京郷新聞のインタビュー記事

2012-08-28 mardi

京郷(キョンヒャン)新聞にインタビューが出た。
釜山大学の朴先生が訳をつけてくれたので、再録する。
インタビューは8月17日午前中に二紙合同で約90分行われた。
前日の講演を聴いてくれた記者だったので、前日の講演の内容についても言及されている。
最後の方に「カビのように」という表現があったが、これはたぶん私が「リゾーム」とか「クラスター」とか言ったことの意味がうまく伝わらなかったのであろう。
凱風館門人諸君、君たちは決して黴ではないよ。

生徒たちの激しい成績競争と画一化を押しとどめるために作り上げた学びの共同体凱風館

日本の知識人、内田樹氏 来韓講演、政府と企業の論理の虚構性指摘

合気道7段の元大学教授が差し出してくれた名刺には合気道の師範と凱風館の館長という肩書きが書いてあった。

日本の神戸市にある凱風館は内田氏が、定年退職後、つくりあげた小さな共同体である。
建物の1階は合気道場、2階は研究空間兼社交空間、3階はプライベート空間で、この建物の中で合気道の稽古から哲学のセミナまで様々なイベントが行われる。
6才の子どもから、学生、勤め人などおよそ200人がここを訪れる。

「この共同体の運営をどうするんですか?」と訊いたら
「え?運営ですか 」と 内田氏は 目が大きくなる。
「組織ではありません。ある種の生命体です」

日本を代表する大衆的知識人と言われるている内田樹(神戸女学院大学名誉教授;62)が我々に見せてくれる生き方と思想は独特である。

最近、韓国語で出版された<日本辺境論>(出版社:ガラパゴス)では、内田氏は、日本人は絶対的世界を中心においてどうやったらそこに近づいたり、遠ざかったりすることができるのかという考え方をもって行動する辺境人であると主張する。
この本は数多くの論争を起こしながらも日本で35万部以上売れた。
また<先生はえらい>(タンポポ出版社)は生徒と教師そして学びの通念をひっくり返す本である。

去る16日ソウルのハジャセンターで行われた内田氏の講演は、氏の生き方と思想をもっと理解することができる場であった。

講演の主題は、<呪いの時代を生き延びるち力>
このタイトルの本が日本ですでに出版されたそうである。
講演は、なぜネットが攻撃的で呪いの言葉が飛び交っている空間になってしまったのかという我々韓国人にも比較的慣れている問題意識からはじまった。
[私しかできない話をするときに、我々は非常に丁寧に言葉をつかうでしょう。それが固有の名前と身体を持っている話し手が使う言葉の特徴であります。]


[一方、ネットで飛び交っている暴力的な書き込みは誰が書いたのかその識別が難しいです。]

[その言葉づかいは匿名でありながら一方、ネットで飛び交っている暴力的な書き込みは誰が書いたのかその識別が難しいです。]


それは匿名であり、言葉の使い方も似ています。そういう言葉づかいをなぜするのかというと、それは自分と同じ言葉遣いをする人が何十万人いると思い込んでいるので、そういう攻撃的な言葉を発信することができると思います。
しかしそれは危険な考え方です。自分が言わなくてもだれかが同じことを言うことができると思うということは、結局は自分がいなくてもいいということです。
つまり、呪いの言葉を吐くということはその言葉を口にした本人の固有性を傷つけることです。
吐けば吐くほど、自分の存在の理由が] 空虚になってしまい、その無力感のせいでもっと破壊的な言葉を吐くようになる。悪循環ですね。

なぜこういう名前も顔も身体も無い人々が登場するのだろうか

内田氏は、政府も企業もみんな‘グロバール人材の育成’という名目の下、企業活動にどれほど役に立つのかを基準にして、規格化された人材を育てるのにみんな夢中になっているからだと指摘した。
“日本の若者たちは大学3年になると、同じへーアスタイルをし、同じ服を着るようになります。人と同じではないと仕事を求めることができないと思っているからですね。結果的に、お互いにどんどん似るようになり、いつでも交替可能な人間になっていきます。ですから、給料の値上げを要求すると‘君の代わりに仕事してくれる人はいくらでもいるよ’といわれてしまいますね。これはネット上の匿名性と本質的には通じる面があります。”

内田氏は、日本を代表とする企業が競争力が高くなっても、国民経済に役に立つ時代はもう二度と戻ってこないが、政府と企業そしてマスコミは相変わらず企業の論理だけを広げようとしているので、若者たちの総体的な規格化がエスカレート化されていると指摘した。

“日本の企業は核発電所の再起動を認めてくれなかったら、電気料金が高いから海外に出て行くと言っています。核発電の稼動によってまた起こるかもしれない危険など考えずに、自分の利益にならなければ、日本を捨てると軽々と言っているわけです。
国家戦略会議に参加していたある企業人は、いまの若者たちの大学の教育はいらないと言っていました。そうすると、海外に行かなくても日本で低学力でしかも賃金の労働者を確保できるからでしょう。“

内田氏は、自分が建てた凱風館がこういう総体的規格化に手向かう場であると述べた。

“若者たちがはじめて自分の固有の名前と固有の体で言葉を発することができるようにやってあげたいです。それを待ってくれるのが師の役割だと思います。
どれほど影響力があるかもしれませんが、現在起こっている社会の変化を食い止める方法はこれしかないと思います。実際にストリートで反原発運動が増えることによって、ネットで飛び交う呪いの言葉が少なくなっています。“

内田氏は、講演の次の日、インタビューで現在の韓国で深刻な問題になっている校内暴力(おもに生徒同士の暴力)など、韓国社会が病んでいるいろいろな問題に関してもっと具体的な意見を述べた。

“学校の問題は教師と生徒の問題ではなく、学校を取り巻いている社会が何を求めるいるのかの問題です。今は能力のある人が文化資本などをたくさん取るのが
フェアで、人間を競争に追い込むとその能力を発揮できるという考え方がメインストリムになっている。
勿論、スポーツ競技のように短期間的に目標がちゃんと立っている状況では、競争は効果がありますね。しかし、人は誰でも一生の間にはそういう競争には耐えられません。

内田氏は、特に子どもたちを競争に追い込むとかえって学力低下が生じると述べた。“一人で学力を高めることと、まわりの子どもたちの学力を落とすこととは同じ効果をもたらします。
ですから、子どもたちは生まれつきの知的な意欲で勉強に頑張るよりも授業の時に私語をしたり、学校と教師は間違っているといううわさを流したりしながら、他の子どもたちの学習意欲を落とす工夫をしています。
そういう活動の極端的な形がいじめです。
いじめの対象は誰にもなれます。全員が スケープ-ゴートになり、全員の生命力を落とすことになります。

内田氏は、いまの学校システムを批判するよりも、人々が様々な学びの共同体を自ら作っていくべきであると述べた。

凱風館を訪れる人々は自分なりの共同体に所属しています。

そういう人たちが自分が所属している共同体に戻って、化学反応を起こし、新たなグループが作りあげられると、それが水平的に広がっていくでしょう。
変なたとえに聞こえるかもしれませんが、カビのようにですね。

恐らく、春の日、南から吹いてくるそよ風が凱風が意味するものであろう。