ほんとは休みの日のはずなのに

2008-05-01 jeudi

水曜はほんとうはオフなのだが、四月の最初の三週間だけ、斉藤先生との「音楽から始まる知との対話」(すごいタイトル)のリレー漫談があるので、午後から出講。
14 時にPHP出版の編集者が来る。
月刊誌への連載依頼。
むろん、断る。
わざわざ東京からおみやげをもて来てくれたのに、用事は名刺交換後5秒で終わる。
あまりに気の毒なので、しばらく世間話をする。
新規の連載はすべてお断りしている。
共同通信と日経の連載が終わったので、肩の荷が下りてほっとしているところである。
今残っているのはAERAの隔週エッセイ 600 字、讀賣新聞の「うほほいシネクラブ」(月一)、毎日新聞の「水脈」(これは三月に一度)、『ダイヤモンドマネー』の隔月エッセイ。
いちばん大変なのが『考える人』の「日本の身体」シリーズ。
これは各界の身体技法の達人たちを相手に私が「徹子の部屋」をやるという享楽的な趣向のものなのであるが、なにしろ私はフルタイムの管理職サラリーマンであり、先方もまたたいへんお忙しい方ばかりなので、日程の調整に毎回苦しむのである。
新規連載を容れる余地はない。
「毎日ブログにあれだけ書いているんですから、その分をちょっと・・・」というようなことを言われるが、ブログは「字数制限なし」「テーマ制限なし」「オチなし(もあり)」「使用禁止用語なし」というたいへん自由度の高い、いわば私にとっての「落書き帳」であり、好き放題書ける代わりに、とてもこのまま世間に商品としてお出しできるようなクオリティのものではない。
原稿料を取っているものについては、もうちょっと「推敲」とか、そういう手だてを講じているのである(ほんとよ)。

続いて江さんと今日のゲストの山納洋さん(大阪21世紀協会)がご挨拶に見える。
やや、どうも。
そこに次のお客である法務省は公安調査庁の人が来る。
公安といっても別に私が「暴力主義的破壊活動を企てる団体」の関係者であると思われたわけではない(多田塾甲南合気会や甲南麻雀連盟や極楽スキーの会は誰が見ても「そういう団体」には見えない)。
そうではなくて、中国の統治システムについての意見を聞きに来られたのである。
私は中国問題の専門家でもなんでもなく、新聞記事をとばし読みして、ヨタ話を書いているだけである旨を申し上げるが、先方は中国経済の今後の動向やチベット問題の解決可能性、さらには国境問題などについて子細に意見を徴されるので、つい調子に乗って「それはですね・・・」などと長広舌をふるってしまう。
先般は既報の通り、内閣情報調査室から教育問題についてご下問があった。
担当者は『下流志向』を読んで、その内容をまとめて当時の総理大臣に報告書を出したそうである。
たぶん安倍さんはそのレポートを読んでいないと思う(読んだからどうなるというものでもないが)。
どうして私のような市井のシロート学者のところに日本のインテリジェンス関係の方々がおいでになるのかよくわからない。
察するに、それだけ日本のインテリジェンス業界が「人材難」だということなのかもしれない。
それならわかる。
情報「収集」と情報「評価」は別の仕事である。
情報収集は「自分が知っていること」を実定的に積み上げてゆく仕事である。
情報評価とは「自分は何を見落とすように構造化されているか」という、「情報化」プロセスそのものが内在させている不調(平たく言えば「自分のバカさ加減」)についての考察のことである。
現代日本の政治学者や外交専門家の中に、この「おのれのバカ度の点検」に一定の知的リソースを投じている人はきわめて少ない(ほとんどいない)。
知識人たち(およびウッドービー知識人たち)は自分がいかに物知りであり、他人が自分の知っていることを知らないかをショウ・オフすることにはたいへん熱心である。
そして、そのせいで構造的に情報評価上の禁則を犯してしまう。
多くの人が勘違いしているけれど、情報とは「モノ」ではない(それはヒッチコックの言うところの「マクガフィン」にすぎない)。
情報とは「情報化プロセスそのものについての批評性」が現に活発に機能しているという「事況」のことである。
ともあれ、インテリジェンス業界の人材確保もこれからたいへんそうである。がんばってくださいね。

続いて斎藤先生との音楽漫談。
エラ・フィッツジェラルドの『サマータイム』と斎藤先生の『サマータイム』の聞き比べから始まって、石黒晶先生の『音の虹が降りてくる〜U・A・E・I』のDVD鑑賞(石黒先生の指揮で、斎藤先生と私がデュエットしている)、それから仏教の声明、モンゴルのホーミー、ブルガリアの女声合唱曲などの音源を聴いて、倍音について考察。さらに、「拍を割る」という身体感覚の実例をハル・ブレインのドラミング(Topsy 65)でお感じいただき、締めはかの「レッキング・クルー」がどれほど多くのセッションに参加していたのかの証拠に、サイモン&ガーファンクルの Sound of silence を聴く。
「デケデケデケ」と絡みつくような「おかず」がハル・ブレインのシグナチャーである。
というような話をしているうちに時間となる。
毎回、授業のあとに何人かの学生たちが「さっき聴かせてくれた音源のタイトルを教えてください」と訊きに来る。
今回質問があったのはビリー・ホリディ Lady sings the blues とジェームス・テイラーの Handy Man とブルガリアの女声合唱。
なかなかツボを抑えた選曲である。
斉藤先生、石黒先生とお別れしてから、再び江さん、山納さんと合流して、西宮北口の並木屋へ。
ゲスト講師のギャラがあまりに些少なので、お詫びのしるしにご接待申し上げてその労に報いるのである。
並木屋のカウンターで旬のお魚をぱくぱく食べながら、江さんの熱い語りに耳を傾けているうちにしんしんと夜は更けてゆくのであった。
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