2016年の十大ニュース

2016-12-31 samedi

今年の10大ニュース。
大晦日になったので、恒例の今年の10大ニュースを思い出しつつ書き出す。

(1) 二歳年上の兄・内田徹が8月11日に癌で死んだ。去年の暮れ12月1日に母が逝き、これで近親者が二年続けていなくなった。父も母も兄も亡くなって、かつての「内田家」の構成メンバーで生き残っているのは私一人になった。下丸子のあの小さな家でのさまざまなささやかな出来事を記憶しているのがもう自分ひとりしかおらず、「こんなことがあったよね」という記憶の確認を求めることができる相手がこの世にもういない。
私が死んだら、あの家にかかわる記憶は全部消えてしまう。家族が死ぬというのは、そういうことなのだということが骨身にしみた。
兄は5月に鶴岡の宗傳寺で母の納骨を済ませるときまでは気を張っていたけれど、納骨が終わって肩の荷がおりたのか、病勢が一気に進んだ。7月末パリでの多田先生の講習会に出発する前に関空から電話して容態を尋ねたときは予想外に元気そうな声だったのでとりあえず安心して出かけたが、二週間後、凱風館海の家からの帰路に甥から電話があって、危篤だと知らされた。そのまま東京に向かったが、もう息をするのも苦しそうだった。宿に引き上げた朝方臨終を伝える電話があった。
とても仲の良い兄弟だった。私は最初の頃からずっと「兄と平川君」の二人を想定読者にして書いてきた。ある程度キャリアを積んだ後は「こういう想定読者で書いてください」という条件で書くこともあったけれど、ほとんどの書き物はこの二人の想定読者の批判に耐えられるかどうかを基準にして書かれた。音楽についても文学についても映画についてもビジネスについても政治についても、兄から多くのものを学んだ。兄が「これはいい」というものは素直に信じた。信じてあとで「間違った」と思ったことがない。
「温泉麻雀」はその創立メンバーを失ってしまった(兄と私と平川克美くんと石川茂樹くんで始めた)。「四人で打ち続けるのは、体力的につらい」というので、数年前に僕の高校時代からの旧友植木正一郎くんが加わり、さらに1年前からは大学時代からの旧友阿部安治くんが加わった。兄が体がきつくてもう打てないという7月の温泉麻雀には兄の代わりとして小田嶋隆さんに新メンバーに加わってもらった。
これからも集まって卓を囲む限り、みんなでずっと兄の話をし続けことになると思う。陽気で豪放な楽しい打ち手だった。いつもみんなが愉しんでいることを愉しんでいた。ほんとうによい人だった。
兄の魂の天上での平安を祈って、兄が好きだった一曲をかける。Tal Farlow のIsn’t it romantic?
兄ちゃんのご冥福を祈ります。合掌。

(2)一九会初学修行成就。2月25日から28日まで3泊4日で一九会の初学修行に参加し、無事成就を果した。
初学修行はたいへんつらいものだと経験者たちからは繰り返し教えられていた。東京にいた頃にも機会がなかったわけではなかったが、話を聴くだけで怖気をふるって、とても手を挙げる気になれなかった。神戸に来た後は、世事にとりまぎれて、とても「命がけの行」に行くような心理的・体力的な余裕がなかった。
去年の多田塾合宿のときに坪井先輩からお声がけ頂いて、「一九会の初学参加者が減っている。内田さんが行けば、あとについてくる人もあるだろう」と励まされて、「では、参ります」とご返事をした。それを聴いた諸先輩がた(窪田先生や山田先生までが)やってきて「よく決意した。つらいだろうが、得るものが多い」と励ましてくれた。もしかしたら調子にのって大失敗を犯したのかも・・・と思ったが、もう後の祭り。年齢的にも今しかないし、自分のこれまでの40年の合気道修業でどの程度肚ができたかを知る上でもよい機会と思い切って一九会へ参じた。
行の中身については「自分で経験してくれ」と言う他ない。
私自身は3日目が終わった時に「これは実によく練られたすばらしい教育的プログラムだ」だと思った。3泊4日という短期間でふつうの修業であればうっかりすると5年10年かかるところを一気に踏破させようというのである。無理があって当たり前である。
ふつう、私たちはどんな身体的心理的につらい負荷を課された場合でも、プログラムの全体について「たぶん、こんな構成だろう」という予測を立てる。そして、それに合わせて「エネルギーの配分」ということをしてしまう。これは避けられない。
「手を抜く」というのではないが無意識のうちに「全力を出し惜しむ」という対応をしてしまう。この先まだ続く厳しい修業を乗り切らなければならないと思えば思うほど、つまり「行を達成しなければならない」と真面目になればなるほど、今この瞬間に全力を出すことに歯止めがかかるのである。
この「3日にわたる行への身体資源の配分を考えて、今ここで全力を出すことを抑制する」という無意識の防衛機制を打ち砕くのが「鞭撻」である。これは今ここで全力で対応しなければ、明日どころか次の座のわが身も保てないというほど厳しいものである。
「自分が発揮できる体力・精神力の最大値は『これくらい』」ということについて私たちはだいたいの推量をしている。そして、それはほんとうに発揮できる体力精神力よりもかなり低めに設定されている。生物としては当然である。限界を実力より高めに設定していたら、すぐにあちこちが故障し、破壊され、悪くすると死んでしまう。
しかし、そのリミッターを解除しないと、自分にどれくらいの「未使用の資源」があるのかは知ることができない。
リミッターを解除するが、それによって心身にダメージを残さず、自分の潜在能力に気づいたせいで自己評価が劇的に向上するという効果だけを取り出す、というのが一九会の教育プログラムのめざすところではないかと私は思う。
もちろん、初学のあと一万度祓いを一度、集いを一度経験しただけの浅学のものの考えであるから、その分は割り引いて聞いてもらわないといけない。
けれども、初学修行は「我慢会」ではない。心身の苦痛にどれくらい耐えられるかを競うものではない。自分の能力の限界の内側で生きようとする生物としての自己保存本能と、生き延びるために自分の限界を超えようとする、これもまた生物としての自己超克本能の葛藤を深く経験するためのものである。
初学修行者が経験するのは「葛藤」である。「忍耐」ではない。
「忍耐」は心身を鈍感にすれば切り抜けられる。思考を停止し、感覚を遮断すれば、時間は経つ。でも、それは修業ではない。忍耐で人は成長することができない。人は葛藤を通じてしか成長しない

(3)能楽「敦盛」を舞った。5月の下川正謡会。一年間稽古し、後見には観世のお家元にお出で頂いた。あまりに緊張していたので、ほとんど舞台の記憶がない。一年間稽古したあげくに本番の舞台で失敗したら何のために一年間稽古したのかわからない。その緊張感と終わったあとの解放感の落差が激し過ぎた。とにかくこれでしばらくは能は出さなくて済むと思う。能に比べたら舞囃子や仕舞はほんとうに楽である(面をかけていないんだから)。お家元には舞台に上がる前には激励の言葉を頂き、舞台を下りたあとには「まじめな舞台でしたね」というご感想を頂いた。一年間稽古した甲斐があった。

(4)以上が三大ニュースで、あとは「ほんわか」した話である。順不同。
まず今年もたくさん本を出した。出し過ぎた。
amazonに出ている順に書き出しておく。編著、一部寄稿、翻訳、復刻、文庫化・新書化も含む。
『街場の共同体論』(新書版)潮出版社
『困難な結婚』(アルテス・パブリッシング)
『転換期を生きるきみたちへ』(編著。鷲田清一、平川克美ほかとの共著)晶文社。
『日本の身体』(文庫版、編著。身体技法の専門家たちとの対談集。インタビュイーは多田宏先生、安田登さん、平尾剛さん他。ライターは橋本麻里ちゃん)新潮社
『内田樹の生存戦略』(『GQ』に連載していた人生相談の単行本化)。自由国民社。
『聖地巡礼リターンズ』(釈先生と巡礼部のみなさんとの長崎キリシタンの旅の記録)東京書籍。
『街場の文体論』(文春文庫)ミシマ社刊の単行本の文庫化。
『世界「最終」戦争論』(姜尚中さんとの対談本)集英社新書
『21世紀の暫定名著』(アンケートのコンピ本)講談社
『池澤夏樹個人編集日本文学全集 枕草子/方丈記/徒然草』(「徒然草」の現代語訳に挑戦。「枕草子」は酒井順子さん、「方丈記」は高橋源一郎さんが訳者でした)河出書房新社
『街場の五輪論』(平川克美、小田嶋隆ご両人との五輪鼎談。前に出したものにボーバストラックをつけて文庫化)朝日文庫
『僕たちの居場所論』(平川克美、名越康文ご両人との鼎談。教訓もオチもない無駄話が延々と続きます。)KADOKAWA
『属国民主主義論』(白井聡さんと『日本戦後史論』に続いて対談)東洋経済社
『生存教室』(光岡英稔先生との武術をめぐる対談)集英社新書
『嘘みたいな本当の話 みどり』(高橋源一郎さんと編著した投稿集の文庫化)文春文庫
『マルクスの心を聴く旅』(石川康宏さんと一緒にドイツ~イギリスを回ったマルクスツアーの記録)かもがわ出版
『才色兼備が育つ神戸女学院の教え』(中高部長林真理子先生の本に女学院教育論二篇を寄稿)中公新書ラクレ
『安倍晋三が〈日本〉を壊す』(山口二郎編の対談集)青灯社
『戦後80年はあるのか』(一色清・姜尚中編の「本と新聞の大学」講義録)集英社新書
『やっぱりあきらめられない民主主義』(大田区議奈須りえさんのイベントで講演してから、平川君奈須さんと鼎談)水声社
『タルムード四講話』(エマニュエル・レヴィナス先生のタルムード講話の翻訳。30年ぶりくらいの新装版)人文書院
『タルムード新五講話』(同上)
よく仕事したなあ・・・これだけの数のゲラを読んだ。来年はほんとに休ませて欲しい。

(5)史上最悪の「若マルツアー」。3月末にドイツ~イギリスと回った8泊9日の「若マルツアー」。
2日目のトリーア観光中に寒気がしてきて、そのまま風邪。ずっと微熱と寒気と鼻水が旅の終わりまで続き、最後に飛行機に乗ったときには「救急車で病院に運ばれている」夢を見続けていた。これほどつらい旅行ははじめて。それでも本一冊分しゃべった。

(6) 新車を買った。8年乗っていたBMWを光嶋君に譲って、ベンツCLA250を購入。どんな車だかよく知らない。『GQ』の鈴木正文編集長に「次買うなら何がいいですかね?」と訊いたら「そりゃ、ベンツでしょ」と即答された。これが生涯最後の車となるやも知れず、冥土の土産話に買うことになった。鈴木さんは「アヴァンギャルド」がよいですとお薦めくださったのだが、ヤナセに行ってじろじろ見てたらCLAという「ベンツにしてはずいぶん野卑な顔付き」のがあったので即決。でも、車載機能が多すぎて、ボタンやスイッチの用途がわからない。今のところ車を走らせる、ライトをつける、エアコンをつける、オーディオを聴くという四機能しか使っていない。たぶん全機能の5%くらいしか使えないままにベンツ人生を終えるような気がする。

(7) 多田先生講習会でパリに行った。今年も講習会の合間にパリで在留日本人の集まりに呼ばれて、時局講談を一席。一年ぶりに京大の野洲くんに会った。

(8) 新しい部活が誕生。夏山ハイキングに山楽莊に行って、山の道具をいろいろ揃えたので、勢い余って「極楽ハイキング部」を設立することにした。部長は井上英作さん。神吉くんとエグッチ、清恵さん、谷尾さん、のびー、が設立メンバー。第一回のハイキングは六甲山。東おたふく山までバスで行って、たらたら登って、有馬温泉でビールのんで、バスで帰って、またご飯を食べてビールを飲むというお気楽スケジュールであったが、頂上がものすごい寒さで、全員歯の根があわず、とにかく「風呂風呂」と叫びつつ下山。第二回はさらに楽ちんなコースを検討中。

(9) 韓国講演旅行に行った。2012年から始まった旅行なので、今年で5年目。いつものように朴東燮先生とEdunity の金社長とドライブしながら、今年は北の方に行った。最初がセジョン(世宗)で教育長招聘の講演会。それから江原道のウォンジュシ(原州市)で講演。そこで不登校や問題行動を起こした生徒たちを集めて実に自由な教育をしている全寮制の公立高校の見学をした。それについてはあちこちで書いたけれど、ほんとうに感動的な経験だった。

(10)たくさん新幹線に乗った。今年の新幹線乗車回数は91回(4日に1回新幹線に乗っている)。学士会館には29泊した。たぶん今年の学士会館宿泊部のthe heaviest user of the year ではないかと思う。表彰されても嬉しくないが。
講演もたくさんした。算えたらこれも29回だった。12.5日に一回講演している勘定である。これも減らしたい。せめて2週間に1回。できれば1月に1回くらいに。

以上、兄が死んだ年、初学修行を成就した年ということで、2016年は忘れがたい年になった。

最後にみなさまのご多幸を祈念いたします。よいお年をお迎え下さい。