レヴィナスの時間論

2014-11-16 dimanche

『福音と世界』という冊子に標記のような文を寄せた。あまりふつうの人の眼には止まらないような媒体なので、ここに再録しておく。

レヴィナスの時間論

最初は「レヴィナスの終末論」というお題を頂いた。原稿を引き受けたのは昨年の12月である。そのときには「あのこと」を書こうというアイディアがあったのだと思う(そうでなければ引き受けない)。だが、10ヶ月経って、いざ締め切り間際になってみると、そのとき何を書く気で引き受けたのかが思い出せない。とりあえず、レヴィナスの時間の観念についてなら少し書けそうな気がするので、それを書こうと思う。それはユダヤ教の終末論的思考にどこかで通底しているはずである。

エマニュエル・レヴィナス(1906-95)の戦後すぐの著作に『時間と他者』がある。短い講演録だが、正直言うと、ほとんど意味不明のテクストである。
終戦直後に「ホロコースト・サヴァイヴァー」としてのレヴィナスの哲学的営為の始点を画す著作が、私のように長期にわたってかなり集中的にレヴィナスの著作を読んできた人間にとってさえ「ほとんど意味不明」なのである。『時間と他者』はかなり早い段階で邦訳された(1986年、原田佳彦訳、法政大学出版局)。にもかかわらず、レヴィナスの時間論を主題とした日本語の研究は管見の及ぶ限りほとんど存在しない。重要性が低いとみなされたわけではあるまい。たぶん多くのレヴィナス研究者にとってレヴィナスの時間概念があまりに私たちの日常的な時間理解と隔絶していたために、研究対象から除外されたのだろう。
私がレヴィナスから学んだ重要な知見のひとつは「若いときにはわからないことでも、年を取るとわかることがある」ということである。哲学者というのは高性能の知性の働きがあれば少年でもでもなれるというものではない。その点で、音楽家や数学者や詩人と違う。哲学者は歴史の風雪に堪えて、さまざまなものを失い、人間の無知や邪悪さに深く幻滅し傷つけられ、それでもなお「人間的叡智」と呼ぶに足りるもの、後世に伝えるべき知見を見出した人間のことである。レヴィナスはそういう哲学者だった。
レヴィナスは戦時捕虜収容所からパリに戻ったとき、リトアニアに残した家族のほぼ全員がアウシュヴィッツで殺されたことを知った(さいわいに彼がパリに残した家族は親友モーリス・ブランショのはからいでゲシュタポの捕縛をまぬかれた)。フランス・ユダヤ人社会が解体的危機に遭遇していたまさにその時期に、『時間と他者』の連続講義は、同じくホロコーストを生き延びたユダヤ人哲学者ジャン・ヴァールの主宰する哲学学院で1946年から47年にかけて、四回かけて行われた。聴衆の相当数は生き残ったユダヤ人たちであった。
この時期、崩壊しつつあるフランス・ユダヤ人社会を支えるためにレヴィナスは必死で働いていた(タルムードの古法を老師について学び、ユダヤ人青少年のための教育制度の再建を本業としていた)。そのように特殊な歴史的条件下で語られた時間論である。だとすれば、それは深い苦しみの中で振り絞るように語られた希望の時間論であったはずである。そのような日々の営みを哲学的に基礎づけることのできる時間論でなければレヴィナスにそのときそれを語る必然性はないからである。
『時間と他者』において、レヴィナスはそのときだからこそ語られなければならない時間論を語った。というのが私のこの小文における仮説である。ただし、私に与えられたのはわずか6000字である。十分な準備もないので、おそらく論じている途中で話は尻切れとんぼで終わってしまうだろう。せめて冒頭の最も難解な一節だけについては、解釈可能性を示したいと思う。読者諸氏はそれを以て諒とされたい。
『時間と他者』は次のような一節から始まる。

「この講演の目的は、時間とは孤立した単独の主体にかかわることがらではなく、主体と他者の関係そのものであることを証明することにある。」(Emmanuel Lévinas, Le temps et l’autre, PUF,1983, p.17)

この一節が難解なのは、「孤立」(isolé)と「関係」(relation)という空間的表象を用いて時間を語っているせいである。私たちは「孤立」と言われると、空間的に他から隔絶した項を思い浮かべる。「関係」と言われると、項と項を結ぶ線分のようなものを思い浮かべる。それらは空間的に表象される二次元的な「図像」であり、図像である限り、無時間的である。この一節がいきなり難解なのは、空間的に表象しえないものであるはずの時間を無時間的表象に即して語っているからである。
私たちはこの一行目から「ゲームのルール」を替えなければいけないことを教えられる。ここから先は自分たちの因習的な時間概念、空間概念を持ったまま読み進めることはできない。とりあえず「時間」という語を私たちがふだん使っているような意味で使うことを自制しなければならない。レヴィナスの言う「時間」は私たちがふだん「時間」という言葉で言おうとしていることと語義の一部は重なっているが、私たちがその語では決して指し示さないような意味や状態をも含意している。それが何であるかは、今のところまだわからない。「語義をペンディングしたまま読み進むこと」、これも哲学者が私たちに要求する困難な作業のひとつだ。
時間とは孤立した単独の主体にかかわることではない。これは何となくわかる。地球上に最後に一人だけ生き残った人間がいたとする。彼において時間は流れているだろうか、流れていないと私は思う。時計がこちこちと時間を刻むということはありうるだろう。でも、その針の移動は何も意味しない。誰も彼を訪ねてこないし、誰も彼を待っていない。彼が何を話しても、何を書いても、それを聴く人も、読む人もいない。彼がそのとき宇宙の成り立ちについて恐るべき真理を洞察したとしても、それを告げる相手はどこにもいない。彼には受け取るものも贈与するものもない。彼は生きながら死んでいる。そのような人間にとって時間はないに等しい。
「時間は主体と他者の関係(relation du sujet avec autrui) そのもの」だとレヴィナスは書く。ふつう「関係」という語を私たちは空間的な二項関係を思い浮かべることなしには理解することができない。しかし、「関係」という語を空間的形象に置き換えた瞬間にこの命題は無意味なものとなる。どうすればいいのか。
論理学的には無理筋だが、私たちは窮余の一策としてこれを「主体と他者の関係が時間である」と読み換えてみる。「主体と他者の関係は時間の中で展開する」でもいい。「主体と他者の関係は時間を媒介させない限り意味を持たない」でもいい。無理な読み換えだが、それで少しだけわかってくることがある。時間は主体と他者の間で「熟す」ものだということである。
他者が私に向けて何か語りかけてくる。センテンスの開始時点では何を言おうとしているのか意味がわからない。半ばまで進んだあたりで、「だいたいこんなことを言おうとしている」のだと予測がつく。それでも途中で話柄が違う方向に切り替わることもあるから、「何を言おうとしているのか」は未決状態にしておかねばならない。よく聴き取れなかった語が途中で「あ、あのことか」とわかることもある(「戦闘」だと思って聴いていた語が「銭湯」のことだったとわかれば、それまで聴き取った文章はすべて遡及的に書き換えられる)。
言葉を語りかけ、それを聴き取るという主体と他者間のコミュニケーションは時間的にしか成立しない。そもそも私たちが他者の語る言葉を理解できるのは、音としては「もう聞こえなくなった音」を手元にとどめおき、「まだ聞こえない音」を「たぶんこういうふうに続くのだろう」と先取りしているからである。「私」というような単純な一語でさえ、「た」の音を聴いているときに「わ」はもう消えており、「し」はまだ発語されていない。「わ」を引き止め、「し」を先取りしたときにはじめて「私」という語は聴き取られる。発語を理解するというのは、そのような意味で徹底的に時間的な現象なのである。語ることも聴くことも時間のうちでしか成立しない。
「主体と他者の関係は時間的である」ということ、これはこのような説明によって少し見通しが立つ。けれども、この逆の命題「時間は主体と他者の関係である」を基礎づけるまでにはまだ千里の逕庭がある。レヴィナスの文はこう続く。

「問題は、私たちが社会から借りてきた概念によって、時間がどのように区切られ、配分されるかを言うことではない。どのようにして社会は私たちが時間を表象することを可能にするのかを言うことではない。私たちが時間をどうとらえているかではなく、時間そのものが問題なのである。」(Ibid.,p.17)

「私たちが時間をどうとらえているかではなく、時間そのものが問題なのである」。どうしてそういうことになるのか。当然ながら、私たちが「時間についてある観念を形成する」のは、それ自体すでに時間の効果だからである。観念は文のかたちをとる場合もある、イメージとして把持できる場合もある、直観的に一挙に与えられることもある。それでも、そのとき私たちは「ああ、『あれ』って、『これ』のことか」という文型で同定することはまぬかれない。そして、「あれとはこれのことだ」という文型をとる限り、それはすでに時間の現象なのである。
時間そのものが問題であるというのは、人間の理性を以てしては定義することも、理解することもできないものを私たちは問題にしているということである。なぜ、そのようなものを問題にするのか。それは直接にはハイデガーが解決したつもりでいることをもう一度未決状態に戻すことをレヴィナスはめざしていたからである。
他者についてのハイデガーの理解をレヴィナスはこう言って退けた。

「他者は、ハイデガーにおいては、共同存在(Miteinandersein)-一者と他者が相互的に存在する-という本質的状況において現われる。Mit(と共に)という前置詞がここでは関係を示している。つまりそれは、何かをめぐっての、ある共通項をめぐっての、より厳密にハイデガーに即して言えば、真理をめぐっての、隣り合わせ(côte à côte)の結びつきだということである。それは顔と顔を向き合わせての(face à face)の関係ではない。」(Ibid., pp.18-19)

ハイデガーにおいては主体と他者の関係は真理によってそのつどすでに基礎づけられている。私たちはいわば「誰かがすでに構築し終えたコミュニケーション・プラットフォーム」の上で対話をするのだ。レヴィナスはその図式を退ける。

「私たちは他者との根源的関係を記述すべき前置詞はmitではないということを示したいと思う。」(Ibid.,p.19)

レヴィナスは主体と他者をすべての出来事に先立って基礎づけてくれるような「基盤」を不当前提することを拒む。私たちは孤独である。他者と主体の間に「共通の祖国」はない。他者とは主体の理解も共感も絶した絶対的他者である。レヴィナスはたしかに多くの著作でそう書いている。けれども、これはレヴィナスが戦後のこの時期にでなければおそらく語らなかったはずの烈しい言葉である。というのも、実際には私と他者は因習的な意味での祖国を共有しているし、言語を共有しているし、宗教やイデオロギーや美意識を共有しているからである。ゆきずりの見知らぬ人とさえ、私たちはそれなりの理解と共感を抱くことができる。けれども、レヴィナスはそれを認めない。なぜなら、ホロコースト・サヴァイヴァーにとって、この程度の「理解や共感」は彼らの600万人の同胞の組織的虐殺を防ぐことに役立たなかったからである(そもそも、「共同存在」の理説を語った哲学者はナチスの支持者だった)。
政治的恫喝やうわずったデマゴギーに容易に屈服して隣人の虐殺を黙過するような人々に囲まれているとき、彼らとの「それなりの理解や共感」を当てにすることはできない。生き延びようと思うなら、「いかなる理解も共感も絶した他者」となお対話しうるような困難な、しかし堅牢な「関係」を立ち上げるしかない。それが歴史的条件がレヴィナスに突きつけた哲学的主題であった。

「この孤独の存在論的根源にまで遡及することを通じて、私たちはこの孤独がどのようにして超克されうるのか、それを見たいと思う。この超克が何でないかはすぐ言える。それは認識ではないだろう。というのは、認識によって対象は、私たちが望むと望まぬにかかわらず、主体によって併呑され、二項性は消失するからだ。それは脱自でもない。というのは脱自によって、主体は対象のうちに埋没してしまい、統一性のうちに自らを見出すからだ。こういった関係は他者の消滅にしか帰着しないのである。」(Ibid., p.19)

レヴィナスがこの時点で構想していた哲学的アイディアを仮に図像的に表象するならば、いかなる共通の基盤もなく、共通の参照体系もないまま、絶対的な未決状態のうちに宙づりにされた二人が、それぞれに相手を呑み込むことも、呑み込まれることもないまま、相手を求めて手探りをしている姿を私は思い浮かべる。そのような図像で表象することが「正しい」とは言わない。でも、そのような図像を手がかりにすると、私はレヴィナスの考想が少しわかるような気がするのである。それは、この絶対的な未決と隔絶は時間のうちでひとつの希望に転化するからである。
このわかりにくい理路を通すために一つだけ宗教的な補助線を引かせてもらいたい。それは「メシア」という補助線である。
メシアは不在である。それは「空位」というかたちでしかユダヤ人たちの現実にはかたちをとることがない。過ぎ越しの祭(ペサハ)は主がユダヤ人たちをエジプトでの隷属状態から救い出した事績を言祝ぐ儀礼であるが、このとき家族の食卓には一つ空席がしつらえてある。それはメシアの先触れである預言者エリヤのための席である。過去一度もエリヤが到来しなかった事実から帰納的に推理すれば、この席が待ち人を迎え入れることはありえない。けれども、ユダヤ人たちはこの空席を数千年にわたって守り続けてきた。この儀礼についてロベール・アロンは次のような心にしみる文章を書いている。

「メシアの前触れが食事の終わりまでにやってこないことはよくわかっている。けれども大事なのは、彼が来るか来ないかではない。彼の到来は、何日、何時という仕方では現わすことができない。重要なのは、彼が必ずいつか来る、そしてどの日に来てもおかしくない、という前提でことが進められていることである。」(『ユダヤ教 過去と未来』、内田樹訳、ヨルダン社、1998年、111頁)

エリヤのための空席は、そこがいつ預言者によって占められるか予見不能であるにもかかわらず、むしろ予見不能があるがゆえに活発に機能している。「空位」は空間的には無である。けれども、それは時間の中では過去の記憶を活性化し、未来への希望を賦活する生成の場となる。時間とはまさにそこに存在すべきであるにもかかわらず存在しないものを際立たせることによって希望の胚となるのである。
空間的には、今ここでは救済も支援も理解もない場にあるときに、人は時間のうちに身を持すことによってはじめて立ち上がることができる。信仰はこの「到来すべきもの(à venir)」への全面的な信頼なしには存立しない。レヴィナスはそのことを彼個人の霊的確信として知っていた。だが、それを哲学的に展開し、非ユダヤ人を含めた普遍的な人類の知へ登録することの緊急性を、ホロコースト経験を通じて痛感したのである。レヴィナスが『時間と他者』から戦後の思索を開始したのはそれゆえである。空間的に見ると絶望的な隔絶と未決にしか見えないもののうちにこそ、最も豊かなものが時間的に観取される。その直感を彼は彼個人の霊的感受性や彼の民族の運命ともかかわりのない価値中立的な哲学の言葉で述べようとした。その迂回が強いる言葉への屈曲が、この時期のレヴィナスの言葉を「ほとんど意味不明のもの」にしていた。これが私の仮説である。この仮説を裏づけるためには、まだこの先長い時間がかかるだろうけれど、それまでの「裏づけの不在」という空間的な欠落は、時間の中にある私にとっては豊かな生成の機会に他ならないのである。
90頁の書物の最初の2頁だけについての注解になってしまったが、それでもレヴィナスの時間論が観照的思弁ではなく、切れば血が出る実存的経験から滲出してきたのだという事実を伝えることができるならば私としては十分である。