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新学期がそろそろ始まる

三宅接骨院で治療。
週一ペースで三宅先生に身体のメンテナンスをしていただいている。
少し前に右の背中が痛かったのだけれど(体調が悪くなると、必ずここが痛み出す)、歪みをなおしてもらったら右膝と右背中の痛みが消えた。
『Sportiva』の取材で御影の高杉で刈部さんインタビューを受ける。
お題はイチロー。
先日、9年連続200本安打の記録を立てた偉大なベースボールプレイヤーであるが、記録に言及されることをあまり喜ばないのはどういうわけか。
それは彼の卓越したパフォーマンスを数値的にしか表示しようとしない日本のスポーツメディアの能力の低さにうんざりしているからではないかという話をする。
アスリートのパフォーマンスを数値でしか語れないというのは、現代日本を覆い尽くしている「幼児化」の端的な徴候である。
スポーツメディアが書くのは「数字」と「どろどろ人間模様」だけである。
アスリートについて書かれていることは、記録や順位や回数について、ローカルな人間関係についてか、ほとんどそのどちらかである。
ベースボールプレイヤーについて書くときに、打率や打点や本塁打数や出塁率やにしか言及できないというのは、喩えて言えば、バレーダンサーのパフォーマンスについて論じるときに、ピルエットの回数とかジュテの高さとかリフトしたバレリーナの体重だけを書き、「舞踊そのもの」については何も書かないようなものである。
野球もまた身体的パフォーマンスであり、それが与える喜びはダンスを見る場合と変わらない。
それは卓越した身体能力をもった人間に「共感する」ことがもたらす快感である。
長嶋茂雄という選手はもう記録においてはほとんどすべてを塗り替えられてしまったけれど、彼がプレイするときに観客に与えた快感に匹敵するものを提供しえたプレイヤーはその後も存在しない。
長嶋茂雄はただ「守備しているときに来たボールは捕って投げる。攻撃しているときに来たボールはバットで打ち返す」ということだけに全身全霊をあげて打ち込んだプレイヤーである。
長嶋のプレイを見ているときに、私たちは彼の身体に想像的に嵌入することを通じて「野球そのもの」に触れることができた。
その意味で長嶋は一種の「巫者」であったと思う。
長嶋がそうであったように、卓越したパフォーマーに私たちが敬意を払うのは、その高度な能力を鑑賞することを娯楽として享受できるからではない。
そうではなくて、私たちの日常的な感覚では決して到達できない境位に想像的に私たちを拉致し去る「involveする力」に驚嘆するからである。
刈部さんとのインタビューではイチローと井上雄彦さんの「相貌上の相似」がひとつのトピックになった。
ふたりとも若いときは、「ふつうの青年」だったが、今やまるで禅僧のような、武道家のような透き通った面立ちになっている。
それは「遠くを見ている人」に固有のおもざしである。
ひとりは野球という「興行」をつうじて、ひとりはマンガという「娯楽」をつうじて、ある境界線を突き抜けてしまった。
あらゆる職業には「これくらいでよかんべ」というラインがある。
99%の人間は、そのラインをみつけると、そこに居着く。
1%(もっと少ないかも知れない)の人だけが、それを超える。
「そこまで行くことなんか誰も君に要求していない。いまのままで十分じゃないか。これ以上自分に負荷をかける必要はないだろう」という制止の声を振り切って、歩み続ける。
歩み続けることを止められないその人たちをみていると、人間はどのような職業の、どのような知識や技能を通じても、「行けるところまで行こう」とすると、「向こう側」に突き抜けてしまうのだなということがわかる。
そして、私たちは凡庸な人間には決して達することが出来ない境位に私たちを導いてくれた人々に対して敬意を払うことを禁じ得ないのである。
というような話をする。
そのほか部屋にある花を咲かせてしまう橋本治さんの「熱いオーラ」の話とか、面白い話がいろいろあったのだが、それについては『Sportiva』を買って読んでね。
取材後、大学へ。ひさしぶりの教授会。
会う人ごとに「とうとう始まってしまいましたね」「やですね・・・」と挨拶を交わす。
新学期が始まるときに、開口一番「いやですね」という言葉をみんなが言い交わすというのもちょっと問題だよなと思うが、ほんそうにそう思うのだからしかたがない。
『日本辺境論』のゲラがもどってきたので、初校に手を入れる。
少し時間をあけて読むと、わりと読みにくいものである。
少しいじりこねくり回しすぎたのかもしれない。
一気に書いたものは、あまり推敲しないで、そのままにしておいた方が読みやすいのかもとちょっと反省して、わかりにくいところをざくざくと削る。
リーガロイヤルに移動して、久田舜一郎先生の12月の公演の打ち合わせに参加。
久田先生の他にお嬢さんの小鼓方の陽春子さん、ご主人のシテ方の寺澤幸祐さん、そしてヨメと私で今回のイベントにゲスト出演していただく河内厚郎さんと玉岡かおるさんにご挨拶をするのである。
私はべつに制作企画とは関係ないのであるが、玉岡さんにはご挨拶せねばならない筋がある。
ご存じのとおり、玉岡さんは本学の卒業生(お嬢さんも卒業生)で、大学広報にさまざまなかたちでご協力いただいている。
つい先日“Four Seasons” というタイトルの岡田山の四季を撮った写真集を出したのであるが、玉岡さんが「春」について書き、私が「夏」について書いた。
そういうご縁のある方なので、入試広報の責任者である入試部長としてはこの機会に親しくお礼とご挨拶を述べねばと思ったのである。
玉岡さんはヴォーリズの奥さんの一柳満喜子の伝記をご執筆中とのこと。
一柳満喜子は小野藩藩主一柳子爵の娘で、神戸女学院音楽部の卒業生である。
いま、ウィリアム君と満喜子さんの最初の出会いをどこに設定しようか苦労しているところだそうである。
能楽堂で見合いというのは「あり」でしょうかという質問があり、久田先生と陽春子さんが昔の能楽堂の「御簾席」の構造について説明してくれる。
ついでに私も小津安二郎の『晩春』で笠智衆と三宅邦子が「杜若」を見る場面のカメラワークについてご説明をする。
河内さんが途中から加わって、阪神間のさまざまな歴史的トピックについて(OSKの話、香櫨園にあったアミューズメントパークの話、高砂から住江を見た景色の話、室津の遊女の話などなど)きわめてディープな話が始まる。
話し込んでいるうちに吉兆の客は私たちだけになってしまった。


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2009年09月19日 09:25 に投稿されたエントリーのページです。

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