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シンギュラリティと羌族の覚醒

安田登さんをお招きして、ご高著『あわいの時代の「論語」』刊行記念3時間セミナー(ほぼしゃべりっぱなし)というイベントを凱風館で開いた。
頭の中に手を入れて引っ掻き回されるようなわくわくする経験だった。
備忘のために、すごく興奮した話題を一つだけ書き止めておく。
それはsingularityはAIが人類史上初めてではなく、3回目という話。
一度目は数万年前に頭蓋骨が巨大化したとき、二度目は文字が発明されたとき。
その時、安田さんから周りの人たちと「文字が発明されたときに、文字がなかった時代と何が変わったのか?」相談してみてくださいと言われて、隣に座っていた光嶋くん、神吉君、浅野パパと3分間ほどブレーンストーミングをした。
文字の出現というのは脳内に記憶しておくべきことを外部記憶装置に転写することができるようになったわけだから、脳内の「デスクトップ」が広く使えるようになったというのがとりあえずの回答だったのだけれど、僕はその時に時間意識の大きな変容があったのではないかと思った。
文字がないとき、人々は膨大な神話や伝承を口伝で記憶し、再生していた。
『古事記』を口伝した稗田阿礼は「年は28歳。聡明な人で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない」人だったそうである。もちろん文字は知らない。太安万侶が稗田阿礼の口述したものを筆記したものとされているが、安田さんによると太安万侶によるかなりの「改竄」がなされたそうである。
ホメーロスの『イリーアス』も『オデュッセイア』も口承である。
古代ギリシャの吟遊詩人たちは多く盲目だった。「盲目であることなしに詩人となることは不可能だ」という信憑があったという説もある。現に今にその名が伝えられる多くの古代ギリシャの詩人たちは盲目であった(先天的にあるいは事故によりあるいは自ら眼を突いて)。
それは「文字を読む」という行為と膨大な神話口碑を「口伝する」という行為の間に、記憶のアーカイブの仕方の違いという以上の、ある根本的な「断絶」があったからであろう。
タルムードもそうだ。ユダ・ハ・ナシーが第二神殿の破壊後、散逸を恐れてミシュナーを文字化したのは紀元2世紀のことである。それまで原型的な一神教が成立してから1000年以上、律法とその解釈は口伝されていたのである。そして、安田さんによれば「論語」もそうなのである。
孔子がその教えを説いたのは紀元前500年頃。「論語」が文字化されたのは紀元前後(漢の武帝の時代)であり、その間500年は「論語」もまた暗誦され口伝されていたのである。
人類史のある時期まで、すべてのテクストは記憶され、暗誦され、口伝されていた。それは当然ある種の「歌」あるいはそれに類する独特の韻律をもつものだったはずである。そして、そうである以上、ある箇所を思い出そうとしても、そのためにはある区切りのはじめから歌い出さないと、そこには行き着けない。
これを情報用語では、シーケンシャル・アクセス(sequential access)と言う。
カセットテープやレコードのような記憶媒体はシーケンシャルである(前のもののあとに後のものが続くので、その時間順をたどってしか求める場所にたどりつけない)。
能舞台で絶句した能楽師は、誰も詞章をつけてくれないと、舞台で硬直したまま自分が語るべき詞章を脳内で最初から全て再生する。最初から始めないと、つっかえたところにたどりつけないのである。
文字記号と音声記号の最大の違いは、文字記号は相当量を一望俯瞰できるということである。「飛ばし読み」「斜め読み」ができる。求めている情報にダイレクトに、ランダムにアクセスできる。
文字の発明は人類の情報検索の基本モードが「シーケンシャル・アクセス」から「ランダム・アクセス」に変わったということを意味している。
それによって何が起きたか。
時間の可視化」である。
それまで時間は「生きられるもの」だった。文字の出現によって、時間は「目に見えるもの」になった。
これはまさにsingularity と呼ぶにふさわしい劇的な転換だろう。眼前のテクストは最初から読み出して、最後まで行き着くまでに人間が要する「時間そのもの」を可視化することができるのだから。
安田さんによると、文字の出現によって、人間は未来と過去という概念を獲得して、未来に対する不安と過去に対する後悔という、それまで人類が有したことのなかったものを持ってしまったそうである。それが文字による時間の可視化の効果である。
「祈り」も「呪い」も「占い」も、時間が可視化されることがなければ、存在しない、と。
その通りだろう。
それを聞いて、こんな話を思い出した。
「朝三暮四」という説話である。
宋の狙公は猿を何匹も飼っていたが、懐具合がさみしくなり、餌代を節約しなければならなくなった。それまでは餌の「とちの実」を朝四つ、夕方四つ与えていた。猿たちに向かって、これからは「朝に三つ、夕方に四つにしたい」と提案すると猿たちは激怒した。「じゃあ、朝に四つ、夕方に三つならどう?」と訊いたら、猿たちは大喜びした。
この逸話はいったい何を意味しているのだろう。
私はこれはsingularity の話ではないかと思う。
人間と猿は時間意識が違う。それはsingularity 以前の人間と以後の人間では、時間意識が変わってしまったことを説話的に表象しているのではないか。
宋の狙公の逸話は春秋時代(紀元前770年~紀元前403年)のことである。
安田さんのいう「あわいの時代」というのは、殷代に甲骨文字が発明されて(紀元前17世紀から紀元前11世紀)文字のsingularity があってから、読字という習慣が集団の相当部分に広がるまでの、時間意識を持たない人々と時間意識を持つ人々が「共存」していた時代のことである。
その時代に「時間意識」をめぐる物語がいくつも書かれているのは、おそらくゆえなきことではない。
たとえば『韓非子』にある「守株待兔」の話がそうだ。童謡「まちぼうけ」のオリジナル説話である。
宋代に一人の農夫がいた。彼の畑の隅の切り株に、ある日兎がぶつかって、首の骨を折って死んだ。それを持ち帰って「兎汁」にして食べた農夫は、次の日から耕作を止めて、終日兎がやってきて首の骨を折るのを待った。兎は二度と来ず、農夫は収穫物を得られず、国中の笑いものになった。
これも春秋時代の話である。
なぜその時代には「こんな話」が選好されたのか。
それはこの「あわいの時代」にはまだsingularity 以前の「時間意識をもたない人たち」がいたからである。約束という概念も、確率という概念も、可能性という概念も持たない人々がいたので、「以後」の人々は彼らを笑いものにしたのである。
殷代に犬や羊や牛とともに、しばしば宗教儀礼において犠牲にされた「羌族(きょうぞく)」という人種集団がいる。昨日読んだ甲骨文も「三人の羌人と九匹の犬を生贄に捧げることの可否を卜占する」ものだった。
安田さんの仮説では、羌族の人々は時間意識を持っていなかったのではないかと言う。だから、狩られて、捕らえられ、幽閉され、餌を与えられ、引き出されて生贄にされるときも、我が身に何が起きるのか想像することができなかった。それゆえ、不安も恐怖もなかった。自分たちを狩る人間たちに対する怨恨も憎悪も感じなかったし、狩られたことについての後悔も反省もなかった。かつて我が身に起きたことと今我が身に起きていることの因果関係がわからないのなら、そんなもの感じようがない。
その羌族がのちに周族と同盟して、殷の紂王を滅ぼし、周を立てる。
このとき羌族を率いて殷と戦ったのが太公望である。
ということは、ある時点で羌族は時間意識を持ったということである
そして、それまでただ狩られるだけの存在だった「羊のような」部族がいきなり「狼のような」強大な戦闘集団に化した(たぶん)。
この羌族の恐るべき変貌は殷周代の人々に強烈な印象を残したはずである。
でも、文字を持ち、時間意識を持つことで人間は集団的に「ヴァージョンアップする」という歴史的事実は抑圧された(おそらくは時の権力者たちが統治上の安定を保持するために)。
そして、時間意識を持たぬ人たち(狙公や「守株」の農夫)の笑い話のうちに「前singularity期の人間」の相貌がかろうじて伝えられた・・・・ということではないのだろうか。
孔子が「仁」という言葉で言おうとしたのが何であるかはわからないけれど、それは「人間のヴァージョンアップにかかわる技術」のことらしいと安田さんは昨日言われた。そして、孔子はその仕事を顔回が成し遂げるだろうと期待していた、と。
でも顔回は夭逝して、その「転換」は実現せず、孔子は失望のうちに死ぬ。
孔子が顔回とともに範とするのは周建国の立役者である周公である。
なぜ周公なのか。
この仮説の当否については今度安田さんに聞いてみたいけれど、それは太公望経由で羌族の「覚醒」をもたらしたのが周公だったからではないか。
羌族はそれによって短期間にかつて自分たちを狩っていた者たちを狩るほどの能力を身に着けた。
どうでしょう、安田さん。この仮説、けっこういけませんか。
というふうに妄想が次々と湧いてくるのが安田さんの話を聞いて頭が攪拌されてしまったことの効果である。
ああ、安田さんともっと「ほんまでっか古代史」についてお話したい。

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2017年09月01日 10:33 に投稿されたエントリーのページです。

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