米軍のフィリピン移駐について考える

2012-07-22 dimanche

これまでもアメリカの西太平洋戦略の転換を論じるときには必ず触れたことだけれど、1991年、フィリピン政府は米軍基地の存続を図る米比友好安全保障条約の批准を拒否し、植民地時代から一世紀近く駐留した在比米軍は翌年末までに全面撤退した。
米軍撤退に至るにはさまざまな国内事情があったが、「米軍基地の撤収はフィリピンの真の独立の第一歩」という、アメリカの軍事的属国状態からの脱却志向があったことが第一の要因であることは間違いない。
1987年に独裁者マルコスが倒されたあと、当時のコラソン・アキノ大統領は、新憲法を制定し、そこには「外国軍駐留の原則禁止」がうたわれていた。
米軍の海外最大の基地であったクラーク空軍基地、スーヴィック海軍基地はこのときフィリピンに返還された。
外交条約である以上、いくら「かつての植民地」とはいえ、かりにも主権国家内に政府の同意なしに基地を置き続けることはできない。
もちろんこの安保条約批准拒否をアメリカは喜ばなかった。以後20年、憲法の規定は現在もそのままだが、すでにアメリカはさまざまな例外規定の抜け穴を通って、フィリピンへの再駐留を進めている。
日本と同じように、フィリピン内部にも親米派と対米自立派のあいだには激しい確執がある。
コラソン・アキノは対米自立を志向したが、続く親米のラモス政権は、ラモス自身がウェストポイント陸軍士官学校の卒業生ということもあり、何より中国が南シナ海の南沙諸島へ露骨な領土的野心を示したことに強く反発して、米軍の再駐留へ向けて動き出した。
米軍の恒久的な駐留は憲法違反になるので、アメリカ軍は「訪問米軍」というかたちで断続的にフィリピンを訪れているだけで常駐はしていないことになっている。(「半年の訓練後、一日のインターバルを置けば、次の半年の合同演習は再開可能」というふうに地位協定を解釈したので、同一兵員は366日のうち365日フィリピンを「訪問」できる)。
2001年9・11によってフィリピンへの米軍回帰運動は一層加速した。
フィリピンもまた国内ミンダナオ島にイスラム系ゲリラを抱え、その掃討戦に消耗を強いられていたからである。
「テロとの戦い」という旗幟の下に米比両国は急速に接近していった。
また、中国がフィリピン領海や排他的経済水域を国内法に依拠して「自国領」と主張し、侵犯を繰り返し、船員を拿捕するといった軍事的威嚇行為を繰り返したことも、フィリピン国民の「米軍復帰」を歓迎する気分を盛り上げている。
という流れを簡単にご紹介したのは、実はこのフィリピンへの「米軍回帰」と沖縄の基地問題が密接にリンクしているからである。
米軍が西太平洋戦略の見直しを進めている最大の理由は「金がない」ということである。
「米統合参謀本部議長のマイケル・マレン大将は、アメリカの国家安全保障にとって何が最大の脅威だと思うかと聞かれて、連邦政府の赤字だと答えた。」(2011年7月25日、『ファイナンシャル・タイムズ』電子版)
米軍の西太平洋戦略の再編の基本ルールは「最低のコストで、できる限り高い軍事的パフォーマンスを果たしうる布陣」である。
先方が「コスト」と「効果」のバランスを考えて、さじ加減をしているせいで、私たちの眼から見て「アメリカはいったい西太平洋で何をしようとしているのか」がさっぱりわからなくなる。
いわゆる「米軍再編」(transformation)はソ連崩壊による「東西冷戦モデル」から、9・11以後の「対テロモデル」への軍略の変換に伴う制度設計そのものの書き替えである。
単に「仮想敵が変わった」とか「兵器や輸送手段が高度化した」というだけなら、机の上でちゃっちゃっと設計図を書けばおしまいだが、実は「在外米軍をどこに駐留させるか」という頭の痛い問題がある。
駐留先をどこにするかを決めるときに関与する非軍事的ファクターは「どれほど反米感情が強いか」と「どれほど金がかかるか」である。
フィリピンがわりとあっさり放棄された理由の一つは「けっこう金がかかる基地」だったからである。
1946年独立以来、フィリピン政府は巨額の軍事・経済援助を受けてきた。最大の名分は「基地使用料」である。これは巨額の財政赤字を抱えるにアメリカにとって無視できないほどの財政負荷になっていた。
沖縄にアメリカが固執するのは、現地の激しい反基地運動にもかかわらず、日本政府が法外な「在日米軍駐留経費」を負担して、アメリカの財政負担を軽減していることにある(2010年度で総額7000億円)。
日本国内では、つよい反米感情に遭遇することもない。
沖縄でも、反基地感情はつよいが、基地の外に出た米軍兵士が間断なく罵倒や暴行に警戒しなければならないということはない。
そういう点で、日本はアメリカ軍にとって、二重の意味で「居心地のよい」駐留地なのである。
しかし、軍略上の重要性で考えると、沖縄はあくまで「東西冷戦構造における対ソシフト」の一環であり、中国との軍事対立に備える基地としては「近すぎる」。中国の中距離ミサイルの射程内だからである。
だから、できることなら、沖縄以外のところに移したい。
でも、金がない(海兵隊のグアム移転費用を含んだ軍事予算案はアメリカ議会で否決されてしまった)。
だから、「金がかからない」で、かつ「軍略上有効」な場所はどこかということが再編の軸となる。
沖縄にぐずぐずいるというのも、悪いソリューションではない。
沖縄に居座る限り、日本政府からはいくらでも金が引き出せるからである。
もめればもめるほど、金が出てくる。
それはわかっている。
問題は、日本を西太平洋の軍略のキーストーンに設定した場合に、批判の矢面に立って、アメリカにとって都合の良い政策を実行できるような「豪腕で、かつ国民的人望のある政治的リーダー」がいないことである。
それどころか、政権交代で首相になった最初の人物はあからさまな対米自立派で、「基地はできれば国外」というようなことを言ってしまった。
彼が引きずり下ろされた後には、あれこれとアメリカのご意向を忖度してくれる親米派の政治家官僚が出てきたが、これもひたすら忠義面をしてへこへこしているだけで、表舞台に出て、矢弾を浴びながら、「基地問題についての日本の立場」を内外に公言し、説得できるほどの度胸も才覚もない。
属国が従属的であるのはけっこうだが、あまりに従属的になりすぎて「使いものにならなくなった」というのが現在のアメリカ政府の日本理解だろうと思う。
いったい、誰と話をつければ、ものごとが前に進むのか、今の日本を相手にしているともうわからない。
野田さんが必死になって「政治生命をかけている」のは、個別的な政策ではないのだと思う。
そうではなくて「私が日本の代表者です。政府に用事があるひとは、他の人じゃなく、『私に』話をしてください」というアピールに政治生命をかけているのだと思う。
総理大臣が政治生命をかけて訴えているメッセージのコンテンツが「私が総理大臣です」ということであるというのは、たしかに末期的な光景である。
一方、フィリピンからは「早く来てくれ」と官民挙げてのつよい要請が来ている。フィリピンは日本のようにじゃんじゃん金を出してくれるわけではないが、スーヴィック湾という天然の良港があり、20年前からの米軍基地がそのままに残っている。もともとアメリカの植民地だからみんな英語を話せる。とりあえず一度は「アメリカ軍は出て行け」と言った国だし、今でも「米軍駐留は憲法違反だ」と噛みつくような外務官僚がいたりする。それだけ「骨」があるから、交渉相手になるぐらいの人物はいる。押すにしろ、引くにしろ、勝負をする相手がいる。
鳩山総理が自民党政権下の日米合意を覆して、「国外に」という要望を伝えたことの背景について、加治康男さんはこう書いている。
「鳩山由紀夫元首相の脳裏には、口外できないスービックの名が間違いなく浮かんでいたはずだ。なぜなら、2009年の政権交代で民主党と連立した国民新党の下地幹郎幹事長(衆院議員・沖縄選出)こそ在沖米軍の比移駐に10年近く直接関与してきた“仲介人”であるからだ。」(「グアム移転見直しで浮上する米軍のフィリピン回帰」、『世界』2012年6月号、143頁)
上に書いたようなフィリピン移駐が米比両国で進んでいるという情報を、私はこの記事ではじめて知った。
でも、普天間基地がスタックしている背後には、「そういうこともあるかもしれない」と思う。
そして、たぶんこの後アメリカは西太平洋の軍略上のキーストーンをフィリピンに移すことになるだろうと思う。
日本からアメリカの基地が撤収することはうれしいことだが、その理由が「主権国家から『出て行ってくれ』と言われたから」ではなく、「従属国があまりにだらだらで、まともな交渉相手になれる人間がいないから」であるとすれば、まことに情けない。