受け売り屋往来

2009-12-08 mardi

土曜日は朝、三宅先生のところで治療。
それからほんとうにひさしぶりに合気道の芦屋でのお稽古。
夕方から例会。
参加者は少ないが、ベストメンバーに近い。
勝率4割の画伯、それを追うホリノさん、かんきちくん、シャドー影浦、そして総長はみな勝率3割超である。
麻雀の勝率は野球の打率とだいたい同じと考えてよい。
メジャーリーグでは4割打者は1941年のテッド・ウィリアムスを最後に出ていない。日本のプロ野球史上には存在しない。
甲南麻雀連盟では 07 年にジロちゃんが4割2分3厘、08 年にドクターが4割1分2厘で4割雀士は歴史上二人存在する。
09 年度には画伯が3人目の4割雀士になるかどうか注目される中で、画伯は今回も絶好調で、3戦2勝とさらに勝率を上げてしまった。
例会はあと一回。
これはどうやら逃げ切られそうである。
総長はなんとか3割台に乗せたので、勝率ベストスリーには滑り込めそうである。
勝ち数、点数は1位をキープしているので、とりあえず二冠は制したが、やはり勝率1位「リーディング雀士」の称号の権威には及ばない。悔しい。
2010 年は三冠王をめざしたい。

日曜日は京都国際マンガミュージアムで養老先生と AERA の正月号用の対談。
辺境とは何かという話。
もともと「辺境はインターナショナルだ」というアイディアは養老先生からの受け売りである。
私はほんとうに受け売りだけでご飯を食べているようなものである。
しかし、この「受け売り屋」というありようを私は日本の知識人の本態的なかたちではないかと思っているのである。
「外来の知見」に「ほほ〜」と仰天し、それを換骨奪胎加工調味して「ぱちもん」を作り、廉価で読者のみなさまに頒布する。
本業にお忙しくて、なかなかむずかしい本にまで手が回らない人々のために、『千早ぶる』の大家さんのようなリーダブルな解釈を加える人たちがそこここにいるという社会は珍しい。
私などは『千早ぶる』の解釈を専業にした「大家さん」のようなものである(「大家」さんはちゃんと店賃の取り立てとか、店子の夫婦げんかの仲裁とかしているけれど、私はそれもしていない)。
こういう業態はヨーロッパのような知的階層が堅牢に構築されている社会では存立しない。
知識人たちは知識人たちだけで「内輪のパーティ」をやっており、そこで語られることはワーキングクラスにはまったく無縁である。
知識人たちには伝える気がないし、ワーキングクラスには聞く気がない。
ミシェル・フーコーは『言葉と物』の「あとがき」に、この本は2000人程度の専門的読者を対象に書いたものだと正直に書いている。
ほんとうにそうなのだと思う。
それが「たまたま」世界的な人文系学問の必読文献になったのであって、フーコー自身には「ぜひ世界中の読者にお読みいただきたい」というような気持ちはなかった。
ヨーロッパの学問というのは「そういうもの」である。
そういうところでは「受け売り屋」や「ぱちもん」の出番はない。
私のしているような「架橋商売」が「知識人の仕事」として社会的に認知されうるのはたぶん世界で日本だけである。
この「受け売り屋」という業態はきわだって「日本的」なものであり、それゆえ「心底日本人」であるところの私のような人間がこれを天職とするのはある意味当然のことなのである。
私が「コピーライト」というものを好まない理由もそれでご理解いただけるであろう。
あれは欧米的な「発信者」主体の発想である。
私どもの国のように「学知の受益者をどこまで増やすか、その層をどこまで厚くするか」という「受信者」の利益を中心に学問が考想されている社会の国情には合わない。
私はそう思っている。
ともかく、私のそういう「受け売り屋」気質は養老御大の嘉するところであり、私がいくら養老先生の創見の「ぱちもん」を頒布しても、呵々大笑されるだけで、「著作権料はどうなっておるのかね」というようなことは決しておっしゃられないのである。
それどころか京都の料亭で、山海の珍味をたっぷりごちそうになってしまった。
養老先生、ごちそうさまでした。
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