みんな知ってる「密約」って何?

2009-12-26 samedi

1969年11月、沖縄返還の交渉過程で、当時の佐藤栄作首相とニクソンアメリカ大統領のあいだで交わされた沖縄への有事の際の核持ち込みを認める密約文書を、元首相の遺族が公開した。
沖縄返還は公式には「核抜き」での合意であったが、同時に密約で沖縄への核兵器再持ち込みが許容されていた。
核持ち込みは事前協議の対象案件だが、これについても「遅滞なく必要を満たす」とあり、事前協議が事実上空洞化していたことが明らかになった。
という新聞記事を読んで「びっくりした」という日本人が何人いるであろう。
佐藤元首相は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」といういわゆる「非核三原則」を掲げて世界平和に貢献したという理由で1974年にノーベル平和賞を受賞した。
私はそのニュースのときの方がよほど「びっくり」した。
55歳以上のおおかたの日本人も私と同じような反応を示したのではないかと思う。
ノーベル賞のときにはびっくりしたが、密約があったと聴いても別に驚かない。
だって、「そういう密約があるに決まっている」と当時の日本人のほとんどは(少なくとも多少とでも論理的に推論できる日本人は)思っていたからである。
もちろん歴代自民党政府はそのような密約の存在を否定し、「沖縄に核はありません」と白々とした嘘を言い続けてきた。
でも、国民は誰もそんな話を信じてはいなかった。
保守の人々は「密約の手形くらい出しておかなきゃ、沖縄は返ってこない」ということを「現実的に」知っていた。
左翼の人々は「自民党政権なら、これくらいの嘘は平気でつくだろう」と「現実的に」推論していた。
「現実的には」みんなが「核抜きというのは嘘だ」と思っていた。
知っていながら、表向きは「密約は存在せず、沖縄に核兵器は存在しない」という嘘を国際社会に向けてはアナウンスしていた。
これはよく考えると実に「日本人的」なふるまいだと思う。
どうして「日本人的」かというと、ノーベル平和賞の選考委員たちは、まさか「国民が一丸となって、為政者の嘘を放置している」というようなことが近代の法治国家においてありうるとは思っていなかったからである。
もちろん、密約の存在が1974年時点で明らかにされていれば、ノルウェーノーベル委員会も、佐藤栄作にノーベル平和賞を授与したはずはない。
でも、日本人の過半がその存在を(一部の人々は事実として、残りの人々は推論の結果)知っていた密約を、公式には「存在しない」ことにしていて「平気」というような国民性格が存在することを選考委員たちは知らなかった。
ほんとうにそんな密約が存在すると「国民が思っている」なら、「非核三原則」というような空語が繰り返し国会で口にされ、外務官僚が国連で公言するはずがない。ということは、そのような密約は存在しないのである(だから、佐藤栄作にノーベル平和賞をあげても大丈夫)、と選考委員たちは考えた。
選考委員を「ナイーブ」と呼ぶべきか、私たち自身を「国民的規模で欺瞞的」と呼ぶべきか。
私は後者だと思う。
新聞の社説は表向き密約の存在に憤っていた。
前から知っていて知らないふりをして、いまさら「騙された」と憤ってみせているなら、それは茶番である。
ほんとうに今まで「騙されていた」のだとしたら、ジャーナリストとして無能すぎる。
『日本辺境論』に書いたとおり、私たちは「無知のふりをする」ことができる。
「バカなので、狡猾な政治家たちに、いいように騙されてしまう純良な庶民」のふりをすることができる。
それが私たちの「国民的特技」なのである。
非核三原則が「嘘」だということを私たちは知っていた。
知っていながら、「騙されたふり」をしていた。
それどころか、「騙した」当の本人である、佐藤栄作はノーベル平和賞の受賞に喜色満面であった。
もちろん、佐藤栄作には「受賞辞退」というオプションもあった。
別に密約の存在をカミングアウトしなくても、「私ごとき非力な政治家が世界平和に貢献したなどと・・・とても、恥ずかしくてお受けできません」とポライトリーにお断りすることは可能だったはずである。
でも、彼はそうしなかった。
受賞の報に満面喜悦で応じたのである。
自分が嘘をついており、それに選考委員会が騙されて平和賞を出したことを知っていて、なお「喜色満面」でいられるというのは、やはり「たいしたこと」である。
それは佐藤栄作自身がこの欺瞞を「例外的な悪徳」だとは考えていなかったことを意味している。
彼は愚鈍な人間ではなかったから、国民の過半が「非核三原則は空語である」ことを知っているということを知っていたはずである。
だから、国民が「ノーベル平和賞選考委員会はバカだ」と思っていたことも(ある程度は)推察していたはずである。
その上でのあの笑顔は、「日本人のこの『無知のふりをして実を取る』という戦略は、けっこういけるな」という会心の笑みであったのではないかと私は怪しむのである。
--------