大学における教育-教養とキャリア

2012-04-06 vendredi

去年の11月に追手門大学の建学45周年行事にお招き頂き、記念講演をしました。
そのときの講演録が活字になって配布されました。
手元にはデータが残っていましたので、ブログでご紹介致します。
だいたい「いつもの話」なんですけど、ところどころ「新ネタ」もあります。


はじめに
僕が第一回目の講師だということで多少不安に思っています。僕は3か月前まで大学教師だったのですが、今では大学のことを忘れつつあります。今日は「大学における教育」というテーマですので、記憶が残っているうちに語ることができればと思います。
この3か月で「あなたは変わった」と周囲の人に言われる機会が増えました。「以前はもう少し節度があった」そうです。当時は神戸女学院大学という看板を背負っていたため、自制していた部分も多かったのです。看板がなくなった途端、気楽になってしまい、各所で「言いたい放題」になっています。組織の中の人間は気づかぬうちに重たいものを背負って自己規制しているのだなあということを実感しています。そういう節度がなくなってきておりますので、あるいはお聞き苦しい点もあると思いますが、その場合は、どうぞご海容ください。

日本の教育の現状
今日頂きましたのは「教養とキャリア」というテーマです。
まず話の前提から確認したいと思います。
日本の教育は、初等教育から大学に至るまで、すべてがあるピットフォール(落とし穴)に嵌まり込んでいるように思えます。そこから抜け出すには、もう少し大きな視点で、日本の教育を世界の教育と比較し、それと同時に日本の教育史の中で、日本の近代教育の50年間の変化を比較すべきだと思います。空間的な広がりと時間的な広がりの両方の観点から、日本の高等教育を考える。狭い視野で考え、短期的に成果が出るような教育改革にのめり込むと、さらに深い落とし穴に陥ってしまう恐れがあります。

新聞記者とのやり取り
このピットフォールに大学だけではなく日本全体が嵌まり込んでいる、そんなふうに思えます。 その思いを強くしたエピソードを紹介します。今朝、ある新聞社から取材依頼の電話がありました。「3月11日の震災以降、我が社の震災や原発関連の報道に関して、読者から『官邸・東電の発表をそのまま伝えているだけの大本営発表ではないか』という批判が非常に多い。これについて検証記事を書きたいので、識者のコメントとして一言欲しい」というものでした。それに対して僕は20分間、電話口で言いたい放題言わせていただきました…(笑)。以下のような話です。

僕は実は3か月前からその新聞社の紙面審議委員をしているのですが、紙面審議委員は各新聞を比較するのも仕事のうちですから、そのため毎日(日経、毎日、朝日、読売の)4紙を読み続けています。しかし、震災・原発関連の報道に関しては、日経新聞を除く3紙には特段の違いが見られません。どこも同じことが書かれている。「大本営発表」と批判されるのは、官邸や東電がプレスリリースしたものをそのまま無批判に載せていることではなく、各紙がそれについて同じことを書いていることが問題なのです。分析、解説、社説まで同じでは、それぞれの新聞の存在理由がありません。
 浜岡原発の操業中止についても、菅首相が操業中止を要請する前日まで、「問題はあるが、原発は必要だ」ということを官邸、財界、電力会社もメディアも言っていた。それが、一夜にして「浜岡は操業中止すべきだ」に論調が変わってしまいました。政策についての判断が変わることは構いません。でも、これだけ多くの人々が、立場の違う人たちが、重大な政策決定に関して一夜で同じ方向に方向転換するということは、何らかの外力が働いたのでは、と考えたくなる。
 インターネット上では、この決定に関して「米軍からの強い要請があったのではないか」という推測が当然ながら上がっていました。浜岡原発は横須賀にある第7艦隊の総司令基地から150キロしか離れていません。浜岡原発で事故が起こり、基地機能に支障が起きるとアメリカの西太平洋戦略全体に強い影響が出る。これは確かにその通りでしょう。だとすれば、アメリカから日本への基地機能にかかわるような原発の操業について慎重な対応を求めてくるというのは、かなり蓋然性の高い推論です。インターネット上では、このような噂が多数出回っていました。
これらは「流言蜚語」と言ってよいと思います。論拠がなくて、推理しているだけなんですから。でも、蓋然性はある。それに対して、責任あるメディアなら「このような流言蜚語がネット上に行き交っているが、それは違う」という発言をなしてもよいのではないか。
少なくとも前述のように、説得力のある推理が政府の重大な政策決定に対して語られていた場合、メディアの側だってそれを知っているなら、それに関してコメントしてもよろしいのではないか。そう申し上げました。
このような推論はそれほど不適切ではない。米軍は日本の原発の安全性に対してつよい関心を持っていて当然です。アメリカの国益を守るという立場から、日本政府に対して何らかの要請をしてきたということはありうるわけで、だとしたら、そういう情報の裏を取る必要があるのではないか。
さらに、平田オリザさんが韓国での記者会見で「福島原発で放射能汚染された海水を海洋に投棄したのは、アメリカからの強い要請があったからだ」という発言をしました。翌日に官邸から強い抗議があった。枝野官房長官は「平田氏はそのようなことを知る立場ではなかった」と述べ、平田さん自身も「そのようなことを知る立場にはなかった」と述べていました。
でも、これは変な言い方ですよね。「そのようなことを知る立場にはなかった」という言明と「僕の発言は嘘です」という言明では、レベルがまったく違う。
しかし平田さんは、鳩山内閣以来の内閣参与です。ただの一般人ではない。頻繁に内閣に出入りする機会はありますし、「バックステージ」で取り交わされる会話を耳にするということだってなくはない。平田さんはですからその伝聞の真偽に関しては否定していない。嘘をついたとも言っていない。ただ、「そのようなこと」を公式に知らされる立場ではなかったと言っただけです。ということは、非公式には知れる立場にあったということでしょう。だとすれば、官邸の周辺で「ここだけの話」という枠組みの中ではあれ、アメリカの原発事故についての関与についてさまざまな話が現に語られていたということです。
このような「さまざまな話」をメディアは検証しなくてよろしいのか。永田町の政局の話だと、嘘かまことかわからないような「さまざまな噂」を熱心に報道して、その真偽をうるさくかき立てるメディアが、どうして、こういう話に対してはまったく関心を示さないのか。僕はこの関心のなさがむしろ気になる。
そのほかにも、同じ内閣参与だって、松本健一氏も首相の失言をリークした。後で否定しましたけれど、一般市民は「たぶんそういうことをほんとうに言ったんだろう」と思っています。首相が言いもしないことを「言った」としらじらと嘘をつくような人物を首相官邸が参与として招くはずがない。
僕は一般から登用されて官邸に近い人たちが「うっかり」漏らしたことはおおすじで真実だろうと僕は思っています。政治家であればごまかすでしょうが、素人は別に嘘をつく必要がない。だから、ただ、聞いたことを言った。その発言の政治的な影響を十分考えなかったのは、彼らが素人だからです。そして、素人は自分の発言の政治的影響力をあまり過大評価しない。だからこそ、僕はその発言が真実である可能性が高いと思っています。でも、平田発言については、何も続報がなかった。僕は真偽が知りたかったのに、それで終わりだった。ですから、電話で訊いていた記者に「あなたの新聞社の記者は、平田発言について、裏を取りましたか?」と訊ねました。「いない」という答えでした。これはおかしいと思う。「確かに記者が平田発言について取材したいといっても、上層部からやめておけと止められることはあるかも知れない。また、実際に裏を取ったとしても、うかつには記事にはできないかもしれない。でも、記事にしないにしても、取材だけはしておくべきでしょう。編集会議でこの件について取材をすべきだ、裏を取るべきだという提案はなかったか」尋ねました。「なかった」そうです。
しかしそれでは、読者の要請に応えていないでしょう。読者は個別的なイシューだけではなく、それがどういう文脈の上で起きているのか、そのコンテクストを知りたいのです。
僕たちが知りたいのは、「日本列島の原子力政策に対するアメリカの中長期的な政策はどのようなものか。そして彼らはアメリカの国益を最大化するために、今後、どのように日本の政策に関与し、世論を導こうとしているのか」ということです。これはきわめて緊急性の高い論点であるはずです。
でも、僕はこの3か月間、このような問いの立て方で記事を、どの新聞でもついに一度も見ませんでした。「アメリカは対日原子力政策をどのような方向に持って行こうとしているのか」というのは日本が原発処理の対応策を起案する上で、どうしても無視することのできない情報でしょう。だったら、それをじっくり推理する連続記事があってもよい。読者はそれを知りたがっているんだから。でも、新聞はそういうことは書かない。

横並びになっているメディア
だから、僕はそういうことはどこかから政治的圧力がかかっていて書けないのかと思った。そう訊いてみました。でも記者の回答は意外にも、そのような政治的な圧力はどこからもかかっていない、というものでした。彼が嘘をついていないことは、口ぶりからわかります。むしろ、そんなことを訊かれてきょとんとしていた。「政治的圧力なんかありませんよ」というのを聴いて、僕は逆にそのことにメディアの弱さを感じました。新聞社側が勝手に自粛しているんですよ。というより、そもそもそのような問題があるということが意識に上がっていない。
これは極めて深刻な事態ではないでしょうか。日本の新聞が駄目になっていると言われる原因はここにあると思う。どの新聞も、ほかの新聞と違うことを書かないようにしているんです。
複数の新聞が存在している理由があるとすれば、それは、新聞ごとに同一のイシューに対する取材の仕方、切り口、評価、分析、世論をリードする方向が違うからでしょう。一つの問題について、複数のアプローチが示されてはじめて目の前にある問題が立体感を持ってくる。世界や日本の出来事をほんとうに理解したいと思ったら、単一の視点からではなく、複眼的に見ることが大切なのは当たり前です。
違う情報源からニュアンスの違う情報を取ってくる複数のメディアが併存しているからこそ、僕たちは問題を立体視することができる。そのために、ジャーナリストは「いかにしてほかのジャーナリストも見ているものから、ほかのジャーナリストが見ていないものを見出すか」を競うべきなのです。でも、そういう野心を今のジャーナリストに見ることはむずかしい。

思考停止に陥るメディア
昨日(7月6日)、松本復興相が暴言により辞任しました。これにはいくつもの興味深い、兆候的な事例が含まれています。
一つは、ほとんどの新聞が岩手県庁、宮城県庁における松本大臣の暴言をベタ記事で報道していた点です。「県庁を訪問し、このような意見交換をした。知事を激励した」というだけの記事。何の事件もなかったように書かれている。ただ、朝日新聞だけは「かなり厳しい発言があったため、来週以降野党から追求があるだろう」と踏み込んだ内容を書いていました。その後、テレビで県庁での大臣と県知事とのやり取りが放映されて、一気に世論に火がつきました。被災地を中心に、大臣への批判がわき上がった。そして、またしても一夜にして「大臣は辞めるべきだ」という社説を多数の新聞が書き立てた。大臣が暴言を吐いたのは一昨日のことです。第一報ではそれを無視し、人々が気づいて騒ぎ出したら、世論の流れに棹を差さなければということで、「皆と同じこと」を社説に書いた。
これは新聞としては自殺行為だと思う。新聞は「社会の木鐸」でしょう。皆があちらを向いている時に「いや、そっちじゃない。こちらを向け」という指南役を期待されているんじゃないですか。でも、今の新聞はそうじゃない。世論があちらを向いていると、昨日と意見を変えて同じ方向を向こうとする。
それに、松本大臣の発言における最大の問題は「オフレコ指令」でした。「今の最後の発言はオフレコだから、発表するな」という恫喝があった。
面白いことに、「最後の発言」というのは知事に対する「頑張れよ」というものだったのですが…。この「頑張れよ」にいったいどのような政治的に重大な意味が含まれていると思って彼はオフレコを指示したのか。
従来「オフレコ」という取材方法は、政治家と担当記者の間ではよく使われます。「オフレコ」の情報は、実際に紙面には書けない。でも知っておくと、今起きている政治的な状況の意味がわかる。その情報を知ることで、記者はより正確な報道を行うことができる。その結果、読者も利益を得られる。結果として読者が今起きていることについて正確な理解を得られるなら、その過程で一部の情報が「オフレコ」にされることがあっても構わないと僕は思います。算盤勘定が最後に合えば文句はない。
でも、今回の事例では、そのことを報道しないことによって得られるより質の高い情報というのは、どこにもない。知事に向かってえらそうに言った「頑張れよ」をオフレコにするということに何の意味があるんです。「頑張れよ」という発言を報道しても政治家にとって何の支障もない。問題は、そもそも報道し、記事にすること自体に意味がないようなステートメントについて、政治家が「これはオフレコだぞ」と命令できるということなんです。無意味なステートメントについて「これをオフレコにしろ」とメディアに向かって命令する。それが無意味であればあるほど、この政治家のメディアに対する権力的な優位性は強まる。そういうものですね。権力者というのは無意味なことをさせることができるから権力者なんです。命令することがすべて理にかなっていて、筋が通っているなら、そんな人はどれほど強大な権限を持っていても、権力者とは言われない。
松本復興相という人は、無意味なことをべらべらしゃべって、最後に「この場のボスは誰だ?オレだよな?」ということをその場にいた全員に確認した。無意味な発言について「これはオフレコだぞ」と言ったのは、内容が秘匿すべきことだったからではありません。そうではなくて、「ある発言を報道してよいかよくないかを決定する権利はオレに属し、報道する記者にはない」ということを言ったのです。彼は「誰がこの場のボスであるか」を確認した。そして、全員が「あなたがボスです」と返事したのだと思って、納得して立ち去った。
このような場面で、新聞記者に「ふざけたことを言うな」と政治家に向かって怒鳴りつけろとまでは言いません。でも、気分が悪くなった、というくらいの反応はあって然るべきじゃないんですか。「あの男が操っているロジックは何を意味するのか?彼はこのような無意味な行動をすることによって何をしたいのか?」というくらいの問いに一歩踏み込んでも罰は当たらないんじゃないですか?でも、新聞記者たちはそんな面倒なことは考えずに、思考停止した。
でも、翌日に、テレビで流れた映像からから大臣へのバッシングが始まると、それに乗じて新聞もバッシングを始めた。どうして一夜にして事件の評価を変えるのか。その場で何が起きていたのか、現場にいた記者たちは見ていたわけでしょう。それが「事件性はない」と判断しておきながら、テレビが騒ぎ出したら「事件性がある」ということに評価を変えた。これは恥ずかしいことだと思う。それが恥ずかしいことだと感じていないことがもっと恥ずかしい。

加藤嘉一氏との対談を通じて
昨日、あるビジネス雑誌の企画で、加藤嘉一氏との対談がありました。彼は僕の書いた『街場の中国論』を読んでたいへん共感したそうで、今回の対談が行われました。非常に聡明な青年で、高校卒業と同時に北京大学へ入学し、大学院へ進み、修士課程を卒業し、27歳となった現在は中国のメディアで活躍しています。彼を紹介したジャーナリストは「日本人で一番胡錦濤に会った人」だと言っていました。彼は2008~9年ごろからブログをはじたのですが、累計アクセス数は約5400万だそうです。すごいですね。その他、香港系のメディアを通じて、ツイッターをしているのですが、フォロワーが約61万人いるそうです。中国ウォッチャーは中国嫌か、中国ひいきかどちらかに偏る傾向がありますが、彼は非常にバランスがよい。中国のこの点はよいが、この点はよくないと、判断に曇りがない。
彼は8年間中国に住んでいるそうですが、日本に帰ってくると、中国の若者と日本の若者はまるで別人種のように感じるそうです。日本の若者は中国の若者が「思考、表現の自由、集会結社の自由など、さまざまな面を規制され、非常に不自由な人生を送っている」と思っている。それに引き比べて、日本の若者の方がずっと自由だ、と。でも、加藤君に言わせると、むしろ逆で、日本の若者の方が檻に閉じ込められているように見えるんだそうです。
中国の若者たちはたしかにある意味ではずいぶん自由奔放です。加藤君によると、中国にある実質的な規制は一つだけで、それは「現在の共産党独裁の統治体制については文句を言わない」それだけ。それさえ守っていれば、それ以外のことについては何を発言しても構わない。
もちろん、共産党支配に対する不満は実際はインターネット上に溢れています。ですから、フェイスブックやツイッターといったネットによるコミュニケーションに中国政府は警戒心を忘れていない。でも、加藤君によると、政府が目を光らせているということは、逆に言えば、いかにインターネットに力があるのかを物語っている。
なにしろ、今の中国の国家予算の中で「治安公安経費」が突出して高額なのだそうです。軍事費より多い。そして、この治安公安経費のほとんどは、ネットの調査に使われているんだそうです。ネット上に出る「不都合な情報」を細大漏らさず点検し、一つ一つ潰していくためだけの仕事に数万人という人が雇用され、24時間体制で働いている。彼らの給料を払うため、巨額の予算が組まれているのです。ネットの監視にそこまでの国費を投じるということが、ネット上の発言の政治的影響力の強さを逆に示している、というのが加藤君の見解でした。
そう言われて振り返ってみると、日本の若者たちのネット上の発言を政府が真剣に監視しているということはほとんど考えられない。たしかに政治的な自由は日本の若者には保証されている。けれども、真剣な政治的議論が交わされるわけではないし、その意見が政策決定に反映されるチャンスもない。そもそも統治者が若者たちの政治的意見に何の関心も持っていないのであれば、政治的自由なんかあっても事実上は無意味だということになる。だとしたら、日本の若者は政治的自由を謳歌し、一方中国の若者は政治的に不自由だとは言えないのではないか、というのが加藤君の見解でした。そう言われて、なるほどと思いました。
中国の若者の中には、何十万人、何百万人というフォロワーを持つネット上の発信者がたくさんいます。彼らは毎日そのときどきの政治的トピックについて発言し、そうやって中国の状況に影響を与えている。これを「政治的自由」と呼ばずして何と呼ぶべきか。

日本人の「横並び主義」
そういう話をしているときに、対談に随行していた若い記者が最後に「日本の若者がこれからどう生きたらよいのかについて、一言簡単にまとめをお願いします」と言ってきました。僕はついかっとなって、「それがダメなんだよ」と説教してしまいました。
どうして、簡単に「正解」を求めるのか。誰かが「こうすればいい」と言うと、あたりをきょろきょろ見回してみて、何となく「それでいいんじゃないか」というような雰囲気になれば、一斉に「じゃあ、それで」ということになる。そういう日和見的な態度こそが日本の若者たちを非活動的にしている、という話をしているときに、「日和見主義的な態度から逃れるにはどうしたらよいのですか」と訊いてくる。訊いてどうするです。
メディアそのものがつねに「マジョリティに支持されるソリューションを差し出さなければならない」と思い込んでいる。
ちょっとメディアの人に意地悪して、こう質問しました。「あなたたちの雑誌が若者に提示している典型的なサクセスモデルっていうのは、アメリカに留学して、MBAを取って、外資系の企業に入社し、独立して起業して、財を成す…というものですよね」と尋ねました。彼がうなずいたので、僕は「そういうのを定型と言うのだよ」と申し上げました。
もちろん、そのような生き方をする人もいるでしょう。でも、なぜそんなものをあたかも究極のサクセスモデルであるかのように喧伝するのか。メディアがそのように「成功者とはこういうものである」というふうに生き方のバリエーションを限定すればするほど、若者たちは希望をなくしてゆく。英語ができなくても、親に留学させるだけの資力がなくても、金儲けに興味がなくても、たちまちこのサクセスモデルからは脱落してしまう。メディアがほんとうに日本の若者には元気がないと思っていて、何とか希望を与えたいと思うなら、やるべきことは「これがサクセスモデルだ」という定型を示すことではなくて、「人間、いろいろな生き方があります。十人十色です。みんな自分がほんとうにやりたいことをやりましょう」とアナウンスすることでしょう?
もちろん、若者向けメディアも「いろいろな生き方」を提示してはいます。個性的な生き方をしている人たちを紹介する頁が必ずある。でもね、これが悲しいほど定型的なんです。「脱サラして妻と二人でおしゃれな山荘を経営して、こだわりの料理を出している」というようなのばかり飽きるほど見てきました。どうして定型を脱するときにも、この人たちは定型のままなんだろうと絶望的な気分になることがあります。でも、しかたがない。「これが定型からはずれた、おしゃれで個性的な生き方だ」という雑誌の特集を見て、「おお、これはいいな。オレもやろう」と真似する人が出てくるから、そういうことになる。ドロップアウトの仕方まで定型に従おうとする。ほんとうに個性的な生き方をしている人間は今のメディアには出てきません。メディアのアンテナがそういう人は探り当てられないんです。でも、ほんとうはそういう人たちのはげしく個性的な生き方を見せてあげることが若者たちにとってはいちばんの励みになるんです。「なんだ、こんなふうにしてもいいんだ」と思えると、人間はほっとする。メディアがほんとうに若者の不活動的傾向を何とかしたいと思っているなら、どうすれば若者たちがまわりを気にしておどおど怯えなくて済むように定型から解放してあげることが第一の仕事なんじゃないですか。

グローバルという名のローカル
そうしたら、今度は「日本の若者は内向きなんですよね」という話になった。そういう「内向き」というような定型句で括る習慣からどうやって逃れるか、という話をしているときなのに。だから、その記者に「内向き」の反対語を訊ねてみました。すると、「グローバル」ではないかと答えました。
なるほど。これは興味深い答えですね。「内向き」の反対は「グローバル」。でも、これこそまさに定型の極致と言うほかないと僕は思います。
「グローバル」な人間の条件というのは、簡単に言ってしまうと、「英語が話せて」「高い収入を得ている」の二点だけです。それを満たしていれば、グローバル。なんですか、これは。
イギリス、アメリカが二世紀続けて世界の覇権国家であったという歴史的条件ゆえに、今の世界では英語が国際共通語となっています。最強の覇権国家であるアメリカは大変特殊な建国理念を以て制度設計された国ですが、その制度が採用したローカルな基準が、たまたま今は「グローバル・スタンダード」と呼ばれている。世界最強国のルールですから、さしあたり他の国はそれに従うしかない。でも、それでも、結局はテンポラリーなものに過ぎない。いずれ何十年か後には廃用されて、別のルールに取って代わられる。
英語が国際共通語になってからまだそれほど年月が経ったわけではありません。少し前まではフランス語、ドイツ語も国際共通語だった。1970年代の国立大学の理系で一番履修者が多かった第二外国語はロシア語ですよ。もう誰も覚えていないと思いますが、その頃、自然科学分野の一部ではロシアが世界のトップランナーだった。ですから、自然科学をやる学生たちにとっては、ロシア語が英語に並ぶリンガフランカだった。そんな時代があったのです。米ソの東西冷戦期に、ソ連が極めて高度な科学技術を持ち、宇宙開発競争でもアメリカより一歩先を行く最先進国だったからです。そのような時代には、世界の最先端の論文を読むためにはロシア語が必要だった。でも、もうみんなそんなこときれいに忘れてしまいました。でも、英語にだって同じことが起きるかも知れない。
「どのような外国語が国際共通語になるか」ということは、ほぼ100パーセント歴史的条件に依存しています。そして歴史的条件である以上、それは次々と変化する。当然のことです。ですから、今「グローバル」という言葉が指しているものは歴史的には局地的・一時的な現象に過ぎない。
日本の政治家や官僚たちは、すべての国民国家がまったく同じようにグローバルな経済競争を戦っているというふうに国際関係をとらえている。でも、それはずいぶんシンプルな国際関係理解です。
アメリカと中国と日本の3国を並べて見ても、政治単位としてしてはそれぞれ一つとして数えられるけれど、国としての成り立ちも、ありようも全然違う。「国際連合の加盟国」とか安保理の票数といったレベルでとらえると、一国はどこも一国にも思えますが、そうではありません。
中国は4000年前から中国です。まるで自明のことのように「中国のような発展途上国は…」というようなことを言う人がいますが、そういう人は中国が世界最初の文明が生まれた、世界で最も先進国な都市国家だということを忘れている。アメリカは250年前にできたばかりの国です。それもプロテスタントの移民たちが理想的な福音国家を作ろうと精密な制度設計をした上で建国された国です。日本列島にはいつのまにか人が住み着き、国家ができたのはずっと後ですし、近代的な国民国家になったのはわずか150年前です。どれも成り立ちが全く違う。それを統一のグローバル競争のパートナーであり、どの国も「要するに金が欲しいのだ」とみくびるのは危険なほど射程の狭いものの見方だと僕は思います。

真の「国際性」とは
2003年に文科省は「英語が使える日本人」という行動計画を出しました。そのホームページには次のように書いてあります。
「経済、社会などのグローバル化が進展する中、子供たちが21世紀を生き抜くためには、国際共通語となっている英語でのコミュニケーション能力をつけることが必要であり、このことは、子供たちの将来のために、我が国の一層の発展のために、非常に重要な課題である。その一方現状では、日本人の多くは英語が十分でないために、外国人との交流で制限を受けたり、適切な評価が得られないといった事態が生じている。同時にしっかりした国語力に基づき、自らの意見を表現する能力も十分とはいえない。」
ひどい文章ですね。まずは、これを書いた人の国語力をなんとかして欲しいけれど、それはいいです。それ以上に由々しきことがここには書いてあります。
第一に、「経済、社会などでのグローバル化が進展している」とあります。それがすべての問題の前提条件になっている。でも、たいせつな視点が抜けている。「政治」が抜けている。
今、僕たちが理解しなければならないのは「政治のグローバル化」あるいは「グローバル化した世界における政治」はどのようなものかということなのです。経済競争や文化交流するより前に、いったいどのような国際政治的な文脈の中にわれわれはいるのか、ということからコミュニケーションの問題は開始されなければならないのに、文科省は「政治」に関しては無言を貫く。むろん、「歴史」についても一言も語らない。われわれはどういう場所に立っていて、何をしようとしているのかを抜きに、一国の外国語教育の基本戦略が立てられるはずがない。にもかかわらず、それについての言及がここには一言もない。あるのは「ビジネスの話」だけです。ビジネスのグローバル化が進行している。このメガ・コンペティションを勝ち抜くためにはとにかくたくさんお金を稼ぐことが重要である。そのために英語のコミュニケーションは必須だ・・・というふうに話は進む。金儲けより先に国としてなすべきことがあるのではないかという発想がここには全くありません。
「その一方で」以下にも腹が立ちました。「日本人の多くは英語が十分でないために、外国人との交流で制限を受けたり、適切な評価が得られないといった事態が生じている。」
これはきわめて不公平な言語状況です。何よりもまずそのことに「腹を立てる」ところから始めるというのが常識的な態度ではないんですか。
今は覇権国家の国語である英語が国際共通語である、だから、英語を母語としている話者は政治でも経済でも学問でも、あらゆる分野でアドバンテージを得ている。非英語圏の人間は英語ができないというだけで「適切な評価が得られない」というハンディを背負わされている。これは言語状況としては端的に「アンフェア」です。けれども、それが現実である以上、たいへんに悔しいことではあるが、この不利なルールでゲームをする他ない、というのがまず国民国家としての最初の立場ではないんですか。
もし戦前に、日本が植民地支配している地域で、現地人の教育官僚が「日本語でのコミュニケーション能力をつけることが、子供たちの将来のために、我が国の一層の発展のために、非常に重要な課題である。その一方現状では、わが国民の多くは日本語が十分でないために、日本人との交流で制限を受けたり、適切な評価が得られないといった事態が生じている」というようなステートメントを国民に向けて発令していたら、僕たちはどう思うか。たぶん、にやにや笑うでしょう。おお、がんばって日本語勉強して、オレたちにもわかるようにしゃべれるようになってくれよ(使い易いから)、と。文科省のHPを読んだ英語話者たちはたぶんそう思っている。そして、日本人が百年やっても英語を母語のように話せるようにはなれない。それまではあらゆる分野で英語話者のアドバンテージは揺るがないと思って安堵している。
僕はリアリストですから、「それが現実だ」ということは受け容れなければならないと思います。でも、「これは差別的で、勝者を固定化しようとするアンフェアなゲームだ」という客観的な判断は譲るわけにはゆかない。文科省が国民教育を担う部局であるなら、まずこの「国民的なハンディに対する怒り」の表明から始めるべきではなかったんですか。
一国の教育行政をあずかる官庁が、「支配者たちの言語を使えないと馬鹿にされるので、馬鹿にされないように頑張ろう」と言っている。これが奴隷根性であり、属国根性であるということに彼らは気づいていない。「アメリカが覇権的に支配しているステイタス・クオを受け容れる」、「国民国家の責務はいかなる政治的野心も持たず、ひたすら経済競争に勝ち残ることである」、「英語を母語とする人たちから仮に不適切な評価を受けたとしても、それは自己責任である」。これほど屈辱的なステートメントを日本の中央省庁がそのホームページに掲げている。そのことを誰も「屈辱的だ」と指摘しない。
このような状態のことを「ローカル」と呼ぶのだろうと僕は思っています。文科省に代表されるこのような属国根性を指して他国の人々は「日本人は国際性がない」と言っている。
「英語を使える日本人」をほんとうに作り出したかったら、日本の子供たちに英語が必要な理由をはっきりと説く必要があります。どうして他国の言語でゲームをしなければいけないのか、その理由を教えなければならない。
理由は簡単です。「日本は敗戦国だから」です。戦争に負けた国である。だから、どれほど悔しくても、勝った国のルールに従わなければならない。この「悔しさ」だけがかろうじて敗戦国の国際性を担保する。その意味で、「英語ができる日本人」プログラムにはまったく国際性がない。
ある人間が「国際的である」というのは、「外資系の企業に採用される」とか「外国の支店に派遣されてもすぐに働ける」とか「外国で起業する」というようなことを指すわけではありません。国際性とは、国際社会の中で、自分がどういうポジションを占めており、自分には何ができて、何ができないのか、これからどのようにふるまえば、国際社会において名誉ある地位を請求できるのかといったことをクールに計量できる知性のことです。日本という政治単位とそのシステムをどのように機能させれば、国益を最大化でき、あわせて国際社会に貢献できるか、それを優先的に考えるような構えのことです。
日本の「ガラパゴス化」とか「内向き」というのは、「国際性」という言葉を聞いて、じゃあTOEICのスコアを上げねば、とか他の教科の時間を減らして英語の時間を増やそうとかいう「現状の国際関係のアンフェアネスをまるごと承認してしまう」態度のことです。そこには批評性がかけらもない。今後の国際関係についての見通しもないし、国際社会に向けて特にアナウンスしたいメッセージもない。だから、世界の誰も日本人に向かって「世界はこれからどうなるのでしょう?私たちはこれからどうすればいいんでしょうか?」と訊ねに来ない。それが「国際性がない」ということなんです。

「歴史的に見る」ことについて
「歴史的に見る」、「大きな文脈でものを見る」ということについてもう少し話します。
僕は高橋源一郎さんと3か月に一度会って、『Sight』という雑誌のために政治的話題にだけ限定した対談をしています。前回の対談の時は原発の話だったのですが、そのときに「原発と戊辰戦争」という話題が出ました。
幕末の戦争で、ご承知のように、東北の諸藩は庄内藩、会津藩を救うために奥羽越列藩同盟を結んで官軍に抵抗しました。この戦いで一番悲惨な目に遭ったのは、会津藩でした。藩主松平容保が京都守護職の任に当たっていた折りに新撰組を使って討幕派を弾圧したとされたためです。会津藩はその後斗南藩なり、極寒不毛の地であった下北半島に移されました。実高40万石から7千石に落魄した斗南藩での生活の悲惨さについては柴五郎の伝記に詳しく書かれています。そしてその斗南藩のあった場所に、今は原子燃料サイクル施設のある六ヶ所村があります。
福島県と下北半島に原子力関連施設があることと東北諸藩に対する明治政府の弾圧の間に何の関係もないと僕には思えません。
数えてみたのですが、日本には今54基の原発があります。東北と北海道に19基、福井と新潟に23基です。つまり、42基の原発が「佐幕」側にある。浜岡は駿府なのでもちろん徳川です。薩長土肥には2基だけ。佐賀県の玄海と、鹿児島の川内です。薩摩は西南戦争で中央政府に弓を引きましたし、佐賀は江藤新平の佐賀の乱がありましたから、そのペナルティでしょうか。長州には上関原発が計画中ですが、現役の原発は存在しません。
もちろん、原発が中央政府に刃向かった「賊軍」エリアに選択的に設置されたというような話をしているわけではありません。そうではなくて、中央政府に刃向かった地域は、どこもそのあとインフラの整備が遅れたということです。それくらいの傾斜配分は当然あったはずですし、あっても仕方がない。
東北新幹線が青森まで全線開通したのは2010年のことです。東海道新幹線は東京オリンピックの1964年に開業していますから、50年近い遅れです。それだけインフラの整備が後回しにされてきた。今回の震災でも、ロジスティックがもたついたのは、高速道路網がまだまだ未発達だったからです。それだけこの地域の振興に政府は不熱心だったということです。だから、原発誘致が可能だった。
震災のとき、自動車などいくつかのメーカーが部品不足で操業中止に追い込まれました。東北地方の工場からの部品供給が止まったためです。それを伝えていたテレビニュースを見ました。そのとき、テレビの女性アナウンサーが「東北って、意外にメーカーの部品工場が多かったんですね」とぽろりと言いました。キャスターも「そうですね」と頷いていました。黙って聞き流していましたが、しばらくして、ちょっと違和感を覚えました。それはこの発言が「東北地方には近代的な工場なんかない」という思い込みを前提にしていることに気づいたからです。被災地が海や山の自然がきれいな場所だということはみんな知っています。でも、そこが産業拠点だという可能性には思い至らなかった。東北は開発が非常に遅れた地域であるということが日本人の常識だったから。それが当たり前だと思っていた。
この東北観そのものが戊辰戦争以来150年間にわたる中央政府の地域差別が作り出したものなのです。
先ほど柴五郎の話をしましたが、ほかにもう一人印象深い人物を挙げたいと思います。原敬です。原は1921年に、戊辰戦争後初めて「賊軍」であった藩の藩士出身で総理大臣になった人です。戊辰戦争からすでに半世紀が経っていました。彼は原一山と号しました。これは戊辰戦争の後、東北について言われた「白河以北一山百文」という言葉から採ったものです。「白河から北は、山一つ百文」という東北地方の後進性を揶揄したものです。それをあえて引き受けて「一山」という号を選んだ原は中央政府からの爵位の授与を峻拒して、平民として生涯を終えました。
柴五郎と原敬に見られる東北人の中央に対するルサンチマンには根深いものがあります。僕自身も4代前が庄内藩、3代前が会津藩という東北人ですから、彼らの反中央的な感覚は、家風として伝えられています。
明治維新以降、東北における近代化の遅れは明らかに政治的なものです。資源配分において、つねに後回しにされてきた。そのためインフラの整備が遅れ、地場産業が育たず、雇用も生まれなかった。そこに原発誘致を受け容れる歴史的条件があったということです。150年のスパンで見なければ、なぜ東北に原発が集中しているのか、その理由が見えてきません。でも、僕の知る限り、日本の大新聞で、戊辰戦争以来の東北の社会的な整備の遅れ、組織的、政策的、懲罰的な遅れについての踏み込んだ検証記事を見た記憶がありません。しかし、それを知らなければ、なぜ震災がこれほどの被害を生んだのか、復興政策の筋道はどう描けばいいのかについて日本人は途方に暮れるばかりでしょう。

教養とは
それではまとめに入ります。まとめまで来て、ようやく演題にたどり着きますが…。
教養は知識とは違います。知識の一歩手前の、知性を活性化させるための技術です。この技術のことを「リベラルアーツ」と言います。「知は人をして自由を得さしむ」という聖書の言葉がありますが、「人を自由にする知の技術」、それが教養です。
今の日本人はある種の知的な檻に閉じ込められています。ある種の論件について考えようとすると、そのとたんに思考が停止してしまう。もう一歩踏み込んで、「なぜこの人は他のことではなく、とりわけこのことを言うのか」「なぜ、このことは報道されて、それとは違うことは報道されないのか」といったメタレベルからの吟味が必要だと思うのですが、メディアはそういうことをしません。
先ほど僕はある新聞の紙面審議委員をしているのですが、委員の仕事として、「気になった記事」を選んで報告するというものがあります。気になった記事があると、その記事を書いた記者、上司のデスクたちから聞き取りをして、各部の責任者たちが委員に答弁をする。でも、僕はこの仕事にはあまり意味があるようには思えない。というのは、僕がいちばん聞きたいのは「なぜこのトピックについて、こういう記事が書かれなかったのか」ということだからです。あることが書かれて、別のことは書き落とされる。そこには取捨選択がある。それは当然です。でも、その場合、ある情報を報道しなかったことについては、然るべき理由があるはずです。それを僕は訊きたい。
例えば、メディアは「メディアの不調」というトピックを扱わない。当人たちはビジネスがからんでいるんだから、当然だと思っている。どこに自分の業界の欠陥や問題点を点検して世間に公開する人間がいるものかと思っている。けれども、メディアのたいせつな仕事は社会システムの点検であり、システムに不調があれば警鐘を鳴らすことです。そして、マスメディア自身はすでに社会システムの中枢を形成している。そこが自身の制度的瑕疵について言及する能力がない。
社会システムの根幹部分が崩れ始めています。メディアはそれから眼を逸らし続けており、そのせいで、状況を理解する力も対案を提示する力も急速に低下してきています。これが日本人が陥っている巨大なピットフォールです。

教養教育の使命
大学教育もメディアと同じ落とし穴に片足を突っ込んでいます。繰り返し申し上げますけれど、高等教育の目指すべきことは一つしかありません。それは「どうしたら学生たちの知性が活性化するか」について創意工夫を凝らすことです。学生たちの目がきらきらと輝き始めるのはどういう場合か、学生たちが前のめりになって人の話を聞き、もっと知りたい、もっと議論したい、もっと推理したいというふうになるのはどういう場合か。それについて集中的に考えるのが大学での教育だろうと僕は思っています。知性というのは情報や知識のような「もの」ではありません。このような、「前のめりの欲動」のことです。前のめりの運動性なのです。
ですから教師の仕事はあらゆる手立てを尽くして、「学生に知的に前のめりになってもらう」ように導くことです。僕は自分の目の前で、それまで停止していた学生たちの思考が、あることをきっかけに一斉に動き出し、突然自分でものを考えだし、自分の言葉で語りだし、自分のロジックを作り出していく瞬間を何度も見てきました。まるでばりばりと皮が剥がれるかのような状況を目の当たりにするのです。これは実に感動的な光景です。教師という仕事を選んでよかったと思えるのはそういうときです。
一度脱皮し、知的なブレイクスルーを経験した学生たちは、後は自分で勉強します。学びの本質は自学自習ですから、後はもう放っておいても構わない。本を貸してくれと言われたら貸し、学会に行きたいと言われたら連れていき、会いたい人がいると言われれば紹介する。それから後の教師の仕事は「点をつなぐ」だけです。ひとたび「学びたい」という状態になった学生に対して教師がする仕事はもうそれだけで十分なんです。ですから、教師にとっての問題はどうやって「学びたい」という思いを起動させるか、それだけです。
さまざまな教科、教育方法、教師が存在するのはそのためです。学生たちの知性のかたちはまことに個性的です。どういうきっかけで知性が活性化するか、教師には予測ができない。もちろん、経験的に「こうやれば、わりとうまくゆく」という方法はあります。でも、それはあくまで「打率」にすぎない。野球と同じで、よくて3割。7割の学生は反応してくれない。だから、ありとあらゆる働きかけが用意されなくてはならない。
その目的に焦点化して行う教育のことを「リベラルアーツ」と呼ぶのだと僕は思っています。別に総合的な科目があり、総合的に勉強することがリベラルアーツではない。リベラルアーツというのは目的のことです。学生たちのさまざまな知的なポテンシャルを標的にして、さまざまな働きかけをしてゆく。数学も、文学も、宗教も、芸術も、体育も、さまざまなポテンシャルについての「手がかり」を繰り出してゆく。どれか当たるだろうと思うから繰り出すのです。「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」的に、使える限りの資源を使う。リベラルアーツとは「やけっぱちの実証性」なんです。
リベラルアーツが成り立つためには、ですから、できるだけ多くの種類の教育理念・教育方法・教育内容が必要です。僕のようなリベラルアーツ原理主義的な教師もいるし、自分の教えている教科に夢中な教師もいる、大学とは安定した年収を約束する知識や技術を習得するところだと思っている教師もいる。僕はそれでいいと思う。というか、「それがいい」と思う。教師の思いがばらけているほど学生たちのポテンシャルが開花する可能性は高まるから。
専門教育について一言。
91年の設置基準大綱化からあと、教養教育を廃して、1年生のときから専門教育を4年間できるようになった。そしてやってみたら、あまり効果がなかった。あまり効果がなかったというより、卒業生が使えなくなった。だから、今はまた教養教育の復活に潮目が変わってきました。文科省も教養教育無用論から教養教育重視論に方向転換しました。どうして、そんなことになったのか。
18歳からいきなり専門教育を教え込むと、確かにある専門領域については詳しくなります。専門的な技術も身につく。でも、卒業した後、使い物にならない。というのは、考えれば当たり前のことですが、「専門家」というのは「他の領域の専門家」とのコラボレーションではじめて使い物になるからです。でも、高校を出た後、ある専門分野のことだけやってきた人間は、自分が学んでいることが「何でないのか」、「何の役に立たないのか」は教えられない。というのは、専門領域では、その領域の知識や技術は「役に立つ」ということについて学会内合意ができているからです。だから、そこでは誰も「そもそもこの知識や技術はどうして必要になったのか?」「どういう他の専門領域とコラボレーションすると機能が向上するのか?」「歴史的条件がどう変わったら時代遅れになったり、不要になったりするのか?」といった本質的な問いを発することが許されません。全員が専門家である場所の、それがピットフォールです。自分たちがどうしてここでこんなことをしているのかを説明する必要がない。それは自明のこととされる。みんな同じ専門用語を使って話し、同じ価値観を共有し、同じ基準で業績を評価する。
でも、そうやって無菌室のようなところで栽培された専門家は「自分には何ができないのか」「自分にできないことを援助支援してもらうためには、どういう他の専門家とコラボレートすればいいのか」というような問いを考えたことがない。専門家たちが協働的に働くためには、ひとりひとりが「自分にはこれができる」ということと同時に「自分にはこれができない」ということを他分野の人に正確に伝える能力が必要になる。
でも、大学1年生から専門教育に放り込まれた学生たちは、そもそも自分が何をしているのかということを俯瞰的な視点から眺め、それについて他の分野の専門家とコミュニケーションするという訓練を受けてこなかった。だから、「私は学校ではこう習いました」と言い立てて、わずかな知識と技術にしがみついて、新しい知見を受け容れない「使えない専門家」ばかり出来てしまった。
知性は、自分を閉じ込めていた知の檻から逃れ出たいという欲望が起動した時に生まれます。自分自身の「知についての知」と言ってもいいかもしれません。自分が何を知っており、何を知らないのか、何を知らなければならないのかについて俯瞰的に見ることのできる力、それが本来の知性のかたちであり、リベラルアーツ教育はまっすぐにそれをめざしています。

キャリア教育のありかた
最後にキャリアについて一言。
大学で行われているキャリア教育は、現在の日本の雇用システムを前提にしてプログラムされています。学生たちを取り巻く現在の雇用環境はきわめて劣悪なものですが、それを全肯定した上で、それに適応できるようにプログラムが組まれている。これは、先ほど紹介した文科省の英語教育に関する行動計画と同じ性質のものです。
今の日本社会の理不尽さやアンフェアネスをまるごと受け容れた上で、その中でどうやって生き抜くかを教えている。たしかに、それが現実である以上、現実に適応せざるを得ないというのはわかります。でも、若い人たちに社会的な不条理やアンフェアネスを無批判に受け容れろというところから社会教育を始めるというのは間違っています。学生たちに「とりあえず思考停止しろ」と言っておきながら、知性のパフォーマンスを高めろと言っても無理です。
真のキャリア教育があるとするならば、「労働とは何か」、「市場とは何か」、「資本とは何か」、「共同体とは何か」、「貨幣とは何か」・・・といった人間社会の成り立ちについての原理的な問いを突き詰めていくものであるはずです。その上で、「なぜ我々は労働しなければならないのか」、そして「どのような労働を通じて自分はその社会的責務を果たしうるのか」について自分で考えてもらう。働くことの意味は人に教えてもらうものではありません。自分でみつけて、自分の言葉で語ることができなければ、働くモチベーションは維持できません。
キャリア教育で第一に教えるべきことは、雇用環境や労働条件の経年変化について、これを俯瞰的に見るという構えでしょう。大学卒業をまぢかにした学生たちはせいぜい過去二三年の雇用状況しか参照せずに就活にのめり込みます。けれども、労働をめぐる環境ははげしく変化します。「今人気があるから」という理由で選好されている企業のほとんどは30年前にはその名も知られていなかったものですし、30年前に学生たちが群がった人気企業のいくつはもう存在してさえいません。
そもそも、今の学生たちはほとんどが卒業したら月給取りになるつもりでいますが、このサラリーマンという職業が登場したのもたかだか大正年間からです。戦後しばらくの、僕が子供の頃、サラリーマンはまだ少数派でした。自営業の方がずっと多かった。ネクタイを締めて、革靴を履いて、鞄を持って出勤するサラリーマンはその頃はまだ「憧れの職業」だったのです。
1960年代には、森繁久弥や植木等の出る「サラリーマン映画」がたくさん作られました。今でもときどきケーブルTVで放映しているのでご覧になる機会もあるかと思います。安給料に苦しみ、安下宿で逼塞しているサラリーマンが、公費接待を口実に銀座で豪遊したり、うまいこと海外旅行に便乗したり、重役のおぼえめでたく出世街道に乗って、やがて豪邸に住んで、運転手が外車で迎えに来るような身の上になるという、現代版の「わらしべ長者」のようなサラリーマンものがいくつも作られました。それだけサラリーマンは「可能性のある職業・チャンスのある職業」だというふうに思われていたのです。
むろん、そんな物語の半ばは幻想なのです。でも、それは国民の50パーセント近くがまだ農林水産業に従事していた時代の話です。毎月定期的に給料が支払われ、毎年定期昇給するサラリーマンは農林水産業や自営業の人から見たら、まさに「憧れの職業」だったのです。
それが今では90%がサラリーマン。キャリアパスをショートカットしてとんとん拍子に出世する話なんか、もう誰も信じません。
キャリア教育では、まず「労働はどのように変化してきたか」、「雇用環境はどのように変化してきたか」という日本の歴史的な推移を学ぶべきだろうと僕は思います。それと、世界各国の雇用状況についての理解を持つこと。歴史的な文脈と、地理的な広がりの中で、現在の日本の雇用情勢の特殊性・一回性を理解してもらう。広々とした視野の中で、自分の置かれている雇用環境を見通したときにはじめて、では、どのような職業を自分は選びたいのか、選べるのか、選ぶべきなのか、といいった一連の問いに対する答えに接近することができます。

最後に
僕が今日お話ししているのは、最初から最後までほとんど同じことです。それは「もっと広い射程の中でものをとらえましょう」ということです。長い歴史の中で、世界の広がりの中で、自分たちの今をとらえる知的な習慣を身につけさせること。それがアカデミアに課せられた責務だと思います。
ようやくなんとか「大学における教養とキャリア」という演題に話がつながりました。
今日お集まりの、大学関係者以外のみなさんには、ぜひ、大学に対して「何か変わっていることをしているようだが、まあ、放っておこう」という温かく、寛大なまなざしで大学を見守ってくださるようにお願いしたいと思います。また、大学人のみなさんには、改めて大学の歴史的な存在理由について熟慮していただきたいと思います。ご静聴ありがとうございました。

(2011年7月7日優駿ホールにて)