橘真さんのこと

2017-10-25 mercredi

橘真さんが亡くなった。
数年前から癌で闘病生活を過ごしておられたけれど、今年の五月に『哲学するレストラトゥール』という著書を出した後、グランフロントで江さんと対談したりしたので、病と折り合いながら、これからじわじわと多彩な活動を展開してくれるのだろうと期待していた矢先の訃報だった。
橘さんとはじめて会ったのは『ためらいの倫理学』が出た直後2001年の秋のことで、その頃『Meets regional』の編集長だった江弘毅さんとお二人で岡田山の僕の研究室を訪ねてくれたのである。頂いた名刺で江さんが雑誌編集長だということはわかったので、たぶん原稿の依頼だろうとは思っていたけれど、橘さんが何者だかはわからない。
その江さんはその話はひとこともしないでアジサカコウジさんから届いたという『ためらいの倫理学』の感想文(巨大ポスターの裏にサインペンで書いてあった)を見せてくれた他は最初から最後まで江さんが筆頭若頭をつとめたその年の「岸和田のだんじり」の話だけをすごい勢いでしていた。橘さんは横で黙ってにこにこしているだけで、「この二人はいったい何しに来たんだろう」と怪訝な気持ちが募って来た頃に、江さんが「じゃあ、失礼します」と席を立ってしまった。そのときに橘さんが茶色い紙袋を取り出して、にっこり笑って「これ、どうぞ」と言ってワインをくれた。何しに来たかわからないけれど、いい人だなと思った。
それから橘さんのお店に通うようになった。北野のジャック・メイヨールも、ハービスENTにあったてんぷらやにも三宮のResetにも何度も行った。
何年か前にソムリエをやめて淡路島で野菜とワイン造りをすると言い出したときも喜んで応援した。残念ながらワイン造りはついに実現しなかったけれど、農業はうまく行って、美味しい野菜を阪神間のレストランに卸していた。
後から思うと「地方移住」ムーブメントの先駆者だった。
思い出すことはたくさんある。
最初で最後の著作になった『哲学するレストラトゥール』に「解説」を書いて欲しいと言われて喜んで書かせてもらった。書いておいてよかったと思う。
弔辞に代えてそのときの解説を採録しておく。
橘さんのご冥福をお祈りします。


「橘さんのこと」

橘真さんの本が出ることになった。橘さんて、どんな文体で、どんなこと書くのかなと思ってゲラを読みだした。そして、ああ、これって橘さんの「しゃべり方」とまったく同じだな、と思ったら、いろいろ懐かしいことを思い出した。
江弘毅さんに連れていってもらった北野のジャック・メイヨールでも、そのあと三宮でやっていたRESETでも、僕は橘さんとワインやウィスキーを飲みながらカウンター越しにずいぶん長い時間おしゃべりをした。僕が「行きつけのバー」というようなものにお店の人とおしゃべりをするためだけに足繁く(といっても月一くらいだけど)通ったのは後にも先にも橘さんのお店だけである。それくらいに橘さんの話は面白かった。
ふつう僕たちがバーのカウンターに肘をついて「いつものシングルモルトね」とかオーダーしてからバーテンダーとかわす会話には、その人が抱いている「大人の男というのはどういうものか」のイメージが濃密に投影される。どれほど自制心の強い男でも、投影されてしまう。そして、まあ、こう言っては申し訳ないけれど、世の男たちがバーのカウンターで演じて見せる「大人の男ぶり」というのは哀しいほどに定型的なのである。「オレの流儀」とか「こだわりの琥珀の時間」とか、そういうテロップを横につけて携帯で写真撮ってやりたくなるくらいに定型的なのである。僕は他人がそういうふうなのを見るのも恥ずかしいし、自分もそういうふうに「テロップ」付きの「男の横顔」とか演じているのかしらと自意識過剰になるのも恥ずかしいので、久しくそういう剣呑な場所には足を向けなかったのである。でも、唯一の例外が橘さんの店だった。
橘さんの店のカウンターに座ると、すぐにおしゃべりが始まる。でも、それは全然「大人の男」たちの会話らしくない。どう言ったらいいのだろう。一番近いのは、元気のいい高校生が朝、扉をがらがらっと教室に飛び込んできて、仲のいい友だちの姿を見つけて、そばに駆け寄って「あのさ、今朝さ、すごく面白いもんみたぜ」と息せき切って話し始めるときの感じに近い。子どもの、というか少年たちの、会話である。
お酒を飲むお店でそういうことが許されたのは、思い返しても、ほんとうに橘さんのところだけだった。
ふつうは客が一方的にしゃべって、バーテンダーはグラスを磨いたり、ナッツを並べたりしながら、職業的な慇懃さで適切な相槌を打つことになっているけれど、橘さんの場合は違う。僕がわいわいしゃべっているときはにこにこ笑って聴いてくれるけれど、一区切りつくと、今の僕の話題にインスパイアされた橘さんが話を始めるのである。その話ぶりが実に面白い。
橘さんがするのは、だいたい、その直前の話と直接つながりがない話である。「お話を伺っているうちに、ふとこんなことを思い出しました」という感じで橘さんの話は始まる。英語で言うとThat reminds me of a story というやつである。この場合のthat は文法的に言うと「前節の内容を漠然と承ける」働きをしているのだが、まさに「漠然と」であって、いったい、僕のした話の「どこ」を承けて橘さんが「そういえば」と切り出したのか、僕の方はよくわからない。
でも、僕の話に「レスポンス」して話し始めたわけだから、つながりはあるに決まっている。僕はしばしウィスキーを啜りながら、黙って橘さんの話に耳を傾ける。そうやってヨットの話とかレストランの話とか醸造技術の話がしばらく続いて(それはそれで実に興味深いトピックなんだけれど)、あるところでぷつんと終わる。その最後の一言。例えば「掃除が行き届いているかどうかということはときに命にかかわる問題なんです」とか「ソムリエが厨房とホールを行き来することではじめて流れができます」とか、そういう警句的なひとこと(村上春樹の小説の「小見出し」みたいな)を聞いてはじめて僕は自分の話の「どこ」が橘さんの関心にヒットしたのか、回顧的に知ることができる。そういう会話である。
楽しそうでしょ。そういう会話をしていると、忙しくて「大人の男」なんてやってられないのである。

だから、橘さんがソムリエを止めて、淡路島で農業を始めると聞いたときは、正直言うとちょっとショックだった。僕にとって橘さんの店はわが生涯でほんとうにたった一軒の「行きつけのバー」だったわけで、それがなくなるのである。でも、ぱりぱりのシティボーイである橘さんがあえて麦わら帽子にゴム長で農業をやるというのであるから、そこには僕には計り知れない深い決意があってのことのはずである。そう思って、「がんばってね」と笑顔で送り出したのである。
それから8年経った。僕は病的出不精なので、淡路島の橘さんの農園に遊びに行ったことは一度しかない。ときどき橘さんから野菜や卵やジビエを頂くだけで、橘さんがどんな暮らしぶりなのか、ゆっくりお話を聞くという機会がなかった。そこにこの本のゲラが届いた。
推薦文を書いてくださいというので喜んでお引き受けした。橘さんはいったいどんな文章を書いてきたのだろうとわくわくして頁をめくった。そして、何頁か読んで、うれしくなってきた。バーのカウンター越しにおしゃべりしていたときの口調と同じなのである。
あのときと同じように、最初に簡単に論点の提示がある。でも、そこからどこに行くかわからない話が始まる。「これからこういう話をします。序論ではこれこれ、一章ではこれこれ、二章ではこれこれ、結論ではこういうことを書きます」というふうに全体を予示してくれるアングロサクソン的論文作法なんか「知るかよ」という感じである。
ああ、いつもの橘さんだ。そう思って読んだ。懐かしかった。
でも、読者の多くはこれが橘さんの書いたものを読む初めての機会だろうから、ひとこと注意しておかなければいけない。橘さんの文体は、その語り口と同じように、自由である。そのときに頭に浮かんだアイディの尻尾をどこまでも追いかける。捕虫網を持った少年が真っ黒な足を激しく動かしながら、田んぼを突っ切り、小川を飛び越え、森の中を走り回っているのと同じである。ここに記されているのは、その「足跡」である。その足跡のびっくりするような歩幅の広さや、ユニークな方向転換を僕たちは味わえばいいのである。「で、いったい何を追っかけていたんですか?」とか「要するに何がおっしゃりたいわけですか」とかいう野暮なことを言ってはいけない。僕がバーで橘さんの話を聞いていたときのように、カウンターに肘を衝いて、美味しいお酒をちびちび啜りながら、その響きのよい声にぼんやり耳を傾けていればいいのである。
橘さんにはこのあとも書き続けて欲しい。できれば、もっと長いものを。ぜひ、お願いします。