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8月の備忘録

Twitterに身辺雑記、ブログに演説というふうにわけたのはいいけれど、「日記」代わりに使うにはブログの方がずっと使い勝手がよい(Twitterは記事が多すぎるし、どうでもいいことばかり書いてあるので、あとから検索するときにたいへんである)。
というわけで、備忘のため定期的にブログに「業務日誌」を記録しておくことにしている。
6月7月はあきらめて、8月から。
8月1日(月)午前、産経新聞電話取材。午後名古屋で名越先生、橋口いくよさんとの『ダ・ヴィンチ』鼎談。引き続き、原発の話。『スター・ウォーズ』について『BRUTUS』で名越先生と徹底討論するという企画、日程が苦しいので一度断ったのだが、お会いしたら、「ウチダセンセが断ったから、ぼく一人でやることになったの」と寂しそうな顔をされていたので、急に気が変わって、対談することに一決。
8月4日(木)鷲田清一先生最終講義。阪大総長として最後の講演のため待兼山まで酷暑のなかを出かける。旧知の方たちが集まっている。仲野先生に呼ばれて、お隣に座って、拝聴。途中で演壇から「そうやね?」と急に訊ねかけられてびっくり。
実に味わい深いお話だった。いずれどこかで活字になると思うけれど、鷲田先生のアカデミズムの退嬰性に対する憤りの深さに驚く。穏やかな風貌の下に、圭角のある反骨精神がひそんでいる。
講演後、懇親会。スピーチを依頼されて、ひとことご祝辞を申し上げる。
こちらはもう肩書きのない一介の野人であるから、何を言ってもどこかに迷惑がかかるということはないので、まことに気楽である。
「革命をやるなら鷲田先生とやります」をはなむけの言葉としてお送りする。
8月5日(金)高野山の夏期大学。難波から南海に乗って、高野山まで。毎日新聞社の主催のイベントなので、毎日新聞の相原さんがお迎えに来ている。
お昼の精進料理を食べてから、東川さんご夫妻たちと金剛峯寺のお坊さんのご案内で堂内を奥の院まで歩く。さすがに奥の院は霊気がびしびし肌にしみこむすごいパワースポットである。
そのあと高野山大学の講堂で、70分の講演。
霊気を浴びた後なので、「霊感」について。
私たちが「霊感」と呼んでいるものは、いずれ、今より精密な計測機器が発明されたら、数値的にも計測可能になる、微弱なシグナルのことである。
現有の計測機器では測定できない定量的な変化を「存在しない」と断定するのは、愚かなことである。
ウィルスを「発見」したのは、ロシアのディミトリ・イワノフスキーであるが、彼はタバコモザイク病の病原が細菌濾過器を通過しても感染性を失わないとい事実から、当時の顕微鏡では検出できないサイズの病原体が存在すると推測した。
この推論は正しい。
手持ちの計測機器では計測できないが、あるパターンを描いた「出力」がある場合、そこには「入力がある」と推測することは間違っていない。
このときは、大阪府警の「見当たり捜査」官の話をした。
そのあと朝日新聞などが騙されたニセ医者の話もこれと同趣旨のものである。二週分のAERAの記事をここに採録しておく。

「大阪京都両府警の捜査官が広域事件について打ち合わせしたとき、京都府警の刑事が「こういう事件もあるんです」と、ある空き巣事件の容疑者の写真を大阪の刑事に示した。打ち合わせが終わって外へ出て10分後に大阪府警の刑事は近くの競艇場外発売所近くでその容疑者を発見した。この捜査員は雑踏の中から指名手配犯などをみつける『見当たり捜査』の専門家だそうである。
そういうものだろうと思う。こういう人たちは『犯罪にかかわる人間』が発する微細なオーラを感知する能力を備えている。そういう能力を持っている人が警察官になるべきであり、これまではなってきたのだと思う。警察という制度はそのような能力を勘定に入れて制度設計されている。
だが、挙動不審な人間を感知する能力や嘘をついている人間とほんとうのことを言っている人間を見分ける能力などは、その有無や良否をエビデンスによって示すことができない。そして、私たちの社会では『エビデンスによって示すことができないものは存在しないものとみなす』というルールを採用しているのである。そのせいで、わが国のあらゆるシステムは劣化したと私は思っている。
冤罪事件が多発するのは、司法システムが『嘘をついている人間と真実を述べている人間を直感的に識別できる能力』を備えた司法官が一定数存在することを前提に制度設計されているからである。物証がなくとも、自供がなくとも、証言の真偽を直感する力を備えていると想定された司法官に賦与されている諸権限を、そのような能力を持たない司法官に許したからこそ、『今起きているようなこと』が多発するのである。
人々は司法制度の改善(平たく言えば『司法官がどれほど無能でも真犯人が逮捕され、正しい判決が下せる制度』の実現)を願っている。それも一つの道だろう。だがそれでは制度の劣化は止まらない。遠くから容疑者に引き寄せられる捜査官や、偽証を直感できる司法官はどのようにすれば選抜され、育成されるのかという問題は純粋に技術的なものだ。それを誰も論じないという事実が制度劣化の病態そのものなのである。」(AERA8月一週号)

次はニセ医者について書いたもの。今週号のAERAに掲載されている。
「石巻市の災害ボランティアセンターで、医師免許を持たない人物が医療行為を行っていた。朝日新聞は『ひと』欄でこの男性をカナダの大学病院所属の『小児救命救急医』と紹介し、社外から詐称ではないかという指摘を受けて、二日後に記事を削除した。この事件には日本のメディアの本質的な弱さが露出していると私は思う。
それはジャーナリストに『人を見る目』がなくなったということである。取材のたびに、記者たちの前にはさまざまな人物が登場して、さまざまな言明をなす。多くは主観性のバイアスがかかっている(中にはあからさまな誇張や虚偽も含まれる)。だから、報道を職務とするものに一番必要なのは、彼らに向かって語っている人間の言明のうちの真実含有量をクールに計測する能力である。
しかし、このような能力は入学試験や就職試験では査定の対象にならない。受験科目にないし、大学でも教えない(そもそも教員たちも上司たちも若者がそのような能力を持つことをほんとうは望んでいない)。
その結果、私たちの社会では『人を見る目』を持つ人が絶滅に瀕しつつある。
『人を見る目』というのは、コンテンツの理非については判断できないが、『この人の言うことなら信じてもよい』と判断できる力のことである。あるいは、話のつじつまは合っているが、『この人を信じてはいけない』と直感できる力のことである。
この先駆的なスクリーニングによって、さまざまな犯罪や業務上のミスは未然に防がれ、社会的コストは抑制されている。
けれども、この能力には顕示的なエビデンスが存在しない。『人を見る目がある人間』の身の上にはさしあたり何も起こらないからである。不可解なことだが、私たちの社会はこの『予防的に厭な思いを回避した力』をゼロ査定する。危機的状況に際してはこの能力の有無がしばしば生死を分かつことになるにもかかわらず。
このニセ医者には朝日新聞の他に複数のマスコミが騙された。『他社が取り上げた』ことを以て取材対象の身元保証に代えることができると信じたのだとしたら、マスメディアはまさに危機的状況にある。」(AERA8月三週号)

私が言いたいことはどちらも同じである。
人を見るときに私たちがなすべきは、表面的なロジックの整合性や資料的根拠を吟味することではなくて、「あなたはそれを言うことによって何を言いたいのか?」という分析的問いを差し向けることである。
人間の抑圧された欲望はその表層にあからさまに露出しているので、見ればわかるのである。
ほんとに。
8月6日(土)。合気道のお稽古。そのあとゼミコンパ。2009年卒のゼミ生諸君が遊びに来る。リクエストによって颱風グリーンカレーを作って待つ。
みなさんの近況をうかがう。みんな元気にやっているようで、老師もちょっと安心。
8月7日(土)甲南麻雀連盟例会。お盆のさなかなの例会なので、釈住職がおいでになったところで「おつとめ」。ありがたいことである。
住職は墨染めの衣の裾を翻して一荘打って走り去られた。
総長は5の1で、また勝率を下げる・・・
8月11日(木)「ゆくるの会」。サニー影浦主催の不思議なご飯イベント「ゆくるの会」が社員旅行グループからのスピンオフ活動としてひそかな盛り上がりを見せていることはTwitter上ではつとに知られていた。「社長」としても一度は見聞しておかねば・・・ということで光嶋くんといっしょに西天満に出かける。
番画廊のすぐそばのビルの地下に21人の「社員」が集まる。
驚くべきことに最大派閥は甲南麻雀連盟ではなく、ジュリー部。
ジュリー部というのは知らない方のためにご説明すると、私の周辺にいる方々が形成している沢田研二ファンクラブである。
どうしてジュリーなのかつまびらかにしないのであるが、フジイさん、サモトさん、フクダさんというあたりのコアなジュリー・ファンが地道なファン活動(コンサート通いおよびカラオケでの絶唱)を細々となされていたのだが、それがいつか大学院聴講生仲間の知るところとなり、昨年はじめころから入部者が急増。マエダさんもウッキーも広末も青木くんも仁さんも入部。やがてジロちゃん、仲野先生、西さん、釈先生まで加わって総数30名。先般は大規模なオフ会が開かれた(ジロくんと西さんが「さらっていった」そうである)。
私はカラオケというものとご縁のない人なので参加しておらないのであるが、たいへん楽しそうである。
これらの諸活動の本体はバリ島社員旅行参加者たちである。
バリ島社員旅行はゼミ旅行が起源であるのだが、「OG、友人、知人、家族も参加できます」というルールで運営していたので、だんだん参加者が増えた。
前回のバリ島社員旅行では、ついに総数34名という添乗員付きツァーになったことはご案内の通りである。
このツァーには、ゼミの卒業生のみならず、大学院聴講生(ジュリー部員多し)、甲南合気会会員、甲南麻雀連盟会員も参加していた(甲南麻雀連盟はバリにおいて「バリ王杯争奪戦」を開催し、ジロちゃんが初代バリ王の栄冠に輝いた)。
これらの複合的な集団をまとめてなんと呼ぶべきか定まった名称がなく、とりあえず「内田ゼミ」と呼んでいたのだが、それがいつのまにか「内田組」に変わり、その呼称がいまのところ使用されているのである。
「ゆくるの会」もそのスピンオフ活動の一つであり、参加者のほとんどは旧バリ島組であった。
おいでになったオオクラさんは私のゼミ生のお母さんであり、いまやジュリー部長として隠然たる勢力を誇るフジイさんも元はと言えばそのお友だちである。ご縁が濃いのか薄いのか、なんだかもうよくわからない。
次回の内田組の企画は11月末の「道後温泉・伊丹十三記念館訪問ツァー」であり、その次は2月の「恒例・バリ島社員旅行」。
8月13日(土)合気道のお稽古のあと、IT秘書の東沢くんと三宮にでかけて、VAIOとiPad2を購入。
VAIOは大VAIOがちょっと作動不良となったので、さくっと新品に買い換え。
iPad2は奥さんへの誕生日プレゼントである。
奥さんにはこれまで何度かPCの使い方をお教えして、MacBookAirもご提供したのだが、さっぱり使用された形跡がない。
お贈りしたiPad2も部屋の隅で埃をかぶって余生を過ごすことになるのでは・・・といささか不安である。
8月14日(日)-15日(月)丸亀合気道講習会。守さんのところの恒例の合気道講習会。今年は書生二名(ヨハンナとサキちゃん)に、香川うどんツァーにでかけるウッキーとヒロスエを乗せて、5人で明石海峡大橋を渡る。
最初の日のお昼は永楽亭の鰻(美味)。ここで香川在住のかんきちくんたちも合流。
ご主人の野原さんからまたまた面白い話をいろいろうかがい、お土産に「サヌカイト」の風鈴までいただく。
午後2時から5時まで講習会。例年よりは涼しかったです。
そのあと懇親会で、日本各地からおいでになった講習生の方々とお話する。
やはり医療関係、教育関係のかたが多い。
守さんとふたりでコンビ漫才のように身体技法について語り続ける。
翌日は明水亭のおうどん。おいしい~。
8月16日(火)伊藤歯科。夜は「ジブリの日」。『コクリコ坂から』を奥さんといっしょに三宮に見に行く。
映画の感想についてはTwitterに少し書いたけれど、まとまったものはまた別の機会に。
帰りに門でビーフカツとビール。
8月17日(水)東京へ。秋葉原のLinux Café の新しいオフィスで平川くんと『たぶん月刊話半分』の収録。おいしいおそばと珈琲を御馳走になる。
平川君、だいぶお疲れのようである。なかなか休めないんだよね。
この日は学士会館泊。僕も疲れがどっと出て、すずらん通り角の三幸園で味噌ラーメン、餃子、ビールで腹がふくれたら睡魔に襲われ、午後8時に就寝。朝5時半まで爆睡。
8月18日(木)早起きして、静岡へ。静岡県高等学校図書館研究大会で講演。
お題は「子供たちが本を読むことの意味」。
90分ほど書物と他者との出会いについて、お話しする。
高校の、それも図書館の担当の先生たちであるから、非常に気合いの入った聴衆たちでした。
終わって静岡から新幹線に乗ったら、また爆睡。
8月19日(金)。午後、光嶋くんと現場で打ち合わせ。夕方から淀屋橋でドクター佐藤と140B主催の「石巻の阿部慶吾さんのお話しを聴く会」へ。石巻に医療支援に行っていたドクター佐藤が現地でお会いした阿部さんのお話。
津波で孤立し、何の物資もない湊小学校に1400名の被災者を収容しながら、奇跡的に犠牲者の一人も出さなかった組織論のすばらしさもさることながら、津波マニュアルの指示より自分の直感に従って子供たちを避難させて全員の命を救った阿部さんの危機センサーのたしかさに驚く。http://blog.140b.jp/satoh/archives/108
終了後、適塾となりの福仙楼にて、ドクターと大迫くんの慰労会。
内装を見回して「昭和ですねえ」と光嶋くんが言う。「いや、大正だよ、これは」
料理の盛りがすごいの・・・サニー影浦が必死になって写真を撮っていたので、興味のある方はそちらをご覧ください。
8月21日(日)歌仙会。『土蜘蛛』の仕舞で、拍子を間違えて、「やりなおし」を命じられる。蜘蛛の巣6本まき散らす。
一日謡い続けだったので、さすがに疲れて、またもや9時就寝。爆睡。
8月22日(月)アメリカのロチェスター大学で医療経済学を研究しているByung-Kwan Yoo さんとお話。
大阪出身の在日コリアンの方で、北大医学部を出てから医療経済学を学ぶために渡米。Harvard で修士号、Johns Hopkins で博士号、スタンフォード医療政策センターで研究員、CDC(Centers for Disease Control & Prevention)でエコノミスト。2006年からこの9月までRochester 大学医学部准教授という、それこそ「グローバル人材」を絵に描いて彩色したようなキャリアの白面の学究である。
そんな人が御影の隠居に何の用か・・・と思うのだが、どうやら医療についての考え方において、私に深く共感するところがあって、それを告げるだけのためにわざわざおいでくださったのである。
ありがたいことである。
お話をうかがうと、日本の医療についても、アメリカの医療についても、Yoos先生は相当にご不満なようであった。
もちろん日米どちらにも立派な医療者はいるのだが、やっぱりどちらにも「ろくでもない医療者」や「ろくでもない学者」や「ろくでもない医療保険会社のビジネスマン」がいて、医療の進歩を妨げ、フェアで質のよい医療提供機会をつぶして回っている。
とくに下層をターゲットにした「メディケイド」を扱う医療保険会社の強欲ぶりはひどいもののようである。
こういう保険会社は金がない人間、重い疾患をもつ人間は保険に加入させない。
Yoo先生によると、保険も「20:80の法則」が適用される領域であって、全体の20%の加入者が給付金の80%を受け取る。
だから、この20%を効果的なスクリーニングによって保険に加入させないことに成功すれば、保険会社は健康な加入者から掛け金を受け取るだけで、病人には給付金を払わずに済む。
アメリカの保険会社は単年度契約であるので、「この加入者が来年一年間にどれくらいの給付金を請求することになるか」をもし統計的に適切に予測できるようになれば、保険会社というのは「金のなる木」を手に入れることになる。
だから、保険会社から大学での「発病予測」研究には膨大な研究費が投じられているのだそうである。
でも、「未来は未知」というのはほんとうで、スーパーコンピュータを使って演算しても、「この人が来年発病するかどうか。どのような病態をとるか。いつ死ぬか」はぜんぜん予測できない。
医療費のほとんどは末期医療に投じられているので、「いつ死ぬか」がわかれば、医療費支出は抑制できる(「じきに死ぬことがわかっている人間には医療行為を行わない」ということにすればよろしいのである)。
そして、「死期」を予測するために、さまざまな指標をとってみたが、結局いちばん信頼性の高い指標は「本人の自分の健康状態についての5段階自己評価」だったそうである。
「なんか、オレ、長生きしそう」とか「あと五年くらいで死にそう」とかような主観的な印象が、どのような客観的検査数値よりも統計的には発病や死亡時期との相関が高いのだそうである。
驚きますね。
人間はそういうことがわかる能力が潜在しているとみるべきか、あるいは「遂行的言明の力」を重く見るべきか。
たぶん、その両方なんだろうけど。
医療経済学という新しい学問分野を担う学究が、どうして僕のところにおいでになったのか、やっぱり理由はよくわからなかったけれど、「医療にビジネスは介入すべきではない」ということを断定的に言う人間がたぶんアメリカにも日本にもあまりいないからなのであろう。
というところでやっと昨日までたどりつきました。

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2011年08月23日 11:40 に投稿されたエントリーのページです。

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