしたり、武道の稽古に励んだり、いろいろありました。そしてある日、久しぶりに出版社の担当編集者から連絡があって、翻訳はどうなったと聞いてきました。そこでしかたなく押し入れから原稿を取り出して読んでみた。そしたら、ちょっと分かるんですよ。驚きました。別にその年月の間に僕の哲学史的知識が増えたわけではない。でも、少しばかり人生の辛酸を経験した。愛したり、愛されたり、憎んだり、憎まれたり、恨んだり、恨まれたり、裏切ったり、裏切られたり、ということを年数分だけは経験した。その分だけ大人になった。だから少しだけ分かる箇所が増えた。例えば、親しい人を死者として送るという経験をすると、「霊的なレベルが存在する」ということが、皮膚感覚として分かるようになります。祈りというものが絶望的な状況に耐える力をもたらすということもわかる。共同体を統合するためにはある種の「強い物語」が必要だということもわかる。そういうことが40歳近くなってくると、少しずつ分かるようになってきたら、レヴィナスが書いていることも少しずつ分かってきた。
レヴィナスが難解だったのは、語学力や知識の問題というよりは、自分が幼くて、レヴィナスのような「大人」の言うことがわからなかったからだということがわかった。
レヴィナスの書くものの本質的なメッセージは、一言で言うと、「成熟せよ」ということです。
『困難な自由』に、「成人の宗教」という短いエッセイが収められています。ポスト・ホロコースト期のフランス・ユダヤ人社会の最大の問題は「なぜ神は我々を見捨てたのか」でした。なぜ同胞600万人が虐殺されたあの苦難の時代に神は我々を救うために顕現しなかったのか。そういう理由で父祖伝来の宗教を捨てていく人々たちが出てきました。その人たちに対して、レヴィナスはこう語りかけました。
「あなた方はどんな神を信じていたのか。あなた方が善行をなせば報奨を与え、悪事をなせば処罰する。そんな勧善懲悪の原理で動く単純な神を、あなた方は今まで信仰していたのか? だとしたら、それは『幼児の神』である。ホロコーストは、人間が人間に対して犯した罪である。そうである以上、それを裁き、傷ついた人たちを癒すのは人間の仕事である。地上に正義をもたらすのは人間の仕事であって、神の仕事ではない。人間がなすべき仕事に神の支援を求めるのは、自分が幼児であるということを告白しているに等しい。もし神にそれにふさわしい威徳があるとすれば、それは『神の支援なしに地上に正義と慈愛を実現できるような成熟した人間を創造したこと』以外にない。」
レヴィナスはそう言って、ほとんど無神論とすれすれのロジックによって崩れかけた信仰を再建しようとしたのです。これは確かに、子どもには理解しがたいものだと思います。深い絶望の時間を生き抜いて、それでもこの世を生きるに値するものにしようと決意をした人だけが語りうるような、重い言葉でした。この言葉に自分が感動しているとわかった時に、自分もようやく幼児期を脱したんだなという気がしました。

この経験からわかったのは、僕たちは意味が分からなくても読めるし、何を書きたいのかわからないままにでも書けるということでした。人間にはそういう生成的な言語能力が備わっている。読解力というのは、そのような潜在的能力を開発することによってもたらされるということです。
全く分からないけどどんどん読む。そうすると、何週間かたつうちに、意味は分からなくても、テキストと呼吸が合ってくる。呼吸が合ってくると、「このセンテンスはこの辺で終わる」ということがわかる。どの辺で「息継ぎ」するかがわかる。そのうちにある語が来ると、次にどういう語が来るか予測できるようになる。ある名詞がどういう動詞となじみがいいか、ある名詞がどういう形容詞を呼び寄せるか、だんだん分かるようになる。不思議なもので、そうなってくると、意味が分からなくても、文章を構成する素材については「なじみ」が出てくる。外国語の歌詞の意味がわからなくても、サウンドだけで繰り返し聴くうちに、それが「好きな曲」になるのと同じです。
そのうちにだんだん意味がわかってくる。でも、それは頭で理解しているわけじゃないんです。まず身体の中にしみ込んできて、その「体感」を言葉にする、そういうプロセスです。それは喩えて言えば、「忘れていた人の名前が喉元まで出かかっている」時の感じに似ています。「ああ、なんだっけ、なんだっけ。ここまで出かかっているのに、言葉にならない」というあれです。これはただ「わからない」というのとはもう質が違います。体はもうだいぶわかってきている。それを適切な言葉に置き換えられないだけなんです。
身体はもうかなりわかっているんだけれど、まだうまく言葉にならないで「じたばたしている」、これこそ言葉がまさに生成しようとしているダイナミックな局面です。たしかに思いはあるのだが、それに十全に照応する記号がまだ発見されない状態、それはと子どもが母語を獲得してゆくプロセスそのものです。僕たちは誰もが母語を習得したわけですから、そのプロセスがどういうものであるかを経験的には知っているはずなんです。
まず「感じ」がある。未定型の、星雲のような、輪郭の曖昧な思念や感情の運動がある。それが表現されることを求めている。言葉として「受肉」されることを待望している。だから必死で言葉を探す。でも、簡単には見つからない。そういうものなんです。それが自然なんです。それでいいいんです。そういうプロセスを繰り返し、深く、豊かに経験すること、それが大切なんです。

レヴィナスを毎日翻訳するという生活が10年近く続いたわけですけれど、これだけ「わからない言葉」に身をさらすということをしていると、まだぴったりした言葉に出会っていない思念や感情は、いわば「身に合う服」がないまま、裸でうろうろしているような感じなんです。だから、何を見ても「あ、これなら着られるかな、似合うかな」と思う。四六時中そればかり考えている。新聞を読んでも、小説を読んでも、漫画を読んでも、友だちと話していても、いつも「まだ服を着ていない思い」が着ることのできる言葉を探している。そのことがずっと頭の中にある。そうすると、喉に刺さった魚の骨みたいなもので、気になって気になって、朝から晩まで、そのことばかり考えている。でも、魚の骨と同じで、そのことばかり考えているうちに、それに慣れて、意識的にはもう考えなくなってしまう。そして、ある日気がつくと、喉の痛みがなくなっている。喉に刺さっていた小骨が唾液で溶けてしまったんです。「痛い痛い」と言いながら、身体はずっと気長に唾液を分泌し続けていた。そして、ある日「喉に刺さった小骨」は溶けて、カルシウムになって、僕の身体に吸収され、僕の一部分になってしまっていた。
新しい記号の獲得というのは、そういうふうにして行われるものだと思います。「記号化されることを求めているアイデアの破片」のようなものが、いつも頭の中に散らばっている。デスクトップ一杯に散らかっている。だから、何を見ても「これはあれかな」と考える。音楽を聴いても、映画を見ても、本を読んでいても、いつも考えている。
そういう時に役に立つのは「なんだかよくわからない話」です。自分にうまく理解できない話。そういう話の中に「これはあれかな」の答えが見つかることがある。当然ですよね、自分が知っているものの中にはもう答えはないわけだから。知らないことの中から答えを探すしかない。自分がふだん使い慣れている記号体系の中にはぴったりくる言葉がないわけですから、「よそ」から持ってくるしかない。自分がそれまで使ったことのない言葉、よく意味がわからないし、使い方もわからない言葉を見て、「あ、これだ!」と思う。そういうことが実際によくあります。歴史の本とか、宗教書とか、武道や芸能の伝書とか、今やっている哲学の論件と全然関係のなさそうな書物の中にぴったりの比喩や、ぴったりの単語があったりする。
これは本当によい修業だったと思います。そういう明けても暮れても「言葉を探す」という作業を10年20年とやってきた結果、「思いと言葉がうまくセットにならない状態」、アモルファスな「星雲状態」のものがなかなか記号として像を結ばないという状態が僕にはあまり不快ではなくなった。むしろそういう状態の方がデフォルトになった。
そうなると、とにかく大量に「出力」するようになります。仕方ないです。「記号として受肉することを求めているもの」、「早く言葉にして言い切ってくれ」と懇願するようなものが、身体の中、頭の中で、明けても暮れてもじたばたしているわけですから。とにかく下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる式にどんどん出力してゆく。書いても書いても「これでは言葉が足りない」と思うから、さらに出力する。
自分でも時々、本棚を見て、何やってるんだろうと驚くんです。自分の本だけ置いてある棚があるんですけれど、もう100冊以上ある。10年と少しで、それだけ書いた。自分でも何を出したか覚えていない位なんです。だから、「ゴーストライターがいるの」とよく聞かれます(笑)。
ゴーストライターはもちろんいません。僕の中には「言葉になりたい」とじたばたしているアイデアがつねにある。だから、ずっと「中腰」でいる。言いたいことを言い切ってすっきりしたという状態は、絶対に来ないんです。何を書いても、言い足りない、あるいは、言い過ぎる。言い足りないところを言い足し、言いすぎたところを刈り込んでゆくと、いつまでもエンドレスで書かざるを得ないわけです。
自分の理解を超えるもの、自分にとって未知なものを、自分の手持ちの語彙の中に落とし込むということがどうしてもできない。そんなことしても、少しも楽しくない。だって、それが「自分の理解を超えるもの」「自分にとって未知のもの」だということを僕は知っているわけですから。人は騙せても、自分は騙せない。わからないことについて、わかったふりなんかしても、少しも楽しくない。それよりは、自分の語彙を増やし、自分のレトリックを練り上げ、自分のロジックをバージョンアップする方がいい。どうしても実感できない概念を、想像力の限りをつくしてなんとか追体験しようとする。そういう訓練を、翻訳を通じてずっとしてきました。僕がその後物書きとして大量に出力するようになったのは「何を言っているかわからないテクストをわかるためには自分が変わるしかない」という気づきが深く与っていると思います。

言葉の生成と、武道の稽古が深いところで繋がっているということにも最近気がつきました。同じ人間が35年にわたって昼はレヴィナス、夜は合気道という生活をしていたわけだから、その二つは深いところでは繋がっているに決まってるんです。でも、それがどういうふうに繋がっているのかをなかなかうまく言葉にすることができなかった。でも、自分で道場を持って、門人を教えるようになって分かってきました。
武道の修業には目に見える目標というものはないのです。100mをあと1秒速く走るとか、上腕二頭筋をあと1㎝太くするとか、数値的に計量化できる目標は武道には存在しません。今やってるこの稽古が何のためのものなのか、稽古している当人はよくわからない。わからないままにやっている。自分がしてきた稽古の意味は事後的にしかわからない。というのも、修業の成果というのはもっぱら「自分の身体にそんな部位があるとは知らなかった部位を感知できるようになる」「自分の身体がそんなふうに動くとは知らなかった動かし方ができるようになる」というかたちで現れるからです。自分の身体にそれまで身体部位として分節されたことのなかった部位や働きが立ち現れる。記号的に分節されていなかったものが記号として立ち上がる。ですから、稽古を始める前に、ある能力の向上やある部位の強化について数値的な目標を掲げることはできません。目標とすべき「能力」や「部位」それ自体がその段階では認識できていないからです。感知できるようになってから、そこに感知されるような何かがあったことがわかる。動かせるようになってから、そこに操作可能な何かがあったことがわかる。自分が何を習得したのかを知るのはつねに事後においてなのです。修業が進んで、技術に熟練してはじめて、分が何を稽古しているのかが言えるようになる。身体が先で、言葉が後なんです。

自分の中に湧いてきた体感的な気づきを言葉にして、具体的なプログラムに組み替えて、それを門人たちに教えるということを自分の道場を持ってから26年間繰り返してきました。これもまた自分の中にある、アモルファスな、星雲状の身体感覚です。レヴィナスの時はアイデアでしたが、合気道の場合は身体的な気づきです。前言語的な「感じ」をなんとかして言葉にしていく。そして、その言葉に基づいて門人たちに実際に動いてみてもらって、その言葉が適切だったのかどうかを判断する。表現が適切であれば、みんなの動きが一変する。不適切であれば、みんなまごついたり、あるいは僕がイメージしていたものとは別の動きが現れてくる。そうやって僕の使った言語記号の適否はすぐに判定できる。

こういう経験をしてきて、いくつか気がついたことがあります。
一つは、具体的に身体部位を指示して、腕をこう動かしなさいとか、足をここに置きなさいというように、具体的に指示することは武道的な動きの習得の上では、ほとんど効果がないということです。人間はある部位を意識的に動かそうとすると、それ以外のすべての部位を止めようとする。手首を「こういうふうに」動かしてというような指示をすると、手首以外のすべての部位を硬直させて、手首だけを指示通りに動かそうとする。でも、実際に人間はそんなふうに身体を使いません。重心の移動も、腰の回転も、内臓も含めて全部位を同時に動かすことによって一つの動作を行っている。でも、具体的に「手首をこういうふうに」という指示を出すと、それ以外の随伴するべき動作を止めて、手首の動きに居着いてしまう。
だから、具体的な指示はしない方がいい。では、なにが有効かというと、文学的表現なんです。経験的には、詩的なメタファーが最も有効です。「そこにないもの」を想起させて身体を動かしてもらうと、実に身体をうまく使う。現にそこにある自分の身体を操作しようとするとぎくしゃくするけれど、そこにないものを操作する「ふり」をさせると、実に滑らかに動く。
最初にポエジーが効果的だと気づいたのは、もう10数年前になります。その時は、手をまっすぐに伸ばすという動作がなかなかみんなできなかった。そこで、ふと思いついて、こんな情景を想像してもらいました。「曇り空から今年はじめての雪が降ってきた。軒の下からそっと手を差し出して、手のひらに初雪を受ける」そういうつもりやってみてくださいと言ったら、みごとな動きをしてくれた。今思っても、いい比喩だったと思います。手のひらにわずかな雪片の入力があって、それが感知できるためには、手のひらを敏感にしておかないといけない。そのためには腕の筋肉に力みがあってはならない。わずかな感覚入力に反応できるためには、身体全体を「やじろべえ」のようにゆらゆらと微細なバランスをとっている状態に保っていなければならない。身体のどこかに力みがあったり、緩みがあったりすると、バランスは保てません。だから、全身の筋肉のテンションが等しい状態になっている。そういう状態を自分の骨格や運動筋だけを操作して実現することはほとんど不可能ですけれど、「初雪を手のひらに受ける」という情景を設定するだけで、誰にでもできてしまう。そこにある骨格や運動筋を操作するよりも、「そこにないもの」を思い描く方が複雑で精妙な身体操作ができるということをその時に実感しました。

先日、初心者ばかりの講習会があって、そこで両手を差し出して、それを180度回転させるという動きをしてもらうということがありました。なかなかみんなうまくできなかった。そこで、こんな状況を想像してもらいました。「赤ちゃんが2階から落ちてきたので、それを両手で抱き止めて、後ろのベビーベッドにそっと寝かせる。」設定が変なんですけれど、そういう状況をありありと思い描けたら、すぐにできる動作なんです。そのままなんですから。女の人がこういうのは、うまいですね。男の人たちはけっこうぎごちない。赤ちゃんをあまり抱いたことないんでしょうね。
何かの「目標」が与えられたら、放っておいても、それを達成するために身体は最適運動をしてくれます。そして、武道の場合は対敵動作ですが、僕が「そこにないもの」をめざして何か行動した場合、相手からすると、その動きを予見したり、阻止したりすることは非常に難しくなる。だって、何をしようとしているかわからないんですから。仮に相手が僕の手を両手でがっちりつかんでいる場合、「そこにある手」を振りほどくという動作は非常に難しい。でも、例えば、その時に僕の鼻の頭に蚊がとまったと想定すると、僕は蚊を追い払おうとする。その時、手は、鼻の頭に至る最短距離を、最少時間、最少エネルギーで動こうとする。その動きには「起こり」もないし、力みもない。具体的にそこにあって僕の動きを制約している相手の両手を「振りほどこう」とする動きよりも、どこにもいない想像上の蚊を追い払おうとする手の動きの方が速く、強い。「そこにないもの」にありありとしたリアリティを感じることのできる想像力の方が、具体的な筋力や瞬発力よりも質的に上等な動きを実現できる。それは武道の稽古を通じて、僕が実感したことです。

稽古を通じて、文学的メタファーというのが実に有効だということがよくわかりました。文学の有効性とは何か、ということがよく問われます。文学をやると武道が上達するということを言った人はいないと思います。でも、そうなんです。それは文学の有効性は功利的、世俗的なものではなく、もっと根源的なものだからです。それは人間を今囚われている「檻」から解き放つための手立てなんです。
人間は自分が生まれついた環境、与えられた知識や価値観や美意識に束縛されています。そこからどうやって自己解放するか、どうやって自分の限界を超えて、ブレークスルーを果たすか、それが人間が成熟するための課題です。自分が「自分である」ことの自己同一性の呪縛からどうやって逃れるか。
そのための一つの方法として文学的想像力というものがある。「そこにないもの」をあたかも「存在するもの」であるかのようにふるまう。これは自分が囚われている呪縛から逃れる上できわめて有効な方法です。「想像力が権力を奪う」というのはパリ五月革命のスローガンでしたけれど、自由な想像力は時には地上的な権力よりも強いというのは、本当のことです。
想像力が世界を創り、想像力の欠如が世界を滅ぼす。僕はそう思います。現実しか見ない人間はしばしば自分のことを「リアリスト」だと言い張りますけれど、このような人間は人間の生成的なありようについては何も知ろうとしないし、何も考えない。現実のごく一部分、自分を閉じ込めている「檻」の内側の風景しか見たことがなく、それが全世界だと思い込んでいる。そんな人間を僕は「リアリスト」とは呼びません。
武道の用語で「居着き」というのは、文字通り足の裏が地面に張り付いて身動きならない状態を指します。与えられた枠組みを世界のすべてだと思い込んで、その「外」があることを考えもしないのも「居着き」です。
でも、実際に、僕たちは生物としてめまぐるしい環境の変化の中にいるわけです。生き延びるためには、臨機応変、自由闊達でなければならない。それ以外に生物種が生き残る道はありません。自分が自分に対して設定している限界や束縛から自己解放すること、これは生き延びるために必須の技術です。そのことを僕は、レヴィナスと合気道を通して習得しました。

そろそろ、みなさんの関心のある、国語の話に持っていきます。
池澤さんから『徒然草』の現代語訳を頼まれた時に、全く古典の訳の経験のない僕をなぜ選んだのかなと考えました。僕に余人とは異質な言語的能力があるとすると、それはレヴィナスの翻訳をやってきたということだと思います。理解を絶したテクストに対した時に、まず身体的に同調して、自分の中から湧き上がってくる身体的感覚を言葉に置換していく。そういう回路の使い方には習熟していた。それで僕をご指名になったのかなと思いました。
第一回配本の「古事記」の解説の中に、池澤さんが印象深い言葉を記していました。それは「現代語訳は、読者による音読を支援するものでなければならない」というものです。僕はそれに深く共感しました。
文学は音読するものです。文字を読んでいる場合も、頭の中では音読している。ゲラに手を入れている時に、ワープロの変換ミスの同音異義語を微妙な違和感を覚えつつもそれを読み飛ばしてしまうことがよくあります。ミスを見逃してしまうのは、文字の「意味が違う」ことと「音が同じ」ことでは、「音が同じ」方に勢いがあるからです。僕たちは文章を音読しながら読んでいます。僕自身の書く文章も、声に出して読んで気持ちがいいというのが基本です。音読して気分よく読める文章は意味がわからなくても読めます。かなり難しいことが書いてあっても、リズムがいい、息づかいが楽だ、レトリックの畳みかけ方が爽快であるとか、そういうことがあれば、内容の難易度に関係なくすらすらと読める。これは僕が長い読書経験から実感していることです。ですから、古典の現代語訳は「読者による音読を支援するもの」でなければならないとという池澤さんの指示に僕は忠実に従いました。
 
たいせつなのはどういう「ヴォイス(voice)」を選ぶかということだと思います。「ヴォイス」というのは、その人固有の「声」のことです。余人を以ては代え難い、その人だけの「声」。国語教育目標は、生徒たち一人ひとりが自分固有の「ヴォイス」を発見すること、それに尽くされるのではないかと僕は思います。
もう10年以上前ですけれど、『クローサー』という映画がありました。どうでもいいような恋愛映画なんですけれど、その中に一箇所、印象深いシーンがありました。ジュード・ロウとナタリー・ポートマンがタクシーに乗り合わせる場面です。その時に、ジュード・ロウが自分は新聞記者だと自己紹介する。ナタリー・ポートマンがどういう記事を書いているのかと訊くと、死亡記事を書いていると答える。「僕はまだ自分のヴォイスを発見していない。でも、いずれ発見する。そうしたらちゃんとした記者になれる。」正確に記憶してないんですけれど、だいたいそんな意味のことを言いました。映画を見ながら、本当にその通りだなと思いました。
だって、彼が書いているのは死亡記事なんですから。彼が自分の「ヴォイス」を発見するのは死亡記事を書くことを通じてでしかない。ただ死者の生没年や事績を淡々と伝える短文の修業を重ねているうちに、ある日彼の記事が編集長の眼に止まる。「この記者は自分の『ヴォイス』を持っている」ということがわかる。そして、社会部なり学芸部なり他のセクションに異動されて、他の種類の記事を書くようになる。新聞社内にはそういうプロモーション・システムがあることがここには暗示されているわけです。
そこから知れるのは「ヴォイス」はコンテンツとは関係がないということです。何を書いていても、書き手に「ヴォイス」があれば、読む人にはわかる。「ヴォイス」を形成するのは、コンテンツの含む情報の価値でもないし、修辞の巧みさでもない。「息づかい」なんです。「ヴォイス」のあるテクストは、すらすらと読めて、気持ちがいい。そして、心に残る。
だからレヴィナスを翻訳している間に、僕はどこかの段階で自分の「ヴォイス」を発見したんだと思います。だから、いくらでも書ける。息を吐くようにウソをつくという人がいますけれども(笑)、息を吐くように文が書けるようになった。
基本は呼吸なんです。呼吸は国語によって変わります。イタリア人やフランス人とは息継ぎのリズムが違います。イタリア人が日常的に話しているイタリア語をリズミカルに、抑揚をつけて話すとオペラになる。日本人でも日常の言葉を音楽的に処理すると、謡になったり、浄瑠璃になったり、落語になったりする。
息づかいというのは、国語ごとに違いますが、どういう主題で話しているかによっても変わるし、聴き手を誰を想定するかによっても変わる。でも、自分にとって自然な息づかいができるようになると、いくらでも言葉を語り続けることができる。

いま、僕は20代後半のある青年と往復書簡をしています。
彼は何年か前に刑事事件を起こし、弁護士の指示で、更正の課程で反省文を何度も書かされました。それを読みましたけれど、驚くほど硬直していた。たしかに文章はしっかりしている。どうしてこんな事件を起こしたのか、それについての自己分析もしていた。言っていることはたぶんほんとうなのでしょう。でも、書かれていることが少しもこちらの心を打たない。彼がこれで「反省」が済んだ、これで自己分析を果たしたと思ったのでは、この先社会で生きてゆくことは難しいだろうと思い、彼が自分の「ヴォイス」を発見するのを支援するための個人レッスンをすることになりました。それから2年ほど、月1回くらいのペースで、僕が課題を出して彼がエッセイを書くという往復書簡をしています。
最初のうちは「正しい書き方」をしないといけないのとかなり緊張していました。頭のいい子だから、「無難な文章」なら書けるんです。でも、彼が書いてくる文章は言葉が乾いている。水気がない。どうやって彼の言葉に水気を回復させるのか、それが僕の方の課題でした。
試行錯誤を繰り返しました。わかったのは、自分が実際に経験したことを書かせようとすると、硬直するということでした。家族のことや、学校時代のことを書かせようとすると、ぎごちないものになる。そこで経験したことが、彼の今の手持ちの語彙、文型の中には収まらないのです。言葉に収まらない経験をなんとか言葉に収めようとするので、骨と皮だけのようなものになる。
一計を案じてやらせてみてうまくいったのは、「なかったこと」を書かせることでした。自分の実際の経験を書かせると、自己史の中のトラウマ的経験を何とか避けようとするけれど、作話ならトラウマの近くまで行けるんです。「僕」を主語にするとトラウマ的経験に近づけないけど、「彼」を主語にするとそのすぐそばを通過するような文章を書けるようになる。そのときに、「物語を語る」ということがいかに重要であるか、よくわかりました。
今、彼は「ヴォイス」を獲得するプロセスの途中にいるのですけれど、だいぶよくなってきたなと思ったのは、彼が「なんだかわからない経験」を書き出した時でした。オチも教訓も、意味もわからない話を書き出した。
「どうしても忘れられない人」という課題を出した時には、同級生が在校中に亡くなってしまい、その子に何か言いたいことがあったんだけど、言わずに終わってしまった。何を言いたいかは忘れてしまったけど、今でもその子を思い出すと、何か言いたいことがあったことだけ思い出す、そういう短い話でした。この時に、彼はかなり「ヴォイス」に手が届いてきたなと思いました。「自分の思いを言葉にできない」という苦しい現実に「自分の思いを言葉にできなかった出来事」を回想するという仕方で、次数を一つ上げることで対処したわけですから。
たしかに「ヴォイス」というのはそういうものなんです。「自分がうまく書けない」というような事態そのものについてならうまく書くことができる。締め切り間際で週刊紙連載の漫画原稿を落としそうだという時でも、「締め切り間際で原稿を落としそうな漫画家」のどたばた騒ぎについてなら描くことができるということがあります。いつもいつも使える手ではありませんけれども、こういう「メタ・レベル」にずらすというのも「ヴォイス」の手柄です。
それまでの彼の文章は、ブロックを積んだみたいにカチカチとして余裕や曖昧さがなかった。自分の中に生じている、いきいきとした感情や感動は、実際には、なかなか言葉にできないものです。今日のテーマである「言葉の生成」というのもまさにそういうことなんですが、自分の中にある感情もアイデアも、実はきわめて曖昧なものなんです。曖昧なものだから、それを輪郭のはっきりした言葉に置き換えようとすると筆が止まり、舌がこわばる。ですから、曖昧なものを曖昧なままに取り出していけばいいんです。それができれば「書けない」という事態も「私はなぜうまく書けないのか」というメタ・レベルからの考察の興味深い対象になる。でも、それができるためには、自分自身に対して、自分の思考プロセスに対して敬意と好奇心を持つことが必要です。
多くの人が勘違いしているようですけれど、自分の思考プロセスは自分のものではありません。それは、マグマや地下水流のようなもので、自分の外部に繋がっています。それと繋がることが「ヴォイス」を獲得するということです。呼吸と同じです。呼吸というのは酸素を外部から採り入れ、二酸化炭素を外部に吐き出すことです。外部がないと成り立たない。自分の中にあるものの組み合わせを替えたり、置き換えたりしているだけではすぐに窒息してしまいます。生きるためには外部と繋がらなければならない。
言葉が生成するプロセスというのは、自分のものではありません。自分の中で活発に働いているけれども、自分のものではない。それに対する基本的なマナーは敬意を持つことなんです。自分自身の中から言葉が湧出するプロセスに対して丁寧に接する。敬意と溢れるような好奇心を以て向き合う。
往復書簡を通じて、彼の言葉が言葉らしくなってきたのは、彼が自分の中で言葉が生まれてくるプロセスそのものを、一歩後ろに下がって、語ることができるようになったからです。
「ヴォイス」の発見とは、自分の中で言葉が生まれていくプロセスそのものを観察し、記述できること、そう言ってよいかと思います。自分の中で言葉が生まれ、それを使ってなにごとかを表現し、今度はそうやって表現されたものに基づいて「このような言葉を発する主体」は何者なのかという一段次数の高いレベルから反転して、自己理解を深めてゆく。そういうダイナミックな往還の関係があるわけです。そのプロセスが起動するということがおそく「ヴォイス」の発見ということではないかと僕は思います。

このようなプロセスを、具体的に国語教育の現場で行うためにはどんな方法があるのでしょう。やり方は無数にあると思います。皆さんが思いついたことをどんどんやればいい。 
でも、基本は音楽教育の場合と同じで、「よいもの」を大量に、それこそ浴びるように読むことだと思います。ロジカルで、音楽的で、グラフィックな印象も美しい、そういう文章を浴びるほど読ませ、聞かせる。これが基本中の基本だと思います。
今の子どもたちの語彙が貧困で、コミュニケーション力が落ちている最大の理由は、周囲の大人たちの話す言葉が貧困で、良質なコミュニケーションとして成り立っていないからです。周りにいる大人たちが陰影に富んだ豊かな言葉でやりとりをしていて、意見が対立した場合はさまざまな角度から意見を述べ合い、それぞれが譲り合ってじっくり合意形成に至る、そういうプロセスを日常的に見ていれば、そこから学ぶことができる。それができないとしたら、それは子どもたちではなく、周りの大人たちの責任です。
もし今の子どもたちの読解力が低下しているとしたら、その理由は社会自体の読解力が低下しているからです。子どもに責任があるわけじゃない。大人たち自身が難解な文章を「中腰」で読み続けることがもうできない。
時々、議論を始める前に、「まずキーワードを一意的に定義しましょう。そうしないと話にならない」という人がいますね。そういうことを言うとちょっと賢そうに見えると思っているからそんなことを言うのかも知れません。でも、よく考えるとわかりますけれど、そんなことできるわけがない。キーワードというのは、まさにその多義性ゆえにキーワードになっている。それが何を意味するかについての理解が皆それぞれに違うからこそ現に問題が起きている。その定義が一致すれば、もうそこには問題はないんです。語義の理解が違うから問題が起きている。語義についての理解の一致こそが議論の最終目的なわけです。そこに到達するまでは、キーワードの語義はペンディングにしておくしかない。多義的なまま持ちこたえるしかない。今日の僕の話にしても「教育」とは何か、「学校」とは何か、「言語」とは何か、「成熟」とは何か・・・無数のキーワードを含んでいます。その一つ一つについて話を始める前に一意的な定義を与え、それに皆さんが納得しなければ話が始められないということにしたら、僕は一言も話せない。語義を曖昧なままにして話を始めて、こちらが話し、そちらが聴いているうちに、しだいに言葉の輪郭が整ってくる。合意形成というのは、そういうものです。

僕たちが使う重要な言葉は、それこそ「国家」でも、「愛」でも、「正義」でも、一義的に定義することが不可能な言葉ばかりです。しかし、定義できるということと、その言葉が使えるということはレベルの違う話です。一意的に定義されていないということと、その言葉がそれを使う人の知的な生産力を活性化したり、対話を円滑に進めたりすることとの間に直接的な関係はないんです。むしろ、多義的であればあるほど、僕たちは知的に高揚し、個人的な、個性的な、唯一無二の定義をそこに書き加えていこうとする。
でも、それは言葉を宙吊りにしたまま使うということですよね。言葉であっても、観念であっても、身体感覚であっても、僕たちはそれを宙吊り状態のまま使用することができる。シンプルな解に落とし込まないで、「中腰」で維持してゆくことができる。その「中腰」に耐える忍耐力こそ、大人にとっても子どもにとっても、知的成熟に必須のものだと思います。でも、そういうことを言う人が今の日本社会にはいない。全くいない。誰もが「いいから早く」って言う。「400字以内で述べよ」って言う。だから、こういう講演の後に質疑応答があると、「先生は講演で『宙吊り』にするということを言われましたが、それは具体的にはどうしたらいいということですか」って(笑)、質問してくる人がいる。「どうしたらいいんですか」というシンプルな解を求めるのを止めましょうという話をしているのに、それを聞いた人たちが「シンプルな解を求めないためには、どうしたらいいんですか」というシンプルな解を求めてくる。自分で考えてください、自分で考えていいんです。自分で考えることが大切なんです、とそういう話をしているのに、「一般解」を求めてくる。何を論じても、「で、早い話がどうしろと言っているんですか?」と聞いてくる。そこまで深く「シンプルな解」への欲求が内面化している。

メディア、特にテレビはその傾向が強い。まあ、仕方がないです。発言者に許された時間が非常に短いんですから。短い時間で、それこそ15秒くらいですぱっと言い切ることが求められている。カメラの前で、黙り込んだり、つっかえたり、前言撤回したりというようなことは絶対許されない。そういう人はテレビには出してもらえない。僕がテレビに出ないのはそのせいなんです。「で、結論は?」と訊かれるのがいやなんです。30分番組カメラ据え置きで、いくら黙り込んでも、同じ話を繰り返しても構わないというような番組があれば出てもいいですけれど。途中で「あれ、オレ何の話してたんだっけ?」がありで(笑)、途中で「話すことないので帰ります」もありで(笑)。それでもいいという番組があれば出てもいいけども。
首尾一貫した、整合的なセンテンスを語らなければならないというルールがいつから採用されたんでしょう。だって、言葉の生成というのはそういうものじゃないでしょう。言葉がなかなか着地できないまま、ふらふらと空中を漂って、「なんて言えばいいんだろう、もっと適当な表現はないかなあ」と、つっかえたり、言いよどんだり、前言撤回したり、そういう言語活動こそが「ヴォイス」を獲得するために必須の行程なんです。そういう言葉がうねうねと渦を巻くようなプロセスを「生成的なもの」だと見なして、大人たちが忍耐強く、興味深くそれを支援するということが言葉能力の成熟のためには絶対に必要なんです。さっさと言いたいことを言え、400字以内で過不足なく述べよ、というような圧力によって言語能力が育つということはないんです。うまく言えない子どもに対しては「うまく言えないというのは、いいことなんだよ」と励ましてあげなくちゃいけない。
基本的に僕は学生たちが必死で紡ぎ出した言葉について全部「いいね!」です。僕が嫌いなのは定型です。できあいのテンプレートをなぞったような文章については、はっきり「つまらん!」と言います。大学生に文章を書かせると、本当に悲惨なものなんです。「定型的で整合的なことを書く」というより以前のレベルです。昔なら小学生の作文みたいなものを平然とレポートとして出してきますから。「朝起きて、顔洗って、ご飯を食べて…」それがエッセイだと言うんです。
困るのは、とにかく平然と「先生の授業は難しくてわかりませんでした」と書いてくること。「難しくてわからなかった」というのが批評的なコメントだと思っている。だから、わからないくせにえらそうなんです(笑)。たぶん学生たちは食堂へ行って、厨房のおばさんに「ちょっとこのうどん固かったわよ」とクレームつけているようなつもりなんでしょう(笑)。あの言い草はそうですね。授業がわからないのは、先生の責任だと思っている。もっと分かりやすく話して下さい、私たちにもわかるように噛み砕いて話してください。そういうことを要求する権利があると思っている。骨の髄まで消費者マインドがしみついている。
学校教育が、消費者である子どもたちに対して、教育商品を差し出して「買って頂く」という発想でやっていたら、そうなるのは当たり前です。だから、「私にもわかるようなやさしい授業をしろ」ということを平気で言う。それが学校教育に対する建設的な批評として成立していると思い込んでいる。

言葉が生成するとはどういうことか、という話に戻ります。『徒然草』を訳して発見したことがあります。それは古典の授業で読まされる古文の現代語訳って、つまらないということです(笑)。ほとんど音読に耐えない。でも、原文はグルーブ感のある、ノリのよい文章なんです。だから僕は、中身はどうでもいいから、吉田兼好の「ヴォイス」を現代語にできたらと、思って訳しました。
その時にいくつかルールを決めました。一つは、「分からない単語は分からないままで放っておく」ということです。だって、700年前に書かれたものですからね。しかも兼好は有職故実に異常に詳しくて、当時の公家や僧侶たちでさえよく知らない宮中のしきたりとか、制度文物の由来とか知っていることが自慢だった人なんですから。兼好と同時代人でさえわからなかった話を700年後の現代人が分かるわけがない。江戸時代にも『徒然草』の注釈書はいくつも出ていますけれど、そこにだって「この言葉の語義は不詳」というものがいくらもある。江戸時代の専門家がわからなかったことが現代の一般読者にわかるはずがない。だから、そういうのは「意味不明の言葉」のまま残しました。
そもそも、文学とはそういうものですよね。小説の登場人物が経験してることのほとんどは、僕らは経験したことがないわけです。宇宙空間を光速で飛行飛したこともないし、戦国時代に槍を振り回したこともない。でも、小説の登場人物が、それをリアルに経験している「感じ」があれば、読む側は何の問題もない。自分の現実経験の中にそれに対応するものがないから「わからない」と文句をつける読者はいません。文学作品というのはほとんど全篇「自分がよく知らないこと、経験したことがないこと」に埋め尽くされている。それでも何の不自由もなく、僕たちは小説を楽しんでいる。
古典だってそれでいいはずです。だから注をつけませんでした。注を付けると、注を読んでしまうから。SFで宇宙空間を飛ぶ話とか、エイリアンが出てくる話とか読んでいるときに、そこに見たことも聞いたこともない科学用語がでてきても、注なんか探さないでしょう。どんどん話を先に進みたいから。注なんか読まされて読書を中断したくないから。古典だってそれと同じです。どんどん読めばいいんです。知らない単語とかあっても、気にしない。現代文だってそうやって注抜きで読んでいるのに、どうして古典にだけ細かく注が要るのか。というわけで注は、最初はつけていたんですけれど、途中で全部取っ払ってしまいました。
もう一つは、古典の訳としてはルール違反でしょうけど…、原文のままというのが、いっぱいあるんです(笑)。「何事にも先達はあらまほしきものなり」とか「命長ければ辱(はじ)多し」とかすでに広く人口に膾炙(かいしゃ)して、現代人でも知っている言い回しですから、それはもう現代語だろう、と(笑)。他の現代語訳ではたぶん誰もやったことがないと思いますけど。

先週、西本願寺で現代語訳について講演をしました。そのあとに、手紙をくれた人がいまして、「私、国文を出た国語の教師で、実は『徒然草』の研究者なんです」って(笑)。何を言われるのかとどきどきしていたら、「達意の名訳でした。特に係り結びの訳がすばらしかった」と書いてある。係り結びはいろんな訳し方があるらしいんですけど、「見事に訳しわけておられました」と。係り結びに意味の違いがあるなんて、僕は知りませんでした(笑)。文章の勢いに乗って訳すと、ニュアンスを取り違えるということはめった起こらないということでしょうね。
『徒然草』の面白いところは、二十代で書いたものと六十代で書いたものがごっちゃになっているところです。でも、兼好法師の「ヴォイス」は変わらない。だからこの人、二十代から六十代まであんまり進化していないんじゃないかと思います(笑)。たぶん、若い時に自分の「ヴォイス」を見つけて、それをずっと維持していった人なのだと思います。だから、グルーヴ感はありますけれど、それほど思想的な深みはない。
しかし、『徒然草』が今日まで愛された理由は、もちろんあります。例えば、五十三段、仁和寺の法師が頭から鼎をかぶる話。かぶったはいいけれど、とれなくなって、最後に鼻も耳ももげて、長く寝付いたという話がありますね。ああいう「どうでもいい話」を書かせると、兼好うまいんです。もうのりのりで書いている。あの人の文章は、そういうオチも教訓もない、けれども奇妙な味わいの物語を書く時に冴えるんです。実にいい文章を書く。多分、あまり思想的に深みもないし、特段名文とも思われない『徒然草』が今に至るまで愛読されてきた最大の理由は、あれらの何の教訓もない物語のもたらす独特な味わいではないかと僕は思います。「猫又」の話とか、「しろうるり」の話とか、「やすら殿」の話とか、「大根」の話とか、「ぼろぼろ」の話とか。どれも忘れがたい。
兼好が熟知していることを語られても、僕らにはさっぱりわからない。そこには溝がある。でも、兼好にもよく理解できなかった話というのは、僕らにとってもやっぱりよく理解できない。そこには溝はない。兼好自身が、なぜこんなものをわざわざ後世に伝えようとして書いたのか、自分でもわからないような記事は、やはり、僕らにとってもなぜこんなものを兼好法師が書いたのか、よくわからない。兼好がわからなかったことは僕らにもわからない。そこが「取り付く島」ではないかと思います。そこに「あったもの」はもう「ない」ので追体験しようがない。でも、そこに「なかったもの」は今もやっぱり「ない」ので、昔も今もその点では変わらない。兼好法師が経験した「気持ちの片づかなさ」は、現代人である僕たちも同じく「気持ちの片づかなさ」として近似的に味わうことができる。そこに『徒然草』の時代を超えて生き延びた力があるのではないかと思います。

さきほど、合気道の指導の場合でも、メタファーは有効だというお話をしました。文学でも、もちろんそうなんですね。谷崎潤一郎は、日本の作家の中で例外的に外国語訳の多い作家ですが、谷崎の中で最も外国語で読まれているのは『細雪』と『陰影礼賛』なんです。不思議だと思いませんか。フランス人が、こんな分厚い『細雪』をしみじみ読んでいる。一体何がおもしろいのかと思うんですけど(笑)。
でも、フランス人にもわかるんですね。谷崎が描いているのが、「失われたもの、失われゆくもの」だということが。谷崎が『細雪』に描いていたのは昭和17年、18年頃の芦屋や神戸や大阪の話です。谷崎はそこでの戦前のブルジョワ家庭の美的生活を描きながら、それが近いうちにすべて失われるだろうということをほとんど確信していました。失われていくことが宿命づけられている美しい物たちを、愛惜の念をこめてひたすら記述した。谷崎が『細雪』に哀惜を込めて書いたのは、昭和17年の時点ですでに失われてしまったもの―大正時代の蒔岡家の豪奢な生活ーと近いうちに失われてしまうはずのものー戦前の阪神間の穏やかな生活です。つまり、谷崎が描いているのは「そこにないもの」と「いずれなくなるもの」です。それだけしか書いていない全篇に伏流しているこの根源的な欠落感はフランス人にもわかるんです。「あるもの」には共感できない。共感しようがない。知らないんですから。でも、「ないもの」に対する欠落感、不全感はフランス人でも谷崎と共有できる。
文学は、目の前にあるリアルを詳細に描くことによってではなく、失われたものを目の前にありありと呼び出すことによって世界性を獲得する。文学というのは、そういうものだと思います。目の前にある現実をどれだけ巧みに描写しても、それだけでは世界文学にはならない。遠い文化圏の読者を獲得することはできない。でも、僕たちは「あるもの」は共に「持つ」ことはできないけれど、「ないもの」について「それが欠落している」という実感を共有できる。作家と読者が共有できるのは、欠落と喪失なんです。だから、欠落と喪失をみごとに描いた文学作品が世界性を獲得する。
僕は兼好に同期しようとしたときに焦点を合わせたのは、彼の欠落感と不全感でした。彼が持っているもの、教養や知識や美的感受性のようなものに僕は同期できない。でも、彼の身を焦がす嫉妬や恨みや渇望には同期できる。だって、「ないもの」なんですから。兼好法師が所有していたものに僕は触れることができない。でも、兼好法師が所有したいと願っていたけれど、ついに手が届かなかったものには、僕もやはり手が届かない。そこに同期することなら、できる

とりあえず、専門家からは「係り結びが正しかった」と評価を受けましたが(笑)、その時に、「こんなことができるのは、日本だけではないか」と思いました。
古語辞典が一冊あれば、僕のような素人でも、現代語訳ができてしまう。こういう言語環境は、他にあるでしょうか。東アジアの国の中で、特殊な専門教育を受けたわけでもない一般人が古典に辞典一冊でアクセスできる言語環境があるのはおそらく日本だけです。
そのことに最初に教えてもらったのは、ベトナムの青年と友だちになった時でした。フランスのブザンソンという地方都市の大学へ学生たちの語学研修の付き添いで滞在しているときに友だちになった青年からベトナムの特殊な言語事情を聞きました。
ベトナムは、漢字とベトナム語の万葉仮名的な表記法であるチュノムのハイブリッド言語でした。でも、近代になってからアルファベット表記の「クオック・グー(國語)」に表記法を変えてしまった。その結果、欧米の言語と同じ表記になったわけですから、便利にはなった。でも、漢字・チュノム混じりで書かれたテクストを読むことができなくなった。古典どころか、祖父母が書いた日記も手紙も読めない。寺院の扁額も読めない。利便性の代償として、ベトナム人は、二世代前の人たちが書いたテクストを、特殊な専門教育を受けた者以外は読めなくなってしまった。近代化の代償として自国文化のアーカイブへのアクセス権を失ったわけです。果たして、それは間尺に合う取引だったのでしょうか。友人のベトナム人青年は懐疑的でした。
韓国も事情は似ています。1970年代に漢字廃止政策が採択されました。一つには日本の植民地時代に日本語使用を強制されたことに対する反発があり、一つには漢字は習得が難しいので、漢字の読み書きができる階層とできない階層の間で文化的格差が生じるリスクがあるということで、ハングルに一元化された。ハングルへの一元化によってたしかに教育の平準化は進みました。でも、ベトナムと同じように、先行世代と使用言語が違うという事態が生じた。一世代前の人が書いたものが読めない。今の韓国の若者たちは、漢字は自分の名前くらいしか書けません。この間、韓国旅行の時に、五台山月精寺という寺院を訪ねました。でも、その扁額の「五台山月精寺」という文字を読めるのが、一緒に行った中にいなかった。大学の教授や教育出版の経営者といった知識人たちでしたけれど、40代くらいになると、それくらいの漢字でも読むことが難しくなっている。そのことに衝撃を受けました。
日本でも「韓国の英語教育はすごい」ということはよく言われます。実際にすごいです。大学の授業は教師も学生も韓国人なのに英語でやっている。国内学会も、出席者全員韓国人なのに、英語でやる。でも、たしかにそれには必然性がある。表意文字である漢字を捨てて、表音文字であるハングルしかない。日本で言えば、ひらがなだけで暮らしているようなものです。学術論文を全部ひらがなで書くという手間を考えたら、外来のテクニカルタームなどはそのまま原綴りで表記した方が圧倒的に効率的に決まっている。だから、漢字が使えない以上、英語への切り替えは必然的でした。
でも、母語では学問的な文章を書くことができないというのは、やはり大きなハンディになります。自然科学なら英語でそこそこいけるかも知れませんが、英語でやったのでは、韓国オリジナルな社会科学や人文科学は出てこない。出てくるはずがありません。というのは、文系の学問は母語のアーカイブの中で熟成するものだからです。
今の韓国の学術的環境では、1970年以前になされた知的営為へのアクセスが日々困難なものになっています。それは先行世代がその言語的能力を振り絞って書いたテクストを読むことが難しくなっているということです。このことはいずれある時点で、韓国の次世代の知的生産性、知的創造性にとっての大きなハンディになるだろうと僕はおもいます。

東アジアを見回すと、中学、高校で基礎的な訓練を受けたら、あとは辞書一冊あれば、自力で古典のアーカイブに自力で入っていけるという教育機会を享受できているのは日本人の子どもだけです。そのことを、子どもはもちろん、たぶん国語の教員たちもそれほど自覚的ではないように思います。古文や漢文なんか、何の役にも立たないんだから、やることはない。それより英語をやれ、というようなことを言い立てる人間たちがいくらもいますが、国語の先生たちがそれに対して効果的な反論をされているようには思えません。でも、これはきっぱり退けなければいけない暴論です。

先日、宮崎滔天の本を読みましたけれど、滔天の活動は今からは信じられないくらいにグローバルです。アジアの各地に飛んで、そこで現地の人たちと知り合って、その国の革命運動に直接コミットしている。明治時代の大アジア主義者たちはみなそうです。北一輝も、内田良平も、各国の革命闘争に直にコミットしていた。それができたのは、東アジアの知識人たちは漢文という「リンガフランカ」を共有していたからです。彼らのコミュニケーションは基本、筆談なんです。かなり複雑で、高度な内容の対話でも、とりあえず矢立から筆を取り出して、懐紙にさらさらとしたためれば、それで今でなら「メール」とか「ライン」とかでの通信に類するコミュニケーションができた。明治の日本人たちは子どもの頃から、『四書五経』やら『史記』やら『唐詩選』やらを叩き込まれていたわけですから、教養の幅においても深さにおいても中国朝鮮の知識人と変わりがなかった。同じ語彙、同じ修辞法を共有していたわけです。
東アジアにおける文化的な一体感の喪失は主に政治史的な理由だけから説明されますけれど、東アジア各国の人々が、漢文というリンガフランカを失ったことが相互理解の深まりを妨げたということは理由の一つだったと思います。かつては漢文を書くことによって、相当にデリケートな意思疎通もできていたのに、その共通のコミュニケーション・プラットフォームがなくなってしまった。そのことのもたらしたネガティヴな影響について、もう少し深刻に受け止めた方がいいと思います。

韓国の先生に伺ったところでは、今韓国の大学で一番人気のない学科は、韓国文学科と韓国語学科と韓国史学科だそうです。みんなもっと実学的な専門を修めて、アメリカに留学して学位を取ろうとする。そういう人たちが韓国のこれからのリーダーになる。でも、自国の言語にも文学にも歴史にも、特段の関心がないという人たちに韓国のこれからの国のかたちを決めさせるというのはおかしいんじゃないか。韓国人の僕の友人はそう言っていました。僕もその通りだろうとおもいます。

日本でも、文系の学問に対する風当たりは強いです。古典や漢文などは一体なんの意味があるんだ、そんなものになんの有用性もないというようなことを言う人たちがいる。でも、母語のうちにこそ文化的な生産力の源はあるんです。二千年前から、この言葉を使ってきたすべての人たちと、文化的に僕たちは「地続き」なんです。そして、日本の場合は、ありがたいことに、言語を政治的な理由で大きくいじらなかったので、700年前の人が書いた文章を辞書一冊あれば、誰でもすらすらと読むことができる。中学高校で、そういうことができるような基礎的な教育を受けているから。それはどれほど例外的で、どれほど特権的な言語状況であるのか、日本人は知らな過ぎると僕は思います。
グローバリストたちは、もう古文や漢文なんかいいから、英語をやれと言います。でも、それは自国語で書かれた古典のアーカイブへのアクセスの機会を失うということを意味しています。母語のアーカイブこそはイノベーションの宝庫なんです。人間は母語でしか、イノベーションできないからです。僕たちは全く新しい概念や感情を母語でしか創り出すことができません。「新語(neologism)」というものが作れるのは母語においてだけなんです。
何年か前、野沢温泉の露天風呂に入っていた時に、あとから大学生らしき二人の若者が入ってきました。そして、湯船に浸かった瞬間に「やべー!」と叫んだ。その時に、僕は「ああ、日本語の『やばい』という形容詞は『たいへん快適である』という新しい語義を獲得したのだな」ということを、その場で理解しました(笑)。
でも、これこそが母語の強みなんです。新語を作ることができる。それは日本語話者たちなら誰でもその新しい意味を即座に理解できるからなんです。そんなことは母語でしかできません。
「真逆」というのもそうでした。ある日その語はじめて耳にした。でもすぐに意味が分かりました。漢字も頭に浮かんだ。そして、「真逆」の方が「正反対」よりもインパクトがあるなと感じた。こんなことは母語でしか起きません。外国語ではできない。僕が英語のある形容詞に「新しい意味」を付与しようと思って、使ってみせても、誰も理解してくれない。変な顔をされるだけです。僕の作った新語が英語の辞書に載ることもない。でも、「やばい」も「真逆」も、もう国語辞典の新しい版には「若者言葉」として採録されています。日本語として認知されたのです。
知的なイノベーションが母語の中でしか行われないと言っては言い過ぎかもしれません。でも、いまだ記号として輪郭が定かでない星雲状態のアイデアが「受肉」するのは母語においてであるというのは経験的に確かです。喉元まで出かかっている「感じ」が言葉になるのは圧倒的に母語においてです。

言葉の生成は、文明史的なスケールの出来事です。でも、現代日本社会は、言葉が生成してゆくダイナミックなプロセスについての関心を持つ人がほんとうにいない。古典なんてどうでもいい、言葉なんてシンプルなストックフレーズを使い回せばいいと思っている人間が、日本の場合、政官財メディアの指導層のほとんどを占めている。だから、生きた言葉を使える人がほとんどいなくなってしまったという、痛ましい現実がある。
皆さん方の仕事は、とにかく「子どもたちを生きた日本語の使い手にしていく」ということです。彼らが「ヴォイス」を発見することを支援していく。「ヴォイス」の発見というのは一生かかる仕事であって、国語の先生が関われるのは人生の一時期だけです。だから、それは「教育する」というよりはむしろ「支援する」というポジションだと思います。
そして、「ヴォイスの発見」は、査定したり、点数をつけたり、他人と比較して優劣を論じたりするような営みではありません。そんなことをすれば、むしろ深く傷つけられてしまう。これは、今の学校教育システムが成績査定と縁を切らない限りはどうしようもないのですが。でも、成績をつけることはとりあえず国語教育にとっては有害無益なことだと僕は思っています。仕方ないとはおもいますが、国語についてだけは、本当は成績をつけてほしくない。どうして子どもたちの知性や、想像力や、自分自身の限界を超えようという自己超越の努力に点数をつける必要があるんですか。そんなものは点数化して語るべきことではないんです。彼ら一人一人の問題なんですから。
でも、仕方ないですよね、仕方ないですけども、そんなことをうるさく言っている男がいるということだけを記憶して頂いければと思います。
長時間ご静聴ありがとうございました。
(2016年12月9日 大阪府高等学校国語研究会にて)

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2018年03月28日 17:51 に投稿されたエントリーのページです。

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