お掃除と仕事中毒

2008-11-05 mercredi

水曜日が久しぶりのオフとなった。
とりあえず懸案のお掃除をする。
机の上に危機的な状況で積み上げられていた書物やCDを片付けて書架に戻す。
机が少し広くなる。
やれやれ。
床に散乱している書物や書類を整理して、要るものは本棚に戻し、要らないものはゴミ箱へ。
だいぶすっきりする。
ゴミの山の下からゲラの束らしき封筒がいくつも出てくる。
数えると4つある。
文藝春秋、人文書院、光文社、講談社。
どれも開封していないので、中身はどれがなんだかよくわからない。
このところ一ヶ月に3冊ペースでばたばたと校正をしていたのであるから、これらのゲラが久しく日の目を見ずに来たことについて、私を責める方はおられまい。
とりあえず数秒間「日の目」を見せてから、パソコンデスクの下にまたしまいこむ。
『街場の教育論』の次は新潮社の「日本辺境論」の予定である。
これはクロダくんが夏休みにきちんとテープ起こししてくれたので、その努力を多として、まずこれから始めるのである。
取りかかる順番は受付順ではない。
「最近あまり考えてないこと」を扱う本が優先的に選択される(同じような話柄が続くと書いている本人が自分に飽きてしまうからである)。
原稿を待っている編集者の皆様は、そのあたりの事情をどうぞご斟酌いただきたい。
お掃除のあとは、明日の『山姥』の立廻りのおさらいの他には急ぎの仕事がないので、今日はこれから久しぶりに「昼寝」というものをして、それから三宮に買い物に出かけることにする。
大丸とジュンク堂に行って、スーツとマンガを買うことにしよう。
わーい。
スーパーで野菜と肉を買う以外の使途でお金を使うのはたいへんに久しぶりである。
「仕事をしなくてよい」と思うと、なんだか不安になる。
「ほんとうに仕事をしなくてよいのであろうか。何か重大な約束を失念しているのではないだろうか・・・」と考えてしまう。
こうなると立派なワーカホリックである。
「アディクトする」とはどういうことか。
これについては検査項目がある(町山さんのポッドキャストで仕込んだ知識である)。
うろ覚えだけれど、こんなの。
「ふと気がつくと○○のことを考えていることがある」
「○○のことを考え出すと、ほかのことが考えられなくなることがある」
「休みの日でも、朝から○○のことを考えている」
「人目のあるところで○○をしたことがある」
「はやく○○がしたいと思って、他人との会話を打ち切ろうとすることがある」
「○○以外の話題をしているときにでも、つい○○を連想してしまうことがある」
「知らない人と会ってすぐに○○をしたことがある」
「一度だけ○○をして、その後まったく縁が切れてしまった人がいる」

○○に「セックス」を入れると堂々たる「セックス中毒」である。
ただちに入院加療が必要だそうである。
○○に「仕事」を入れると、そのまま私の毎日である。
ただちに入院加療が必要だと思うのだが、どうであろう。
--------