疾風怒濤の週末

2008-05-26 lundi

5月、6月はほとんど「週末」というものがない。
24日(土)は恒例の全日本合気道演武大会。
日本武道館にこれで1977年から31年連続出場である。
毎度申し上げるが、これだけの連続記録を持つ人はあまりいない。
どれほど熱心に稽古をされていても、たまたま当日風邪をひくことだってあるだろうし、海外出張を命じられることだってあるだろうし、親の法事やご自身の結婚式とぶつかることだってあるであろう。
なにしろ5月の第四土曜日、「行事」のハイシーズンである。
そのような日に、加えて私のように異常なほどに「各方面にかかわりあいの多い人間」が、31年間、一度もこの土曜日に他の用事とバッティングしたことがない(ほんとはあったけれど、キャンセル)というのは、やはりかなり例外的な出来事と申し上げてよろしいと思う。
ここまで不倒距離を伸ばした以上、こうなったら死ぬまでこの記録を更新し続けたい。
あと何年武道館に出られるか。
せめてあと9年命がもって、40年連続記録を達成したいものである。
8時に新大阪に集合。
私どもの会は「現地集合、現地解散、自力更生」であるので、誰がその時間に来るのか懸念するには及ばない。
来る人は来ているし、来ていない人は来ない人なのである。
私どものイベントにだから「遅刻」という概念は存在しない。
「遅刻する人」は「来るはずの人」ではなく端的に「来ない人」にカテゴライズされるからである。
私がどうしてこれほど遅刻とかドタキャンに対して非寛容であるかというと、むろん長い個人史的理由があるのであるが思い出すだにますます非寛容になるので、割愛。
8時新幹線ホームに8人。
ドクターとイーダ先生ご夫妻、タニオさん、やべっちとクー、カユカワさんにヤマダくん。京都からアマノックスとトーザワくんが乗ってきて、計10人。
生霊の話などをしているうちに東京に着く。
地下鉄で武道館へ。
九段下からぞろぞろと夥しい数の合気道家が武道館に参集している。その数10000人。
会場につくと、ウッキーとキヨエに率いられた先乗り席取り部隊が激しいバトルを勝ち残って、なんとか北西角地にみんなの席をゲットしてくれている。すまぬ。
前日先乗り組、深夜バス組、スタンドアローン組がぞろぞろ集まってきて、総勢約30名。めんどくさいのでもう数えない。
廊下や控え室で10秒ごとに行き逢う各地の合気道家のみなさまと久闊を叙しつつ、着替えてさくさくと演武。
演武が終わると、本部の入江師範に捕まる。
『合気道探求』に連載をしてほしいというご要請である。
入江師範は早稲田大学合気道会主将の時代から久しく同門のご友誼を賜った仲であるので、むろん私にお断りできる筋の話ではない。
新規連載はすべてお断りしているけれど、こういうのは「別腹」である。
引き続き廊下にて「月刊武道」の取材。
武道館で原稿依頼や取材を受けるとは思わなかった。
私の行動パターンをご存知の方たちはこういうところで網を張っているのである。
出番が終わったので、あとはのんびりとみなさんの演武を拝見する。
多田先生、道主の演武を拝見する。
毎年まったく同じものを見ているような気もするけれど、31年前は吉祥丸道主が演武をされていたであり、多田先生も壮年の40代だったのである。
年年歳歳花相似たり。歳歳年年人同じからず。
演武会後、いつもの九段会館にて多田塾の打ち上げ宴会。
月窓寺の村尾泰隆、隆康ご兄弟と隣り合わせたので、ご挨拶を申し上げる。右となりの旧友小堀さん、斜め向かいの奥州の菅原さんをまじえて歓談。次々と訪れるさまざまな同門の方とご挨拶をする。
二次会はいつものように神田すずらん通り。
東大気錬会の工藤俊亮くん、次期主将の中村真也くんと痛飲。
工藤くんはとうとうお父さんになられたそうである。
最近、そういう話が周りで多い。
少子化趨勢はどうやら局所的には収まりつつあるようである。
ドクター&イーダ先生、ウッキー、ヒロスエ、キヨエ&マサコとぞろぞろと学士会館に投宿。
爆睡。
翌朝、お仕事で京都に戻るドクターと、学会に出られるイーダ先生をお見送りしてから、残るメンバーは東大本郷キャンパスへ。
恒例の気錬会五月祭演武会にご招待いただいているのである。
雑賀さんご夫妻、鍵和田くんご夫妻など、ここも「赤ちゃん」花盛りである。
演武は時間制限ありなので、かなぴょん、ウッキー、ナガヤマさん(この三人は系列道場の主宰者)、サキちゃん(18代主将)の4人に演武をしてもらう。受け、たくさん。
私はPちゃんにお相手をお願いして、名刺代わり演武。
赤門前で記念撮影(すごい人数)してから、みなさんとお別れして、多田先生と北沢尚登さんらと「赤門そば」でお昼ご飯をごいっしょする。
今年も「揚げ茄子そば」(これはなかなか珍しい食べ物である)を食す。
多田先生が真夏の犬のようにはあはあ言っている私の顔を見て、「乾杯しよう」と声をかけてくださったので、昼からビールを飲む。私の顔には「うう、ビールが飲みたいよお」という意思表示がそれほどまでにあらわだったのであろうか。
先生に再来週志木での再会をお約束して、みなさんとお別れ。
今度は六本木のANAインターコンチネンタルホテルへ。
橋本治さん、関川夏央さんと『現代』のための鼎談。
「日本論」という大雑把なテーマだけあって、あとは出たとこ勝負。
途中「次郎長三国志」と「ギャング忠臣蔵」の話になったあたりから、話が暴走しはじめ、当の三人は大いにご機嫌であったが、このような話が果たして『現代』読者に十分にご理解いただけるかはなはだ心配である。
2時間お話ししたあと、河岸を変えて、今度はワインなどをいただきつつ、さらに暴走。
『七人の侍』をハリウッドでリメイクした場合のキャスティングについて。小津映画で「私の一番好きなせりふ」について。「ひきだし」とは何かについて。
途中で、「書くとはどういうことか」というきわめて本質的な話になり、ここで橋本御大より「スタイリストの靴下」や「枕詞からブリッジへ」などハシモト文学の秘密を示す恐るべき文学的洞察が語られ、私はおもわずメモ帳を取り出しさくさくとメモする。
新幹線の時間がきたので、泣く泣くみなさんとお別れ。
あまりに面白かったので、この鼎談を単発で終わらせるのは惜しいので、「鼎談を連載しましょう」とご提案する。
三月に一度やれば、三号分くらいの分量は十分まかなえる(くらいにおしゃべりな三人)。
新幹線に飛び乗ったとたんに疲れがどっと出て、爆睡。
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