「若者よマルクスを読もう」中国語版序文

2015-08-28 vendredi

マルクスのために

『若者よマルクスを読もう』の中国語版の序文を求められましたので、「中国でマルクスを読むことの意義」についてひとこと書いてみたいと思います。
この本は日本語で出版されたすぐあとに韓国語に訳されました。これには少し驚きました。ご存じのように、日本と韓国はここ数年外交関係があまり友好的ではないからです。日本の書店には「反韓・嫌韓」本がずらりと平積みになっており、東京や大阪のコリアン・タウンにはレイシストのグループがおしかけて、「韓国人、朝鮮人は死ね」というような激烈な排外主義的なヘイトスピーチを繰り広げています。竹島(独島)の領有をめぐっては日本と韓国が激しい言葉を応酬しあっています。
そういう状況下で、僕と石川康宏さんの共著『若者よマルクスを読もう』が出版直後に翻訳されたというのは興味深いトピックだと思います(もちろん、日本のメディアは一行も報じてくれませんでしたが)。
実を言うと、僕の本はこれまですでに10冊ほど韓国語に訳されています。短期間にこれほど韓国で翻訳が出た日本人の書き手はあまりいないと思います。僕のようなマイナーな思想研究者の本が韓国でなぜ選好されるのか。
自分のことについて、「どうして私の本は売れるのか?」というような問いを立てるのがあまり趣味の良くないことであることは僕だってわかっています。でも、それをあえて問わないと、この序文で「なぜ中国人読者にこの本が読んで欲しいのか」を語れないような気がするのです。というわけですので、ちょっとだけ「うんざり」した気分をこらえて、「内田の本はなぜ韓国で読まれるのか?」という問いにお付き合い下さい。

最初に韓国語に訳された本は『寝ながら学べる構造主義』という本でした。これはフランスの構造主義者たちの理論と業績を一望したものです。フェルディナン・ド・ソシュールの一般言語学から説き起こして、クロード・レヴィ=ストロースの構造人類学、ラカン派の精神分析、ミシェル・フーコーの系譜学、ロラン・バルトの記号論について概説しました。
もちろん、日本語で書かれた構造主義の解説書はほかにも無数に存在します。でも、そういう類書と僕の本は少しだけ趣を異にするものでした。それは「構造主義について、ぜんぜん予備知識がないけれど、ぜひとも構造主義を理解したいと願っている読者」をめざして書いたということです。つまり、「十分な理解力はあるが、思想史的知識には乏しい。機械はきちんと働いているが、処理すべき素材が足りない」という読者を想定して書いたということです。
僕は「読者は十分な理解力があること」をものを書くときの第一の条件としています。特別なことではないように思われるかも知れませんが、そうでもありません。世の中には読者の知性を侮っている物書きは少なくないからです。現に、ときどき哲学や思想の入門書の中には「サルにもわかる・・・」というようなタイトルを付したものがあります。こういう入門書は手に取ってみるとわかりますけれど、読者の知性をかなり低めに設定しています。そして、そのせいで、むしろわかりにくいものになっている。それも当然です。「サルにもわかる」本は、読者に自分の知的枠組みを壊して、拡大することを要求しないからです。「あなたはサルのままでいいんです」という言葉で「消費者を甘やかして」本を売り込むつもりなんですから。
でも、どのようなジャンルであれ、読者にいかなる知的努力も知的緊張も要求しないような書物は書かれるべきではないと僕は思います。書きたければ書いてもいいけれど、それは書物ではなく、ただ頁に何かが印刷されている商品に過ぎません。僕はそういうものを「書物」とは呼びたくありません。
書き手としての僕自身は読者には予備知識を要求しません。僕が要求するのは、読者が自分の知性を可塑的・可変的な状態にしてくれることです。頭を柔らかくしておいて欲しいのです。僕が読者に求めるのは「十分な予備知識」ではなく、「柔らかく、自由にかたちを変えることのできる容れ物」です。「コンテンツ」ではなく、「コンテナー」の可塑性・開放性です。

韓国語に訳された僕の構造主義入門書は「知性は十分に成熟しているが、ある分野についての知識が組織的に欠如している人」を読者に想定して書かれました。そして、韓国の人たちはこの本のこの条件に敏感に反応して、この本の読者は「自分たち」だと感じた。
理由はすぐに想像がつきました。それは「反共法」の存在です。
中国の人たちでもご存じの方は少ないかも知れませんが、韓国には1961年に制定され1980年に廃止されるまで20年間「反共法」という法律がありました。マルクス主義に関する書物は刊行することも、頒布することも、所持することも、読むことも禁じられていたのです。
僕の韓国人の年長の友人の一人は1960年代にソウル大学の経済学部の大学院生だったときに、学問的関心から『資本論』のコピーを手に入れたことを咎められて、懲役15年の刑を受けました(反共法の廃止まで13年半投獄されていました)。
1945年の終戦からあと、韓国はつねに隣国北朝鮮との潜在的な戦争状態にありました。そして、北朝鮮がマルクス主義を「創造的に適用」して作り上げた「主体思想」を公認イデオロギーとしていたために、マルクス主義への知的関心はただちに「通敵行為」「国家への反逆」とみなされました。多くの国民はマルクス主義にかかわる言論規制をやむなく受け容れました。
けれども、20世紀の社会科学系・人文科学系の学問でマルクス主義とまったく無縁のものは、探すことの方が困難です。政治学でも経済学でも歴史学でも社会学でも心理学でも文学研究でも、マルクス主義と何の接点もない研究者、マルクス主義との「距離の取り方」を意識しないで自分の研究を行った人はほとんど存在しません。フリードリヒ・ハイエクやカール・ポパーはその著作を通じてマルクス主義を手厳しく批判しましたけれど、「反共法」下の韓国人知識人は彼らが何を批判しているのかうまく理解できなかったのではないかと思います。
つまり、マルクスを読むことを禁じたことによって、戦後の韓国社会は、ほぼ1世紀分の西欧の社会学・人文学の学的成果へのアクセスを結果的に国民に禁じたことになったのです。それが韓国における社会科学の発展にどれほどのダメージを与えることになったのか、僕にはうまく想像がつきません。
けれども、とにかく反共法が廃止されたことで、韓国でもマルクス主義関連文献が読めるようになりました。それでも、この学術的ビハインドは依然として大きなものでした。それを埋めるために先行研究を急いで採り入れることが必要でした。そこで日本のマルクス研究が、とりわけ「十分な予備知識がなくても、理解力さえあれば読める本」が選択された。
そういう流れではないかと思います。

日本には19世紀にまで遡るマルクス主義研究の豊かな伝統が存在します。大杉栄や幸徳秋水のクロポトキンやレーニンについての翻訳研究は世界的に見ても先駆的な業績でした。
でも、そのあと20世紀に、一度20年間の断絶がありました。1925年に治安維持法が制定されたせいです。この法律に基づいて、マルクス主義者への組織的弾圧が行われました。1945年の敗戦ののち廃止されるまで、同法違反の疑いで、7万人が逮捕され、1700人が獄死しました。
ただし、日本の場合、思想弾圧はマルクス主義者を網羅的に逮捕拘禁して、社会的に排除する(場合によっては虐殺する)という極端なかたちを嫌いました。警察はマルクス主義者たちをできることなら「転向」させて、再社会化しようとしました。
戦前の共産党を指導した佐野学、鍋島貞親は、獄中で「転向」し、コミンテルンの指導下での国際共産主義運動の路線は間違いであり、日本は天皇制を温存した「一国社会主義」の道をとるべきだと論じました。当時獄中にあった多くの共産党員はこれに同調して、「転向」しました。
日本のマルクス主義者たちの「転向」という政治的現象については中国ではあまり知られていないのではないかと思います。少し説明します。
もっぱら欧米渡来の文献的知識によってマルクスを学び、革命理論を構築、宣布してきた戦前の日本マルクス主義知識人が、投獄されたのち、獄中で仏典や日本文学の古典をひもといて、それまで「後進国の前近代的遺制」と侮ってきた日本文化の奥行きの深さにはじめて気づき、驚嘆して、一夜にして仏教徒になったり天皇主義者になったというのが「転向」の典型的な事例です。彼らはマルクス主義を完全に放棄したわけではなく、「マルクス主義は日本の固有の文化的風土に合わせて修正したかたちで適用されなければならない」という方向で軍国主義や天皇制との和解をはかりました。日本の伝統文化や統治システムとマルクス主義の「共存」の可能性を探ったのです。いわば「マルクス主義の土着化」をめざしたのです(その点では、北朝鮮の「主体思想」は日本型「転向」に構造的にはよく似ていることがわかります)。
外来の思想や制度文物をそれまであった土着の文化に「接ぎ木」して、文化的なアマルガムを作って共存をはかるというのは、日本の外来文化受容の特徴です。「転向」もまたその典型的な一例だと言ってよいでしょう。
僕が言いたいのは、実は治安維持法下においてさえ、日本ではマルクス主義の系譜は断絶していなかったということです。マルクス主義が外来の、先進国渡来の制度文物である限り、日本人はそれを「どうやって土着化させるか」ということを考える。「日本の風土になじまないからまるごと棄てる」ということはできるだけしない。
外来のものは、思想や学術や宗教も、できるだけ土着化して保存しようとするというのは、辺境である日本の文化受容の際立った特徴です。仏教も発祥したインドではのちに途絶えてしまいましたが、日本には中国・韓国経由で流入した経典・仏像・仏具・儀軌が伝えられ、1500年にわたる教学の歴史が蓄積しています。

僕たちの書いた本の歴史的位置づけを理解していただくために、ここで日本におけるマルクス主義の歴史を大急ぎで一瞥しておきます(あまり興味がない人は飛ばしてもいいです)。
日本共産党の創建は1922年。中国共産党よりも1年あとのことです。軍国主義の時代に過酷な弾圧を受けたことは中国の場合と同じです。敗戦後、日本共産党は合法化され、46年の旧憲法下の衆院選挙で帝国議会に5議席を獲得しました。しかし、その後は日本列島を「反共の砦」として東西冷戦の前線にするというアメリカの対日政策下で弾圧され、過激化した一部の党員たちは武装闘争を取り、やがてそれを放棄し、反主流派が離脱し、60年の日米安保条約改定をめぐる闘争では共産党の学生組織が自立し、それが60年代末から70年代はじめにかけての「全国学園闘争」やベトナム反戦闘争や第三世界との連帯をめざすテロ活動の母胎となってゆく・・・というめまぐるしい歴史をたどります。
ご覧になればわかるとおり、日本のマルクス主義者たちは、どれほど歴史的条件が変わっても、そのつどの歴史的変化を繰り込んで、「マルクスの新しい読み方、新しい解釈」を探し出そうとしてきました。
日本が東アジアにおけるマルクス研究の「一大拠点」でありうるのは、実はこのめまぐるしい転身のためではないかと僕は思っています。

「マルクスの本が読める」ということは日本人にとって自明のことです。日本中どこに行っても、『共産党宣言』や『資本論』の文庫版は本屋で簡単にみつかります。日本人はそれが「当たり前」のことだと思っていますけれど、この知的環境は実はかなり例外的なものです。
先ほどの書いたように、韓国には「反共法」がありました。カンボジアでは、かつてマルクス主義者を名乗ったクメール・ルージュが300万人の同胞を殺しました。インドネシアでは、1960年代に愛国者を名乗る人々がインドネシア共産党の支持者100万人を虐殺しました。ですから、この両国では今でも自分は「マルクス主義者である」と公然と名乗るためには例外的な勇気を必要とするはずです。北朝鮮は「主体思想」の国ですから、そこで「私はマルクス主義者だ」と名乗ることは、現在の統治体制に対する異議申し立てと解釈されるリスクを冒すことになるでしょう。
中国はどうでしょう。中国共産党は、インドネシア共産党、日本共産党とともに、東アジアで最も古い歴史を持つマルクス主義政党です。出発点においてはマルクス=レーニン主義を掲げていましたが、毛沢東主義、鄧小平の先富論によって大きな解釈変更を受けています。今の中国がマルクス=レーニン主義国家であるかどうかというデリケートな問題にはここでは踏み込みません。けれども、ある政党が一党支配しており、党決定がそのまま国家公認のイデオロギーとなるという仕組みが「その政党の基本的思想について自由に論じかつ自由に解釈することが推奨されている」知的環境とは言いがたいということは誰にもわかります。

誤解して欲しくないのですけれど、僕は別に中国の今の統治システムを批判しているわけではありません。僕は現代の中国は効率的に、かなり合理的に統治されていると思っています。僕の国にもよく「中国は独裁的、専制的で非民主的な国家だ」となじる人たちがいます。彼らはいわば「中国が日本のようではない」ということを非としているのです。僕は「中国が日本のようではない」ことには同意しますけれど、「じゃあ、あなたは他にどういう統治システムが中国では可能だと思っているのか?」と反問したい気持ちを抑えることができません。14億近い国民(そのうち10%は言語も宗教も生活文化も異にする少数民族です。それだけでも日本の人口より多い)を求心的に統合するために、どのような民主的で共和的なシステムが可能なのか。
僕だって正直言って今の中国の統治システムにはたくさん問題点があると思います。でも、今の中国を効果的に統治できる「民主的で共和的なシステム」をたとえ机上の空論としてであっても、制度設計するためにはとてつもなく複雑な方程式を相手にしなければならない。それくらいのことは僕にもわかります。
僕は現在の中国の統治システムを批判するためにこの文を書いているのではありません。言いたいことはあるけれど、それは今は論じません。
でも、中国がマルクスを研究するための環境として日本より恵まれているかどうかという点については「日本にアドバンテージがある」と断言できると思います。
マルクス主義は中国においては国家の根幹にかかわる思想的基軸であるがゆえに、軽々しく論じることが許されません。日本ではそうではありません。日本ではマルクス主義はつねに「反体制的な思想」でした。それを担う人たちは労働者であったり、知識人であったり、学生であったり、市民であったり、次々と変わって行きましたけれど、一度も公認イデオロギーになったことがないという点では一貫しています。
そして、とりあえず今のところ、日本ではマルクスについてどのようなことを述べようと語ろうと、警察に逮捕されたり、発禁処分を受けたりする気づかいがありません。「公認イデオローグ」から「おまえの解釈は間違っているので黙るように」と口を封じられることもない。これはもう一度言いますが東アジアにおいてはかなり例外的なことです。
以上が僕がこの本の中国語版序文で中国人読者のみなさんにまずお伝えしたいことです。

この本は二人の学者の共著です。石川康宏さんは僕よりはだいぶ若いけれど、マルクス主義経済学者で、日本共産党の代表的な文化人党員のひとりです。彼のマルクス解釈は日本においてはごく正統的なものです。
僕のマルクス解釈はそれとはいささか趣が違います。解釈が違うというより、解釈するときの「構え」が違います。
僕自身は全国学園闘争のときには大学生でした。いろいろなデモや集会に参加し、警察官と殴り合ったりしました。でも、日本共産党とも他の新左翼政治党派とも反りが合わず、ひとりでぽつんとマルクスやその周辺のものを読み漁っていました。今もどのような政治党派ともかかわりがありませんし、どのような教条的なマルクス解釈とも無縁です。でも、高校時代から繰り返しマルクスを取り出し、読み続けてきました。マルクスを読むと「気合が入る」からです。マルクスには「堕夫をして立たしむ」喚起力がありますから。
レヴィ=ストロースがあるところで「論文を書く前にはマルクスを取り出して数頁読む」と書いています(この逸話については本書の中でも触れています)。レヴィ=ストロースの言いたいことが僕にはよくわかります。マルクスの修辞法、その論理の「走らせ方」「飛躍のさせ方」にはある種の感染力があります。マルクスを集中的に読んでいると、マルクスに「かぶれる」。「かぶれる」のは表層だけではありません。論理の走らせ方、論理の飛ばし方、奇跡的な修辞の魔力、そういうものに感染してしまう。僕はそういうタイプの読者でした。
僕は今でも読むたびにマルクスに魅了されます。マルクスが何を言っているのかではなく、どのように語るのかに焦点を合わせて僕はマルクスを読みます(具体的にどういう読み方なのかは本書を読めばよくおわかりになると思います)。
そういうマルクスの読み方はたぶん正統的マルクス主義者からは「邪道」だと見なされるだろうと思います。中国共産党ではたぶん推奨されていないでしょう。中国共産党の入党の口頭試問(そんなものがあるかどうか知りませんが)「僕はマルクスの思想内容より、彼の文体が好きです」などと言ったら、入党させてもらえないんじゃないでしょうか。知りませんけど。
でも、そういうふうにマルクスを読み、自分なりのマルクス理解を語ることが日本では許されています。僕はこれは「例外的なアドバンテージ」だと思っています。
そういうふうに読むとマルクスが「ほんとうに言いたかったこと」がわかるとか、読みが深まるとかとか言っているわけではありません。そういう視点からしか見えないものが見えてくる可能性があるというだけのことです。「そういう視点からしか見えないもの」にどれほどの学術的な価値があるのか、僕にはわかりません。ただ、この本が韓国に続いて、中国でも翻訳されるということを聞いて、僕は日本でのマルクス研究の100年の歴史が、ある種の沖積土のようなものを形成して、そこから他の場所では見られない独特の植物のようなものが芽生えたことが理解されてきたのかも知れないと思いました。
ヨーロッパ生まれのマルクス主義の種子が、遠い東アジアの島に漂着して、一世紀以上を閲しているうちに固有の風土になじんで、ヨーロッパでは見られないような独特の生物種をつくりだした。それを見て、同じ漢字文化圏・儒教文化圏に属する中国韓国の読者が「懐かしさ」や「親しみ」を感じてくれていて、翻訳してくれるのだとしたら、著者である僕たちにとって、それにまさる喜びはありません。
できれば、最後まで読んで下さい。そして、中国のみなさんもまた、みなさんに固有の思想的風土から新しいマルクス理解を育んで下さることを願っています。