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メディアの病

怒るまいと思っても、つい。
今朝の毎日新聞の論説委員がコラムでが大学院教育の問題点について指摘していた。
90年代からの大学院重点化政策についての批判である。
「『世界的水準の教育研究の推進』をうたい文句に大学院定員が拡大されたが、大量に誕生した博士たちを受け入れるポストは用意されなかった。路頭に迷いアルバイトで食いつなぐフリーター博士なる言葉まで生まれた。」
この現実認識はその通りである。
国策として導入された大学院重点化である。そのアウトカムについても国は責任をとるべきだろう。
責任というと言葉が強すぎるなら、せめて、「定員増には、受け皿になる職がないという『リスク』も帯同しております」ということを大学院進学志望者たちに事前にアナウンスしておくくらいの「良心」はあってもよかったのではないかと思う。
それはよい。
問題はその次の段落である。
意味不明なのである。
「何年か前、さる大学に新設された大学院教授と話したことがある。『高度な専門知識を持つ職業人を育成したい。新聞社への就職も期待していますので、よろしく』。そうのたまうので、思わずツッコミを入れてしまった。『就活の開始時期が早過ぎて学部教育がおそろかになっている。それを放置しながら大学院で職業教育というのは本末転倒じゃないですか。』」
 この論説委員がどうして新聞社への就職を懇請した教授に対して自分には「ツッコミ」を入れる権利があると思えたのか、私にはどうしてもわからないのである。
「就活の開始時期が早過ぎる」というのは誰がどう考えても大学の責任ではない。
雇用する側の責任である。
雇用する側が「新卒一斉採用」という因習的なルールを廃し、求職者に対して、「とりあえずしっかり勉強して、大学卒業してから就職試験を受けに来なさい」と諭す性根があれば、学生だって好きこのんで二年生の秋からばたばたしたりはしない。
私たちだってゆっくりと教育ができる。
「学部教育がおそろかになっている」のではない。
「おろそかにされている」のである。
だいたい、週日の昼間に、現役学生をセミナーと称して本社に呼びつけるということをしているのは、「そちらさま」である。
学部教育の充実をほんとうに期待しているのなら、「そんなこと」をするはずがない。
「セミナーがあるので、ゼミを休みます」「内定者の集まりがあるので、授業を休みます」というエクスキューズを私はこれまで何百回も聴いた。
それが学部教育を空洞化させることがわかっていながら、雇用側は「そういうこと」を平然としている。
それについての大学に対する「謝罪の言葉」というのを私はかつて一度も聴いたことがない。
繰り返し言うが、就活の前倒しで学部教育を空洞化しているのは、雇用側の責任である。
「ツッコミ」を入れる権利があるのは、「本社は大学の学部教育を支援するために、在学中から就活をするような学生は採用しません」と宣言している企業だけである。
このコラムにはまだ続きがある。
「謹厳な教授はしばらく黙ったのち、こう応えた。『おっしゃる通り』」
この「謹厳な」大学院大学教授は何を考えてこんな返答をしたのであろう。
もちろん、「あなたに同意する」という意味であるはずがない。
おそらく、「しばらく黙った」のは対話の相手の知的な不調に驚いて絶句したのであろう。
「おっしゃる通り」というのは「言いたいことはよくわかった」と同じで、「早く帰れ」を含意していたのであろう。
高等教育の不調の原因が専一的に大学側にあること、これは動かしがたい事実である。
けれども、「就活の開始時期が早過ぎる」というのは、企業人が大学人に向かって他責的な口ぶりで言える台詞ではない。
おそらく、つねに他責的な口調でシステムの非をならしているうちに、「自分自身が有責者として加担している問題」が存在する可能性を失念してしまったのであろう。
メディアの病は深い。


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2010年10月26日 11:16 に投稿されたエントリーのページです。

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