先週、中津川市加子母というところを訪れた。
凱風館の工事をお任せしている木造建築専門の中島工務店の中島紀于社長にお招き頂いたのである。
中島工務店は「知る人ぞ知る」木造建築技術のトップランナーであるが、私はもちろんそういうことをまるで「知らない人」なので、光嶋くんから「こういう業者もありますけど」と紹介してもらって知ったのである。
そのとき、中島工務店がこれまで作ってきた建築物のカタログを見せてもらって、「おおお、ここだ」と内心勝手に決めてしまった。
どこがどう「びびび」と来たかのかを言うのはむずかしい。
あえて言えば中島工務店の作る建物には「もどかしさ」があったのである。
何かひどく「言いたいこと」があるのだが、与えられた条件ではそれがうまく言えないので、じたばたと地団駄踏んでいる・・・というような感じがしたのである。
われわれが外国語で話すときに、言いたいことがうまく言えないで、もどかしい思いをしているときの、あの「思い余って言葉足らず」感が中島工務店の作った建物に常ならぬ「生命感」を与えていた。
これらの建物は「言葉」を必要としているように私には思われた。
この場合の「言葉」とは、「そこに住む人間」のことである。
そこに住む人間が「参加」して、家と対話を始め、家そのものがそれまで持っていなかった語彙や音韻をそこに響かせると、それに呼応してはじめて建物が生き始める。
そういう感じがしたのである。
それは申し訳ないけれど、大手の住宅会社が作る既製品的な住宅には感じることのできないものだ。
それらは人間が住み始める前に、商品としてすでに完結している。
そこにリアルな身体をもつ人間が住み、手垢のついた家具が置かれることで、家はむしろその完成度を損なわれる。
だから、住宅雑誌のカメラマンが家の撮影をするときには、そこから住民の生活感を意識させるものは組織的に排除される。
住宅雑誌のグラビアの中に「やきそばUFO」とか「ビッグコミック」とか「さつま白波」とかが写り込んでいるのを見ることができないのはそのせいである。
でも、中島工務店の建てる建物は逆に「そういうもの」が参加しないと成り立たないような「マイナスワン」感を私にもたらした。
でも、そのことは今日の本題とは直接の関係がない。
その中島工務店の中島紀于社長に招かれて加子母に行ったのである。
加子母(「かしも」と読んでください)は人口3300人。そのうち中島工務店の従業員が200人以上。家族を含めると、たぶん人口の3分の1くらいが中島工務店の関係者である。社長が村の中のどこを歩いても知らない人がいない。
それが私に老子の「小国寡民」の理想郷のことを考えさせた。
老子は「小国寡民」についてこう書いている。
「其の食を甘しとし、其の服を美とし、其の居に安んじ、其の俗を楽しまん。隣国相望み、鶏犬の声相聞こえて、民は老死に至るまで、相往来せず」
「相往来せず」どころか、中島工務店は全国展開している。
でも、それは資本主義企業の「右肩上がりの経済成長」とはめざすところが違うようである。
どうやら、中島社長は加子母における「自給自足」的な共同体実践を全国に「布教」するためにその企業活動を行っているように私には見えた。
加子母の奧の渡合温泉(「どあい」と読んでください)の宿のランプの灯りの下で、中島社長は岩魚の骨酒を呷りながら、「もう電気は要らない」と呟いたからである。
私は岩魚の刺身と岩魚の煮付けと岩魚の塩焼きを貪り喰いながら、社長のその言葉を聞いて、半世紀ほど前に読んだフレドリック・ブラウンの『電獣ヴァベリ』を思い出した(『電獣ヴァヴェリ』は「SFマガジン」掲載時のタイトルで、『天使と宇宙船』に収録されたタイトルは「ウァヴェリ地球を征服す」)。
フレドリック・ブラウンは中学生の私にとってのアイドルであったが、今読み返してみても(昨夜読み返した)、すばらしく面白い。
『ウァヴェリ』は宇宙から飛来した「電気を主食とする生物」のせいで地球上から電気がなくなってしまうという話である。
ラジオのCM作家であった主人公のニューヨーカーは田舎の村に家を買い、19世紀の人々のように、蒸気機関で工作し、馬で移動し、牛で土地を耕し、活字を組んで印刷し、夜になると楽器を手に集まってきて室内楽を楽しむ生活をしている。
それだけの話。
でも、読んでから45年間、私はヴァヴェリのことを一度も忘れたことがない。フレドリック・ブラウンが描いた「電気のない生活」にはげしく惹きつけられたのである。
私はある意味では「精神的なラダイト」だったのかも知れない。
だから、きっと中島社長の「もう電気は要らない」発言に「びびび」と来たのである。
誤解を避けるためにあらかじめお断りしておくけれど、中島社長のいう「電気は要らない」は電力の大量生産・大量消費システムを廃し、生活に必要な電気は自給自足する方がよいという考え方のことであって、それほど過激なことを言われているわけではない(現に、工務店の工場には電動工具がひしめいている)。
それにしても、現役のビジネスマンの口から「もう電気は要らない」という言葉を聞いたのはショックであった。
自分がいかにエネルギー政策について、既存の思考枠組みにとらえられていたのかを思い知らされたからである。
ことの当否や実現可能性や根拠の有無はわきへ置いて、「そういう発想」がなかったおのれの思考の不自由を恥じたのである。
そのあと少し調べているうちに、現在のエネルギー政策がどれほど「時代遅れ」なものであるかがしだいにわかってきた。
コンピュータの場合は、IBM的な中央集権型コンピュータシステムから、1970年代にアップルの離散型・ネットワーク型コンピュータ・システムへの「コペルニクス的転回」があった。
あらゆる情報をいったん中枢的なコンピュータに集積し、それを管理者がオンデマンドで商品として配達して、独占的に設定された代価を徴収する。
そういう情報処理モデルが時代遅れとなった。
今、情報はネットワーク上に非中枢的に置かれて、誰でも「パーソナル」な端末から自由にアップロード・ダウンロードできる。
「中枢型・商品頒布型」モデルから「離散型・非所有型」モデルへの移行、これはひろく私たちの世界の「基本モデル」そのものの転換を意味している。
IBMモデルからアップルモデルへの移行は「情報」そのものの根本的な定義変更を含んでいたからだ。
IBMモデルでは情報は「商品」だった。
だから、退蔵し、欲望や欠乏を作り出し、価格を操作し、高額で売り抜けるべき「もの」としてやりとりされた。
アップルモデルでは情報はもう商品ではない。
それは誰によっても占有されるべきものではなく、値札をつけて売り買いするものでもなくなった。
情報はそれが世界の成り立ちと人間のありようについて有用な知見を含んだものである限り、無償で、無条件で、すべての人のアクセスに対して開かれているべきである。
というのが離散型・非中枢型・ネットワーク型のコンピュータモデルの採用した新しい情報概念である。
そうした方が、情報を商品として市場で売り買いするよりも、人間たちの世界は住み易いものになる可能性が高いという見通しにイノベーターたちは同意したのである。
この基本的趨勢はもう変えることができないだろうと私は思う。
エネルギーもそうなるべきなのだ。
それは本来は商品として売り買いされるべきものではなかった。
「共同体の存立に不可欠のもの」である以上、電力もまた社会的共通資本として、道路や鉄道や上下水道や通信網と同じように、政治ともビジネスとも関係なく、専門家の専門的判断に基づいてクールにリアルに非情緒的に管理され、そのつどの最先端的なテクノロジーを取り込んで刷新されるべきものだったのである。
けれども、電力を管理したのは実質的には政治家と官僚とビジネスマンたちであった。
彼らは「共同体の存立と集団成員の幸福」というものを「自分たちの威信が高まり、権力が強化され、金が儲かる」という条件を満たす範囲内でしか認めなかった。
テクノロジーの進化は、当然電力においても、パーソナルなパワープラントとその自由なネットワーキングを可能にした。
環境負荷の少ない、低コストの発電メカニズムの多様で自由なコンビネーションによって、「電気は自分が要るだけ、自分で調達する」という新しいエネルギーコンセプトが採用されるべき時期は熟していたのである。
電力においてもIBMモデルからアップルモデルへの、中枢型から離散型へ、商品から非商品へのシフトが果たされたはずだったのである。
それが果たされなかった。
旧来のビジネスモデルから受益している人々が既得権益の逸失を嫌ったからである。
原発は彼らの「切り札」であった。
国家的なプロジェクトとして、膨大な資金と人員と設備がなければ開発し維持運営できないものに電力を依存するという選択は、コストの問題でも、安全性の問題でもなく、「そうしておけば、離散型・ネットワーク型のエネルギーシステムへのシフトが決して起こらない」から採用されたのである。
もうこの先何も変わらない、変わらせないために、彼らは原発依存のエネルギー政策を採用したのである。
人々は忘れているが、原発というのは「イノベーションがもう絶対に起こらないテクノロジー」なのである。
原子炉の恐ろしいほどシンプルな設計図からもわかるように、あれは「もう原理的には完成していて、(老朽化と故障と人為的ミスと天変地異とテロが招来するカタストロフ以外には)改善の余地のないメカニズム」なのである。
人々が原発に群がったのは、それが最新のメカニズムだからではなく、「進化の袋小路に入り込んでしまった」メカニズムだったからである。
私たちは原発事故でそのことを学んだ。
私たちは「最新のテクノロジーの成果を享受している」という偽りのアナウンスメントを聞かされることで、「エネルギー・システムでもまた中枢型から離散型へのシフトがありうる」という(コンピュータを見れば誰でもわかるはずの)ことから眼をそらしてきたのである。
今回の原発事故で「節電」ということを電力会社が言い出したことで、多くの市民は「どうして発電送電を民間事業者が独占していなければいけないのか?」という当たり前の疑問を抱いた。
どうして、自家発電してはいけないのか?
サイズも、形式も多様なパワープラントがゆるやかに自由にネットワークしているシステムの方が、単独の事業者がすべてを抱え込んでいるよりも、リスクヘッジ面でもコスト面でもテクノロジーのイノベーション面でも有利ではないのか?
そういう問いを発したときにはじめて、私たちがこの問題についてきわめて不自由な思考を強いられてきたことに気づいたのである。
ツイッター上で紹介したように、すでにさまざまの離散型のパワープラントの開発は30年前から(つまりコンピュータにおけるアップル革命の時点から)始まって、技術的にはもう完成している。
その実用化をきびしく阻害しているのは、端的には「古いビジネスモデルから受益している人たち」である。
原発事故はこの人々が退場すべきときが来たことを意味している。
原発については、さまざまな意見が語られているが、「モデルそのもの」の刷新についての吟味が必要だということを言い出す人はまだいない。
私のような門外漢がこういうことを言わなければいけないという事実そのものが、この論点についての抑圧がどれほど強いものであるかをはしなくも露呈しているのではあるまいか。
(2011-06-16 15:14)