BlogNagayaLinkaGuestsColumnsBookMovieSeminarBudoPhotoArchivesProfile

« 雇用と競争について | メイン | 凱風館オープンハウス »

アンケートの続き

若者と雇用について、アンケートに回答したら、さらに続きの質問が来た。

Q4 「人参と鞭」の教育を突き進めてきた米国であのような大規模なデモが起こっているのはなぜなのでしょうか? 日本とはどこが違うのでしょうか? 日本は戦後、米国から教育や民主主義の概念など多くを学び、米国的価値観をよしとしてきました。その日本では連帯せず、米国では拡大している。この差についてどうとらえたらいいのか、ぜひ教えて下さい。

戦後日本で大きな社会運動が起きたのはすべて「反米ナショナリズム」の運動としてです。
外形的には「左翼」主導の運動でしたので、本質は見えにくいですが、そうなのです。
内灘闘争以来の反基地運動、60年70年の二次にわたる安保闘争、佐世保羽田に始まるベトナム反戦戦争などなど・・・巨大な動員をもたらした社会的な異議申し立ての運動はすべて本質的には反米闘争(すなわち「日本の主権回復闘争」)として行われました。
日本人が「社会正義」を要求して運動を起こすとき、それはつねに「反米ナショナリズム」とセットになっているというのが私たちがとりあえず戦後史から学ぶことのできる「パターン」の一つです。

今の日本の格差社会は「アメリカ的社会観」が作り出したものです。そして、これまでの質問でお答えしてきたように、若者たちは「アメリカ的社会観=能力のないものが階層下位にとどまるのは当然であるという考え方」を深く内面化しております。
ですから、もし彼らが「アメリカ的な社会観・人間観からの脱却」という枠組みで、「格差社会の是正」ということを言い出したら、その主張は広範な国民的共感を獲得する可能性があります。
「もともと日本には、弱者をとりこぼさないような相互扶助的な社会システムが整っていたのではなかったか?そのような『古きよき伝統』に回帰しよう」というタイプの主張を若者たちが掲げたら、大きな「うねり」が発生する可能性があります。
でも、若者たちはあまりに深くアメリカ的な利己主義に嵌入しているので、そういう「アイディア」は彼らからは出てくるようには思えません。残念ながら。

日本で劇的な社会改革運動を起こそうとしたら、それは「アメリカの属国であることを恥じる、主権奪還の闘争」として行われる他ない。そして、そのように考えている人間はとりあえず政治の世界にもメディアの世界にも、もちろんビジネスの世界にもほとんどいません。

それに対して、アメリカ国内では格差解消という主張がつよい訴求力を持つのは、それが「アメリカという国の建国理念」の確認にかかわるからです。
アメリカは理念の上につくられた国です。すべての人間は「造物主によって、生命、自由、幸福追求の権利を与えられている」という「自明の真理」を彼らは推論の基礎に置くことができます。
つまり、ウォール街でデモをしている若者たちの主張の本質的な正統性は、アメリカの独立宣言と、さらに言えば「神」によって保証されているのです(「権利」を実現する手続きについてはテクニカルな異論があるでしょうが)。
残念ながら、私たちの国の若者にはそのような思想的バックボーンがありません。
天上的な保証人がいない。日本国憲法でさえ、彼らはほとんど典拠にすることがありません(典拠にしたくても、それもまた「アメリカからおしつけられたもの」に他なりません)。
それが日本人の「本態的な弱さ」なのです。
日本人が強くなれるのは「圧倒的な強敵(自然災害も含めて)に対して弱者たちが連帯する」という物語のうちに身を置いた場合だけです。
そういう「物語」を作り出すことができるかどうか、格差解消という政治的実効の成否はそれにかかっていると私は思います。


About

2011年10月23日 10:31 に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「雇用と競争について」です。

次の投稿は「凱風館オープンハウス」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。