無人島レコード

2006-12-13 mercredi

いろいろなところから「今年の三冊」や「今年の五冊」といったアンケートが届く。
毎年すらすらと書いて投函するのであるが、今年は全部お断りしている。
別に「選ぶべきベストがない」というような定見があってのことではない。
一年間で三冊も本を読んでないからである。
たしかに本は読んでいる。
絶えず読んではいるけれど、半分は「調べ物」のためであり、半分は「エンターテインメント」である。
調べ物はその本質上「飛ばし読み」であるし、エンター系はしばしば泥酔状態で読んでいるので、翌朝はもう何も覚えていない。
「読んだ」という以上は、やはり読んで「震撼させられた」というくらいのインパクトがあり、
それによって翌日から世界の見え方が変わった、というくらいのものでないと困る。
そのような本に今年は出会うことができなかった。
わりと集中的に読んだのは池田清彦先生の本と茂木健一郎さんの本であるが、このお二人はどちらかというと書いている本より、書いている本人の存在の方がインパクトがある(池田先生にはお会いしたことがないけれど、絶対本より実物の方が破壊的な人だと思う)。
あ、一冊忘れてた。
これは面白かったなあ。
柴田元幸さんの『バレンタイン』。
これは蒲田(というか京急沿線)を文学的に昇華することに成功したおそらく世界最初(日本最初ならふつうそうだな)の文学作品じゃないかと思う。
この連作小説の中に主人公の「私」の奥さんが死んで幽霊になって出てくるという話がある。
雑誌連載中にそれを読んだある編集者から「シバタさんの奥さんなくなったらしいですね」という暗い声の電話があった。
ええ、そんなつらいことがあったのに、あんなに元気でどんどん翻訳を出すなんて、なんてハードボイルドな人なんだろう・・・と絶句していたら、「小説」だった(奥さんとは柴田さんとの対談の打ち上げのときに一緒にビールを飲んだけれど、ちゃんと両足とも揃っていた)。
そういう点でも忘れがたい。
本じゃないけれど、一番インパクトがあった文章は大瀧詠一「師匠」が『レコード・コレクターズ増刊無人島レコード2』に寄せた文章(この『無人島レコード』には私も寄稿している)。
「無人島レコード」というのは「無人島に持ってゆくとしたらどんなCDを持ってゆきますか? 一枚だけ選んでください」という趣向のアンケートである。
無人島に電源があるのかよ、というようなツッコミはなしである。
「ルールは厳守だが、法の網をかいくぐる反則技はあり」とあるが、なかなか反則はむずかしい。
師匠は「レコード・リサーチ」という書物を選んだ(「無人島レコード」で本を選んだのは師匠だけである)。
これは『ビルボード』のチャートとチャートインしたアーティストごとにシングルのデータをまとめたもの。
その中の1962年から66年までがあればよいと師匠はおっしゃっている。
「あれさえあればいいんですよ。72年以降のチャートは要らないしね。もうわかんない曲もあるからさ。厳密にいえば、62年くらいから69年ぐらいまでで・・・いや66年まであればいいや。その4年間くらいなら、ほぼ完璧だと思うんだよね。全曲思い出せるんだよ。その時期のチャートがあれば、いくらでも再生できるからね。自分で。死ぬまで退屈しないと思うんだけどね。次から次へと出てくるヒットチャートをアタマの中で鳴らしながら一生暮らす、と。」
これはすごい。
師匠の記憶力がすごいということではない(ことでもあるが)。
音楽というのは「記憶しよう」という努力によって記憶されるものではなく、「音楽を受け容れる構え」を取っている人間の細胞の中に浸潤して、そこに完全なかたちで記憶される。
本人がそれを記憶していることさえ忘れていても、「スイッチ」(師匠の場合は「レコード・リサーチ」)を入れると完全に再現される。
音楽を「受け容れる構え」とはどういうものだろう。
それはとりあえず「全身で享受する」というように言えるだろう。
「全身で」というのがむずかしい。
「さあ、享受するぞ」というような「力み」があると、身体の一部に緊張が入って逆に「全身で」という条件が満たされない。
聴くでもなく、聴かないでもない・・・というような感じでぼんやり音楽に身を預けて、仕事の手を動かしたり、別のことを考えながら、たまに足で拍子を取ったり、鼻歌まじりにハモってみたりしているときがおそらくもっとも音楽情報の受容感度が高い。
そういうふうに音楽を聴ける条件が揃っていたのが、大瀧さんの場合は十四歳から二十一歳までだったということである。
そういえば、以前師匠は「ロックは音質の悪いカーラジオから流れてくるのを聴くものだ」ということをかまやつひろしさんを相手にラジオで力説していたことがある。
その対談を音質の悪いカーステレオで運転しながら聴いたのだが、ほんとにそうだよなと思った。
そういうふうに聴いた音楽(や聴いた言葉)は私たちの細胞にしみこみ、私たちはしばしばそれを一生忘れないのである。
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