沖縄タイムスの取材で、沖縄の基地問題について少し話をした。
この問題について私が言っていることはこれまでとあまり変わらない。
沖縄の在日米軍基地は「アメリカの西太平洋戦略と日本の安全保障にとって死活的に重要である」という命題と、「沖縄に在日米軍基地の70%が集中しており、県民の91%が基地の縮小・撤収を要望している」という命題が真っ正面から対立して、スタックしている。
デッドロックに追い詰められた問題を解くためには、「もう一度初期条件を点検する」のが解法の基本である。
まず私たちは「アメリカの西太平洋戦略とはどういうものか?」という問いから始めるべきである。
ところがまことに不思議なことに、沖縄の基地問題を論じるためにマスメディアは膨大な字数を割いてきたが、「アメリカの西太平洋戦略とはどういうものか?」といういちばん大本の問いにはほとんど関心を示さないのである。
どこを仮想敵国に想定し、どこを仮想同盟国に想定し、どういう軍事的緊張に、どういう対応をすることを基本とする軍略であるのか、といういちばん重要な問いをメディアはほとんど論じない。
例えば、米露関係や米中関係、米台関係、米韓関係は、多様な国際関係論的入力によって短期的に激変する。
東西冷戦期には、米露がその後これほど親密になり、ほとんど「パートナー」といえるほどに利害が近接することを予想した人はいないだろう。
中国についても同じである。iPadの商標問題でアップルが焦っているのは、中国市場がiPad、iPhoneの巨大市場であり、中国との友好関係なくしてアメリカ経済の維持はありえないことを知っているからである。米中関係ではイデオロギーよりもビジネスが優先しており、両国の間に軍事的緊張関係を生じることは仮にホワイトハウスや中南海が腹をくくっても、米中の財界人たちが絶対に許さない。
米韓関係もデリケートだ。南北関係が緊張すれば「北から韓国を守る」米軍への依存度は高まるが、統一機運が高まると「アメリカは南北統一の妨害者だ」という国民感情が噴き出してくる。その繰り返しである。
その韓国ではすでに米軍基地の縮小・撤収が進んでいることはこれまでブログで何度も取り上げた。基地全体は3分の1に縮小され、ソウル駅近くの米軍司令部のあった龍山基地は2004年にソウル市民たちからの激しい移転要請に屈して移転を余儀なくされた。
フィリピンのクラーク空軍基地、スービック海軍基地はベトナム戦争のときの主力基地であり、アメリカ国外最大の規模を誇っていたが、フィリピン政府の要請によって1991年に全面返還された。
これらの事実から言えるのは、「アメリカの西太平洋戦略とそれに基づく基地配備プラン」は歴史的条件の変化に対応して、大きく変動しているということである。
当然、これらの全体的な戦略的布置の変化に即応して、沖縄米軍基地の軍略上の位置づけも、そのつど経時変化をしているはずである。
だが、その変化について、それが「沖縄における米軍基地のさらなる拡充を求めるものか」「沖縄における米軍基地の縮小撤収を可能にするものか」という議論は政府もメディアも扱わない。
というのは、沖縄の米軍基地はこれらの劇的な地政学的変化にもかかわらず、その軍略上の重要性を変化させていないからなのである。
少なくとも、日本政府とメディアはそう説明している。
だが、もし地政学的条件の変化にかかわらずその地政学的重要性を変化させない軍事基地というものがあるとすれば、論理的に考えれば、それは「その地域の地政学的変化と無関係な基地」、つまり「あってもなくても、どちらでもいい基地」だということになる。
そのような基地の維持のために膨大な「思いやり予算」を計上し、沖縄県民に日常的な苦痛を強いるのは、誰が考えても政策的には合理的ではない。
つまり、沖縄基地問題がスタックしている第一の理由は、「沖縄に基地はほんとうに必要なのか?必要だとすれば、どのような機能のどのようなサイズのものがオプティマルなのか?」というもっともリアルでかつ核心的な問いについて、日本政府が「それについては考えないようにしている」からなのである。
もっともリアルで核心的な問いを不問に付している以上、話が先に進むはずがない。
だが、そろそろこの問いに直面しなければならない時期が来ているのではないか。
アメリカの共和党の大統領候補であるロン・ポールは沖縄を含む在外米軍基地すべての縮小・撤収を大統領選の公約に掲げている。
これが公約になりうるということは「在外米軍基地はアメリカの国益増大に寄与していない」という考え方がアメリカ国内でかなり広く支持されてきているということを意味している。
アメリカの世論調査会社ラスムセンによると、米軍が安全保障条約によって防衛義務を負っている56カ国のうち、アメリカ国民が「本気で防衛義務を感じている」国は12カ国だそうである(その中に日本が入っていることを願うが)。アメリカが「本気で防衛義務を感じない」国々を守るために他国の数倍の国防予算を計上していることに4分の3の米国民はもう同意していない。
大統領選の行方はまだ未知数だが、オバマが再選されても、共和党の大統領が選ばれても、国防費の削減はまず不可避である。
そのときにアメリカが日本の基地に対してどういう提案をしてくるか。
考えられるのは二つである。
(1)在日米軍基地の管理運営コスト、兵器のアップデートに要する費用、兵士の給与の大半または全額を日本政府が負担すること
(2)在日米軍基地の大胆な縮小・一部の撤収(この場合は、アメリカの国防上必須な軍事的機能の一部を、日本の自衛隊が安全保障条約の同盟国の義務として担うことも条件として付される)。
どちらもやたらに金がかかる話だから、財政規律の立て直しに必死な日本政府が「そんなことは考えたくない」と思うのはよくわかる。
気持ちはよくわかるが、いずれこの提案はアメリカから出てくる。
「もっと金を出す」か「自前で国防をするか」どちらかを選べと必ず言ってくる。
そして、今の日本政府には金もないが、国防構想はもっとないのである。
戦後67年間ずっとアメリカに日本は国防構想の起案から実施まで全部丸投げにしてきた。
自分で考えたことないのである。
国防はもちろん軍事だけでなく、外交も含む。
日本のような小国が米中という大国に挟まれているわけだから、本来なら、秦代の縦横家のよくするところの「合従連衡」の奇策を練るしかない。
だが、「日米基軸」という呪文によって、日本人はスケールの大きな合従連衡のビッグピクチャーを描く知的訓練をまったくしてこなかった。
ここでアメリカに去られて、自前で国防をしなければならなくなったときに、対中、対露、対韓、対ASEANで骨太の雄渾な東アジア構想を描けるような力をもった日本人は政治家にも外交官にも学者にもいない。どこにも、一人も、いない。
だって、「そういう構想ができる人間が必要だ」と誰も考えてこなかったからである。
日本のエスタブリッシュメントが育ててきたのは、「アメリカの意向」をいち早く伝えて、それをてきぱきと実現して、アメリカのご機嫌を伺うことのできる「たいこもち」的な人士だけである。
アメリカが日本の国防を日本の主権に戻した場合に、日本にはその主権を行使できるだけの力がない。
できるのはとりあえずは自衛隊の将官たちを抜擢して、閣僚に加え、彼らに国防政策の起案と実施を丸投げするだけである。
国民のかなりの部分はこれに賛同するだろう。既成政党の政治家より制服を着た軍人さんたちの方がずっと頼りになりそうだし、知的に見えるからだ。
だが、政治家たちも霞ヶ関の官僚たちもメディアも「軍人に頥使される」ということを想像しただけでアレルギーが出る。
さきのいくさの経験から、軍人たちを重用すると、政治家と官僚が独占してきた権力と財貨と情報が軍部にごっそり奪われることを知っているからである。
だから、「日本に国防上の主権を戻す」という、独立国としては歓呼で迎えるべきオッファーを日本政府は必死で断ることになる。
国防上の主権は要りません。
主権を行使する「やり方」を知らないから。
これまで通り、ホワイトハウスから在日米軍司令官を通じて自衛隊に指示を出してください。
それが日本政府の本音である。
だから、日本政府に残された選択肢は一つしかないのである。
アメリカが帰りたがっても、袖にすがりついて、「沖縄にいてもらう」のである。
金はいくらでも出します。消費税を上げて税収を増やすので、それを上納しますから。どうかいかないで。Don’t leave me alone
それが日本政府の本音である。
だから、「アメリカの軍略の変化」については言及しないのである。基地問題がスタックしているのは、「スタックすることから利益を得ている当事者」がいるからである。
ひとりは「もめればもめるほど、日本政府から引き出せる金が増える」ということを知っている国防総省であり、ひとりは「いつまでもアメリカを日本防衛のステイクホルダーにしておきたい」日本政府である。
交渉の当事者双方が、「話がつかないこと」の方が「うっかり話がついてしまうこと」よりも望ましいと思っているのだから、沖縄の基地問題の交渉は解決するはずがないのである。
悲しいけれど、これが問題の実相なのである。
別に沖縄問題の裏事情に通じているわけではないが、新聞を読みながら推理すると、こう考えるしか合理的な説明が存在しないのである。
というお話をする。
たぶんこれほど長い話は紙面に出ないと思うので、ここに録すのである。
(2012-02-27 12:30)