カジノについて

2014-10-21 mardi

朝日新聞にカジノ法案についての意見を聴かれましたので、こんなことをお話ししました。
2014年10月21日の朝刊に掲載されたものです。 


「実は、身内にかなりのギャンブル依存症がいます。優れたビジネスマンですし、他の面ではいたってノーマルな人物なのですが、ことギャンブルとなると熱くなる。若いころは給料日に競馬場へ行って1日でボーナスをすってしまうというようなこともありました。海外出張の時はカジノに通っていました。なぜそんなふうにお金を無駄に使うのか聞いたことがあります。これで負けたら全財産を失うという時のヒリヒリする感じが『たまらない』のだということでした」
 ――依存症は青少年や地域社会、治安への悪影響と並んで反対派、慎重派が最も懸念する点です。やはりカジノはやめたほうがいい、と。
 「僕は別に賭博をやめろというような青臭いことは言いません。ただ、なぜ人は賭博に時に破滅的にまで淫するのか、その人間の本性に対する省察が伴っていなければならないと思います。賭博欲は人間の抑止しがたい本性のひとつです。法的に抑圧すれば地下に潜るだけです。米国の禁酒法時代を見ても分かるように法的に禁圧すれば、逆にアルコール依存症は増え、マフィアが肥え太り、賄賂が横行して警察や司法が腐敗する。禁止する方が社会的コストが高くつく。だったら限定的に容認した方が『まし』だ。先人たちはそういうふうに考えた。酒も賭博も売春も『よくないもの』です。だからと言って全面的に禁圧すれば、抑圧された欲望はより危険なかたちをとる。公許で賭博をするというのは、計量的な知性がはじき出したクールな結論です」
 ――カジノ法案は、政府内に管理委員会を置いて、不正や犯罪に厳しく対処するよう求めています。推進派の議員らは、十分な依存症対策も取る方針を明確にしています。それなら賛成できますか。
 「賛成できません。法案は賭博を『日の当たる場所』に持ち出そうとしている。パチンコが路地裏で景品を換金するのを『欺瞞だ』という人がいるかもしれませんけれど、あれはあれで必要な儀礼なんです。そうすることで、パチンコで金を稼ぐのは『日の当たる場所』でできることではなく、やむをえず限定的に許容されているのだということを利用者たちにそのつど確認しているのです。競馬の出走表を使って高校生に確率論を教える先生はいない。そういうことは『何となくはばかられる』という常識が賭博の蔓延を抑制している。賭博はあくまでグレーゾーンに留め置くべきものであって、白昼堂々、市民が生業としてやるものじゃない。法案は賭博をただのビジネスとして扱おうとしている点で、賭博が分泌する毒性についてあまりに無自覚だと思います」
 ――安倍晋三首相は、シンガポールでカジノを視察して、日本の経済成長に資すると発言しました。経済を活性化する良策ではないですか。
 「賭博は何も生み出しません。何も価値あるものを作り出さない。借金しても、家族を犠牲にしても、人から金を盗んででも、それを『する』人が増えるほど胴元の収益は増える。一獲千金の夢に迷って市民生活ができなくなる人間が増えるほど儲かるというビジネスモデルです。不幸になる人々が増えるほど収益が上がるビジネスである以上、そのビジネスで受益する人たちは『賭博に淫して身を滅ぼす人』が増大することを祈ることを止められない。国民が不幸になることで受益するビジネスを国が率先して行うという発想が、僕には信じられません」
 ――しかし観光振興の起爆剤になり、自治体財政にも寄与する可能性はある。デメリットを上回るメリットがあるとは考えられませんか。
 「安倍政権の経済政策は武器輸出三原則の見直し、原発再稼働などいかに効率的に金を稼ぐかにしか興味がない。でも、当然ながらリスクが高いほど金は儲かる。一番儲かるのは戦争と麻薬です。人倫に逆らうビジネスほど金になる。でも、いくら金が欲しくても、あまり『はしたないこと』はできない。その節度が為政者には求められる。その『さじ加減』については先人の経験知に謙虚に学ぶべきですが、安倍政権には節度も謙虚さも何も感じられません」
 「為政者の本務は『経世済民』、世を治め、民を済うことです。首相は営利企業の経営者じゃないし、国家は金儲けのためにあるんじゃない。福島の原発事故対策、震災復興、沖縄の基地問題の解決の方がはるかに優先順位の高い国民的課題でしょう。厳しい現実に目を背け、なぜ金儲けの話ばかりするのか」
 ――でも、安倍内閣の支持率は一定の高さを保っていますよ。
 「メディアは選挙になれば『景気を何とかしてほしい』『経済の立て直しを』という『まちの声』を繰り返し報道してきました。国民は政党間のこむずかしい政策論争よりも民生の安定を望んでいると言ったつもりでしょうが、メディアはそれを『有権者は経済成長を望んでいる』という話に矮小化した。有権者は何より金が儲かることを望んでいるというふうに世論を誘導していった」
 「武器輸出も原発再稼働もカジノも『金が儲かるなら、他のことはどうでもいい』という世論の形成にあずかったメディアにも責任の一端があります。メディアはなぜ『金より大切なものがある』とはっきり言わないのか。国土の保全や国民の健康や人権は金より大切だと、はっきりアナウンスしてこなかったのはメディアの責任です」
 ――理想を高らかにうたうのは大切だと思いますが、成熟した大人にとって、現実的な議論とは言えないのではないでしょうか。
 「それのどこが『大人の態度』なんです? 人間は理想を掲げ、現実と理想を折り合わせることで集団を統合してきた。到達すべき理想がなければ現実をどう設計したらいいかわかるはずがない。それとも何ですか? あなたはいまここにある現実がすべてであり、いま金をもっている人間、いま権力を持っている人間が『現実的な人間』であり、いま金のない人間、権力のない人間は現実の理解に失敗しているせいでそうなっているのだから、黙って彼らに従うべきだと、そう言うのですか」
 ――理想を語らず、目先の金。嫌な世の中になりました。
 「時間のかかる議論を『決められない』と罵倒してきたのは、あなた方メディアでしょう。『決められない政治』をなじり、『待ったなし』と煽ったせいで、有権者は独裁的に物事を決めていく安倍さんを『決断力がある』と見なして好感を持った。合意形成に時間がかかる民主制より、独裁的な方が政策決定の効率はいい。そう思うようになった。それならもう国会なんか要らない。安倍さんがどれほど失政をしようと『劇的に失敗する政治』の方が『決められない政治』よりましだ、そういうニヒリズムが蔓延しています」
 ――ニヒリズムですか……。
 「米ソ冷戦の1960年代、米ソの外交政策に対して日本人は何の発言権もなかった。国内でどんな政策を行っても、ある日、核ミサイルが発射されれば、すべて終わりだった。そういう時代に取り憑いていた虚無感を僕はまだ覚えています。いまの日本には、当時の虚無感に近いものを感じます。グローバル化によって海外で起きる事件が日本の運命を変えてしまう。どこかで株価が暴落したり、国債が投げ売りされたり、テロが起きたり、天変地異があれば、それだけで日々の生活が激変してしまう。自分たちの運命を自分たちで決めることができない。その無力感が深まっています」
 「『決められない政治』というのは政治家の個人的資質の問題ではなく、グローバル化によって、ある政策の適否を決定するファクターが増え過ぎて、誰も予測できなくなったので『決められなくなった』というシステムそのものの複雑化の帰結なのです。何が適切であるかは、もうわからない。せいぜい『これだけはやめておいた方がいい』という政策を選りのけるくらいしかできない」
 ――私たちは政治とどう向き合ったらいいのでしょう。
 「民主制のもとでは、失政は誰のせいにもできません。民主制より金が大事という判断を下して安倍政権を支持した人たちは、その責任をとるほかない。もちろん、どれほど安倍政権が失政を重ねても、支持者は『反政府的な勢力』が安倍さんのめざしていた『正しい政策』の実現を妨害したから、こんなことになった。責任は妨害した連中にあるというような言い訳を用意することでしょう。そんな人たちに理屈を言って聞かせるのはほとんど徒労ですけれど、それでも『金より大切なものがある。それは民の安寧である』ということは、飽きるほど言い続ける必要があります」