中沢新一さんとペルシエでワインを飲む

2009-04-26 dimanche

朝から大学で書類書き、授業、会議が三つ。それから、また書類書きで一日が暮れる。
二日間で講演依頼が6件(メールで2件、電話で3件、ファックスで1件)。全部断る。
「講演はやりません」と電話を切った後に、すぐにかかってくると「だから、講演はやらないって言ってるでしょう」と声が荒くなる。
先方には何の罪もないわけで、「だから」なんて言われても意味がわからない。
気の毒である。
けんもほろろのあしらいをうけたみなさんほんとうにすみませんでした。
武道関係の学会から講演依頼があったが、もちろん断る。
私を武道関係者の集まりに呼ぶのは、飢えたネコの群れにまるまると太ったネズミを放り込むようなものである。
たちまち八つ裂きにされてしまう。
私の武道論を読めばわかるけれど、私は現代武道の「勝利第一主義」を反武道的なものとして徹底批判している人間である。中学校の武道必修化にも反対している。
そんな主張をなしていることをご存じの上で学会が人選したのだとすれば、武道界にも危機感をもっている人がおられるということであるけれど。

終日会議のあと、家に駆け戻る。
ペルシエで中沢新一さんと7月の対談のためのうち合わせ。
中沢さんと私は同じ 1970 年入学であるから、同時期にキャンパスを遊弋し、共通の友人(佐々木 “トンペイ” 陽太郎くんや鈴木晶さん)がいたにもかかわらず、これまでお会いする機会がなかった。
中沢さんが『チベットのモーツァルト』で「ニューアカでミズム」の旗手として劇的にデビューした頃、私は育児と翻訳に明け暮れていた
そのレヴィナスの『困難な自由』の翻訳を最初に「朝日ジャーナル」で取り上げて好意的に書評してくれたのは中沢さんである。
久しく、比較的近い領域で仕事をしていたのに、まったくニアミスがなかったというのも、考えれば不思議なものである(佐々木くんのお葬式ですれ違っているはずだけれど、たぶんその一回だけ)。
でも、こういうものはご縁であって、自分で作為しない方がよろしいのである。流れに身を任せていると、会うべき人とは会うべきときに会うのである。
今回の対談は中沢さんが所長の多摩美大の芸術人類学研究所の主宰する「くくのち学舎」のキックオフイベントのためのものである。
スタジオ・ジブリの平林さんがセッティングしてくれた。
きっかけは釈先生の『不干斎ハビアン』の涙骨賞受賞の審査員が山折先生と中沢さんだったことである。
この奇特な研究者とぜひ一度会ってみたいという中沢さん側の希望と、ご拝顔の上ひとこと中沢さんに受賞のお礼のご挨拶をしたいという釈先生の希望と、この機会に中沢さんと私を引き合わせてコラボレーションのイベントを仕掛けたいという平林さんの希望が一致して、いっしょにご飯を食べることになったのである。
中沢さんと私が初対面でどんな話をしたか、興味のある方は多いと思うし、実際に平林さんは録音していたのであるが、ほとんどすべて「実名トーク」であるので、70%くらいは公開不可能なのである(おもしろかったんだよお)。
その中沢新一さんとのトークセッションは下記の通り。
東京方面のみなさん、どうぞおいでくださいまし。

くくのち学舎キックオフイベント-これからの日本に本当に必要なもの-
講師:中沢新一×内田樹
日時:7月5日(日) 14:00-16:00
場所:四谷ひろば講堂(東京都新宿区旧四谷第四小学校跡、地下鉄都営新宿線曙橋、丸ノ内線四谷三丁目から徒歩5分)
定員:300名
お問い合わせ先は
多摩美術大学芸術人類学研究所
99nochi@gmail.com
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