マルクスを読む

2009-09-09 mercredi

財務省の広報誌に巻頭言の寄稿を頼まれたという話を少し前に書いた。
総選挙について、政権交代の意味について私見を記して送稿したところ「使えない」という返答があった。

「大変残念ではございますが、財務省広報誌という性格上、政治の現状について直接言及するものは、従来より掲載を控えております。本来であれば予め原稿をお願いする際にお断りをすべきところ、失念しておりました失礼をお詫び申し上げるとともに、掲載が難しいと申し上げざるを得ないことを併せて深くお詫び申し上げます。」

ということであった。
あ、そうですか。
書いた物がボツになることは珍しくないから、別に憤慨するわけではないが、驚いたのは「財務省広報誌という性格上、政治の現状について直接言及するものは、従来より掲載を控えております」という一文に接したことである。
「政治の現状」という以上はそこには外交内政全般のトピックが含まれる。
およそこの世の出来事で「政治の現状」にかかわりのないものはない。
教育を論じれば教育行政に言及せざるを得ないし、医療を語れば医療政策に触れずに済ますわけにはゆかない。
私は今回別に特定の党派的立場を支持したり、批判したわけではなく、総選挙の結果について、「日本の政治プロセスが成熟(というより老衰)したこと」と論じただけである。
ふだんブログに書いていることをそのまま書いた。
これがボツになるということから推論される事態のうちでいちばん蓋然性が高いのは、「私に寄稿を頼んできた人物は私の書いたものを実は読んでいない」ということである。
寄稿を頼まれたとき、どうして私なんかに頼むのか意味不明だったが、ボツにされて腑に落ちた。
当然ですよね。

終日、「マルクス書簡」を書く。
今回は『経哲草稿』である。
「疎外された労働」のところを何十年ぶりかで読み返す。
マルクスは熱い。
あらゆるテクストは想像的にそれが書かれたリアルタイムに身を置いて読まねばならないと私は思っている。
『経哲草稿』は1844年に書かれた。
エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の現状』は1845年に書かれた。
この二人を労働問題に引き寄せたのは、産業革命後の資本家たちによるおそるべき労働者の収奪である。
以下は『資本論』から。

「1836 年六月初頭、デューズブリ(ヨークシャー)の治安判事のもとに告発状が届いた。それによるとバトリー近郊の八大工場の経営者が工場法に違反したという。これら紳士たちの一部が告発されたのは、彼らが十二歳から十五歳までの五人の少年を金曜の朝六時から翌日の土曜日午後四時まで、食事時間および深夜一時間の睡眠時間以外にはまったく休息を与えずに働きつづけさせたからだという。しかも少年たちは『くず穴』と呼ばれる洞窟のような場所で休息なしに30時間労働をこなさねばならない。そこでは毛くずの除去作業がおこなわれるが、空中には埃や毛くずが充満し、成人の労働者でさえ肺を守るためにたえず口にハンカチを結びつけておかねばならない。」(「資本論(上)」、今村仁司他訳、筑摩書房、2005年、354頁)

この経営者たちにはそれぞれ2ポンドの罰金が課されただけであった。「夜中の二時、三時、四時に九歳から十歳の子供たちが汚いベッドのなかからたたき起こされ、ただ露命をつなぐためだけに夜の十時、十一時、十二時までむりやり働かされる。彼らの手足はやせ細り、体躯は縮み、顔の表情は鈍磨し、その人格はまったく石のような無感覚のなかで硬直し、見るも無残な様相を呈している。」(357頁)
あるマッチ製造業における調査では、聴き取りを行った労働者のうち、「270 人が十八歳未満、四十人が十歳未満、そのうち十人はわずか八歳、五人はわずか六歳だった。」(361頁)
宮廷用の婦人服を製造工場で死んだ少女の検死報告には「他の六十人の少女たちとともに二十六時間休みなく働いた。三十人ずつ、必要な空気量の三分の一も供給されない部屋におしこまれ、夜は夜で二人ずつ一つのベッドに入れられる。しかもベッドがおかれているのは一つの寝室をさまざまな板壁で所せましと仕切った息の詰まる穴蔵のような場所だった」(373頁)とある。
マルクスが「疎外された労働」という言葉で言おうとしていたのは、こういう現実である。
「労働者が骨身を削って働けば働くほど、彼が自分の向こうがわにつくりだす疎遠な対象的世界がそれだけ強大になり、彼自身つまり彼の内的世界はいっそう貧しくなり、彼に属するものがいっそう乏しくなる」(『経哲草稿』、310頁)というのは単なるレトリックではない。
先ほどの婦人服工場の少女が死ぬまで働かされたのは、「外国から迎え入れたばかりのイギリス皇太子妃のもとで催される舞踏会のために、貴婦人たちの衣装を魔法使いさながらに瞬時のうちに仕立てあげなければならなかった」からである。
痩せこけた少女たちが詰め込まれた不衛生きわまりない縫製工場で作られた生産物がそのまま宮廷の舞踏会で貴婦人たちを飾ったのである。
その現実を想像した上で次のようなマルクスの言葉は読まれなければならない。

「労働者はみずからの生命を対象に注ぎこむ。しかし、対象に注ぎこまれた生命はもはや彼のものではなく、対象のものである。(…) 労働者がみずからの生産物において外化するということは、彼の労働がひとつの対象に、ひとつの外的な現実存在になるというだけではなく、彼の労働が彼の外に、彼から独立したかたちで存在し、彼に対して自立した力となり、彼が対象に付与した生命が彼に対して敵対的かつ疎遠に対立するという意味をもつのである。」(310頁)

労働は「宮殿をつくるが、労働者には穴蔵をつくりだす。それは美をつくるが、労働者には奇形をつくりだす」という言葉における「穴蔵」や「奇形」はレトリックではなく、マルクスの時代においてはリアルな現実だったのである。
マルクスは「科学」や「教条」ではなく、むしろ「文学」として読まれるべきだろうと私は思っている。
それは「絵空事」としてということではむろんない。
逆である。
教条や社会科学は「汎通性」を要求する。あらゆる歴史的状況について普遍的に妥当する「真理」であることを要求する。
だが、その代償として失うものが多すぎる。
マルクスの理論が普遍的に妥当すると主張してしまうと、なぜ他ならぬマルクスが、このときに、この場所で、このような文章を書き、このような思想を鍛え上げたのか、という状況の一回性は軽視される。
だが、マルクスが生きた時代、マルクスが見たもの、触れたもの、それを想像的に再構成することなしに、マルクスの「熱さ」を理解することはできないのではないか。
それは科学というよりむしろ文学の仕事である。

夕方になったので、三宮に出かける。
神戸大のドクター岩田とその婚約者の土井さんから晩ご飯にお呼ばれしたのである。
岩田先生と先日医学書院の仕事で対談をしたときに土井さんが『ため倫』以来の読者であると教えていただいた。
美味しいものをぱくぱく食べてお酒を飲んで、清談。
ごちそうさまでした!
--------