「街場の憂国論」号外のためのまえがき

2013-12-11 mercredi

みなさん、こんにちは。内田樹です。
『街場の憂国論』に「号外」として、特定秘密保護法案審議をめぐる一連の書き物をまとめて付録につけることに致しました(安藤聡さんからのご提案です)。
単行本に付録をつけるというのは珍しいことですけれど、今回の法案審議をめぐる政治の動きについて、僕たちはそれだけ例外的な緊張感を持ってしまったということだと思います。

改めて言うまでもないことですが、この法案は、2012年暮れの衆院選でも、2013年5月の参院選でも、自民党の公約には掲げられていなかったものです。それがいきなり9月に提出されて、重要法案としては異例の短時間審議で、両院での委員会強行採決を経て、会期ぎりぎりに走り込むように国会を通過してしまいました。この原稿を書いている段階で、世論調査では80%以上が国会審議のありようについてつよい不安と不満を表明しています。
なぜ、これほど急いで、法案の外交史的意味についての説明も、運用上の懸念の解消のための説得もなされないままに法案が採択されたのか、わからないという声は議員自身からも、メディアからも聞こえてきます。僕はそれはいささかナイーブにすぎる反応だろうと思います。
政権がこれほど強権的に法案採択を強行したのは、まさにこのようなものごとの進め方そのものがこれからデフォルトになるということを国民に周知させるためだったからです。
政体の根幹にかかわる法律、憲法の理念にあきらかに背く法律の強権的な採択が「合法的だった」という事実そのものが法案以上に安倍政権にとっては「収穫」だったということです。彼らはみごとにそれを達成しました。もう、これからは何でもできる。
次の国政選挙まであと3年あります。その間に政権は解釈改憲による集団的自衛権行使(つまりアメリカと共に海外への軍事行動にコミットすること)をできれば実現し、その過程でのアメリカとの交渉や密約をすべて「特定秘密」として完全にメディアからブロックするでしょう。
多くの人たちは前の民主党政権に対してしたように「自民党が暴走したら、選挙でお灸を据える」ということができると信じているようです。僕はそこまで楽観的になれません。そのような自由な選挙の機会がもう一度巡ってくるかどうかさえ、僕には確信がありません。
次の選挙までに日本を戦闘の当事者とする戦争が始まってしまったら、その結果、国内外で日本人を標的とするテロが行われるようなことがあったら、もう次の選挙はこれまでの選挙のような牧歌的なものではありえないからです。そして、現在の自民党政権は彼らの支配体制を恒久化するシステムが合法的に、けっこう簡単に作り出せるということを、今回の経験で学習しました。
安倍政権にこれ以上の暴走を許さないという国民の決意は「次の選挙」ではなく、今ここで、ひとりひとりの現場でかたちにする他ないと僕は思っています。
僕のこの文章が「妄想的だ」という批判はあるでしょう。そして、僕はあと3年後に、この文章を読み返して、「なんて妄想的なことを書いていたのだろう。すべては杞憂だったのに」と自分が恥じていることをほんとうに心から願っています。