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中国が「好き」か「嫌い」かというような話はもう止めませんか

朝刊を広げたら、週刊現代の新聞広告を目に入った。
特集は「中国、『好き』か『嫌い』か」。
なんと。
外交は好き嫌いでやるものではない。
小学生ではないのだから、「好き嫌い」で外交戦略を決するような愚かしいことは止めて欲しいものである。
どのような人がこのような特集に寄稿しているのか一瞥すると、「中華思想の骨法がわかれば中国は御しやすい」などという愚なるタイトルを掲げた文を草しているものがいる。
誰だ、このバカはと思ってみると、私の名前が書いてある。
う?
そんなもの私は書いたのか?
たしか十日ほどまえに「中国との付き合い方」というタイトルで寄稿を依頼された覚えがある。
週刊現代だったかもしれない。
その中に私は「好き嫌いで外交方針を起案するような愚かなことはいい加減やめたらどうか」ということを書いた。
外交戦略は先方がどのような国家像をもち、どのようなコスモロジーのうちにおのれを位置づけているかを理解するところから始まる。
どのように傍目から理不尽に見えるようなふるまいであれ、たいていの場合、先方の政府や国民にとっては「主観的には合理的な根拠」がある。それを「おまえのしていることは私にはよくわからん」といくら大声で言ってみても始まらない。
どうして、「そのようなこと」が先方にとっては「主観的に合理的であり、かつ正義にかなっている」ように思えるのか、その判断の構造を理解しなければ、生産的な対話は始まらない。
私はたしかに中華思想の理解が喫緊の課題であることを寄稿には書いた。
「中国人を動かす工夫」の必要であること、その必要性を理解している方がきわめて少ないことを私は書いたが、どこにも「御しやすい」などということは書いていない。
「御しにくい」から「御し方を研究したらいかがか」ということを書いたのである。
13億の中国人が机上の空論ひとつ聴いただけで「御せる」ものなら誰も苦労はしない。
このタイトルはゲラの段階で見たはずなのだが、そのときは「週刊誌的」なアオリだからしかたがないか・・・と思っていたのであるが、改めて新聞広告で見ると、中身を誤解させるように作為的につけられたタイトルのようないやな気がした。
というわけなので、寄稿した文章をそのままここに採録することにする。
書いていることは『街場の中国論』の焼き直しで、なんの曲もないものだが、とりあえず「中華思想の骨法がわかれば中国は御しやすい」というようなことはどこにも書いていないことを明らかにしておきたいのである。

中国とどう付き合うか。これは日本にとってほとんど二千年来の変わらぬ宿題である。元寇のときと、日清戦争から太平洋戦争までの二回を除き、日中はおおむね良好な関係を取り結んできた。それは私たちの国の先賢たちが「中華思想」というものの様態を理解していたからであると私は思っている。
中華思想というのは一種のコスモロジーである。中央に中華皇帝がおり、その周辺に「王土」が拡がり、中華の光が及ぶ範囲は「王化」されているが、中央から遠ざかると光が薄まり、「化外の民」が跋扈する「蛮地」になる。蛮地は蛮人たちの自治に委ねる。彼らが朝貢するならば、地方の王(漢委奴国王とか親魏倭王とか)の官位を与え、さまざまな下賜品を与えて帰す。だから、中華思想はナショナリズムではない。このことを覚えておこう。中華思想には「国境線」という概念がない。周縁には王土なのか化外の地なのかよくわからない「グレーゾーン」が拡がっている。
近代における日中の確執は「主権の及ぶ範囲の確定を曖昧なままにしておきたい中国」と「主権の及ぶ範囲の確定を求める日本」というスキームで推移した。台湾出兵、琉球処分、日清戦争はいずれも中国と日本が出会う周辺エリアの主権と帰属をめぐる闘争である。日清戦争のときに北京で対中外交の任にあった森有礼は「清国政府は一面に於て、朝鮮は内治外交とも其自主に任す故に朝鮮に起りたる事件に付ては直接に其責任を執らずと云ひながら、他の一面に於ては朝鮮は尚ほ中国の属邦にして決して一個独立の王国と認むる能はずといふが如き前後矛盾の属邦論を主張」したことに非を鳴らしているが、この「前後矛盾」のロジックこそが中華思想の骨法であることを森だって知らなかったはずはない。
同時期に外務卿であった陸奥宗光も「日清両国が朝鮮に於ける関係は従来殆ど氷炭相容れざる主義に基き居たるものあり」と書いている。戦争は地政学的権益の争奪ではなく、国家観の問題なのであるということを陸奥は理解していたのである。
近代における日本と中国の確執は、本質的にはこの「曖昧なる宗属の関係」を分明にせんとする日本と、何があっても分明にしたくない中国の間のコスモロジーの違いから派生している、というのが私の意見である。この違いを勘定に入れないと、どうして中国人は「一国二政府」というような香港の統治形態を「気持ちが悪い」と感じないのか、どうして台湾が独立したら武力侵攻するぞと言いながら、台湾から資金と人間が流入することを「気持ちが悪い」と感じないのか、どうして日中の海底ガス田の帰属について、「決着を棚上げするというソリューションもあり」と言い出すことを「気持ちが悪い」と感じないのかが理解できない。
中国人は、私たち日本人にとってはたいへん気分が悪い「宗属関係の曖昧さ」がまるで気持ち悪くないのである。周辺に広くグレーゾーンが拡がっていることを常態とし、その帰属をはっきりさせようとするすべての企てに反対するのが中華思想の本義なのである。
今、中国政府の政策を批判している方々のロジックは煎じつめると「中国人は日本人と同じ考え方をしない。けしからん」ということを繰り返し言っているにすぎない。だが、そんなことを言っても何も始まらないと私は思う。私からのご提案は、「私たちとは違う中国人の考え方を研究し、そこから引き出された法則を利用して、中国人を操作する工夫したらいかがか」ということである。どうして、そういうことを誰もメディアでアナウンスしないのか、その理由が私にはよくわからない。

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2008年04月21日 14:47 に投稿されたエントリーのページです。

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