悲しい知らせ

2008-11-01 samedi

悲しい知らせがある。
私にとって悲しい知らせであるばかりか、私と遊びたがっている友人のみなさんにとっても、私に仕事をさせたがっている編集者のみなさんにとっても悲しい知らせである。
昨日、「恐怖の役職者選挙」があり、その結果、私は入試部長に選ばれてしまったのである。
入試部長というのは入試事務全体を統括する仕事である。
入試に関する全業務(はんぱな量じゃないんだよ)に直接、具体的にコミットしなければならない。
ましてや現在は「大学淘汰」の戦国時代である。
実働時間も拘束時間もこれまでより増えることはあっても減ることはない。
どうやら大学を退職する日まで、老骨に鞭打ってフルタイムで働くことを余儀なくされそうである。
というわけで、今日より退職の日まで、これまで約束したものを除いて、執筆、講演その他もろもろのお仕事はすべてお断りしなければならない。
これまでも何度も「断筆宣言」をしているので、私のことを「オオカミ少年」だと思っている方も多いであろうが(ほんとに嘘つきだし)、今度は本気である。
たぶん無理すれば本務とかねてあれこれの仕事も出来るかもしれないが、そんなタイトな仕事の仕方のままいきなり「どん」と仕事のなくなる日を迎えた場合、高い確率で人間は「鬱」になることを私は知っているからである。
私はこれまで非人間的にタイトに働いて、「ほっと一息」ついたときに二度たいへんきびしい「鬱」状態に陥ったことがある。
一度目は東京から芦屋に移って、めまぐるしい生活がようやく落ち着いた92年の秋、二度目は震災の片付けが終わって、狂乱怒濤の生活がようやく落ち着いた96年の秋。
心身の疲労を「気の張り」だけで保たせてきた場合、「張り」が抜けたとたんに、無理にためこんでいた疲労が雪崩のように押し寄せるのである。
専門医はこれを「見返り症候群」と呼ぶことがある。
絶壁を必死でよじ登ってきたアルピニストが断崖の途中に休憩できる場所を探り当て、そこに腰を下ろして下を見下ろした瞬間に、これ以上壁を登る気力を失って呆然自失してしまうようなものだと説明してもらった。
この状態から「鬱」に落ち込む。
発症しやすいのは「大きな仕事を成し遂げたあと」「昇進した後」「引っ越しした後」「家を新築した後」などだそうである。
私の場合は2011年4月に「サラリーマン生活とオサラバ」し、そのときにおそらく家(というか道場)を新築し、そこに引っ越すわけであるから、これはもう狙い澄ましたように「見返り症候群」の発症原因が並んでいる。
60歳で深い鬱のうちに落ち込み、生きる気力を失った場合に、そこから離脱するためには、これまでの二度とは比較にならないほどのエネルギーと時間を要するであろう。
はたしてそれだけの時間が私に残されているかどうか。
それを考えて、ぼちぼちと退職に向かって、ゆっくり仕事を減らし、さまざまの責任から逃れ、「無為の生活」にソフトランディングしようと計画していたのであるが、それが今回の選挙で事実上不可能となった。
となれば、本務以外の仕事を減らすしかない。
以上の理路はどなたにもおわかりいただけるであろう。
たしかに無理すれば物書き仕事は続けられる。
書き下ろしも書けば書けるだろうし、講演もやればできるだろうし、連載もやればできるだろう。
けれど、その結果、非生産的で暗鬱な日々が2年後か3年後に到来することが高い確率で予測される以上、「やればできるけれど、やらない」という選択は「あり」だと思う。
というわけで心を鬼にして、私は何度目かの「断筆宣言」(今度は2011年までの期間限定ですけど)をここに公にするのである。
--------