指折り待ってる夏休み

2010-08-02 lundi

7 月 26 日から多忙のためブログの更新を怠っていた。
今日は 8 月 2 日。ちょうど一週間。
備忘のために、この一週間のできごとを記す。

7 月 26 日(月曜日)
あまりに遠い昔のことなので、記憶にないが、たしか大学に出勤して、成績をつけていた。
それぞれ 180 人くらい履修者がいる「キャリア教育」と「音楽との対話」の採点と成績表への転記の手間を考えて気が遠くなっていたら、キャリア教育については、4月末に授業担当を終えたあと、全員の出席をチェックし、ひとりひとりの書いた感想を読んでちゃんと点数をつけていたことが発覚。
おかげで作業時間が3時間ほど浮いた。
「過去の私」からの贈り物である。
あまりのうれしさに自分に向かって「ありがとう」と呼びかける。
さくさくと作業を終えて帰宅した(ように思う。違うかもしれないが、家以外にどこにも行くところがないから、たぶん家に帰ったのだと思う)。

7 月 27 日(火曜日)
朝 10 時、三宅接骨院でぐりぐり。
13 時から専攻ゼミ最後の授業。
卒論の中間発表の要領についてメールで全員に連絡(するのを忘れていた。日記書いてよかった。今から送信しないと)
15 時から聖教新聞の取材。
思春期の子どもを親はどう教育すべきか、というお訊ね。
思春期の子どもは「親がキライになる」時期であり、それは成熟の自然過程なので、子どもが態度悪くても気にしないこととお答えする。
思春期に「きちんと放っておいて貰った」ことが親の気配りであったことに子どもは40歳くらいになると気づくのであるが、それまで気長に待つしかない。
「思春期に親子の仲が悪くなる」というのは自然過程であって、「よいこと」なのである。
それを経由して、親子の関係は変質するのである。
メディアはそういう経験則をちゃんと報道せねばならないと申し上げる。
引き続き、大学院ゼミ。
スナダくんの発表で、お題は「日本と大日本帝国」
平川くんの『移行期的混乱』のゲラを読んだばかりだったので、「成長戦略がなくても、愉快に暮らすためにはどうすればいいか」という話になる。
ゼミの後は、非常勤講師懇談会。
ホストはワルモノ先生、なばちゃん、コトコ先生、三杉先生(西田パパはお休み)。
ゲストは山本画伯、ジローくん、こばやん、ともちゃん、マスダくん、平尾くん、ウッキーら(ほかに江さんやケイゾーさんや矢内くんや関川夏央さんもお招きしているのだが、みなさん都合がつかずにお休み)
ほとんど身内の宴会状態であるように見えるが、これは私が仕事で知り合った人たちとすぐ仲良くなってしまうので、「ウチダが仕事しているところ」を外から見ると「友だちと遊んでいる」ようにしか見えないということであって、ことの順逆を間違えられては困る。
二次会にぞろぞろと北口に出ると、大学院の打ち上げ宴会をしている院生聴講生たちと接近遭遇(あきぽんとスナダ青年以外は「ほぼジュリー部」状態)。
20 人くらいが順番に自己紹介したら、それだけで30分ほどかかってしまた(いちいち画伯とジローちゃんがややこしいツッコミを入れるせいもある)。
これが「神戸女学院大学での師弟関係」で結ばれた人々であるということを外部の人にアカウントすることはきわめてむずかしそうな集団であった。
みなさん、よい夏休みを。

7 月 28 日(水曜日)
三宅先生にぐりぐりしてもらってから、AERAと「多事争論」の原稿を書き上げて、送稿。
夕方に梅田に出て、ビックマン前にて野木さん、足立さんの新潮社コンビと待ち合わせ。
また新しい仕事の企画を持ち込まれるが、「聞こえないふり」をしてスルー。
野木さんはもう定年で退職されて、いまは嘱託で残っているのだそうである。
明日源ちゃんと会うんだよという話をする。
野木さんは灘高の人で、名前だけは知っていたが、学士会館であった竹信悦夫の「送る会」ではじめてお会いした。
不思議なもので、19 歳のときからの友人である竹信の12歳のときからの友人であるこの二人を、私もまた12歳からずっと知っているような気になるのである。
野木さんに会うと、いつも「懐かしい」気分になる。
野木さんとの仕事はだからさすがにスルーできない(さっきスルーしたのはアダチマホ・マターの方ね)。
野木さんと二人で一冊本を作る。
これは来年の春頃出る予定だが、献辞のあるなしにかかわらず、これは「竹信悦夫の思い出に」捧げる一冊ということになる。
それから場所を変えて、こんどは名越康文先生、釈徹宗先生の『現代人の祈り』の共著者トリオで、『新潮45』のための鼎談。
名越先生がすごいドライブで、私が最初に口を開いたのは鼎談が始まって45分くらいしてから。
2時間ほどしゃべってから、コントワール・ド・ブノワに移って、ご飯。
お酒が入ると、もうたいへん。
話としてはこっちの方がずっと面白かったが、もちろん採録不能である。

7 月 29 日(木曜日)
この日から夏休みのはずであったが、まだ私の夏休みは始まらない。
早起きして、新幹線で東京へ。
有楽町のよみうりホールで、近代文学館主催の「昭和という時間」連続セミナーで、高橋源一郎さんと対談。
お題は「吉本隆明と江藤淳-最後の批評家」
私は考えてみたら、吉本隆明にも江藤淳にも会ったことがある。
吉本さんには3年ほど前、『中央公論』で対談した。
江藤さんは 1966 年の秋に、日比谷高校の『星陵』のための原稿を市ヶ谷のご自宅まで取りに行ったことがある。
江藤さんはなんと私のいた日比谷の雑誌部の先輩だったのである。
16歳のウチダの眼に『作家は行動する』で洛陽の紙価を高めた新進批評家はどのように映ったのか・・・という「お蔵出し」のネタをご披露する。
吉本隆明・江藤淳がある意味で「真の昭和人」であるという納得の結論。
楽屋口に編集者のみなさんが仕事の催促のために列を成しているので卒倒しかけるが、踏みとどまって、寛也さんとともに脱兎の如く逃げだして神楽坂の稽古場へ。
夕方からそこで宴会があるのだが、それまで2時間ほど仕事をさせていただく。
この宴会の趣旨をご説明するのはいささかむずかしいのだが、参院議員で、鳩山政権の官房副長官だった松井孝治さんが『Sight』での源ちゃんと私のコンビの暴論をおもしろがり、ときどき二人を呼んで話を聴きたいということでセッティングされたのである。
前回の集まりでは文科省副大臣の鈴木寛さんもまじえて鳩山総理とご飯を食べたのは既報の通り。
稽古場下の神楽坂「梅香」で寛也さんとビールを飲んでいたら、やっぱり仕事を片づけていた源ちゃんが登場。
三人でわいわい飲んでいたら、両院総会を抜け出してきた松井さん登場。それからフォトグラファーの田頭さん、電通の「さとなお」さん、矢内賢二さん(非常勤講師懇談会に欠席されたので、ここでその代わりにお礼を言上)、寛也さんのご令嬢、松井さんのご令息、文化庁長官の近藤さん、民主党の逢坂誠二さん、鈴木寛さん、細野豪志さん、松本剛明さん、最後に鳩山前総理が「や、どうも」と現れて、なんだかすごいことになってしまった。
菅批判が噴出した両院総会の直後だったので、当初予定されていた「清談」よりはだいぶ温度の高いセッションになったが、生の政治過程を「砂かぶり」で拝見するという得がたい「インターンシップ」経験を源ちゃんも寛也さんも私も堪能させていただいたのである。

7 月 30 日(金曜日)
ぼろぼろになって学士会館で目覚める。
菅政権のこれからについて、たいへんリアルかつソリッドな意見交換をしながら雪中梅をじゃんじゃん飲んでしまったので、ひさしぶりの二日酔い。
二度熱いシャワーを浴びて、よろよろとタクシーをつかまえて外務省へ。
中堅の外務官僚のみなさんをお相手の研究会に呼ばれたのである。
生酔いの頭で「21世紀日本の国家戦略」について1時間ほど講演をする。続いて質疑応答。
「社会的共通資本」は政治イデオロギーにも市場にもリンクさせてはならないという宇沢弘文先生の理論に基づいて、「変化しなくてもいいものは、変化しなくてよろしい」ということを説く。
聴衆の笑い声から勘案するに、わりと好意的な反響だったようである。
私のような人間の法螺話に与党政治家に続いて、外務官僚から「ご意見拝聴」のお座敷がかかるというのは、いったいどういうことであろう。
日本はそんなことで大丈夫なのであろうか。
ひとごとながら(ひとごとじゃないけど)心配である。

2時間しゃべったら二日酔いも治ったので、元気になって今度は湯島へ移動。
マキノ出版というところで成瀬雅春先生と対談。
成瀬先生とはヨガの教室で2度、『秘伝』で1度、つごう三回対談している。
成瀬先生はめちゃフレンドリーで、たいへんお話が面白くて、つい時間の経つのを忘れてしまう。
なにしろ、「超人」を生身で見て、「超人であるのって、どんな感じなんですか、どうしたらなれるんですか」と直接ご本人にお訊きできるのであるから、武道家としてこのような好機を逸するわけにはゆかない。
今回もおもしろい話をたくさん伺った。
この対談はもう少し続けて、来年には本になるそうである。どうぞお楽しみに。

夕方湯島を出て、寛也さんにお茶の水でお会いして、稽古場に忘れた「iPad、眼鏡、傘、ハンカチ」を届けていただく。
それをぜんぶ机の上に忘れて「じゃ、失礼します」と帰ってしまうくらいに私は酔っていたのであるが、政治家のみなさんは(鳩山さん以外)、みんなそのあともぐいぐいやっていらしたそうである。
政治家ってタフじゃないと勤まらないよと日頃ワルモノ先生が言っておられるけれど、ほんとにそうですね。
新幹線に乗って、鰻弁当を食べ、ビールを飲んだら、はげしい睡魔に襲われ、そのまま京都まで爆睡。

7 月 31 日(土曜日)
早起きして、オープンキャパスへ。
この週末は日本中どこもオープンキャンパスである。
あちこちのブースを回って、入試部長として、激励のご挨拶。
それからこそっと職場を抜け出して、岡田山ロッジへ。
今日はこちらで合気道のお稽古。
二部授業4時間連続である。
あまりの暑さに、死ぬかと思いました。
脱水状態で帰宅。

8 月 1 日(日曜日)
オープンキャンパス二日目。
職務上、朝から行こうと思っていたのであるが、さすがに疲労が深く、起きられない。
昼前にのろのろ起き出して、大学へ。
13時に西日本新聞社の取材。
お題は「英語社内公用語化」論。
そういうことをしちゃダメである所以をさまざまな角度から論じる。
終わって、15時から講演。
お題は「神戸女学院大学のススメ」
100 人ほどの聴衆の前で、本学の会衆派的組織原理と、ヴォーリズの設計思想と、「教育は軽々に変化してはならない」論を60分ほど語る。
途中で何かが「降りて」来たらしく、だんだんハイになる。
ヴォーリズ設計の講堂の「説教壇」の上で、ミッションと学びの意味について論じているのだから、何かが降りてきても不思議はない。
完全にバーンアウトして、帰宅。
やれやれこれでようやく夏休みが始まる。
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