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階層化する社会について

大学院ゼミで井原さんが『下流志向』の韓国における受容について貴重なレポートをしてくれた。
私の本はこれと『寝ながら学べる構造主義』が韓国語で出版されており、『若者よマルクスを読もう』が現在翻訳中である。
この選書基準が興味深かったので、そのことについてゼミでお話した。
『下流志向』はネット上での書評を見る限り、あまりちゃんと理解されていないようであった(「上から目線」で勉強しない人間や労働しない人間を「叱咤」している本というふうに読んだ人が多かったようである)。
現地出版社のプレゼンテーションに多少のバイアスがかかっていたのかもしれない。
『下流志向』のポイントは
(1)日本社会の「階層化」が進行していること
(2)階層下位に向けての「自分らしく生きる」イデオロギーの集中的なアナウンスによって階層化が果たされつつあること
この二点である。
これはもちろん私の創見ではなく、苅谷剛彦さんの『階層化日本と教育危機』(2001)の所説をそのまま請け売りしたものである。
苅谷さんの本は統計資料がぎっしり詰まった学術的なもので、一般読者には取りつきにくいものであったので(けっこう高額だったし)、その中で苅谷さんが(たぶん)いちばん言いたかった論件にピンポイントして、私は『下流志向』を書いたのである。
階層社会というのは一部の社会集団にのみ選択的に社会的資源(権力、財貨、威信、文化資本)が配分されるシステムのことだが、このシステムは静態的なものでない。
階層社会における「支配的なイデオロギー」は、階層下位にいる人間たちに自ら進んで「階層下位に自らを釘付けにする」ようにふるまわせる。
「支配的なイデオロギーは支配階級のイデオロギーである」とマルクスが看破したとおりである。
その時代のマスメディアが大衆にむかって「こうふるまえ」とうるさく言い立てる生き方に従うと、その結果「階層上位」に資源がいっそう排他的に蓄積されるように支配的なイデオロギーは構造化されている。
それが私たちの時代においては「自分らしく生きるイデオロギー」「自分探しイデオロギー」として制度化されていたということである。
現在階層社会の下位に位置づけられているものが「自分らしく生きること」あるいは「ほんとうの自分はどういう人間なのかを問うこと」を最優先に配慮した場合に何が起きるか、それを考えればすぐにわかる。
「自分らしく」ふるまうということは、「他人の模倣をしない」ということである。ところが脳科学の知見が教えるとおり、人間というのは他者の模倣を通じて固有性を形成し、他人の思考や感情を模倣することによって人間的な厚みを増してゆくものである。
月本洋さんによると、「人間は言葉を理解する時に、仮想的に身体を動かすことでイメージを作って、言葉を理解している」。
その仮想身体運動を通じて「他人の心と自分の心」が同期する(ように感じ)、他人の心が理解できる(ように感じる)のである。
言い換えるならば、他者との身体的な「同期」が「理解」ということの本質なのである。
子どもにおける「自己の形成」とはその組織化プロセスのことである。
「まわりの他人の動作の模倣を繰り返すことによって、子どもは自分の脳神経回路を、まわりの人間(大人と子ども)の脳神経回路と同様にすることによって、自己を形成してゆく。すなわち、まわりの他人の心を部分的に模倣して組み合わせることで、自分の心を作っていくのである。」(『日本人の脳に主語はいらない』、2008)
思考も感情も私たちは外界から「学習」するのである。
外界を遮断して、自分の内側をじっと覗き込んでいるうちに自生してくるような思考や感情などというものは存在しない。
ところが、「自分らしさ」イデオロギーはこれとまったく逆転した人間観に基づいている。
「自分らしさ」イデオロギーによると、「私」は誕生の瞬間においてもっとも純良な「自分らしさ」をすでに達成している。
それ以後の成長過程で外部から外付けされたものはすべて「自分らしくないもの」である。
それゆえ「自分探し」とは、自分が後天的に学習してきた価値観やものの感じ方や表現法などを削り落とし、剥がし落とし、「原初の清浄」に立ち帰ることを意味することになる。
これは言い換えると、「私は知るべきことはすでに知っている。私がこれから実現すべきことのすべてはすでに胚芽的なかたちで私に内在している。私が私であるために外部から新たに採り入れなければならないものは何もない。私が所有すべきすべての知識と技術を私はすでに所有している」ということである。
問題は「私がすでに潜勢的に所有しているもの」を現勢化するための「チャンス」(しかるべき地位や年収、しかるべき敬意や配慮)が(誰かがそれを不当に占有しているために)まだ「私」に分配されていないことに尽くされる。
そのようにして、「自分らしさ」「自分探し」イデオロギーは「無権利者が占有している資源はほんらいの所有権者たる『私』に戻されねばならない」という「政治的に正しい」社会的格差解消論に結びつくことになる。
これは数年前に朝日新聞が大々的に展開した「ロスト・ジェネレーション」論そのままの構成である。
『下流志向』を書いているときにはまだ「ロスト・ジェネレーション」論は出現していなかったが、私がそこで分析したのは、他ならぬこの「階層下位の人々を、そこに釘付けにさせるイデオロギー装置」の構造であった。
なぜ「自分らしさ」の追求が階層の再生産に加担することになるのか。
理由は簡単である。
それは、「自分らしさ」を追求している人間は、「学ぶ」ことができないからである。
「学ぶ」という行為は次のような単純なセンテンスに還元される。
「私には知らないこと、できないことがあります」
「教えてください」
「お願いします」
これだけ。
これが「学び」のマジックワードである。
これが言えない人間は永遠に学び始めることができない。
けれども、「自分らしさ」イデオロギーはこの言葉を禁句にする。
「自分らしさ」を追求する人間が前提にしているのは「私には知らないこと、できないことはない」だからである。
私は知るべきことはすべて萌芽的なかたちで「知っている」のだが、それを開花させる機会を提供されていない。
私はなすべきことはすべて潜勢的なしかたでは「できている」のだが、それを発現する機会を提供されていない。
仮に私が何かを知らなかったり、できなかったりするとしても、それは私の責任ではなく、私が「私らしく」自己実現することを阻害している「社会の責任」に帰される。
一見すると整合的な言説である(「一見すると整合的」でなければ、これほど広くに普及するはずがないのだから、当然だが)。
けれども、現在の自分の社会的な不調や地位の低さや年収の少なさをすべて「私が私らしく生きることを阻んでいる社会の責任」に帰するというのは、幼児の論理である。
たしかに幼児は免責される。
けれども、免責されることの代償に、幼児には幼児のポジションしか与えられない。
「私はさしあたり『私らしさ』を達成しえていないために社会的には無能とみなされている。だが、この状態について『幼児である私』には一切責任がなく、それゆえこの状態を改善する義務もない。誰か早急に何とかするように」というようなことを呟いている人間に社会的資源を優先的に配分し、高い地位や豊かな文化資本を提供するようなシステムは残念ながらこの世には存在しない。
「大人として遇して欲しければ大人になれ」というのが人類社会のルールである。
「ロスト・ジェネレーション」論では、さらに進んで、「社会的に下位に位置づけられた人々は、社会の実相をそうでない人々よりも正しく把握しており、それゆえこの社会がどうあるべきかについて、より適切なソリューションを知っている」という「もっとも虐げられたものがもっとも明察的である」という左翼的知性論を語り出した。
この知性論を採用すると、階層下位にある人は「社会がどうあるべきか、自分がどうふるまうべきかについて、他の人たちに教えてもらうことは何もない」ということになる。
「現に収奪され、自己実現を阻害されているがゆえに、この社会の実相を誰よりも熟知している」と宣言してしまったものは、それによって「私には『教えること』はあるが『学ぶこと』はない」という宣言にも同時に署名したことになる。
しかし、階層社会とはいえ、一定の流動性は担保されており、当たり前のことだが、そのパイプラインはただ「学ぶことができる人間」にだけ開かれているのである。
「私には学ぶべきことはない」と宣言してしまったものは、まさにその宣言によって社会の流動性を停止させ、社会の階層化と、階層下位への位置づけをすすんで受け入れることになる。
「学ぶもの」にとって社会は流動的であり、「学ぶことを拒否するもの」にとって社会は停滞的である。
「学ぶことを拒否するもの」が増えるほどに社会は流動性を失って、こわばり、石化する。
この趨勢をどこかで停止させなければならない。
それが苅谷さんの洞察であり、私もそれに深く同意するのである。
長くなったので、どうして『下流志向』が韓国で「誤読」されるのか、それについて書く紙数がなくなってしまった。
それはまたこんど。

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2010年11月10日 12:16 に投稿されたエントリーのページです。

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