中島岳志さん、平松邦夫さんとの「ポストグローバル社会の共同体」をめぐるシンポジウムの四回目が凱風館で行われた。
第一回がこの三人プラス平川克美、小田嶋隆。第二回が小田嶋、平松、内田にイケダハヤト、高木新平という若者ふたり。第三回と第一回は同じメンバー、第四回が昨日である。
四回全部に出たのは平松さんと私のふたり。
このシンポジウムは公共政策ラボという平松さん率いる政策集団の主催のイベントであり、私はその発起人メンバーに加わっているので、ゲストじゃなくて主催者側なのである。
四回かけて10時間近く議論をしたわけで、ずいぶん新たに学ぶことがあった。
同時期に私は岡田斗司夫さんと連続対談をしていた(これは『評価と贈与の経済学』に収録された)。
その対談で岡田さんからつよい影響を受けて、それがこのシンポジウムにも反映している(人間は本人がいない場でその人の意見を請け売りするときに、たいへん能弁になる。このシンポジウムで私がたいへん能弁であるときはしばしば岡田さんの請け売りを語っており、岡田さんとの対談で能弁であるときはイケダくんや高木くんの話を請け売りしていたのである)。
第四回である今回のシンポジウムに際しては、いちばんつよい影響を受けたのは、直前に読んだ鈴木健さんの『なめらかな社会とその敵』からである。
直接どういう意見に共感したということよりも、100年射程で社会システムを設計しようとしている若い知性のスケールの大きさに感動したのである。
光嶋裕介くんや森田真生くんや三島邦弘くんといったこれからの日本の知的ムーブメントを牽引できるだけの力量をもった人たちが続々と多田塾甲南合気会に入門してきて、彼らから持続的に刺激を受け続けたことも私の物の見方に大きな影響を与えている(鈴木健さんを凱風館に連れてきて引き合わせてくれたのは森田君である)。
こういう若い人たちに続々と出会っているうちに、「なんか、日本の未来も大丈夫かも」という気がしてきた。
これがひとつ。
もうひとつは、近代日本政治史をもう一度勉強し直さなければならないという気分が醸成されたことである。
直接には中島岳志さんや片山杜秀さんの近代ナショナリズム史の読み直しの仕事に触発されている。
渡辺京二や松本健一がナショナリズムについて書く理由はわかる。あるいは半藤一利が司馬遼太郎の衣鉢を伝えようとする気持ちもわかる。
でも、1960年、70年代生まれの若い研究者たちが玄洋社や農本主義や軍制史を研究する動機は、すぐにはわからない。
でも、この領域の研究に緊急性があるということは、私にも直感されている。
現に書棚を振り返ると、ここ数年のうちに北一輝、頭山満、大川周明、権藤成卿、宮崎滔天といった人たちについての研究書がにわかに増殖している。
どうしてそういう思想家たちに興味がわいたのか、自分でもよくわからない。
ツイッターにも少し書いたけれど、現代日本に瀰漫しているナショナリズムは「ナショナリズムとして空疎である」という印象が私にはある。
ナショナリズムというのは、こんなに薄っぺらで、反知性的なものであるはずがない。
18世紀以降の政治史上の事件には「人間とはどこまで愚劣で邪悪になることができるのか」と絶望的な気分にさせられるものだけでなく、「人間はここまで英雄的になることができるのか」と感動させられるものもあった。そして、後者のほとんどはナショナリズムに駆動されたものである。
そのことはマルクスも認めている。
アメリカの独立戦争も、フランス革命も、多くの人々が祖国と同胞のために、おのれの命も財産も自由も捧げた苛烈な闘争の成果として得られた。これらの英雄的・非利己的な献身によって近代市民社会は基礎づけられたのである。
そして、私利や自己実現と同じくらいの熱意を以て公益を配慮するような人間をマルクスは「類的存在」と呼んだ。
そのような人間は革命闘争や独立戦争のさなかに「英雄的市民」というかたちにおいて一過的に存在することはあるが、安定的・恒常的に存在したことはない。
いわば、ある種の幻想的な「消失点」として措定された概念である。
だが、それなしではいかなる革命闘争も実現しない。
そのことをマルクスは知っていた。
近代日本のナショナリストたちのうちにも、遠く「類的存在」を望見した思想家がいたのではないか。
勝海舟から坂本龍馬、中江兆民を経由して幸徳秋水に至る「反骨の系譜」というものが存在するのではないかという仮説に以前言及したことがある。
坂本龍馬がクロポトキンを読んだら、たぶん深い共感を覚えただろうと思う。
私にとって古典的な「左右」の思想区分は、本質的なものには見えない。
本質的な壁は、私利の確保や全能感の獲得のために政治行動をする人間と「類的」な動機に駆動されて政治実践をする人間たちのあいだにある。
私はそう考えている。
そして、政治史が教えてくれるのは、18世紀以来、「類的」という政治的概念がナショナルな政治単位を超えて「受肉」した事例は存在しないということである。
アメリカ独立戦争・フランス革命以後のすべての英雄的な「解放闘争」は「民族解放闘争」として行われた(残念ながら、成功した革命の闘士たちは必ずしも統治者としても類的であり続けたわけではないが)。
そして、民族の枠を超えたスケールの「セミ・グローバルな政治闘争」として私たちはスターリン主義とアメリカ帝国主義というふたつの頽落形態しか知らない。
近代の政治的経験から私たちが導き出すのは、「ナショナリズムと類的存在を架橋する」細い道以外に、政治的選択肢として可能性のあるものはなさそうだということである。
そして、その場合、「誰を信じるべきか、誰についてゆくべきか」のぎりぎりの基準は、政策コンテンツの綱領的な整合性や「政治的正しさ」ではなく、その政治思想家の「生身」だということである。
明治大正の政治思想家たちは、左右を問わず、身体を持っていた。
vulnerable な身体を持っていた。
「人間は壊れる」ということを熟知していた。
その壊れやすい人間を基準にして、政治的プロジェクトの適否を思量していた。
テロリズムというのは、思想の力は身体に担保されているので、身体を物理的に破壊してしまえば、思想も同時に力を失うという信憑なしには成立しない。
「思想は属人的なものだ」という確信、生身の人間の担保ぬきの政治思想など無力であり無価値であるという確信がテロリズムを可能にしている。
この確信には危険な半真理が含まれていることを私は認めざるを得ない。
思想は身体に基づいて存在する。
それゆえに、テロリズムの論理を反転させるならば、人間の生身としての脆弱性について深い理解をもつ人間しか、人間的な社会システムを作り出すことができないということである。
アンチ・テロリズムの思想もまた、「思想は属人的なものだ」という公理に基づくことになる。
私にはそれくらいしかまだわからない。
いずれ機会があれば、中島岳志さんや片山杜秀さんの話をもっと聴いてみたい。
(2013-02-27 12:27)