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2005年01月16日

W-CLIC

1月15日

大学センター試験。
試験監督のため氷雨の中をひさしぶりにネクタイ締めて大学へ出勤(このところバイク通勤が寒くて、ずっと革ジャンにタートルネック、マフラーぐるぐる巻きだったのである)。

センター試験の監督は、マニュアルに書かれた通りに、機械的にやらなければいけない。
だが、これまで都立大時代をふくめて十年ほど監督者の様子を拝見していると、台詞を噛んだり、言い間違えたり、マニュアルにないよけいなことを口走ったりする大学教師がけっこう多い。
あるいは「機械的にマニュアルを読み上げる」という作業に無意識的な抵抗が働くのかもしれない。
私自身は「機械的に何かをする」ということに特段の抵抗がない。
というか、かなり好きである。
きっと私が非人情な人間だからなのであろう。

非人情な目つきで受験生を眺めながら、教室最後尾の椅子にすわって、その前の休み時間に学長から「読んでおいてね」と手渡された中期計画書に目を通す。
「監督者は読書をしてはいけない」という規定がマニュアルにはあるのだが、「大学中期計画書」をマーカー片手に読むのは、はたして「読書」に当たるのであろうか。
受験生の視点からは、「監督者手引き」を熟読している監督者と、「大学中期計画書」を熟読している監督者を識別することはできない。
たしかに、「読書」の場合であれば、熱中してしまうと、「解答やめ」の合図を忘れたり、読んでいるうちに「ぐふふ」と含み笑いしたりする可能性があるが、学長の起案された「大学中期計画書」を読んで、忘我の境に入ったり、わははと爆笑してしまう人間は存在しない。

計画書の冒頭に、本学の教育理念として次の五点が挙げてある。
「キリスト教精神/リベラルアーツ教育/国際精神・異文化理解(英語教育)/女子教育/キャリア形成意識の醸成」
うーむ。
もちろん教育理念に文句があるわけではない。
専任教員が自分を採用してくれた大恩ある大学の教育理念に文句を言ってはことの筋目が通らない。
そうではなくて、「覚えにくいな」と思ったのである。
実際に、よく会議の席で、教育理念のことが話題に上るときに、「本学の教育理念は・・えーと、キリスト教精神と、国際理解と、リベラルーアーツと…あとなんでしたっけ?」(というようなことが管理職のあいだでも口にされることがある)。
そういうときに、みんな顔を見合わせて…「えーと…」と考えているうちに、誰かが「女子教育じゃないですか?」と思い出す。
当たり前すぎて忘れていたのである。
これは問題ではないか。
で、学長レポート冒頭を一読、「教育理念をひとことで覚える」方法を考えることにした。
こういうコピーライティングは私はわりと得意なのである。
キリスト教精神…chiristianity
リベラルアーツ…liberal arts
国際精神…internatinality
女子教育…women’s education
キャリア形成…Career oriented education
というような適当な英語訳をつけておいてから、頭文字のC、L、I、W、Cをじっと眺めて、ただちに一案を得る。
W-CLIC (ダブル・クリック)
おお、これは覚えやすい。
というわけでHPをご覧の本学教職員のみなさん、本学の教育理念って、なんだったけ…と思い出せないときは、マウスを「カチ、カチ」とダブルクリックしてみてください。


投稿者 uchida : 2005年01月16日 11:14

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コメント

社会に認めてもらえない人は大人じゃない、というのは、たしかにそうだ。
社会参加していないのだから。
つまり学生は子供だ。

という単純至極なこと。
しかし、社会で意見を求められるような存在になることは、実はとても大変なことですよ。

「大人として意見を求められる標準」は、私にとってははるか遠くにあると思っている。

ウチダ先生は意見を求められることは多いかもしれない。
有名人だし、本もたくさん書いている。

しかしその結果意見を求められるようになったからと言って、それは本当にウチダ先生が大人であることを証明するのだろうか?

また、会社員で、不況で首を切られる人は、子供だろうか?
長い間勤務してきて、退社を迫られているような人は子供だろうか?

アタマのいい人は、私の経験では、たいていひどい目に遭っているひとの気持ちなんて、微塵ほども分からない。

ウチダ先生もその類か?

少なくとも「哲学者」ならば、もっと人間がいかに醜い存在か知っているはずだ。

ダイガクなんて、何を教えるのだ?
へんてこな理屈ばかり覚えて、それが現場の営業に役に立つのか?

本をたくさん書いたからとて、それが即ウチダ先生が偉いということになるのか?

パレスチナで殺し合いをしているが、あれは人間が醜いという何よりの証拠ではないか。

世の中に聖人なんていないし、聖人になれるはずもない、ということを知らないのか。

ダイガクの先生は、理想ばかり知っているけれども、現実をまるで知らない。

われわれから見れば、それこそ「子供だ」と思う。
まあ、文字の世界から離れない限り、私も「永遠に」子供なんだけれども。

投稿者 Fhanrin [TypeKey Profile Page] : 2005年01月17日 21:40

何だか論理に飛躍の多いコメントですね。まあ、ブログに完璧な論理を求めても意味があまりないのですが。「人間が醜い」とお嘆きのようですが、人間は状況次第で善から悪まで伸び縮みする存在です。女性でも聖女から娼婦まで付き合う男次第で変わるでしょう。両義的な存在なので、どちらと決めつけるのはどうでしょう。もちろん聖人になれる人もいるはず。悪人が聖人に裏返る瞬間(その逆も)もあるはずです。大学は現実的なことをまったくやらない(?)と書いていますが、ナノテクの胃カメラなどは医工連携の良い例です。あの苦痛を感じないで胃カメラを飲めます。これは有り難い。新たな特異な性質を持った金属材料を作ったりとか。これらは本当に今すぐ役に立つ成果ですが、数十年スパンで考えなくてはならない研究もあります。また、何かというときに無くては困るという分野もあります。ギリシャ語やラテン語で書かれた書物の文献学は(特に後者は)ギリシャ・ローマ史の専門家のみならず、西欧の美術史の基礎知識(ラテン語は中世ヨーロッパの共通語なので)ですし。これらは役に立たないといわれれば、すぐには役に立たないです。でも、一回研究の流れが途絶えてしまうと、本当に困ります。そういう分野は結構多いです。工学系・医学系の分野でも、こんなことやってどうなるというレベルの研究があって初めて花形の分野の創出につながっているケースも多いのです。<今ここですぐ>役に立つ実学でなければ存在する意味がないという趣旨のコメントを上で書いている人は知的な世界が狭いのでしょう。因果関係としては、ある結果の直接的な原因と直接因果作用を及ぼす原因に影響する間接的な原因があります。想像力が貧困な人は直接的な因果関係しか実感できないのでしょう。こうした問いは学生からぶつけられることもあるので、真面目に対処しないといけないとは思いますが、あまり固定観念を持っている人を相手にするのも苦痛なので避ける他無いですね~。

投稿者 wnm [TypeKey Profile Page] : 2005年01月18日 00:15

>何だか論理に飛躍の多いコメントですね。

論理に飛躍が多い、とはよく言われます。
飛躍とは、たぶん中間に論理的展開が無く、理由概念も見当たらず、説明も無いので、説得力がない、という意味だと思います。

>>しかしその結果意見を求められるようになったからと言って、それは本当にウチダ先生が大人であることを証明するのだろうか?

これは、
大概念「本を書く人は、りっぱなひと(=大人)である」
小概念「ウチダ先生は、本を書く人である」
結論「ゆえに内田先生は、りっぱなひとである」

の中の「本を書く人は、りっぱなひとである」という命題に対する単純な疑問です。

世のなかには、本を書くからと言って必ずしもりっぱなひとでない人も存在する。
例えば、牢獄につながれている囚人が獄中手記を書いて出版したりする。
彼は必ずしも立派な人とは言えない。
彼の本をみなが買うのは、彼の異常な行為に対する興味からであり、かれが人格的に立派であるからではない。

従って、人間が他人に対して興味を持つのは、二通りある。

その人が立派な人か、あるいは異常な人か、のどちらかである。

>>女性でも聖女から娼婦まで付き合う男次第で変わるでしょう。

逆もまた真なりで、付き合うおんなで男も変わってくる。

>>両義的な存在なので、

人間は自分の中に悪の部分も存在するので、
一方的に善の部分のみを称揚することは、無意味です。
悪の部分を良く知ることこそ、自分を知ることです。
普通人間は自分の中の悪魔を知ることを恐れる。
普通の人間は、自分の中の善のみを表面に押し出す。
哲学者たるもの、人のもっとも嫌がる、悪の顔を知らなければ。
自らの悪に苦悩し、その中から自分と他人の「救い」を見出して欲しいと思います。

>ナノテクの胃カメラなどは医工連携の良い例です。

コンピュータの世界でJavaと言ういまや主流となった言語の開発者でBill Joyという人がいました。

この人は以下のような論文を残して、コンピュータの世界を去りました。この論文では主にナノテクノロジーを批判しています。

http://www.wired.com/wired/archive/8.04/joy.html

If the elite is ruthless they may simply decide to exterminate the mass of humanity. If they are humane they may use propaganda or other psychological or biological techniques to reduce the birth rate until the mass of humanity becomes extinct, leaving the world to the elite.

エリートが無慈悲ならば、世界中の人間を根絶することだって出来る。
実際、エリートが無慈悲なことは多い。
もしも無慈悲なエリートが、世界を自分たちの思い通りに作り変えてしまったら、それは、本当に「社会の役にたつ」と言えるのですか?
Bill Joyの言いたかったことは、そういうことだと思います。
胃カメラならまだしも、「人ゲノム」がすべて解読されているような時代です。
遺伝子の操作が思いのままに行われるようになれば、「優秀な人材」には不幸が無くなる。
優秀でない人間は人間性を完全に否定されることになる。

このような技術が、人間にとって本当に必要で、「役にたつ技術である」と言えますか?

>>でも、一回研究の流れが途絶えてしまうと、本当に困ります。

それはなぜ困るのでしょうか。
昔のことを知ることは、直接現在生きることにつながりますか?
文字を通して、昔の人の気持ちを追体験することは出来るでしょう。しかしそれは昔の人の気持ちそのままではありません。
あくまでも現在の時点での解釈です。

プラトンやトマス・アキナスが生きているはずがありません。
生きていたとしても、現在の世の中にどれほど影響するでしょうか。
もうすでに文献学の分野で、読まれるべきものは、読みつくされている、と思います。
また、いろいろ学派もあって、解釈が一様でない、とも聞いています。

途絶えてしまうなら、途絶えさせるのもいいと思います。
それらは必要が無くなったのですから。

>>知的な世界が狭いのでしょう。

知的な世界、とは何でしょうか?
知ってる言葉の多さか、
読んだ本の多さか、
知っている現象の種類の多さ

でしょうか?

しかし、それは本当に「知っている」と言えるのでしょうか?

本当の「知」とは「血」と同義で、生き生きと血肉になっているものを「知」と言うのだと思います。

ダイガクで教えているのは「データ」であって「知」ではない。

冷暖自知(れいだんおのずからしる)

でなければ、本当の知とはいえない。

だから、ダイガクで教えている「知」はにせものであって、
ダイガクへ行くことは、無駄なのである。


投稿者 Fhanrin [TypeKey Profile Page] : 2005年01月18日 14:57

上の人のコメントは2つの強固な前提に基づいています。

1.実際、エリートが無慈悲なことは多い。
2.ダイガクで教えている「知」はにせものであって、ダイガ  クへ行くことは、無駄なのである。

最初に結論ありきなので(中間の傍証は恣意的で無意味)、この人の相手をするのはもうこれで止めます。一つ聞きたいのは貴方は「一流」大学を出ていないようですが、そうであれば、貴方のこの発言は単なる「奴隷一揆」です。

投稿者 wnm [TypeKey Profile Page] : 2005年01月19日 02:56

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