メルマガの予告編「格差社会について」

2012-01-09 lundi

メルマガに書いたのはこの4倍くらいの量ですので、「予告編」をブログに掲載することにしました。こういう話がこれから二転三転するんですけれどね、もちろん。
まずはイノウエくんの質問から。

第二回
「最近は、「今の世の中は閉塞感に満ちている。それは世の中が膠着しているからだ。そしてなぜ膠着しているかと言えば、既得権益を貪る老害たちが若者にチャンスを回さないからだ」と考える人が多い気がします。しかし、私はこの考え方がしっくりきません。
確かに個別に見ていけば、「さすがにもう前線は退いて、若い人にその席を譲ってもいいのではないか?」と思う人はいます(けっこうたくさんいますね……)。でも社会全体の構造を考えると、年長者全員の物分かりがよくなって「若者に笑顔やチャンスやお金をふりまいた」からといって、世の中が良くなるようには思えないのです。年長者がある意味で「壁」になり、青年がその「壁」を乗り越えるためにあらゆる工夫をする。そうした活動の中で、世の中というのは活性化していくのではないでしょうか。
良くも悪くも、時代は動いていきます。とくに二十一世紀前半の日本は、激しく動きそうです。そんな中で、「大人」はどのような行動を取るべきなのでしょうか。内田先生、教えてください!」


こんにちは。第二回の質問にお答えします。
元日のNHKテレビで「日本のジレンマ」という番組をやっていましたね。30-40代の若手知識人を集めた円卓会議のようなもので、格差の問題、そして、この質問にあったように「世代間対立」のことが論じられていました。最初は面白く見ていたのですが、途中でなんだかうんざりして消してしまいました。
その少し後に、平川克美くんとだいたい月一ペースでやっているラジオの対談番組の収録のときにその話題になりました。平川君もこの番組を見ていて、僕と同じように、途中でうんざりして消してしまったそうです。
何でうんざりしちゃったんだろうね、というところから話が始まりました。
「金の話しか、してないからじゃないかな」というのが二人の合意点でした。
格差の問題、年金の問題は今は「世代間における社会的資源の分配の不公平」という枠組みで論じられています。
その問題設定のしかたそのものは間違っていないと思います。
ご存じのように、年金制度は少子高齢化という人口分布のアンバランスによってもはや制度の体をなしていない。現行の賦課方式(現役世代が年金受給者を支える)ではもう高齢者のヴォリュームゾーンを支えきれない。だから、これを積み立て方式(同年齢集団で支え合う)に切り替えようということが提案されたりしている。
話としては整合的です。
だから、平川君と僕が違和感を覚えたのは、そこで話されていることの「コンテンツ」に論理的な不整合があるとか、データが間違っているとかいう理由からではありません。
「なんで、そんな話ばかりするの?」という「話題占有率」の異常な髙さが僕たちの違和感の所以でした。
というのは、どこまで記憶をたどっても、僕たちは若い頃に年金について熱く論じたことなんかなかったからです。
もちろん、年金は払っていました。年金けっこう高いねというようなことは給与明細みながら言ったことはあったでしょう。でも、その話で僕たちが熱く語りあったことは一度もなかった。
どうせお前たちはお気楽な身分だったからだろうという厭味を言う人がいるかも知れませんけれど、僕たちは大学卒業後に二十代後半で起業していたので、シビアな会社経営者だったのです。それでも、年金のことなんかほとんど話題にしなかった。
理由の一つは、年金受給年齢まで生きてると思っていなかったからですね。
これは単に「想像力がなかったから」と言った方がいい。
その時代の平均余命と医療の進歩を勘案すれば、かなり高い確率で年金受給年齢まで生きていることはありえたわけですが、それでも「年金をもらう自分」の姿をどうしても想像できなかった。
それは60-70年代というのが、社会的な変動期で、国家的規模で「想定外」の出来事が続発して、「もう先のことはわかんねえや」的な諦観とノンシャランスの入り交じったような気分が横溢していたせいです。
だって、60年代前半において、平均的日本人が自分の未来について抱いていた最大の不安は「核戦争の勃発」だったんですから。
ほんとですよ。
62年のキューバ危機のとき、米ソはほとんど核戦争の手前までチキンレースで意地を張り合っていました。
スタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』(64年)もスタンリー・クレイマーの『渚にて』(59年)も松林宗恵の『世界大戦争』(61年)も、愚かな政治家たちのせいで世界が核戦争で滅びる話です。それらの映画はかなり高い確率でこれから地球上に起きそうな出来事を描いている、僕たちはそう思って見てました。だいたい、『世界大戦争』なんか、小学校の社会学習で先生に連れられてクラス全員で見に行ったんですよ!今思えばあれは「心の準備」をさせるための教育的配慮だったんじゃないでしょうか(映画のラストはフランキー堺と乙羽信子と星由里子のふつうの一家が核ミサイルが日本の着弾するまでの短い時間に「最後の晩餐」を囲む場面なんですからね)。
60年代前半は「核戦争が起きて、人類は滅亡するのかも知れない」という暗澹たる予測が「常識」だった時代だったんです。そういっても、若い人にはなかなか信じてもらえないかもしれないけれど、あの時代の、例えばクレイジー・キャッツの映画の底抜けの明るさなんかも、「核戦争の不安」を抜きにするとうまく理解できないと思います。ある種「やけくそ」なんです。明日はどうなるかわからない。だったら、どっと楽しくやろうじゃないか、と。とにかく前の戦争のときとは違って、いくらわいわい騒いでも馬鹿笑いしても、隣組のオヤジに説教されたり、特高に捕まったりする気遣いだけはないんだから・・・たぶん、そんな気分だったと思います。せっぱつまった明るさなんですよ、あれは。
そういう気分のときに「年金の話」とか、しないでしょう、ふつう。
60年代後半から70年代前半までは今度は核戦争じゃないですけど、世界的なスケールで政治的激動の時代でした。中国では文化大革命が始まっていました。アメリカは国外ではベトナムでナパーム弾で農民たちを焼き払い、国内ではヒッピームーヴメントの絶頂期で、公民権運動に続いてブラックパンサーがラディカルな活動を始めていました。ドイツではバーダーマインホフグループが、イタリアでは赤い旅団がテロ活動を行い、フランスでは「五月革命」と呼ばれる学生=労働者の運動が首都を覆い尽くしていました。
世界が明日どう変わるかわからない。誰にも予想がつかない。そんな激動の時期が10年近く続いたのです。
そういう気分のときに「年金の話」とか、しないでしょう、ふつう。
その後は今度はいきなり非政治的な、享楽と奢侈の時代に急転換しました。バブルの時代です。
女子大の教室のドアをあけるとむせかえるようなプワゾンの匂いがし、18歳の少女たちがミンクやシルヴァーフォックスのコートを来て練り歩き、時給750円のラーメン屋のお兄ちゃんがロレックスをはめ、家賃3万円のアパートの駐車場にベンツやBMWが並んでいて、ふつうのおじさんがフランスやオランダでシャトー(森と池つき)を買い、ふつうのおばさんがパリ16区にアパルトマンを買うという、まことに奇妙な時代でした。日本中の人々が株と不動産取引に夢中でした。それは彼らに言わせると「道に落ちているお金を拾うようなもの」なのだったのだそうです。立ち止まって、屈み込めば、誰でもお金が手に入る、そんな時代でした。
たしかに、この時代の人たちはほとんど「金の話」しかしませんでした。
僕は1985年に開かれた高校のクラス会のことをよく覚えています。最初から最後まで株と不動産の話だけで終わりました。僕はどちらとも無縁だったので、まったく級友たちの談笑の輪に入ることができず絶望的な気分になったのを覚えています。
そのときも誰も「年金の話」はしませんでした。そんな「はした金」のことなんかどうだってよかったのです。
ともかくそんなふうに生まれてから今日まで、年金のことをまじめに熱く語ったことが一度もなかった世代の人間なので、若い知識人たちが年金制度について熱心に制度のディテールについて適否を論じ合う姿を見て、なんだか「奇妙な夢」を見ているような気になったのです。
勘違いして欲しくないのですが、それが「悪い」と僕は言っているわけではありません(社会制度のあるべきかたちについて真剣に語るのが悪いことのはずはありません)。そうではなくて、正月早々に、おそらく同世代の中で際立って才知にあふれた方々が一堂に会して、そこで「年金制度」について、放送時間の半分近くを費やしたことに僕はびっくりして、うろたえてしまったのです。
僕の本音の声を漏らすならば、「今って、そんな話している場合なの?」ということでした。
(以下メルマガに続く)

なんか、ここまで読んだ人たち、すごく怒りそうですけど、このあと「そんなに怒らないでください、実はですね・・・」というお詫びと言い訳がありますので、がまんして続きを読んで下さい(と営業)。