中沢新一さんとトークセッション

2009-07-06 lundi

稽古終了後、ばたばたと片付けて、東京へ。
この8日間で静岡往復、東京往復×2と6回新幹線に乗る勘定になる。
疲れるはずだよ。
片付けないといけないゲラのうちいちばん切迫している『こんな日本でよかったね』のゲラだけ持って車中へ。
数頁めくっているうちに爆睡。気づいたら新横浜。
等々力の母方に泊まり、母上のご機嫌をうかがう。
朝食をいっしょに食べてからまず矢来町の新潮社クラブへ。
ここにも水曜日に来たばかり。
『新潮45』のためのインタビュー。
いつもの野木さん、足立さんがお相手で、今回のテーマは(行って知ったが)「婚活」。
同じテーマですでに4誌に寄稿したり、インタビューを受けたりしているので、「四重投稿」である。
こちらは同一人物であるからして、このような単独の論件についてそうすぐに意見は変わらない。
結局、どこでも同じようなことを話す。
読む方は「どこでも同じようなことをしゃべって、これでお鳥目がいただけるとはいいご身分だこと」というような皮肉な感想をもたれるやもしれぬが、まあ『Grazia』と『新潮45』を併読されている読者はあまりおられぬであろうからご海容願うのである。
矢来町から四谷に移動。
「くくのち学舎」のキックオフイベントということで、中沢新一さんとトークショー。
「くくのち」というのは「木の精」という意味だそうで、身体性の再発見、農業の重要性の再評価というトレンドを映し出している。
そういう点では中沢さんのセンサーが感知しているものと私が感知しているものは非常に似ている。
ポスト・グローバル資本主義社会における労働と交換の意味について、霊について、贈与について、ブリコラージュについて、二人で熱く語り合う。
あまりに面白かったので、続きをやりましょうということになる。
次回は神戸女学院に中沢さんとお招きして、10月か11月にやることに決める(勝手に決めちゃったけど、企画広報にすがりついて経費を工面してもらわねばならぬ)。
終わったあとに学舎(というのは廃校になった小学校である)で打ち上げ。
鶴澤寛也さんがおいでになる(今日はお洋服なので、ずいぶん感じが違う)。文春のヤマちゃん、アルテスの鈴木・船山ご夫妻、『Sight』の大室さん、ちくまの吉崎さんほか、編集者がぞろぞろ来ている。
中沢新一×内田樹というのははじめての「取り合わせ」であるから、相性がいいかどうか、編集者としてはちょっと見てみたいな〜ということだったのであろう。
私たちは同い年で、同じ頃に同じようなところでごろごろしていて、共通の友人知人(佐々木陽太郎とか鈴木晶さんとか)もいるのだけれど、どういうわけかこれまで一度も接近遭遇したことがなかったのである。
不思議なものである。
聴き来ていた佐野史郎さんが「二人の話し方がよく似てるんだ」と言っていた。
相手の話が終わって、ふっと間が空いたところで、「でね」と次の話者が引き取るのだけれど、その「間」がどちらもまったく同じなのだそうである。
「話し方のリズムが同じなんだよね」
そうでしたか。
佐野さんとははじめてお目にかかるけれど、ナイアガラーつながりなので、旧知の人のようである(「私、ナイアガラーです」と名乗ると、中国の秘密結社チンパン、フォンパンのように、フリーメーソンのように、世界中どこでも同好の士から最大限の歓迎を受けることができるのである。大瀧師匠の徳の偉大さに感謝)。
中沢さんも佐野さんも会った瞬間に、「あ、会うべきときに会うべき人に会った」ということははっきり確信されるのであるが、理由は私にもわからない。

PS:
寛也さんから7月8月のおしごとのご案内をいただきましたので、となりの←イベント欄に告知しておきました。東京在住の方、どうぞ一度お運びください。
それから寛也さんとの対談は『考える人』ただいま発売号に出てます〜。
--------