教育の危機と再生

2012-03-19 lundi

先日、兵庫県庁での研修会で講演したときの講演録が出来ました。うちうちで配布するものなので、ここに再録しておきます。
中身は「いつもの話」ですけれど、まあ、いいじゃないですか。いつもの話で。
では、どぞ。

はじめに

内田でございます。
ただ今ご紹介にありましたとおり、このすぐ先の神戸市東灘区住吉というところに去年の11月に自宅兼道場を作りまして、そちらで合気道の稽古をしております。
合気道は始めて37年になります。神戸女学院大学の合気道部を21年前に立ち上げたとき、同時に社会人の団体も創設しました。そちらの会は公共施設を借りて、西宮市の中央体育館や芦屋市の青少年センター柔道場でやっておりました。このたび宿願の専用道場をつくりまして、今は毎日稽古三昧の生活をしております。
今、学塾というご紹介もありましたけれど、大学でやっておりました社会人対象の大学院のゼミの聴講生たちから、引き続き開講してくれという要請がありましたので、こちらの方は4月から週に1回ほどのペースでやろうと考えています。

教育と市場原理

今日は、これからの教育についてお話をするわけですけれど、現況の分析と同時に、これから先、いったいわれわれは日本の教育をどうしていけばいいのか、その方向を見通すということになろうかと思います。愚痴を言ったり、批判をしたりという段階はもう終わって、次の具体的な提言をし、行動に移すべきときだろうと思います。 
日本の教育は今明らかに悪い方向に向かっています。この点に関してはどなたからも異論がない。不思議なことに。日本の教育はよくなっているという人は学校外にも学校内にも、どこにもいない。
問題は、現況がよろしくないので、改めなければならないということまでは合意しているけれど、どう変えるかについてはまったく合意がないことです。
そして、明らかに力を持っているのは、大阪の教育基本条例が代表するような、市場原理主義的な教育観です。
僕はこの「教育活動の数値的格付け」とそれに基づく「『アメとムチ』的資源分配」という教育観そのものが今日の教育の荒廃をもたらしたと思っております。十年前からそれを批判してきましたけれど、今教育改革という枠組みで語られる言葉は、驚くべきことに、まさに学校教育をこれほど荒廃させた当の教育観をさらに強化したものなのです。
学校教育への能力主義と差別的資源分配が失敗していることはすでに日本やアメリカの事例が明らかにしているのにもかかわらず、この「失敗している方法」をあたかも最新の教育の成功事例でもあるかのように押し戴いて、現場に持ちこもうとしている。いったい何を根拠にして、このような倒錯がまかり通っているのか、僕にはうまく理解できないのですが、この流れをまたメディアが持ち上げており、保護者たちも多くはその有効性を信じている。教育崩壊のアクセルをさらに踏み込むかたちで、今政治主導の教育崩壊が急速に進んでいます。それが僕たちの置かれた現状です。
市場原理主義的教育観というのは、要するに教育を全面的に市場原理に委ねれば、最高の成果が期待できるという考え方です。
学校は教育商品、教育サービスを売る売り手である。保護者や生徒は商品を買う消費者である。市場と同じく、消費者が選好する商品は生き残り、質の悪い商品は売れ残る。市場の淘汰にさらされることによって、教育現場には「いいもの」だけが残り、市場のニーズに応えられなかった学校や教員は市場から退場する。結果的に、もっとも良質な商品だけが適正価格で流通する。「マーケットの判断はつねに正しい」というのが市場原理主義者の言い分です。
学校教育がダメなのは、そこに競争原理、市場原理が働いていないからだという言い方がはやりだしたのは、この20年ぐらいです。
90年代から、すでに学校教育に競争原理や評価システムを導入して、限られた教育資源を「生産性の高い部門」に傾斜配分するという考え方が入り込んできました。
そういうビジネスもどきのシステムの大学への導入を積極的に推進してきた当の本人として申し上げることができますなど、こういうマネジメントは結局「下を見ている」だけなんです。どうやって下の方の5%ぐらいの人を見つけ出して、罰したり、排除したりするか、ということに集中してしまう。アクティヴィティの高い教員たちにどうやってさらに気分良く働いてもらって、全学的なパフォーマンスを高めるかという話では全然ないんです。
でも、学校教育を現に活発に牽引している人たちが求めているのは、フリーハンドと自由な時間だけなんです。彼らにそれを提供すれば、彼らがもたらすオーバーアチーブは、仕事をしない「下の方の5%」のもたらす損害とは比較にもならない。それを超えて余りある。
でも、今の教育現場でのマネジメントの議論の中で、どうやって現場のパフォーマンスを高めるかという話は誰もしない。しているのは、働きの悪いやつは誰か、業務命令をきかない教師は誰か、それにはどういう罰を与えればいいのか、それしか議論していない。

国際社会における日本の役割

「上を見ない」というのがいわば日本社会全体に取り憑いた病だと僕は思っています。
国際社会において国民国家の果たすべき役割があるとすれば、それは新たな世界標準の創出以外にないでしょう。未来の国際社会のあるべき姿について明確なビジョンを示す。スケールが大きくて、風通しがよく、手触りのやさしい堂々たるビジョンを提示していく。「世界はかくあるべきである。人間社会はかくあるべきである。その大ぶりなロードマップの中で、日本はこれこれこういう役割を演じようと思っている。みなさんはこの日本の提案をどう思うか」というふうに世界に向かって堂々と提言するのが主権国家としての気概というものでしょう。
でも、日本ではそういう話を誰もしない。誰もしないんです。政治家も官僚もビジネスマンも学者も、誰もしない。
彼らがするのは「日本は世界標準にこれだけ遅れている。たいへんだ。バスに乗り遅れてはいけない。他国の成功事例をすぐ取り入れて、それを模倣しよう。」そういう話だけです。
自分たちが他国から模倣されるような新しい成功の事例を創造するという発想がない。全然、ないんです。
日本は仮にも世界第3位の経済大国、軍事力でも世界第7位の国ですよ。それがシンガポールやベトナムやマレーシアの事例を真似しないと「えらいこと」になると本気で青ざめている。日本が列国から侮られているというのはほんとうです。でも、それは他国の成功事例の真似をちゃんとしていないからではなくて、他国の成功事例の模倣しかしないからです。

リスクとデインジャー

国際関係論では、2種類の危険を区別して使うそうです。一つはリスクで、一つはデインジャー。
リスクというのはコントロールでき、マネージでき、ヘッジできる種類の危険のことです。デインジャーはそういう手立てがない危険です。「こうすればうまくゆく」という手立てが知られていない種類の危険のことを言います。
例えば、競技場の中でやっている試合で負けそうであるというのは一つのリスクです。そのまま負けると、チームのランキングが下がり、スポンサーが降り、選手の年俸が下がるかも知れない・・・というのがリスクです。
それに対して、試合中に大地震がおこってアリーナが崩壊して観客も選手もみんな押しつぶされるというのがデインジャーです。
リスクは前例を考慮すれば対処のしようがある。デインジャーは「想定外」の事態なので、対処のしようを誰も知らない。 
今の日本人は、リスクをどうやってコントロールするかということにみんなが夢中になっていて、デインジャーというものがあり得るとうことを忘れている。ですから、それに対する備えの必要を誰も感じていない。
昔の人たち、ふだんから、足下が崩れるような地殻変動的変化を勘定に入れて行動していたように僕は思います。でも、あるときから日本人はデインジャーについて考えるのを止めてしまった。
いつ頃からかというと、僕の個人的印象では、1970年代の半ばからです。
その頃を境に日本社会は大きく変わった。それは社会の第一線から明治生まれの人がいなくなった時と一致しています。
僕の父親は明治45年生まれでしたが、父がサラリーマンとしての定年を迎えたのが1972年です。政治家や文化人にはその後も第一線で活躍した人はたくさんいましたが、サラリーマンや公務員といった僕たちがふだん接する社会活動のフロントラインから明治人が消えたのが1970年代半ばです。
明治生まれの人たちは社会というものは不安定なものだということを経験的に熟知していました。
父の世代は、二度にわたる世界大戦、大恐慌、革命を経験してきました。ですから、僕たちとはものの見方が違っていたと思います。
父が人を評するときによく言っていたのが「あいつには哲学がある」と「哲学がない」という言葉でした。子どもの頃の僕は父親がいったいどういう意味で「哲学がある」ということ指していたのかわかりませんでしたが、今にして思うと、「自己規範を持っている人間」かどうか、ということだったと思います。
社会がどう変化しても、戦争が起きようと、天変地異が起きようと、自分を律する規範をもっていて行動する人間と、何かあると、たちまちうろたえてきょろきょろ辺りを見回し、大勢について付和雷同する人間をそれを指標にして識別していた。そして、自己規範をもつ人間は信じてよいが、規範のない人間は信じてはいけない、そう父は考えていたのだと思います。
1960年代まで、父親たちの世代の人間は、「いつ何が起きるかわからない」と思っていました。次の戦争がいつ始まるかわからない。いつ飢餓や空襲や略奪があるかわからない。だから、自分がつきあっていく人は「もしもの時」に信頼できる人間でなければならない。たぶん、そういう基準で人を見ていたのだと思うのです。そういうときには、家柄がどうだとか、学歴がどうだとか、地位や年収がどうだとかということは何の関係もありません。父が基準に採っていたのは、「哲学があるか」どうかでした。揺るがぬ自己規範を持っているかどうかでした。それは数値で示せるものでもないし、免状や証書があるものでもない。人間が自分の見識にかけて見抜くものです。
だから、1970年代までは「人を見る眼」というものが死活的に重要だったのです。それが今はなくなった。もうそんなものは要らないと日本人は思い出したからです。
日本人が「デインジャー対応」を忘れたのは、皮肉なことに平和と繁栄になじみすぎてしまったからです。

日本的システムの危機

今、日本を覆っている政治の低調、経済の低調、学術の低調、すべての分野におけるイノベーションの欠如の根本にあるのは、自分たちが今暮らしているこの狭苦しい世界に「外側」があることを忘れているということです。
自分たちの生きているこのシステムがいかに脆いものかを忘れている。
この社会システムは、教育、医療、司法、宗教といった、いくつかの枢要な柱に支えられて共同体としての体裁をなしているけれども、それらの柱が一本でも、折れたらそこからがらがらと崩れてしまう。そういう脆弱性をかかえているのですけれど、そう思っている人がどれほどいるでしょう。
もちろん、「危機」をあげつらう人はたくさんいます。けれども、僕から見ると、それはとても危機感を感じているようには見えない。
本当に日本という国民国家が「カオスの縁」に近づいているという緊迫感が感じられない。
「こんなシステムはダメだ。日本は一回クラッシュしちゃえばいいんだよ」というようなことを言い放つ人がメディアで大きな顔をしています。
言っている本人は「システムがクラッシュする」というのがどういうことか想像して言っているのでしょうか。公共的な支えを失ったときに、自分がそれを生き延びられる、それから利益を得ることができると本気で思っているのでしょうか。
「ガラガラポン」という軽薄な言葉がありますけれど、それが含意するのは、システムの全面的な変更なんか簡単にできるという侮りです。
僕はこの「一度クラッシュしたらいいんだ」というような発言こそ「平和ぼけ」のいちばん深刻な病態だと思います。

経済の劣化も歯止めが効きません。
先日の日経で、トヨタの社長さんがもう国内生産300万台を守ることができなくなったと話していました。国内生産300万台というのは、それによって国内で雇用を創出し、地域経済を振興させ、法人税を納めて、国民経済的な義務を果たすぎりぎりのラインを意味していたわけですけれど、もうそれができなくなった。
外国人株主が企業の国民経済的なふるまいをもう許さなくなったからです。
株主たちは企業に収益を上げることだけを要求します。だから、できるだけコストの安いところに生産拠点を移動し、人件費の安い労働者を雇うことを求めます。そうやって、中国やタイやマレーシアやインドネシアに生産拠点が移った。そのせいで、日本国内の雇用は縮小し、かつての企業城下町は「シャッター商店街」となり、自治体の法人税収入は激減して、全国規模で国民経済の空洞化が進行した。
もう今の経営者たちは国内に雇用を創り出したり、地域に学校や病院や図書館や美術館を作って寄贈するというようなことはしません。うっかりそんなことをしたら、外国人株主から配当に回すべき利益を「身内」に環流させた背任行為だと訴えられかねない。
「身内」の扶養を配慮する国民経済的な企業と収益だけを求めるグローバル企業が競争したら、勝ち目はありません。だから、日本の企業は今やどんどんグローバル企業化しています。
グローバル企業ということは無国籍企業ということです。
一番地価が安く、労賃が安く、税金が安く、公害規制の緩い国で生産し、タックスヘイブンにペーパー本社を置く。そういう企業だけが勝ち残る。そうやってもう日本列島の1億3000万人を「食わせる」ことを本務と考える経済活動をする人がいなくなってきた。国民経済が崩壊するというのがどういうことか、まだ日本人は真剣に想像していないと思います。でも、それはもう間近に迫っています。

イノベーションをどう支援するか

いかにして従業員の士気を奮い立たせ、彼らをオーバーアチーブに導くかということが、実際に組織を管理運営する人間が、一番腐心しなければならないことなのですが、今、市場原理とか競争原理とか、「選択と集中」とかいっている人たちには、その発想がない。
どうやってイノベーションを果たすか、どうやって組織の集合的パフォーマンスを向上させるかについて、「アメとムチ」以外の戦略を持っていない。
それは日本人はイノベーションに関心がないということです。だから、イノベーションをどう支援してよいかわからない。
日本の教育行政の基本は「世界標準に追いつくこと」です。それだけです。だから、「すでに達成された成功事例をもっと安いコストで再現する」ことにしか関心がない。先行する成功事例の模倣にしか研究予算がつかない。
イノベーションっていうのは「当たりはずれ」があるものなんです。
自称「イノベーター」100人のうち99人は実は「はずれ」なんです。
そういうものなんです。歩留まりが悪いのが普通なんです。でも、中に1人くらいはいるわけです、本物が。
本物だけを選別して、そこに資源を集中すればいいと「選択と集中」論者は言いますけれど、それは原理的に無理なんです。「誰が本物か」なんて、始める前はわからないから。イノベーティヴな才能というのは、それが先端的であればあるほど、既存の物差しでは測れない。だから、「なんだかよくわからない人たち」に適当に資源をばらまくしか手立てがない。でも、100人いれば1人は本物がいるわけで、そこに届けばいい。その人がもたらすイノベーションの余沢は残り99人分の無駄を補ってあまりあるから。
でも、今の日本のイノベーション支援というのは、「成功することが確実な企て」にしか予算をつけない。99人に配分する無駄を惜しんでしるのです。

次の時代のイノベーターたち

もちろん、冒険したい、新しいところへ飛び出していきたい、という思いを持ってる若い人はたくさんいます。今の日本社会がやってることはおかしいと思っている子はたくさんいる。だから、僕は今の教育システムから「降ります」と言える子は健全だと思います。
最近知り合った中でこれは健全だなあと感心した若者が何人かいます。
一人は数学者の森田真生くんです。
東京大学の数学科を出たけれど、大学院には進まず、「独立研究者」と名乗って、「数学の演奏」という活動をしています。近年あった中では際だった知性でした。彼のような人が次代の知的なリーダーになるべきだと僕は思うけれど、既存の教育機関にはこのような才能のための場所が用意されていません。
もう一人は、北京大学へ留学して、今では中国と香港でテレビ番組を持ち、新聞雑誌にエッセイを書き、ツイッターのフォロアーが数十万という加藤嘉一くんです。
彼は今中国で一番有名な日本人だと言われています。胡錦濤に会った回数が日本の誰よりも多いというくらいですから。今27歳くらいですが、彼と会って話したときも、今の日本の教育システムではこういう才能は絶対開花しないだろうと思いました。
もう一人は僕の道場を建ててもらった建築家の光嶋裕介くん。
彼はニュージャージー生まれで、カナダとロンドンで育った。日本で高校を出て、早稲田の建築の大学院を出てからドイツで4年仕事をして、二年前に日本へ帰って来ました。彼の建築家としての最初の仕事が僕の家だったんです。彼も日本の学校教育の弊害をうまく免れた才能だと思います。精神が自由なんです。関心を持ったものに向かうときにまったく逡巡しない。
3人とも、素質的にももちろん優秀なんですけれど、それ以上に、自分たちの持っている生得的な資質を開花させるためにはどうすればいいのか、ということにきわめて貪欲です。自分自身の心身のポテンシャルはどうやったら上げることができるかを真剣に工夫している。どうやったら自分の知性はもっと生成的になるのか、どうやったら自分の身体の性能と感度は上がるのか、その工夫には労力を惜しまない。それは日本の学校教育が教えないことです。だから、彼らはそれを自力でやってきた。

日本の教育システムの弊害

彼らのように自由に自分のポテンシャルを開花させた事例は今の日本の学校教育では希有です。日本の教育システムはひとりひとりの子どもがその個性的なポテンシャルを開花させることをほとんど制度的に阻害しているからです。
自力でチャンスを切り開き、教育機会を自分で創り出した彼らが輝いていて、われわれが現に教育している子どもたちの方がどんよりしている。それは教育が機能していないどころか、成長の妨げになっているということです。そのことをわれわれ教育者はつよく反省しなければいけないと思います。日本の学校教育はそういうきらきらと輝くような若者を輩出することには成功していない。
それは教育に市場原理、競争原理を持ち込んだからです。教師たちも親たちも、子どもたちを競争に押しやろうとする。「あなたは頭がいいんだから、もっと勉強しなさい。もっと良い学校へ行きなさい。もっと高い年収を約束する資格を取りなさい」というふうに子どもたちが持っている知的な資質を、受験という「ゲーム」で高得点を取るためだけに限定的に使わせようとする。そういう強制に反発する健全な子どもは「じゃ、やらないよ」と学校からは脱落してしまう。
教育崩壊の最大の原因は、子どもたちを競争的環境に投じて、数値的に格付けして、点数順に社会的資源を傾斜配分するというシステムにしがみついていることです。点数の高いものには報酬を与え、低いものには罰を与えるというこの査定システムの本質的な貧しさと卑しさが子どもたちを学びから遠ざけている。学校そのものが子どもたちの潜在能力の開花を阻害し、健全な子どもたちをそこから脱落させている。そして、日本の学校をうまく逃れた若者たちだけが輝いている。これは日本の学校教育にとって恥とすべき事態だと思います。

潜在的能力を開花させる

では、危機にある日本を再生するためにどうすればいいのか。言い古された言葉ですが、日本の未来を担うのは子どもたちなんです。どうすれば、本当に日本の未来が担えるような、知的で、感情豊かで、器が大きくて、目元が涼しくて、話がおもしろくて、包容力があって・・・そういう輝く子どもが育ってくれるのか。学校教育に携わる人間は何よりもそれを考えるべきでしょう。試験で計れる点数なんか、極端な話、どうだっていいんです。
武道の道場では相対評価ということをしません。誰より誰が強いとか、巧いとか、そういうことは原則として話題にしないし、すべきでもない。だって、入門してくる時もばらばらだし、性別も年齢も身体能力も違うから比較する意味がない。
他の条件を同一にすれば、強弱巧拙は比較可能ですけれど、武道というのは「他の条件を同じにした場合に、どちらが強いか」というような気楽な話をしているわけじゃない。いつ、どこで、どういうことが起きるかわからない。どうしていいかわからないその危機的状況をどうやって生き延びるか、その生きる知恵と力を開発することが修業の目的なんです。それは他人と比較するものじゃない。比較する対象があるとしたらそれは「昨日の自分」だけです。自分自身の経時的変化をモニターすれば、自分が今やっている稽古方法が正しいかどうかは点検できる。
でも、その経時的変化にもいろいろある。すぐに上達するけれど、その後、長い停滞期に入る人もいる。あれこれ迂回したけれど、その寄り道のすべてが滋養になって開花する人もいる。いろんな人がいます。でも、稽古を続けていれば全員必ず開花するんです。よほど自分自身を縛り付けて成長することを拒否している人以外は、必ず上達する。とくに学校体育で劣等生だった人が10年20年の稽古のあと、爆発的に身体能力が開花することがある。これは感動的という他ありません。
それと同じことがなかなか学校では起きない。それは年次ごとに、ここまでという到達目標を設定し、同学齢集団をまとめて、その内部での相対的な優劣をうるさく論じているからです。格付けの高い子どもに資源を集中して、格付けの低い子どもには罰を与える。こんなシステムで才能が開花するはずがない。子どもたちはみんな実はすばらしく個性的な才能を持っているんです。でも、あまりに個性的なので、何がトリガーになって開花するのか、誰にもわからない。教師にもわからない、親にもわからない、もちろん本人にもわからない。
だから、学校ができるのは手を変え品を変えて子どもにアプローチすることしかないんです。こうすればどんな子どもでもうまくいくっていう一般的なマニュアルは存在しません。教える側の僕らにできるのは「手立てを尽くすこと」と「待つこと」だけなんです。

学校教育における緊急の課題

だから、教師に必要なのは、ぎりぎり削ぎ落として言えば、「手立てを尽くすことのできる教育上のフリーハンド」と「教育成果をひたすら待つ余裕」、それだけなんです。教育方法の自由と、数値的評価の自制、それがいちばんたいせつなことなんです。学校教育における喫緊の課題はこの2点に尽くされると僕は思っています。
忍耐強く子どもたちの成長を見守っていけるだけの余裕があり、様々な教育方法を自由に試すことができる、創意工夫が許されていれば、子どもたちはいずれそのポテンシャルを開花させます。これは僕の経験的確信です。
だから、僕たちはそういう教育環境を確保するために全力を尽くさなければいけない。それを心ない人たちは「教員たちが楽をしたいからだ」というふうにあしざまに罵りますが、それはあまりに短見というものです。自己利益のことだけ考えている教師なんかまずいません。みんな、子どもたちを伸ばしたい、成長させたいと願っている。でも、そのために必要な教育環境が破壊され続けている。学校教育に政治イデオロギーが介入し、メディアが介入し、ビジネスが介入してきて、子どもたちを選別と収奪の対象としようとしている。そういう外部からの介入に対して、教える側の人間は、全力で学校と子どもたちを守らなければいけない。
僕はもう学校を退職した人間ですけれど、今は道場と私塾を開いて、地域的なかたちで教育活動を継続しています。これから学校教育の空白部分を補うかたちで、「私塾的なもの」が同時多発的に日本各地で創り出されてゆくだろうと僕は予測しています。身銭を切って、自分の手でささやかな学びの場を作れば、とりあえず、そこではどのような教育方法を試みることができるし、いつまでも気長に待つことができる。そういう私塾的教育機関が学校教育、公教育を側面から支援するという形での教育活動を展開することが必要だろうと僕は思っています。おそらく同じような志を持っている人が、今の日本には、何千人何万人という規模で潜在的には存在すると思います。そういうローカルで、独立的な教育活動とゆるやかに連帯するかたちで僕は日本の教育の再生に協力してゆきたいと思います。皆様方のますますのご活躍を祈っております。