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憲法記念日インタビュー

5月3日に東京新聞の憲法記念日インタビューが掲載された。
お読みでない方のために、ここに転載しておく。
「いつもの話」である。
「それはもうわかった」と言われても、しつこく言い続けるのが身上ということで、ひとつ。

―96条の意義をどう考えますか。
「変えるな」という意味だと思います。憲法は国のあるべき形を定めたもの。硬性であるのが筋です。政権が変わるたびに国のあるべき形がころころ変わっては困る。憲法改正している他の国も立国の理念まで変えているわけではありません。

改憲論者は、そもそも憲法が硬性であることがよくないという前提に立ちます。国際情勢や市場の変動に伴って国の形も敏速に変わるべきだと思っているから、そういう発言が出てくる。
これはグローバリスト特有の考え方です。
ビジネスだけでなく政治過程も行政組織も、あらゆる社会制度はそのつどの市場の変動に応じて最適化すべきだと彼らは信じています。そして、今の日本では、政治家も財界人も学者もメディアもそれに同意している。

グローバリストたちにとって、市場への最適化を阻む最大の障害は「国民を守る」ために設計された諸制度です。医療、教育、福祉、司法、そういったものは市場の変化に対応しません。だから、邪魔で仕方ない。その惰性的な諸制度を代表するのが憲法なのです。

国民を守る制度はどれも「急激に変化しない」ように設計されています。これがなんとも邪魔である。ですから、できることなら、これまで国家が担ってきた「国民を守る」事業はすべて市場に丸投げしたい。
「自助」というのは、自分を守るために必要なサービスはこれからは「商品」として「市場」で買わなければならないということです。もちろん、経済活動はその分だけ活性化する。
安倍自民党も野田民主党もグローバリスト政権という点では選ぶところがありません。たぶん無意識にでしょうけれど、彼らが目指しているのは「国民国家の解体」なのです。

―それには、まず96条改正が手っ取り早いと。
国民国家の最優先課題は市場への最適化ではなく、現状維持です。市場のような変動きわまりない危ないものと一蓮托生するわけにはゆかない。国境線を維持すること、通貨を安定させること、国民の民生を守ること、それが国民国家の仕事です。それが果たせれば上出来。国民国家は「成長」とか「変化」という概念とは本質的になじまないのです。

―グローバリズムと「愛国心」などの右寄り思想は、相容れない気もしますが。
グローバリストはナショナリズムを実に巧妙に利用しています。彼らがよく使うのは「どうすれば日本は勝てるか?」という問いですが、これは具体的には「どうすれば日本の企業が世界市場のトップシェアを取れるか?」ということを意味しています。
国際競争力のある日本企業が勝ち残れるために、国民はどれほど自分の資源を供出できるか、どこまで犠牲を払う覚悟があるか、それを問い詰めてくる。
でも、ここにトリックがあります。ここで言われる「日本企業」は実は本質的に無国籍だということです。

大飯原発の再稼働が良い例でした。原発が動かなければ製造コストが上がる、だから、生産拠点を海外に移すしかない。そうなれば雇用は失われ、地域経済は沈滞し、法人税収入は途切れることになるが、それでもいいのかという企業の恫喝にあのときは政府が屈しました。企業の製造コストの削減のために、原発事故のリスクという国民の健康を犠牲に差し出したのです。
これが「ナショナリズムの使い方」です。
「それでは日本が勝てない」という言い分で、国民的資源を私企業の収益に付け替えているのです。でも、製造コストが上がるという理由だけで日本を出て行くと公言する企業を「日本企業」と呼ぶことに僕は同意できません。

外国の機関投資家が株主で、経営者も従業員も外国人で、海外に工場があり、よその政府に納税している無国籍企業があえて「日本企業」と名乗る理由は何でしょう?
それは、そうすれば勘違いして、「日本のために」と自己犠牲を惜しまない国民が出てくるからです。
中国や韓国の企業との競争で「日本企業」を勝たせるためなら、原発再稼働も受け容れる、消費増税も受け容れる、TPPによる農林水産業の壊滅も受け容れる、最低賃金制度の廃止も受け容れる・・・この「可憐」なナショナリズムほどグローバル企業にとって好都合なものはありません。
実際には、これらの「日本企業」は日本に雇用を生み出してもいないし、地元に収益を「トリクルダウン」してもいないし、国庫に法人税を納めてもいない。でも、そんな無国籍企業でも「日本企業」を名乗ると、惜しみなく国富が投じられる。国富の私企業への移し替えを正当化するためにナショナリズムが活用されているのです。

―占領下の米国による「押しつけ憲法」であることも改憲論の根拠になっています。
それならまず憲法を「押しつけた」ことについての歴史的謝罪を米政府に求めるのが筋でしょう。そうしないと話の筋目が通らない。
米国からすれば日本国憲法は一種の贈り物です。独立宣言以来の民主主義の理念を純化させ、当時の世界の憲法学の知見を結集して作った「100点答案」です。これを「出来が悪いから変える」というのであれば、日本国民のみならず、まずは「押しつけた」米国に対して、そして国際社会に対して、日本国憲法のどこが不備であるのかを説明する責任があるでしょう。
自民党の改憲草案は、近代市民革命の経験を通じて先人の労苦の結晶として獲得された民主主義の基本理念を否定する時代錯誤的な改変です。これについても、なぜ歴史の流れに逆らってまで憲法をあえて「退化」させるのかを国際社会に対して弁ずる義務がある。
日本のあるべき国のかたちを変えるわけですから、「これからはこう変わります」と宣言するのは国際社会のメンバーとして当然の義務でしょう。
でも、改憲派の人で国連総会でもどこでも「この改憲によって日本の憲法は人類史的に新たな一歩を画した。諸国も日本を範として欲しい」と胸を張って言うだけの勇気のある人がいるのでしょうか?
それに、中国も韓国もロシアも台湾も、隣国はどこも九条二項の廃止に強い警戒心を抱くでしょう。改憲が政治日程に上れば、当然ながら強い抗議がなされるはずです。九条二項を廃止するということは、戦争をするフリーハンドを手に入れるということですから、隣国にとってはきわめて不安な改変です。当然、反日デモにとどまらず、日本製品の不買運動、経済的文化的交流の停止、場合によっては大使引き揚げというような本格的な危機にまで立ち至るリスクがある。そういう隣国からの疑念や反発を抑えるために、どれだけの説得材料を日本政府は用意しているのか。それとも「そんな内政干渉には応じない」ということなのでしょうか。
改憲のせいで東アジアに緊張が高まれば、いずれ米国が調停に出て来ざるを得ません。
でも、米国にしてみたら日本が「米国の押しつけ憲法を変える」ということから起きた国際紛争で汗をかく義理なんかない。九条を弾力的に解釈して、これまで通り米軍の後方支援や軍費負担をしてくれるなら、現状のままでも米軍は別に困らない。
そう算盤を弾けば、米国がどたん場になって「余計なごたごたを起こすな」といって改憲にクレームをつけてくる可能性は高い。
すると「米国に押しつけられた憲法を改正しようとたら、米国に『止めろ』と言われたので止めました」というまことにみっともない話になる。
そうやって満天下に恥をさらすことで、日本の国益がどう増大することになるのか。グローバリストに最も欠けているのは、そういう国際的な見通しです。

―参院選で、96条を正面から考える必要がありそうです。
今度の選挙では国の形そのものが問われます。国民国家を解体して市場に委ねるのか、効率は悪くても生身の人間の尺度に合わせたシステムを維持するのか、それを選ぶことになる。憲法についての議論が深まり、国家のあるべき形とは何なのかを国民が真剣に考えるようになるなら、改憲が争点であることは少しも悪いことではありません。
それに、そうなれば、結論は常識的なところに落ち着くと思います。
あまりに難しい選択なので、そんなに急かさないで、ちょっと待って欲しい、と。国の形をじっくり考えるためにも「とりあえず護憲」を国民は選択するだろうと僕は思っています。

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2013年05月04日 08:14 に投稿されたエントリーのページです。

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