それにしても

2009-02-20 vendredi

忙しい一週間であった。
12日が入試CD日程。
川合学長がイギリスに出張されていたので、そのあいだ私が学長代行なので、終日試験本部にすわっている。
「何かあったとき」のためであるが、できるだけ何もない方がいいので、「何もありませんように」と念じつつ、じっと置物のように座っている。
幸い、なにごともなく終わる。
地方入試の監督者たちが答案を入れたケースを持って帰ってきて、「ご苦労さまでした」と声を掛けて仕事が終わる。

13日は税務の日。
三島から小島税理士が来て、去年の経費と源泉徴収票をチェック。
去年は「たなぼた」のキャピタルゲインがあったので、今年払う税金は気が遠くなるほどの金額になる。
住民税を給料からの天引にすると、今年度はその不足分を毎月大学に支払わなければならないそうである。
これだけ働いていて、大学からいただく給料がゼロというのはいくらなんでも不条理である。
源泉徴収票は積み上げたら1センチくらいあった。
断筆宣言していて、これだけ書いたのだから、もししなければ、どうなっていたのであろう。
死んでいたかもしれない。
小島税理士から道場の法人化についてアドバイスを受ける。
道場を私的に所有していると、相続のときに相続人が大変困るからである。
道場主が亡くなったあと、相続人が税金を払うために売却してしまって、道場がなくなるというケースをこれまでいくつか見てきた。
うちの道場はそういうことにしたくないので、道場を法人化するつもりでいる。
これだと私が死んでも門人たちは稽古場所には困らない。
でも、そうすると私は「道場に間借り」することになる。
自分で建てた道場に毎月家賃を払って住まわせてもらうことになる。
その分を給料として法人からもらって相殺するにしても、何だか変である。
理事会で「ウチダ理事長は道場を私物化している。公私混同ではないか」と糾弾されて解任されたりすると、私は自分で建てた道場から追い出されて、路頭に迷うことになる。
変な話である。
漢字検定協会の理事長一家が公私混同問題で連日報道されていたが、もしかすると本人は「協会っていっても、これはオレのもんだろ! オレがゼロから作ったんだぜ」と思っているのかもしれない。

14日はめずらしく「ふつうの土曜日」。
15日は東京日帰りで多田塾研修会。
『考える人』の次の回が多田先生との対談なので、その写真撮影。
かなぴょん、ヨハンナ、イッシーが来ている。
ヨハンナはいつもの「深夜バス」。
よくやるな〜。
ブルーノくん、高畑さんも来ている。
やっほう。

16日は朝から大学で修論の口頭試問。
イッシー姉とトガワさんの修論の主査。副査はどちらもイーダ先生。
口頭試問というのは場合によっては「針のむしろ」になることがある。
その昔、助手をしていたころ、ほんとうに「針のむしろ」に座らされた院生を見たことがある。
論文を提出する前に、何度か指導教官に相談して、「ここ直しなさい」というような点検を受けていれば、そんなハメにはならないのであるが、その叱声を聴くのがイヤさにずるずる日を延ばしているうちに、修論締め切りの日となる。
院生というのは総じて鼻っぱしらが強く、腹の中では「教師ったって、なんぼのもんじゃい」くらいに思っていることがあるので、こうるさくチェックされるのがどうにも業腹なのである。
そして、指導教官のチェックなしに論文だけ提出してしまう。
教師の方も「指導も受けずに論文出しやがって」という態度の大きさにけっこう頭に来ているから、口頭試問で、「あとにぺんぺん草も残らない」ほどの猛爆を加えることになる。
二、三百枚の論文が「最初から最後までまったく無価値」であるという宣告を受けたケースを私はかつて二回見たことがある。
そのときの「被告席」にたたされた院生の顔色が、紅潮し、青ざめやがて死人のような土気色になるのを見て、人間というのは、その知的プライドをずたずたに切り裂かれると、生命力まで損なわれることがあるということを知った。
今回の被害者たちは「針のむしろ」というほどではないが、「しびれが来たけれど膝を崩せない」くらいの苦痛は味わったのかもしれない。

夕方から朝日カルチャーセンターで鷲田清一先生と対談。
鷲田先生とお会いするのは2007年の暮以来。
去年は体を壊されて入院されていたが、すっかり回復されて、お元気そうであった。
おしゃべりのあと、江さん、かんちきくん、トガワさん、ウッキー、ヒロスエ、オガワさんと北新地でいつものプチ打ち上げ。
鷲田先生といっしょに阪大の仲野徹先生と作家の久坂部羊さんがお見えになる。
仲野先生はドクター佐藤の上司でもある。
仲野、久坂部のやりとりは「い、いいんですか。医者がそこまで言って」と満座が顔をひきつらせる「地雷原ジョギング」的危険度。
阪大恐るべし。

17日はまたも東京日帰りツァー。
多田先生に月窓寺道場でロングインタビュー。
同じ月窓寺道場で15年前にも多田先生にインタビューした。
そのときのテクスト「武道的身体論」は今でも多田先生のHPで読むことができる。
15年間に多田先生のお考えについての私の理解がどれほど進んだのか、はなはだ心許ないことではあるが、多田先生と膝突き合わせて3時間余、たっぷりとお話を聞くことができたのはひとりの弟子としては望外の幸せと言わねばならない。
インタビュー後、月窓寺の稽古に1時間ほど参加する。
月窓寺の北村さんと稽古する。
道場で「ひさしぶり」と背中と叩かれた。
同期の門人同士には特別の感慨がある。
「よくやってるね」「君もね」という無言のメッセージが行き来する。
先生に挨拶して、新幹線に飛び乗る。御影に帰り着いたら、翌日になっていた。

18日は朝から会議が4つ。電話取材が1つ。
19日は会議が3つ。途中に取材が1つ。電話取材が1つ。
電話取材はどちらも「村上春樹のエルサレム・スピーチ」についてのコメント。
忙しいよお。
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