普天間基地問題がかたづかない理由

2010-04-23 vendredi

毎日新聞からの電話取材。お題は「普天間基地問題」。
新聞の電話取材で数行のコメントで、基地問題のようなむずかしい問題を論ずることは事実上不可能である。
その行数では、理解しがたい話を「情理を尽くして」説得することはできない。
基地問題は「解のない問題」である。
変数が多すぎる。
アメリカ政府、日本政府、沖縄県民がとりあえず当事者であるが、もちろんその内部にも異論が混在している。
アメリカの軍部の中でも、海兵隊の基地問題に対しては、他の三軍は冷ややかである(これは日本の新聞はほとんど報道しない)。
「ヘリコプター基地なんか、沖縄に要らない」と広言する軍人たちももちろん米軍内部にはいる。
いて当然である。
軍事はすべて「もし、こんなことが起きたら」という未来予測に基づいて計画される。
未来予測だから、誰が正しい予測をしているかは「ことが起きるまで」誰にもわからない。
「打てる手はすべて打っておく」というのは安全保障上の基本だが、「打てる手」資源に限りがある場合は、どこかで傾斜配分しなければならない。
四軍は予算の配分についてはゼロサムの関係にある。国防予算の額は限られており、それを陸海空軍と分配しなければならない。
それぞれの軍は軍備をさらに充実させたい。けれども残り三軍は既得権を手放さない。
さて、どうするか。
これはシンプルな問いなので解は一つしかない。
「よそから徴収する」である。
米軍にとって、世界でいちばん金が取りやすい国はもちろん日本である。
日本で基地のことでごねれば、いくらでも金が出てくることを彼らは知っている。
平たく言えば、「みかじめ料」である。
あとの三軍がいい顔をしないのは、こうやって海兵隊が「みかじめ料」を取り立てると、そのあとにたとえば海軍が在日基地の拡充を計画したときに、日本国民が「またですか・・・」と厭な顔をするのがわかっているからである。「このあいだ、今月分お払いしたじゃないですか」
あのね、それは海兵隊が持ってっちゃったから、こちらには一ドルも回ってきてないのね。
そんな説明、日本人にはわからない。
アメリカのリベラル派たちがこの問題に対してさっぱり協力的でないのは、西太平洋におけるアメリカの軍事戦略の妥当性を支持しているからではない。
金を出すのが他国政府である限り、海兵隊が沖縄で何をしようと、それによってアメリカ国内の「政治的に正しい政策」のために割かれる予算が減る気づかいがないからである。
仮に、ヘリコプター基地の建設費用が「アメリカの国家予算」から支出される場合(それが福祉や医療のための予算を削って計上されるものなら)、アメリカのリベラル派は黙っていないであろう。
「そんなものは軍略上不要である」ときっぱりとエヴィデンスを掲げて言い立てる人たちがたくさん出てくるはずである。
いまアメリカに「そういうこと」を言う人がいないのは、「自分の財布が痛む話じゃない」からである。
どなたにも優先順位というものがある。まずは自分の都合を配慮することを責めるわけにはゆかない。
けれども、こういう種類の軍事的要求が別にアメリカ国民の「一枚岩の国論」の表出であるというふうに見るべきではない、ということは踏まえておいた方がよろしいかと思う。
沖縄県民、政権与党内の合意形成が不調であるのも、当然で、そもそも「要るのか要らないのかについてさえ当事者間で合意できていないものの移転先」について話しているのである。
これにすぱっとしたソリューションがあるはずがない。
それを「ある」かのように語り、それが実現できないのは首相の個人的無能ゆえである(だから首をすげ替えればよい)という、メディアが採用している定型への落とし込みはよろしくないと思う。
それは問題を個人的無能に帰すことで「ほんとうは何が問題なのか」という問いをネグレクトすることだからである。
片づかない問題は片づかないだけの理由がある。
その理由をクールかつリアルに列挙してみることは、たいていの場合、問題にアドホックなソリューションをあてがうよりも生産的であると私は思う。
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