バチ当たりな映画を見る

2008-04-04 vendredi

ペドロ・アルモドヴァル監督の映画について卒論を書いたという大学院聴講生が入ってきたので、ペドロ・アルモドヴァルの作品をまとめてアマゾンに発注したら、どかどかと届いた。
『All about my mother』だけは見ていたが、あとは未見。
とりあえず『アモーレス・ペロス』を見る。
なんかタッチが違うなあ・・・と思っていたら、これはアルモドヴァルではなくて、アレハンドル・ゴンザレス・イニャリトゥ監督作品であった。
どうも「スペイン語映画」ということで私の脳内に隣接して置かれていたために混同が生じたようである。
Amores perros というタイトルを見て「父性愛」とか、そういう意味なのかしらと想像していたが(スペイン語知らないので)、どうもそうではなくて「愛犬」という意味だったようである(それも違うかもしれない)。
イニャリトゥ監督は『21グラム』と『バベル』の監督である。
その次の作品タイトルはフランス語で Chacun son cinéma ou Ce petit coup au coeur quand la lumière s’éteint et le film commence「ひとりひとりの映画館。あるいは明かりが落ちて、映画が始まるときのあのときめき」だそうである。
すてきなタイトルである。
とにかく、私はアルモドヴァルとイニャリトゥを間違えてしまったのであるが、こういう錯誤は(フロイト先生が看破されたように)分析的に無根拠であるはずがない。
私はこの二人に共通する「何か」を感知したのである。
それは何か。
おそらくそれはルイス・ブニュエルの「血」である。
この二人はどうもルイス・ブニュエルが「スペインで作った子どもとメキシコで作った子ども」腹違いの兄弟のように私には思われるのである(そしてロバート・ロドリゲスはイニャリトゥのさらに従弟くらいに当たるのではないか)。
なんかブニュエル臭いぞと思いながら、アルモドヴァルの初期の長編映画『バチ当たり修道院の最期』を見る(すごいタイトルだな。配給会社はもしかしてアルバトロス?)。
原題は Entre tinieblas。
誰かスペイン語知っている人、意味教えてください。
これがかなり物議を醸しそうな映画であった。
カンヌに出品したら、カトリック教会が激怒して上映中止になったそうである。
そりゃ、なるわな。
修道院の尼たちがヘロインやったり、LSDやったり、官能小説書いたりして「罪深い生き方」とはどういうものか深く研究するという話なんだから。
スペインにおいては 1975 年のフランコ独裁の終焉まで、カトリック教会は政治的権力と結んで、強い権威を揮っていた。
ブニュエルの『アンダルシアの犬』(Un chien andalou, 1929) におけるカトリック司祭の戯画的な描き方は、スペイン内戦という政治的文脈抜きでは理解できない。
『バチ当たり修道院』は 83 年の映画であるから、おそらく独裁終焉のあとの「ゆれ戻し」の中で、カトリック司祭や修道女を冷笑的に愚弄する作品群がいくつも作られたうちの一つなのであろう。
たぶんそういう作品はいっぱいあり、それなりに反教権主義者のスペイン人観客に受けたのだが、スペイン以外の国でも観客を惹き付けるほどの質のものがなかったせいで、『アンダルシアの犬』の系譜に続くものとしては、ひとりアルモドヴァルの映画だけしか国際マーケットに登場しなかった。
だから、私たちには「こういう映画」が作られることにどういう必然性があるのか、その歴史的文脈がうまく見えてこない。
そういうことではないかと思う。
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