独裁体制のピットフォールについて

2010-11-24 mercredi

北朝鮮が黄海上にある韓国の延坪島を砲撃した。数十発が着弾、韓国軍兵士二名が死亡。家屋などが焼け、山火事も発生した。
53年の休戦協定以来、北朝鮮軍が韓国領土に向けて直接砲撃を行ったのは、これがはじめてのことだそうである。
後継者に対する「忠誠競争」を急ぐ軍一部の暴走という説もあったが、同日夜に朝鮮人民軍最高司令部の名によって攻撃声明がなされた。
後継者に確定した金正恩の軍部への掌握力を強化する目的との見方が支配的だ。
事件の直後、アメリカ国務省は情報収集のためしばらくコメントを控えていた。
「情報収集」というのは、平たく言えば、北朝鮮政府部内に送り込んである「アセット」からの連絡待ちということである。
北朝鮮政府内部にも、「韓国にパイプをもつもの」「中国にパイプをもつもの」「ロシアにパイプをもつもの」「アメリカにパイプをもつもの」が当然いる。
彼らは一定の範囲で北朝鮮政府部内の情報を国外の情報機関にリークしている。
別に「スパイ」としてそうしているわけではなく(多少はそうだが)、情報戦はビジネスと同じく、give and take である。「やらずぶったくり」というわけにはゆかない。彼らもまた諸国政府のコンフィデンシャルを代価として得ている。
いちばん太いパイプをもっているのはもちろん韓国である。
今回の砲撃戦で私が興味深かったのは、北朝鮮政府の砲撃「公認」までのタイムラグと、韓国政府の平静ぶりである。
なぜ、韓国政府もメディアも市民も戦闘的な北朝鮮批判を自制したのか。
私の想像では、これは「北朝鮮のアセット」から、直後に「何が起きているのか、よくわからない」というレポートが届いたからではないかと思う。
「北朝鮮のアセット」は政府部内のテクノクラートのうちにいる。
ファナティックや愛国者や好戦的な軍人には「アセット」はつとまらないからである。
テクノクラートには「筋のいい情報」が届く。
逆に言えば、「筋の悪い情報」は届かない。
今回の事件は「筋のよい情報」のパイプには乗っていなかった。
どこか軍部の「よくわからない筋」で起案され、政府部内の多くの人間が知らないうちに実施された。
だから、「アセット」から韓国政府には「なんだかよくわからない」というレポートが届いた。
私はそういうふうに想像する。
独裁国家のアキレス腱の一つは国内が「一枚岩」であるという幻想を絶えず国内外にショウオフしなければならないということである。
中央政府はすべてを把握しており、すべては熟慮の上に実施されている、という「フィクション」を政府関係者全員が「演技」しなければならない。
政府部内の不一致はただちに独裁者のハードパワーの低下として解釈されるからである。
「独裁者がうまく統治できていない」ということをアナウンスするよりは「独裁者は支離滅裂なことをやる」ということをアナウンスする方が統治者自身にとってはより「まし」である。
現に世界中のメディアはそのように報道している。
すべての政治的・軍事的行動が金総書記の命令でしか行われ得ない完全な独裁制であるという政治的幻想を国内外にふりまくことの代価は、逆説的なことだが、実は「やり放題」ということである。
「総書記が許可しない政治的・軍事的行動がありえない」以上、何をやっても、すべては「総書記の許可を得たもの」として認知せざるをえない。
北朝鮮はいまそのような自分で仕掛けたピットフォールにずるずると落ち始めているのではないかと私は思う。
跡目相続のときに起きる、一時的な権力の空白期間をめざして、軍内部のいくつかの勢力がそれぞれに「対外強硬路線」を競って、ある種の「チキンレース」を展開している。
哨戒艦を撃沈したセクションと核ミサイルを開発しているセクションと昨日の砲撃を指揮したセクションはおそらく同一系列ではあるまい。
もっともタフでハードなセクションが軍を掌握する。
そういうルールでゲームが始まっている。
このフロントラインで行われている競争の実情が「アセット」にはなかなか届かない。
韓国政府が「ただちに報復を」という感情的なリアクションを控えて、静観方針をとっているのは、これが体制崩壊の「遠い地響き」かもしれないと思っているからである。
安易な軍事的報復は、ずるずると崩壊に向かっている独裁体制を再び排外主義的ヒステリーによって団結させ、結果的に北朝鮮現体制の延命に手を貸すことになりかねない。
だから、関係諸国は耳を澄ませて静観しているのである。
と、思う(よう知らんけど)