四月になれば私は・・・

2011-01-24 lundi

そうなるのではないかと思っていたが、最終講義とパーティーが終わったとたんに脱力して、ぐーすか寝続けている。
まだ礼拝もあるし、授業もあるし、もちろん会議もあるし、入試業務も合否判定もレポートの採点も卒業判定も卒業式も謝恩会もあるのだが、なんだか「もうだいたい終わった」感がじくじくと身体の芯からにじみ出してきて、「わし、もうどーでもえーけんね」状態になりつつある。
たぶん四月になって、もう全部終わった・・・と思ったとたんにばたりと倒れて一週間くらいベッドから起き上がれないということになるのではないかと思う。
『あしたのジョー』と同じで、ゴールめざして走っている間はパンチ・ドランカー症候群は発症しないのである。
そういうことが過去20年間に2回あった。
最初は93年の春、次は96年の秋。
93年の春は、離婚して、小さな娘の手を引いて神戸に移ってきて、見知らぬ街で、新しい職場に適応するために必死になって二年間がむしゃらに生きた後、ようやくいろいろなことが片づいて、ほっと一安心したところで高熱を出して倒れて、3週間入院した。
96年は震災のあと1年間大学再建のために必死になって働いて、ようやくいろいろなことが片づいて、ほっと一安心したところで壮絶な不眠症と鬱に襲われて、これは97年の春まで半年近く悶え苦しんだ。
どちらも「気合いで体力の不足を補う」という無理を長期にわたって続けたことの「ツケ」を払ったのである。
どこかで「前払い」してもらったものは、そのうち「精算」を求められる。
ちゃんと帳尻は合っているのである。
管理職になってからの6年間の「無理」は体力的なものというよりは、「立場上の無理」であるから、解放されたあとに「倒れる」というかたちでは発症しないのではないかと思う。
「立場上の無理」というのは、DVDの冒頭にアナウンスしてある「インタビューにおける発言などは個人のものであって、●●映画会社の公式見解ではありません」という、あれである。
大学教員はその個人的発言を「●●大学の公式見解」と取り違えられるリスクを負っている。管理職であればなおさらである。
というかそもそも「大学の教師ともあろうものが」という一般的な「教員イメージ」についての連帯責任を負っている。
私は大学の教師を32年やってきた。
「大学の教師である以上、・・・はしてはならない」という自己規制はほとんど血肉化している。
その「縛り」からついに解放されるのである。
だから、こんどは「さんざん無理をしてきた分の債務を払う」というよりは、「さんざん無理をさせられてきた分の債権を回収する」というかたちで発症するのではないかと思う。
つまり、四月になると、これまでの私以上に、態度が悪く、横着で、無責任で、傍若無人な人間として再生するのではないかと懸念されるのである。
これまでだってずいぶん非常識な人間だったのである。
その「たが」がさらに外れた場合にどうなるのであろう。
何をしても、もう「譴責」とか「訓戒」とか「減俸」とか「始末書」とか、そういう心配をしなくてもよいのである。
「天下の素浪人」なんだから。
四月以降私が属する組織は多田塾甲南合気会と甲南麻雀連盟だけで、それはどちらも私が「師範」であり、「総長」なのであって、人々を譴責したり、「ケジメつけんかい、おら」と恫喝する側であって、される側にない。
そんなに自由になった自分がどんなふうにふるまうか、うまく想像ができない。
あるいは「大学教師的エートス」はもう血肉と化しており、四月以降も「あいかわらず」なのかも知れない。
とりあえず、その帰趨を確かめるのが四月一日からの楽しみの一つである。