美食で風邪を治す

2008-12-11 jeudi

忙しかったし、風邪もなかなか直らなかったので、日記の更新を怠っていた。とりあえず備忘のために、この間のできごとだけメモしておく。

12月6日(土)日本ユダヤ学会が本学で開催される。幹事校なので、私とミスギ先生で会場設営や懇親会の仕切りなどをする。
発表は平岡光太郎会員(同志社大学大学院)による 「イツハク・アバルヴァネルをめぐるの変遷」と黒田晴之会員(松山大学)による「シャガールが描いた楽士の音楽――ロシア革命前後のユダヤ人の音楽について」。
「クレズマー」という音楽のことと、イスラエルの「ウルトラ正統派」の時間意識・国家意識について、瞠目すべき知見を得る。
日本ユダヤ学会というのは、むかしは「イスラエル文化研究会」といって、早稲田の社研の一室で数名でやっていたのであるが、気がついたら、日本中のユダヤ関係研究者を網羅した堂々たる学会になってしまった。
それでも当今の人文科学系の学会では見ることの希な「マッド・サイエンティスト」的風貌の研究者たちが見たことも聴いたこともない摩訶不思議な話をきかせてくれる。
あらゆる学会とオサラバしてしまった私が最後にたった一つだけ籍を残しているのがこの日本ユダヤ学会である。
石川耕一郎先生、宮澤正典先生、大内宏一先生、徳永洵先生、高尾千津子先生ら、懐かしい顔が揃い、学会発表のあと、懇親会へ。
赤尾光春さんという若いユダヤ学研究者に辱知の栄を賜る。
ジョナサン&ダニエル・ボヤーリンの『ディアスポラの力』(平凡社)を訳している方である。私はその書評を頼まれていたのである。
一読しただけでは、著者がどういう立場から主張をなしているのかわからなかったのだが、訳者ご本人の解説でだいぶ話が見えてきた。

翌日は合気道の稽古。風邪気味で咳き込みながら、リーガロイヤルで養老先生と晩ご飯。
仕切りはいつもの足立さん。AERAの取材もかねている。
ひさしぶりに養老先生の滋味あふれるお話を伺いながら、美味しい中華料理を食べる。

月曜は朝から熱っぽいので、午前中の下川先生のお稽古を休む。
昼まで寝ていたが、まだぼおっとしている。
大学で授業を一つ済ませてから、大阪会館へ。養老先生との対談。
タムラくん親子はじめ、釈先生、クロダくん、トガワさん、ウッキー、ヒロスエくんら顔が見える。みんな寒いところをご足労さまです。
対談はあっというまに終わってしまう。
養老先生と私は「しゃべりのスピード」が近いので、テンポよくぱたぱたと話が進む。
これからの日本は「第一次産業」を復興しなければならないということ、東京一極集中を止めて、地方にリソースを分散すること、マスでものを扱うのを抑制して、顔の見える関係の中で、手仕事で具体的にものを作りあげること、そういう「地に足の着いた」生存戦略への切り替えが必要であるということをふたりで力説する。
終わったあと、残ってくれていたみなさんとプチ打ち上げに北新地へ。浜松から来てくれたスーさんご夫妻、オノちゃん、オーサコくん、ひさしぶりのヒラオくん、守さんのところの意拳の方(お名前失念、ごめんなさい)、いつものウッキー。
ヒラオくんとスーさんが学校におけるスポーツ指導の「勝利至上主義」をきびしく批判して、座が熱く盛り上がる。
帰り道はヒラオくんといっしょ。北新地から摂津本山までずっと学校教育の中でどうやって身体能力を涵養することができるのかを話し続ける。まことに真面目でスマートなヒラオ青年である。
高橋佳三くんや平尾剛くんがこれからあときっと日本のスポーツ教育理論を根本から書き変えてくれることであろう。
どの領域でも頼もしい若手がどんどん出てきてくれて、老生としてはもう思い残すことはない。

火曜日はゼミが二つとゼミ面接が5人。
微熱が残っているので、ぼおっとして帰宅。こたつに入って、町山智浩さんお薦めの『Hot Fuzz』を見る。たいへんにイギリス的で面白い。
『Shoot’em up』も面白かったけれど、こういうクリスプで批評的な「映画そのものへの自己言及」映画はなかなか「うほほい」で紹介する機会がない。

水曜朝起きると、ようやく風邪が治っている。
やれやれ。
ひさしぶりのオフなので、下川先生のお稽古へ。
『山姥』のクセのところの舞をお稽古する。長いよお。
2時間特訓でようやく8割ほど覚える。
家に戻ってメールを開けると、今日締め切りのものが3つあるらしい。
そのまま机に向かってとっぷり日が暮れるまで原稿書き続ける。
夕方三宅先生ご夫妻がお迎えに来てくれる。
「カルマ落とし」とて三宮の鈴江でごちそうになる。
オレンジ釜蟹グラタンと自家製カラスミが絶品。
しあわせ。
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