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「反日」の意味について

MBSの朝のラジオ番組に呼ばれて、中国の反日デモについて、パーソナリティの子守さんと、解説の毎日新聞の相原さんとお話をする。
別に中国問題の専門家として呼ばれたわけではない(違うし)。
ただ、このイシューについて「とりあえず頭を冷やしたら」という提言をなす人がメディアではまだまだ少数派なので、話す機会を与えてくださったのである。
尖閣諸島をめぐる領土問題で、日本と中国のそれぞれのナショナリストがデモを繰り返している。
中国では前日の日本国内でのデモに呼応するかたちで、「官許」の反日デモが行われた。
中国には政治的主張をなすための集会の自由が認められていないから、デモができるというのは、事前に当局の許可が与えられたということである。
ただ、この場合の「官許」の意味はいささかこみっている。
それは必ずしもデモが中央政府の意を受けているということではない。
今回のような領土問題にかかわるデモは、つねに一般国民からする政府の外交的な「弱腰」批判を含意している(政府が国民感情以上に強硬姿勢であれば、誰もデモなんかしない)。
つまり、「デモが行われている」ということそのものは、どのような政治的文脈においても、「ガバナンスがうまくいっていない」ということを意味しているのである。
それは統治者にとっては、つねに「政治的失点」にカウントされる。
反戦デモであろうと、年金制度改革反対デモであろうと、移民排斥デモであろうと、すべてのデモは政府の統治上の失敗を指弾する。
だから、政府が「官許」でデモを許可するということには、その「失点」を上回る「得点」が期待されているということである。
さて、政府がうまく国内を統治できていないという印象を内外にふりまくことを代償として支払っても、なお獲得できる「得点」とは何であろうか。
それは「国民的統合」である。
自分たちが「外敵」の侵略の危機にさらされているという感覚は、分裂しかけた社会集団を統合するために、きわめて効果的に機能する。
それゆえ、統治能力に欠け、政治的求心力が弱まった統治者はこの「劇薬」に手を出すことがある。
ジョージ・W・ブッシュが同時多発テロのあとにアメリカ政治史上空前の90%の支持率を獲得したのがその好個の適例である(彼は再選後に同じく19%という史上最低の支持率をマークしたが、その差はおおむねアメリカの有権者たちの「侵略に対する恐怖」という政治幻想がもたらしたものである)。
「テロリストに侵略される」というのはほんらい国防の最高責任者であるアメリカ大統領にとっては、許されない政治的失点であるはずだが、ナショナリスティックな怒りに興奮したアメリカ国民は統治者の失策を吟味することよりも、テロリストと戦う「戦時大統領」に全面的な支持を与えることを選んだ。
どこの国の統治者も窮すれば同じ手を使う。
中国の統治者が「官許の反日デモ」というきわどい政治カードを切るのは、それだけ中央政府の求心力に自信がないということを意味している。
私たちが知る限り、これに類するものとしては江沢民の95年の反日キャンペーンがある。
ほとんど政治的実績がなく、党内基盤の脆弱だった江沢民は政治的求心力を確保するために、「対日戦勝利50周年」という周年行事を利用して、大々的な反日キャンペーンを企画した。
それは親日的な政治姿勢と民主化運動への理解で知られた胡耀邦総書記に対する批判勢力の先鋒として登場した江沢民にとっては「それしかない」選択肢であった。
だが、このキャンペーンをその頃の日本のメディアはほとんど報道しなかった。
別にメディアが怠慢であったわけではないと思う。
おそらく、それが中国の国内事情(というよりは党内事情)による江沢民の政治的マヌーヴァーだということが政府にもメディアにも周知されていたからであろう。
当時の村山富市首相は戦後歴代の総理大臣の中で、「村山談話」で知られるように、対アジア政策において、きわだって宥和的な態度で知られている政治家であった。
その当時の日本政府の外交姿勢が激しい反日キャンペーンを呼び起こすほどに中国に対して侵略的、敵対的であったということは考えられない。
この歴史的事実から私たちが学ぶことができるたいせつな教訓は、「中国の反日デモは国内(あるいは党内)事情によって火をつけられたり、消されたりする」ということである。
反日デモは、「親日的な政治政策」を掲げる統治者への「揺さぶり」として保守派が仕掛けたり、あるいは保守派の先手を取って、「親日派」のレッテルを拒否するため改革派が仕掛けたりする、政治的なカードなのである。
今回の反日デモについては、中央政府は当初おそらく「自然発生的な排外主義的気分」によるものだと考えていた。
たいした騒ぎにはならないだろうし、せっかく「そういう気分」になったのなら、自分の党派に有利なように政治的に利用しようと考えた。
党内のどちらの勢力も同じことを考えたのである。
そして、どちらがこのナショナリズム・カードをハンドルするか、そのヘゲモニーを賭け金に、水面下ではひそかに党内闘争が展開した。
しかし、デモは意外な展開を見せ始めた。
政治的コントロールを離れ始めたのである。
ここからは今日のネットのニュースをそのまま貼り付けておく。
「中国四川省綿陽市で17日起きた反日デモの一部が暴徒化したのは、当初の若者らによるデモ行進に失業者ら政府に不満を持つ多くの市民が合流したためである可能性が高いことが地元の公安当局者への取材で分かった。
公安当局者によると綿陽のデモは、16日の成都でのデモを受け地元の若者らがインターネットや携帯電話のショートメールなどで呼び掛けたことがきっかけ。若者らは『釣魚島(尖閣諸島)は中国のものだ』と叫びながら数百人規模で行進した。当局者は『最初は全体的に理性的に行われていた』と述べた。
その後、市中心部の繁華街を練り歩くにつれ、参加者は2万~3万人規模に膨れ上がった。一部が暴徒化、日本料理店などを次々と襲った。公安当局者は『暴徒の多くは職のない貧困層だった。反日を口実にデモに参加し、実際は反政府を訴えた。中には、2008年の四川大地震で家や仕事を失った者もいたようだ』と話した。
中国当局は批判の矛先が政府に向き、社会の安定を揺るがす事態に発展するのを懸念している。北京では15日から年1回の重要会議、中国共産党の第17期中央委員会第5回全体会議(五中全会)が開かれており、地方にうずまく不満が、反日を口実にうねりとなって噴き出した格好となった。」
この分析は妥当だと私は思う。
中国では「反政府」デモは制度的に禁圧されている。
だから、「反日」の看板を掲げて、鬱積した「反政府」の怒りを暴発させるということは、国民の側からする狡猾なマヌーヴァーとしては「あり」である。
つまり、政府も国民も、「反日」という「検閲済みの看板」を掲げて、それぞれの「検閲を通らない欲望」をリリースしているのである。
デモの帰趨はわからない。
おそらく今度のデモそのものは大事に至る前に、それが少しでも反政府的な意図を暴露すると同時に、鎮圧されるだろう。
けれども、「反日」を掲げさえすれば、政府は「とりあえず」手を出さないということを、反政府的な心情を抱く中国人たちが経験知として学んだ場合に、このあとも繰り返し、「反日」デモが噴出する可能性はある。
それに対して、私たち日本人が感情的に反発するのはごく自然なことだけれども、それより先に、私たちは「あなたはそう言うことによって何を言いたいのか?」という分析的な問いを隣人に向けるべきだろうと私は思う。

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2010年10月18日 15:50 に投稿されたエントリーのページです。

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