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卒論心得

ゼミの卒論中間発表が来週の火曜日と迫ってきた。
学生たちはいまごろになってパニック状態になっているようである(どこのゼミでも似たような状況らしいですけど)。
ゼミの諸君に「リマインダーメール」を送ったら、夏休み前にみんなに送った「中間発表心得」の添付ファイルが出てきた。
こういうものを書くのもこれが最後で、世の学生諸君の卒論執筆の一助となればと思い、ここに記しておきます。

内田ゼミ4年生のみなさまへ「卒論中間発表の心得」
暑いですね。ぼくも暑さと忙しさで死にそうです。
みなさんも就活やバイトやら旅行やらでたいそうお忙しい夏休みをお過ごしのことと思いますが、「卒論」というものがあることを忘れてはいけません。
卒論中間発表について、ご連絡いたしますので、熟読玩味してください。
(1) とき:
(2) ところ:
(3) 用意するもの:草稿、ハンドアウト
(4) 草稿について:字数:6000~8000字(音読して15~20分)
必ず書かなければいけないことは
「タイトル」
「目次」
「序章」:ここでは、その研究主題を選んだ理由を示すと同時に、先行研究についての批判を必ず行ってください(その理由はあとで説明します)。
「これまで書き上げた分のうちの一章」
学術論文の場合、必ずしも第一章から順番に書くわけではありません。途中から書いたり、途中を抜いて前後から詰めていったりすることもあります。
「序論」なんかはたいていいちばん最後、「結論」を書いたあとに書くものです(そうしないと、「序論」でもくろんだのとぜんぜん違う結論になったときに困りますから)。
中間発表では「とりあえずまとまった章」だけ発表してもらいます。
以上全部あわせて6000~8000字。
(5) ハンドアウト:A4一枚。いつのも発表のレジュメと同じですが、今回は、「タイトル」と「全体目次」を必ず書き入れておいてください。
(6) 執筆上のご注意
なによりもまずご理解いただきたいのは、これはたぶんほとんどのみなさんにとって生涯に書く最初で最後の「学術論文」だということです。
これまで書いてもらったものは「レポート」です。「論文」ではありません。
「レポート」と「論文」はどこが違うか、わかりますか?
「レポート」は「私はこれだけ勉強しました」ということについての「報告」で、提出先は「先生」です。ふつうは先生ひとりしか読みません。
先生はそれをぱらりと読んで「ほ、75点」「ふん、83点」とか点をつけます。成績表を見た学生さんが「この点数の積算根拠についてアカウントを求めたい」というようなことを言ってこられても、こちらは「そんな昔のことは覚えちゃいないね」と『カサブランカ』のハンフリー・ボガードのように遠い目をするばかりです。
なにより「レポート」は「これだけいっしょうけんめい勉強しました」ということを誇示するのがおもな目的ですので、参考文献をたくさん読んで、そこに書いてある内容を「これでもか」と言うほど引用すれば、けっこうなスコアがもらえます。
オリジナリティとか、新説とか、そのようなものは「レポート」には求められません。
そこが「学術論文」と違うところです。
「学術論文」は逆に「それしか」求めません。
他の本に書いてあることを糊と鋏で切り貼りして「一丁あがり」ともってきたら「レポート」で100点もらったけれど、同じペーパーをそのまま卒論に出したらは0点だった、ということは(理論上は)ありえます。
そこに「何も新しいもの」がなければ、0点をつけられても学者は文句を言えないのです。
諸君は学会というようなところに行ったことがないからご存じないでしょうけれど、そこでは「まだ誰も言ったことのないこと」を言うために学者たちが集まってきて、論文を読み上げて、さかん議論をしています。
そして、質疑応答のときに、「あなたのそのホニャララ説なるものは、すでに別の学者によって発表されている」という指摘がなされたら、それで「アウト」です。即、退場。
学術上の新発見をジャーナルに投稿したら、別の研究者が同じ発見を一日前に投稿していたので、ノーベル賞をもっていかれた・・・というような話はみなさんもご存じでしょう。
学術の世界では「プライオリティ」(先取権)というものが重く見られます。
「まだ誰もそのことを言っていないこと」を言うことに、それにのみ学者の栄光は存します。
他の人がすでに発見し、理論化し、本に書き、世間周知のことを、こちょこちょと糊と鋏で切り貼りして、「これが私の論文です」といばってみても「バカ」だと思われるだけです。
プライオリティ、あるいはオリジナリティということは、もうひとつのもっとたいせつな条件と結びついています。
それは公開性ということです。
「まだ誰もそれを言っていないこと」であるかどうかは、実は「先生」にはわかりません。
「先生」だって専門以外のことについてはあまりよく知りません(専門のことについてだって、けっこう穴だらけ)。
だから、論文を読むのが「先生ひとり」であれば、先生がぜんぜん知らなそうな分野のことであれば、「ありもの」を切り貼りして先生を騙すことは可能です。
先生ひとりなら騙せます。
でも、「レポート」と違って、「学術論文」は天下に公開されます。理論上は世界中のすべての人がアクセスできるようなかたちで発表されます。
だから、誰かの本からこっそり抜き書きして「ニセ論文」を作って提出すれば、先生ひとりは騙せても、その分野の専門家たちが見れば、たちまち馬脚があらわになります。
学術論文が公開されるのは、ひとつにはそのように「プライオリティやオリジナリティが真正のものであるかどうか検証する」ということがたいせつだからです。
でも、もうひとつ、もっと大事な理由があります。
それは学術研究が本質的には「他者への贈り物」だからです。
「レポート」の場合は、「ぜひこれを読んで貰いたい」という読者を想定して書いているわけではありません。
どうせ読むのは先生ひとりだし、書いている学生さんにしても、その先生に対しても「このことだけは知って欲しい」という特段のメッセージがあるわけではありません。知って欲しいのは「ちゃんとまじめに勉強しました」ということだけです。伝わって欲しいのは「だから単位ください」というメッセージだけです。
学術論文はそうではありません。
誰が読むのは、それは書いているときはまだわかりません。
いつか、どこかでその論文を手に取ることになる「誰か」です。
そのことについて、何となく気になって、前からいろいろ考えていて、「もっと知りたい、もっと理解したい」と思っている「誰か」です。
論文はその「まだ見ぬ読者」を宛先にした「贈り物」です。
その読者に「ああ、私は『こういうもの』を探していたのだ。『こういうもの』を読みたかったのだ」と思って貰うように書く。
その「贈り物」性こそが学術論文の本質であると申し上げてよろしいでしょう。
「レポート」はどんなにすばらしいものを書いても、読者は先生ひとりであり、高いスコアをもらうことによる受益者は書いた学生ひとりです。
「論文」は、潜在的読者は「万人」であり、それがすぐれたものであった場合に、そこから受益する人間の数は(理論上は)「無限」です。
ですから、論文の卓越性は、それが「どれだけ多くの人に『贈り物として』受納されたか」を基準に査定されることになります。
そのことをきちんと頭に入れておけば、「どういうふうに書くか」、論文の書き方もおのずからわかってくるはずです。
「論理的に書く」
当たり前ですね。ひとりでも多くの読者にわかってほしくて書くんですから、むろん情理を尽くして説く。順序立てて論じる、論拠を示す、適切な例証を引く。
「引用出典を明らかにする」
先行する研究はもちろん十分に参考にしなければなりません。
でも、他人の知見やよその人が調べたデータを「自分のオリジナルのもの」であるかのように偽装することは許されません(それは「盗用」と言って、学術の世界ではきびしい罰の対象になります)。
先行研究は先人から私たちへの「贈り物」であるわけですから、その中からとりわけ「よいもの」を選りすぐって次世代の研究者に「パス」することは私たちのたいせつな世代的義務です。
でも、それが「誰からの贈り物」であるかを示す「タグ」を私たちが勝手にはずして、自分の名前を書き込んで贈り物にしてはいけません。
「これはXさんからの、これはYさんからの、そしてこれは私からの贈り物です」とちゃんと区別して手渡すのが、ふつうの場合でも礼儀ですよね。
それと同じです。
「自分のオリジナリティを明らかにする」
「先行研究批判」というのは、先行研究を「否定する」という意味ではぜんぜんありません。間違えないでね。
先行世代から「どさっ」と手渡された「学的贈り物」の山の中から、「この論件について研究する次世代の研究者には、これとこれは残しておかないといけないね」とセレクトすること、それが「先行研究批判」です。
そして、このセレクションの作業を通じて「私からの贈り物」の意味が際立ってきます。
みなさんが、クリスマスや誕生日に友だちにプレゼントする場合と同じです。
贈り物が「かぶらない」ようにするでしょ。
学術的オリジナリティも、それと同じです。
先行世代からの贈り物と「かぶらないようにする」こと。
私からの贈り物は「ほかの誰のものとも重複しません」という名乗り。
それがオリジナリティということです。
「私のこの贈り物と同じものを思いついた人は、これまで世界に誰もいません」という宣言がなしうることを「プライオリティ」と言います。
おわかりになりましたか。
「学術論文を書く」ときの心構えは、みなさんがふだん生活しているときに「たいせつなひとに、自分のことをいつまでもきちんと記憶してもらいたくて贈る贈り物」を選ぶときの基準とまったく同じです。
とりあえずみなさんは「自分が選んだ研究テーマと同じテーマで来年卒論を書こうとしている内田ゼミの3回生」を「想像上の読者」に想定して書いてください。
彼女がすらすら読めるように、彼女が「当然知っていること」はさらっと流し、「このへんは説明が必要」だと思うところは、じっくりていねいに。彼女が「自分もそのデータや参考文献を調べたい」と思ったときに、すぐにアクセスできるように、データや論拠の引用出典を示すこと。「これが先輩のオリジナルなアイディアなんだな」ということがわかるように、「先人からの贈り物」にはその「タグ」を、「これは私の意見です」というものにはその「タグ」を、必ずつけること。
とりあえず、その3点に注意して執筆してみてください。
論文の書き方の形式的なことは『岡田山論集』の掲載論文をご覧ください。
では、諸君の健闘を祈ります。
よい夏休みを!

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2010年10月01日 15:23 に投稿されたエントリーのページです。

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