007全巻制覇の旅が始まる

2006-12-15 vendredi

水曜日はオフなのだが、会議がひとつ。終わると同時に梅田へ出て、二回目の毎日新聞の外部紙面研究会。
これは毎日新聞の紙面について外野からあれこれいちゃもんをつける企画であり、新聞のあら探しをすることを当の新聞社から要請されているわけであるので、心を鬼にして新聞メディアの諸問題について1時間にわたり苦言を呈する。
デスクのみなさんからはいくつか反論やエクスキュースがあったが、総じてたいへんに真摯に私の暴虐きわまりない批判の言に耳を傾けてくださっていた。
私のような人間を呼んで悪口を言わせてそれを聴くことのできる毎日新聞社諸氏の雅量と寛仁大度にあらためて敬意を表したい。
今回私が学んだことが一つあるので、それについてだけご報告させて頂きたい。
それは新聞には速報性は求められていないのではないかという問題提起に対して示されたお答えである。
新聞記者が求められるのは速報ではなく、「特報」すなわちスクープである。
スクープで他紙を抜くためには、関係者の微妙な発言の変化や表情の動きやわずかな周辺的徴候から事態の決定的変化があったことを読み抜いて、何が起きたのかを言い当てる能力が必要とされる。
「知事あす逮捕」を特報する新聞を今日読もうと明日読もうと一般読者にとってはどうでもよいことであるが、この一日の差を生み出すためには新聞記者の「コンテクストを読む」という能力を最大化しなければならない。
つまり、特報を書くことそれ自体ではなく特報を書くことのできる能力を開発することで記者を育てている、というのがご説明であった。
私はそれを聴いてマリノフスキーの『西太平洋の遠洋航海者』を思い出した。
もう何度も書いていることだが、マリノフスキーがフィールドワークをしたトロブリアンド群島の人々は「クラ」という交換儀礼を持っていた。
そこで交換されるのは貝殻でできた装身具だが、装身具それ自体は何の有用性もない(サイズが小さすぎて装着できない)。
交換の隠された、真の目的は、その無価値な装身具の交換がスムーズに行われるように、クラ儀礼の当事者の間で揺るぎない信頼関係を築くことや、交換のために遠くの島まででかける帆船を作る造船技術や操船技術に熟達することである。
おそらく私たちが日々行っている営為の多くは、それ自体には直接的な有用性がなく、それを行うために動員され、開発される人間的資質に「それ以外の場面における」汎用性が高いがゆえに営まれているのである。

研究会のあと、毎日新聞の別の紙面のための取材。
今度は武道の話。

それが終わってヒルトンホテルのロビーで朝日新聞の小林さんと待ち合わせ。
ブログに書いた教育論をまとめて一冊の本にするという企画があって、その装幀を山本浩二画伯に頼んだので、その顔合わせである。
三人でひさしぶりの上川南店へ。
小林さんも画伯もお酒が飲めない身体なので(どちらも気の毒な物語があるのだ)、ひとりで手酌でくいくいとお酒を飲める幸せをしみじみ感じつつ「おつくり」「炊き合わせ」「湯豆腐」「海老の天ぷら」「手巻き寿司」などをぱくぱく食べる。
ほろ酔いで帰宅して、思い立って007シリーズ全巻制覇の旅を始める。
最初は『ワールド・イズ・ノット・イナフ』(ボンドはピアース・ブロスナン)と『リビング・デイライツ』(ボンドはティモシー・ダルトン)。
まったく頭脳を使う必要のないパッパラパアクション映画であるが、これらのタイトルを何とかしようという気はないのであろうか。
昔は『007は殺しの番号』、『ロシアより愛をこめて』、『私を愛したスパイ』、『女王陛下の007号』、『007は二度死ぬ』といった中学生がわくわくするような邦題がついていたのであるが。
というので、007シリーズ全巻制覇を記念して、不肖ウチダが全作品に邦題をお贈りすることにする。
とりあえず『ワールド・イズ・ノット・イナフ』は『俺の渇きを止めてみな』、『リビング・デイライツ』は『007は鉄のアタマ』に決定。
『ワールド・イズ・ノット・イナフ』は World is not enough だからだいたい意味はおわかりいただけるであろうが(「世界だけでは足りない」)『リビング・デイ・ライツ』というのはおおかたにとっては意味不明であろう。
これは英語の成句で beat the living daylights out of him というように用いる。これは「彼を正気を失うほど殴りつける」という意味。
この場合の living daylights は「正気」「意識」ということである。
ジェームズ・ボンドはその全作において通算45回くらい頭蓋陥没をもたらしかねないハードな打撃を後頭部に受けているので、晩年のボンド氏のリビング・デイライツはほとんど致命的に失われているものと推察される。

木曜は4年生の「最後から3回目」のゼミ。
ここにも小林さんが取材に来る。

午後の授業のあとAERAの取材。
「2007年に注目する3人」というテーマである。
「モリさんとヒラオさんとタカハシさん」じゃダメですかと訊いたのであるが、そういう身内の紹介記事ではないらしい。
「画伯とだんじりエディターと老師」という選択もあったが、「その方たちとはどういうおつきあいで?」と訊かれた場合、私を含めてその四人が一堂に会する場面といえば一つしかないので説明に窮する。
ということは、同じ理由で「お兄ちゃんとヒラカワくんとイシカワくん」もダメだということである。
やはりAERA読者もご存じの有名な方の名を挙げなければならぬであろう。
ということで「来年に限って注目している人」として「ポスト安倍」の筆頭候補である福田康夫。
「過去20年間ずっと注目しているし、来年も注目する人」として甲野善紀先生。
そして、「過去30年ずっと注目しているし、来年も新年早々から注目する人」として大瀧詠一師匠の名を挙げ、それぞれの推挙の所以について述べる。

取材のあとに久しぶりに合気道のお稽古。
発作的に新しいアイディアがいろいろ浮かんで、さっそく門人諸君を実験台にしてあれこれとやってみる。
IT秘書を帯同して帰宅。
スパゲッティを食べワインを飲みつつ医学部受験勉強の進捗具合についてお聴きする。
お歳暮がいろいろ届いているので、その中からハム、りんご、塩昆布、カレー、スモークサーモンなどの副食品を掘り出して秘書の食生活(「ご飯にふりかけ」)の好転を祈る。
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