午から取材。BPという雑誌の村上春樹特集。
村上作品はどうして世界的なポピュラリティを獲得したのか、という問いに対して、「ご飯とお掃除」について書かれているからであろうとお答えする。
世界中、言語や信教や生活習慣がどれほど違っていても、人々は「ご飯を作り、掃除をする」ということにおいて変わらない。
いずれも人間にとって本質的な営みである。
「ご飯を作る」というのは、原理的には「ありもの」を使って、そこから最大限の快楽を引き出すということである。
金にものを言わせて山海の珍味を集め、腕のいいシェフに命じて美食を誂えさせるというのは「ご飯を作る」という営みの対極にある。
「ご飯を作る」というのは、人類史始まって以来のデフォルトである「飢餓ベース・困窮ベース」に基づいた営みである。
その基本は「ありものを残さず使う」、もっと平たく言えば「食えるものは何でも食う」である。
村上春樹作品には「ご飯を作る」場面が多い。異常に多い、と申し上げてもよろしいであろう。
そして、基本は「ありものの使い回し」である。
もちろん、登場人物が買い物にでかけてあれこれと食材を買い集める場面もある。
けれども、それらの食材が「これから作るもの」のレシピに基づいて買われることはない。
だいたい、どのような料理にも使えそうな汎用性の高い食材が選択される。
それらの食材は必ず一度冷蔵庫に収められる。
そして、その後、冷蔵庫の扉を開いた「ご飯を作る人」に「ありもの」として与えられる。
ほぼ100%そうである。
村上作品には、そのような限定的な条件を受け容れ、与えられた条件でベストを尽くすようなご飯の作り手が繰り返し登場する。
そして、この「ご飯を作る場面」を村上春樹は実に丹念に、ほとんど愉悦的に書き込んでおり、読者もまた、その場面を読むことからつよい快楽を引き出している。
美食を堪能する場面を書き込む作家はいくらでもいる。
けれども、「ありあわせのもの」で「ふつうの料理」を作る場面にこれだけ手をかけ、それをこれだけ完成度の高い文章に仕上げることに文学的リソースを投じる作家はレアである。
おそらく、そこにこの作家の本質はあり、世界中の「ご飯を作る人」はそこに感応する。
「お掃除」もそうである。
文学作品は無数に存在するが、「お掃除する場面」にこれだけ長い頁数を割いた作家はほぼ絶無と言ってよろしいであろう。
掃除については、これまでブログに何度も書いたが、これは「宇宙を浸食してくる銀河帝国軍」に対して、勝ち目のない抵抗戦を細々と局地的に展開している共和国軍のゲリラ戦のようなものである。
この戦いの帰趨は始めから決まっている。
部屋は必ず汚れる。本は机から崩れ落ち、窓にはよごれがこびりつき、床にはゴミが散乱する。局地的に秩序が回復することはあっても、それはほんの暫定的なものに過ぎない。
無秩序は必ず拡大し、最終的にはすべてが無秩序のうちに崩壊することは確実なのである。
けれども、それまでの間、私たちは局地的・一時的な秩序を手の届く範囲に打ち立てようとする。
掃除をしているときに、私たちは宇宙的なエントロピーの拡大にただ一人抵抗している「秩序の守護者」なのである。
けれども、この敗北することがわかっている戦いを日々戦う人なしには、私たちの生活は成り立たない。
村上春樹作品の主人公はしばしば「お掃除する人」でもある。
これは深い人類学的知見に支えられていると私は思う。
精神科医は心を病んだ患者にしばしば「部屋を掃除しなさい」という実践的忠告をする。
「部屋を片付けると、頭の中も片付く」ことが経験的に知られているからである。
橋本治さんは先般、アートマネジメントの学生たちのためにインターンシップの心得をうかがったところ、「現場に入ったら、まずゴミを拾いなさい」と即答された。
「プロデューサーの仕事はゴミを拾うことです。全部が見えている人間にしかゴミは拾えないのだから」とさらに深遠な言葉を続けられたのである。
「お掃除をする人」はその非冒険的な相貌とはうらはらに、人類に課せられた「局地的に秩序を生成するためのエンドレスの努力」というシシフォス的劫罰の重要性を理解している人なのである。
「ご飯を作り、お掃除をする」というこの二つの類的営みを愉悦的経験として奪還するという点に、おそらく村上春樹の文学の世界性の秘密は存する。
世界中に、国境を越え、人種を越え、宗教を越えて、どこにでも「ご飯を作る人、お掃除をする人」はいるからである。
彼らはその日々の営みに十分な敬意を示されないことにいささかの苛立ちと悲しみを覚えている。
村上春樹はその人々の欠落感をいっとき癒してくれる。
「日常生活」と貶下的に呼ばれるものの冒険的本質を一瞬垣間見せてくれる。
だから、「ご飯も作らないし、お掃除もしたことがない」タイプの知識人たちが村上春樹をうまく理解できない消息が私にはよく理解できるのである。
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(2009-06-24 09:07)