霊的都市論

2008-02-18 lundi

私にとっての東京とはどの範囲かという話を昨日江さんと堀埜さんを相手にしゃべった翌日に小田嶋隆さんのブログを訪ねたら、小田嶋さんも同じ主題について書かれていた。
おお、シンクロニシティ。
小田嶋さんは東京「キタ」の人であり、私は東京「ミナミ」の人であるので、この差異について若干の思弁を弄したいと思う。
ちなみに「キタ」は「キ」に、「ミナミ」は「ミ」にアクセントを置く(三波春夫と同じ)のが関西風儀である。
まず小田嶋さん的東京とは次のような範囲を指す。
自転車で走る場所も、さすがにネタが尽きてきた。
河川敷のサイクリングロードを上下するのは、この時期、冷たい北風が強すぎてあんまり気がすすまない。苦行っぽいし。
で、都内を走ることになるわけなのだが、情けないことに、私の輪行は、孫悟空の飛翔やハムスターの疾走と同じで、決まった範囲から外に出ることができない。堂々巡りを繰り返している。
その「範囲」は、簡単に言えば、山手線の北半分、もう少し詳しく言うと、「山手線を新宿と秋葉原を結ぶ総武線で切断した際にできる半円の北側に、赤羽・田端・池袋を結んだ三角形の帽子をかぶせた地域」ということになる。
私は、このとんがり帽子から外に出ることができない。
山手通りを走っていても中野区に足を踏み入れるととたんに心細くなるし、明治通りも台東区まで行くとにわかに里心がつく。大田区だとか世田谷区品川区あたりは検討の候補にさえのぼってこない。だって、クルマで走っていてさえアウェーな感じがしてくるこの世の果てなのだからして。
北、板橋、豊島、文京の4区は、どこをどう走ってもなじみ深い。ホームタウンだからね。
この4区は古い時代の都立高校の学区分けにおける第四学区に相当する。ここには、高校の同級生の自宅が散在している。それゆえ、すべての町名に、何らかの手がかりがある。
この「旧第四学区」に、新宿周辺とお茶の水秋葉原界隈を加えたものが私にとっての「東京」のほとんどすべてということになる。ついでに言うなら、私にとっての「日本」も、8 割方はこの範囲内に格納されている。うん。わがことながらケツめどが小さい。ヒデよ、笑わないでくれ。3LDK の国際感覚。携帯祖国。

これは東京ミナミキッズからすると、みごとに実感通りの境界線である。
私は大田区多摩川べりの生まれである。
それゆえ私にとっての東京は「山手線を新宿と秋葉原を結ぶ総武線で切断した際にできる半円の南側」に限定される。
総武線以北とお茶の水以東は私にとって「アウェー」である。
私が東京にいた40年間に居住したのは大田区下丸子、目黒区駒場、世田谷区野沢、千代田区外神田、目黒区自由が丘、世田谷区尾山台、世田谷区上野毛(途中で例外的に半年ほど神奈川県川崎市の平間というところにいたけれど、これはガス橋のたもと、つまり生まれた街の対岸である。だから通学には最寄りの平間じゃなくて、下丸子駅までガス橋を歩いた)。
それから神奈川県相模原市にも1年いた。これは親がそこにマイホームを建てたせいである。予備校生は親の決定に逆らうことができぬので1年間そこから1時間40分かけて駿台まで通った。やたら寒いところだった。
いちばん通学先になじみが薄かったのが大学時代の後半。
お茶の水駅付近は高校時代からの遊び場であるので、スキップしながら歩けるのだが、橋を渡って本郷になると、どうにも土地と相性が悪い。
「本郷もかねやすまでは江戸のうち」というくらいであるから、いきおい本郷三丁目に向かう私の足取りは重いものになったのである。
このような「棲み分け」は東京ネイティヴにとってはごく自然なことなのであるが、途中から東京在住になった人にはこの「見えない境界線」の手前とあちらの「ホーム/アウェー」感覚はなかなかご理解いただけないことがある。
例えば、南東京人たちの「デートコース」はふつうまっすぐ西へ向かう。
皇居を起点として、東宮御所の横を通って、表参道、渋谷へ進み、道玄坂を上って246を直進。三軒茶屋から二子玉川。そこから第三京浜で横浜を通り抜けて、逗子、葉山、江ノ島、鎌倉あたりの海辺のカヘでお茶して、帰りは横浜中華街でご飯、というのが「車でデート」のときの定番である。
東京ミナミキッズで、「筑波山にドライブにいかね」とか「九十九里浜の波が見たいね」とかいうものはおらない。
これは江戸時代・明治期における市民の娯楽が「大川沿い、足を伸ばして墨東へ」という方向に展開していたことを考えると、地殻変動的変化と申し上げてよろしいであろう。
かのオーギュスタン・ベルク先生はこの変化を風水的に説明されている。
ご存じのように、江戸城は大手門が東にある。
風水的に言うと、大手門は「朱雀」の方向、すなわち南に位置するのが決まりである。
江戸城はそれを90度東にずらして構築されている。
京都を90度反時計回りに回転させた状態をご想像願いたい。御所が嵐山の辺にあって、四条河原町が百万遍の辺りにあるとどうであろうか。
想像すると、ちょっと気持ち悪いでしょ。
これは風水的にはバランスの悪い地形であるから、当然この「90度回転した都市」には復元力が働く。
つまり都市全体が時計回りのスパイラル運動エネルギーを内蔵させるのである。
これが東京のアクティヴィティの秘密である、とベルク先生は看破された。
東京の繁華街(悪場所)はそれゆえ吉原、浅草、品川、渋谷、新宿というふうに「時計回り」に発展している。
山の手線という環状線もそうである。
あれに乗るとき、例えば、渋谷から「山手線で東京一周しようぜ」というような場合に、おそらく東京ミナミキッズはほとんどが渋谷、代々木、新宿というコースを取るはずである。
一方、小田嶋さんのような東京キタキッズが池袋から乗車して「東京一周」をする場合には間違いなく大塚、巣鴨、駒込コースを採択されるはずである。
山手線というのは「時計回り」の路線なのである。
このような強い方向指示力は他の都市の環状線(例えば大阪の環状線)にも働いているのであろうか。
私にはよくわからない。
大阪から天王寺へ行く場合に、時計回り、反時計回りのどちらを大阪ネイティヴの方々は採択されるのであろう。
私は何となく京橋・鶴橋というコースを選ぶような気がするけれど、もしかすると単に所要時間が少し短いだけなのかも知れない(外回り=時計回りの方が本数が多いという説もある(むろん、ふつうの人は大阪から天王寺に行く場合は地下鉄御堂筋線に乗るのであるが)。
閑話休題。
もう一つの風水的な力は富士山によるものである。
江戸は東は「筑波山」、西は「富士山」という二つの霊山によって東西に引き裂かれているわけだが、霊的には東へ引かれる力と西へ引かれる力では、歴然と西へ引かれる力の方が強い。
先ほどのドライブコースをイメージすればわかるとおり、青山通り、玉川通り、246はまっすぐ西に向かう道路であり、その正面には大山(これも霊山である)と富士山がずっと見えている。
それに人間というのは「迷ったら、とりあえず西へ向かう」という習性が生物学的に備わっている。
というのも人類史の黎明期において、日暮れ以降というのは夜行性の動物の活動時間であり、人間はできるだけ安全な場所にいて朝まで動かないというのが生存戦略上の基本だったからである。
だから、私たちがつい西へ足を向けるのは、「まだ安全な場所にたどりついていないときは日没が一秒でも遅くなる方角に移動し続けることが生存可能性をわずかなりとも高める」という身体の古層に刷り込まれた真理を忘れていないからである。
さらに江戸の場合には「潮見坂」と「富士見坂」という二種類の斜面のもつ力がある。
これはかつて西武百貨店の店舗開発で辣腕をふるったハマダくんが江戸の古地図と現在の歩行者の動線を研究して得た結論である。
東京で商売をやるときは「まっすぐ下ると海が見える坂」か「まっすぐ下ると富士山が見える坂」に店を開くというのが江戸人の常識であった。
六本木というのは今はビルと高速道路にはさまれて何も見えないが、乃木坂、西麻布、鳥居坂、飯倉、溜池すべての方向に下り坂がある。つまり、ビルと高速道路を取り払うと、六本木というのは南に芝の浜から越中島に至る海岸線が、西方に大山越しに富士山がくっきり見える「潮見坂」と「富士見坂」に囲まれた東京屈指の「展望台」だったのである。
大阪はご存じのように上町台地というかまぼこ型の丘陵が都市の核をなしていて、この南端に四天王寺、北端に石山本願寺という浄土信仰の二大拠点があったことは何度も述べた。
浄土信仰にいう「日想観」とは西方浄土すなわち大阪湾に沈む日没を拝むことである。
だから、現代の大阪人もやはり西に強く惹きつけられる方向性を感知しているはずである。
大阪の都市設計について私は門外漢だが、歴史的に考えれば、近世以降も大阪城を起点として、西に向かうかたちで都市が形成されていったはずである。
だから、現在、梅田を起点として堂島、淀屋橋、心斎橋、難波と御堂筋を歩く人はその右手に海岸線を、左手に二つの浄土信仰の拠点の大伽藍をつねに霊的なランドマークとして意識していたはずである。
そもそも「御堂筋」というのは、北御堂(本願寺派津村別院)と南御堂(大谷派難波別院)という浄土真宗の二大寺院を結ぶ筋という意味である(と偉そうに書いているが、これは先日釈老師にご教示いただいたのである)。
というわけで古くから存在する都市の場合、そこのネイティヴの子どもたちは、大地から発するこのような無数の信号を受信しながら、無意識的にその動線を決定していたのである。
このような能力が何の役に立つのか、さっぱり理解できんという合理主義的な近代人もあまたおられるであろう。
だが、この「土地に導かれる」感覚を持たない人間はしばしばさまざまな形態をもった「ドブ」にはまるのである。
禅語に「脚下照顧」という。
足下を見よ。
そこに次に進むべき方向を感知できる人間と感知できない人間の差はみなさんが想像しているよりはるかに大きい。
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